3

 魔法使い──という言葉を、篝は瞬時に飲み込むことは出来なかった。

 魔法という概念を、篝はよく理解していない。その単語自体は古くから存在するが、それを術者の身として遣ったことは一度もない。

 たしかに自分は術者で、常識的に信じられないような術を用いることもあるが、それはあくまでも順序だてて構成される『巫術ふじゅつ』であり、魔法と呼ぶことはない。人智を超えた術であろうと、それは術者たちの中で理論付けて完成されるものに違いないのだ。

 呆気に取られている篝を前に、魔法使い──ラミネウスは、おやおや、と大袈裟おおげさに肩を竦めた。


「一応、貴殿の上司──陽向の長には、謁見えっけんしたはずですが……。もしや、聞き及んでおられない?」

「……いや、外つ国からの術者が来訪したということは聞いている。ただ、此処にいる理由──外界の者を忌避する傾向にある金峰村に入り込めた理由が、わからないというだけだ」


 何処と無く小馬鹿にされている風が否めず、苛立ちを噛み殺しながら篝は答える。上背の高いラミネウスには、嫌でも見下ろされなければならないのが腹立たしい。

 自称魔法使いの男は、己を睨み付ける術者の青年をじろじろと舐め回すように観察した。それはもう、篝に見せ付け、知らしめるかのように。


「……答えろ、魔法使いとやら。それとも、俺の言葉がわからんのか?」


 いつまでも舐められているのは、相手が誰であろうと気に食わないものだ。ふざけるなよこの野郎と言いたい気持ちを抑えつつ、篝はラミネウスを急かす。


「それはもう、ひとえに村長殿のご厚意ですよ。俺を招き入れたのは、そちらの──マノセデンゾー殿、でしたか。彼です」

「村長が……?」

「俺は嘘を吐きませんよ。そう警戒せずとも良いではありませんか。名称こそ違えど、同業のようなものでしょう?」


 ねえ、と首をかしげるラミネウスを無視して、篝は村長へと向き直る。


「今の話は真か? お前がこの男を金峰村に呼び寄せたのか」

「……致し方のないこと。村の平穏を守るために、その男は有用だった」


 篝の問いに、村長は一呼吸置いてから答える。

 たしかに、金峰村の最高権力者である村長ならば、秘密裏に外部の人間を招聘することも可能だろう。山中で気絶した篝も、村長の手の者によって金峰村まで運び込まれたに違いない。

 ──だが、まだ疑問は残る。


「何故、お前は外つ国の魔法使いとやらを必要とした? 桐花を──鬼女を匿っていたのは、お前たち間ノ瀬ではないか! いや──それとも、この男に鬼女の復活を依頼したのか?」

「──そのようなこと、俺がするとでも?」


 答えたのは、村長ではなくラミネウスだった。彼は端正な顔を僅かにしかめる。


「そもそも、貴殿は俺が何のために此処までやって来たかご存じですか? 遥か遠いイングランドから、わざわざ東の果てに来た理由を」

「……陽向の本拠では、人喰い鬼を捜していると宣ったそうだな。それは建前か?」

「いいえ、まさか。そう、それこそが俺の捜し物、東の果てまで逃げ延びた、恐るべき吸血鬼──テクラ。あれを始末することが、俺に課せられたお役目です」


 人喰い鬼。吸血鬼。それは、この地において鬼女と呼ばれるテクラを指すものなのだろう。

 やはり、ラミネウスは陽向の本拠を訪問した術者と同一人物であった。もう少し謙虚で此方を舐め腐った風のない人物であれば良かったが──今となってはせんなきこと。篝は眉間を揉みたい気持ちを我慢しつつ、なるほど、と相槌を打つ。


「では、間ノ瀬は鬼女を排除したがっていたのか? 長い期間孫娘と偽ってまで、手元に置いていた癖に? それはどういった心変わりなのだろうな?」

「さあ? 其処までは存じ上げませんよ。俺はただ、利害関係の一致によりお力添えしただけに過ぎませんからね。詳しいお話は、其処の老爺ろうやにお尋ねくださいな」


 つい、とラミネウスが流し目で村長を見る。その仕草は様になっているが、其処に悪意が込められていることは篝にも読み取れた。

 この男は、村長のことをただの契約者としてしか見ていないのだ。自分の身が危うくなれば、切り捨てることすら平気で実行するのだろう。その癖、対立関係にある篝をあおることは怠らない。

