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 篝に長話するつもりは全くなかったのだが、神殿から出ると空には星が瞬いていた。思った以上に話し込んでいたようだ。

 肩を竦めつつ自室に戻ろうとする篝だったが、直線上でひらひらと手を振る人物を見つけてそちらへと向かう。


「やあ、随分と話し込んでいたようじゃないか」

「……夜霧」


 どうやら体を清めてきたらしい夜霧は、相変わらずの軽妙な口振りでそう声をかけてきた。いつもいっしょにいるかよは、珍しく同行していない。

 一人で体を清めたのだろうか、と疑問に思いながら、篝は彼女の手前で足を止める。この様子だと、篝と二人きりで話したいことでもあるのだろう。


「ふふ、険しい顔だね。何か心配事でもあるのかい?」


 伏し目がちのまま、夜霧はくすくすと笑う。村祭りの前夜とは思えない程に、余裕のある表情だった。

 ──夜霧は、恐ろしくないのだろうか。

 舞い手がむごたらしく死ぬという話は、勿論彼女も知るところである。そのために、村の外から舞い手が集められたのだ。半ば生贄のような存在だと、彼女も、かよも知っている。

 それなのに、夜霧は笑っている。また無事に明日を過ごせるのだと言わんばかりに。


「嫌だなあ、そんな顔をしないでおくれよ」


 口には出さなかったが、表情には出ていたのだろう。夜霧は苦笑しつつ、お前は優しいね、と慈しみを含んだ声音で言った。


「篝、お前は大巫様のことをお優しいと言ったけれど、お前も相当のものだと思うよ。死ぬかもしれないというのは、篝──お前だって同じじゃないか。他人の心配ばかりしているけれど、お前だって恐れて良いはずなんだよ」

「……先程の話、聞いていたのか」

「盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、生憎耳だけは良いものでね。身を清めていたら、自然と耳に入ってきたんだ。申し訳ないことをしたね」

 

 口ではこう言っているが、夜霧に反省の色はない。むしろ幸運だ、とでも言わんばかりの顔をしていた。

 篝はぐっと唇を噛む。この女には、どう足掻いても勝てる気がしない。


「……俺も三流だな。任務の途中で拉致されただけではなく、一般人にまで素性を知られたとなっては、上司から大目玉を食らう」

「おや、お前の上司というのは余程厳しいお方なのかな。陽向──とかいったっけ。お前や大巫様を従えるというのだから、とてつもなくお偉い方々なのだろうね。──しかし、お前はただ巻き込まれただけだろう? この村に来たのだって偶然だ。偶然にも同胞と出会い、そして鬼女を見付けたともなれば、大手柄のようにも思えるがね」

「証拠を見付けただけでは、どうすることも出来ない。手柄となるのは、鬼女や村祭りの件を解決した時だ。俺一人では、どうすることも出来ない問題だ」


 大巫の前では見栄を張ったが、所詮篝は三流の術者なのだ。己一人で出来ることなど、たかが知れている。鬼女に立ち向かったとして、殺されるのがおちだろう。

 術者である篝でさえ腰が引ける問題だ。夜霧の余裕の根元が、篝にはますますわからない。

 ──と、此処で頬を軽くつままれる。


「──さてはお前、私のことを可笑しな女だと思っているだろう」


 見れば、目の前で夜霧が笑っていた。先程までの苦笑いとは違う、心から可笑しいと思っているような笑みだった。


「……それがどうした」


 子供扱いされているような気が否めず、篝はむっとして夜霧を睨む。このような状況で他人を揶揄からかえる人間など、可笑しな女以外の何者でもない。

 ほぼ肯定ともとれる篝の言葉に、夜霧は言ったな、と幾分か声を弾ませた。


「お前は勘違いしているようだね。私だって死ぬことは恐ろしいし、村祭りがどうなるかわからない不安もある。加えて、先程お前と大巫様との話を聞いて、鬼女が復活したことも知ってしまった。不運とはこうも重なるものかと、我が身を恨んだよ」

「……であれば、何故そうも笑っていられる? せめて俺のことをなじりでもすれば良いものを」

「おや、お前は詰られたいのかい? そういうへきがあるのなら、やってやらないこともないけれど」

「話を逸らすな。そういった風だから、俺はお前のことがわからないんだ」


 じっとりと白眼視してやると、夜霧はやっと笑顔を消した。しかし、それは諦念をはらんだ無表情であった。


「……私はね、篝。疲れたんだ」


 弾んだ声音は、もう何処にもない。あるのはただ、がらんどうの虚より響く諦めの声。

 十代の少女とは思えぬ乾ききった口振りに、篝は言葉も出なかった。圧倒されたのだ。


「昔はこれほどじゃあなかったけれど、視力が弱いというだけで酷い目に遭った。何か期待をすれば、それの倍とも言える絶望に襲われた。初めのうちは理不尽に憤り、悲哀することが普通だと思っていたけれど──ある時、何だか全てが馬鹿馬鹿しく思えてしまったんだ。小さなことに一喜一憂して、一体何を得られるのだろう──とね」

「人身売買や差別は、決して小さなことではないだろう。抗議すれば、お前の立場に立ってくれる人間だっているはずだ」

「……本当に、お前は優しいね。でも、わかりきっていることだが、世の中はお前のような人間ばかりではないんだよ。私のような弱者に味方するような物好きはそうそういない。弱者が寄り集まったところで、出来ることはたかが知れている。烏合うごうの衆など、持てる者によっていとも容易く握りつぶされてしまうものさ」

「……だから諦めたのか。何もかもを」

「森羅万象全てに絶望したのではないよ。けれど、そうだね……以前よりも、幸運を期待することは少なくなったかな。期待した分だけ、裏切られた時の衝撃って大きいからさ」


 夜霧の目が完全に伏せられる。一切を遮断せんとする、確かな拒絶が感じられた。


「……すまないね。身の上話をするつもりはないし、悲劇の姫君ぶっている訳でもないんだ。でも、そうだね。明日死ぬかもしれないと思ったら、気が気ではなくて……。これが私なりの怖がり方だと言ったら