 厄介。いや、それ以上に悪辣あくらつぎょしにくいどころの話ではない。出来ることならば、一生関わりたくない人種だ。

 ちっ、と聞こえよがしに舌打ちをお見舞いして、篝はラミネウスから顔を背ける。


「……間ノ瀬伝三。お前は、鬼女を匿っていたのではなかったのか? このような輩に手を借りてまで鬼女を厄介払いしたかったのか? それとも、報酬か何かに目が眩んだか?」

「…………」

「答えろ、間ノ瀬伝三。お前には、村人たちに事の次第を公表する義務があるはずだ」


 しばらくの間うつむいていた村長だったが、やがて諦めに満ちた溜め息を吐きながら顔を上げた。その顔は青白く、お世辞にも快調といった風には見えない。


「……間ノ瀬が鬼女を匿っていたのは事実じゃ。おおよそ百年の間、我々は鬼女の核を守り、隠匿し、丁重に扱ってきた」

「それは何故だ? この村にはホフリの君がいる。鬼女が甦れば、人々は襲われるだろうに。あれは、人という種そのものを憎んでいるんだぞ」

「……たとえそうだとしても、鬼女の核を破壊する訳にはいかなんだ。あれは守り通さねばならぬ。でなければ──この村は、終わる」


 先程まで村長を詰っていた村人たちも、その言葉には口を閉ざすしかなかった。金峰村しか拠り所のない彼らには、まさに効果てきめんであった。

 しかし、篝は眉を少し跳ね上げただけで、特に驚いた様子は見せなかった。そういった類いの話は、既に苅安から聞いている。

 それに、現在の金峰村の状況を鑑みた上であり得ない話でもない。金峰村の存続は極めて難しいだろう。これまで通り何もかも村の内部で済ませていれば違ったかもしれないが、既に人買いやラミネウスといった外部の人間との接触が確認出来ている。この村が有する恩恵を知られるのも、時間の問題だろう。


「それは今更なのではないか? お前は村人から犠牲者を出さないために、余所者を身代わりとすることを選んだ。それに、其処の魔法使いとやらを招き入れている。金峰村の存在は、じきに外部へ露見するだろう。そうなれば、いずれ役人たちがこの村を接収する」

「いや──そのような問題ではない。たとえ村の存在が知れたとて、役人共が此処まで辿り着くことは叶わない」

「──ホフリの君が結界を張っているからか? あれにも、一応対処法はあるぞ」


 ぴくり、と村長の肩が僅かに跳ねる。


「ホフリの君は人を見定める。舞い手たちは、そのお眼鏡に敵っただけのこと」

「他の二人はどうだか知らないが──少なくとも俺は、霊力が足りていたからあの場に留まっていた。そうでない者は、軒並み消えてしまうのだろう? ホフリの君のかてにされるからな」

「……何のことだかわからぬな」

「おや、知らなかったのか? ならば今教えてやろう。──ホフリの君も、あの鬼女とそう変わらぬ方法で自らを維持しているぞ」


 篝は唇の端を歪めて、ハ、と笑ってみせた。


「神に変成したとはいえ、ホフリの君ももともとは人間──しかも、間ノ瀬の下働きときた。己の力だけで神としての形を保つのは難しかったのだろうよ」

「貴様──何処まで知っている」

「ついに貴様呼ばわりか、良いご身分だな。何処まで、と言われても範囲の基準がわからないからどうとも言えんが……まあ、お前たちが百年に渡って隠匿し、捏造してきたことなら大体は知っているさ。三流だが、俺も術者の端くれなんでね」

「なるほど、共鳴の術でも使ったのかな」


 覗き見は良くないよ、と外野のラミネウスが茶々を入れてくるが、篝は躊躇いなく無視した。この男の戯言に構っている暇はない。


「鬼女は贄を喰らうことで糧としていたが、ホフリの君はそれを望まなかった。あれは馬鹿が付く程のお人好しだったようだからな。村人を喰らうなどとんでもないと、以降の村祭りでは生贄を望まなかった──そうだろう?」

「……そのように伝えられている」

「部外者ぶるのは見苦しいぞ、間ノ瀬伝三。──まあ、それはそれとして、だ。生贄を拒むくらいのお人好しなのだから、当然ホフリの君は地中に埋葬された村人の遺体も糧にはしなかっただろう。──となると、導き出される答えは明白。奴は、この村に近付く余所者をその霊力で殺し、己が糧とし──時には、村を襲う獣に変成させた」

「獣が、ホフリの君の手先……!?」

「そ、そんなのあり得ねえぞ! ホフリの君は、金峰村を守るんだろ!?」

「ホフリの君が、私たちを襲う訳ない!」


 此処で、これまで静まり返っていた村人たちが再び口を開く。篝の予想の範疇はんちゅうである。

 篝は肩を竦め、そう思いたい気持ちもわかるが、と前置きする。


「俺は三人の連れと共に山中を歩いていたところで気を失い、この村に連れてこられた──失敬、辿り着いた。俺以外の連れとは、しばらく連絡が取れなかったが……数日前に再会した」


 獣になっていたんだよ、と篝は平坦な口調で言った。


「何があったのかは知らないが、あいつらはまがりなりにも戦う、対抗する術を持っていた。そんな奴等が異形に転じたのだ、そのようなことが出来るのは、鬼女か、ホフリの君しかいなかろう」

「だったら鬼女の仕業ではないのか」

「鬼女ならば尚更違うだろう。あれが復活したのはつい最近と俺は考える。俺がこの村に迷い込んだのは一週間と少し前。鬼女がそれよりも前に復活していたのなら、もっと多くの村人が喰い殺されているはずだ」


 要するに──と篝は村長を見る。視線は合わない。


「ホフリの君は、非常に不安定な神だった。お前は──いや、間ノ瀬はそれを早々に察知し、いざという時のために鬼女の核を手元に残しておいたのだろう? ホフリの君のいしずえか、あるいはホフリの君が使い物にならなくなった時の代理か……。とにかく、村を存続させるために鬼女を切り札として残しておいた。──違うか?」


 ぐ、と村長の喉から唸り声のような音が鳴った。彼が追い詰められていることは明白だった。

 村長が発言するまで、篝は彼を見下ろし続けた。お前から言質げんちを取るまで動いてやるものかという、ある種の執念である。


「…………保険のために、鬼女の核を間ノ瀬が保管していたのは事実だ」


 暫しの沈黙の後に、村長は絞り出すように口を開いた。

 篝の瞳が一瞬煌めく。この機を逃してはならない。


「言ったな? やはりお前たちが鬼女を隠匿していたのではないか。しかも、孫娘などと称して! 鬼女が別人格を表に出したからと、その人格を進行させた。結果的に、それが間ノ瀬桐花を──そして鬼女を苦しめるとも知らずに!」

「……脅威は去ったと思ったのだ。桐花は人と同じように飲み食いし、人の血肉を求めることもなかった。ホフリの君という神が確立したが故に、鬼女は引っ込んだものかと、そう思った。──いや、思いたかったのだ。もう、ホフリの君は全てをお守りくださるまでに成長したのだと」

「異形とも言える獣が現れていたのに──か?」

「あれらの出現は予想外だった。ホフリの君のものであるならば、金峰村を守るものだと思い込んでおった。だからこそ、冬を拾った際に雇い入れたものだが──」


 此処で、村長ははっとした様子で目を見開いた。

 篝は反射的に間ノ瀬の席を見渡す。使用人たちも特別に舞台の近くに座することを許されているようだったが──その中に、冬の姿はない。

 ──悪寒がした。


「おい、間ノ瀬伝三! 冬は──」

「──離れた方が良い、カガリ殿」


 冬はどうした、と篝が村長を問い詰めようとした矢先のことであった。

 突然、後方からぐん、と腕が引っ張られる。篝の体は重力に抗うことが出来ず、思いきり後ろに倒れ込んだ。


「っ、何をする!」


 どてん、と尻餅をついた篝は、自分を引っ張った人物──ラミネウスを睨み付けようとし──鼻先を突いた焦げた臭いと、その直後に上がった壮絶としか言い様のない絶叫を耳にする。


「こ、これは……!」

「……呪詛を破ってしまったか。どうにか出来ぬものかとは思っていたが……この様子じゃ、手遅れだったようだね。残念だ」


 もうもうと立ち上る煙と、肉の焼ける臭い。篝は思わずげほげほと咳き込み、彼を引っ張ったラミネウスは憂いを含んだ眼差しを向ける。


 先程まで篝と問答を繰り広げていた村長──間ノ瀬伝三は、村人や舞い手たちの眼前で、その体から発生した炎によって火だるまとなっていた。

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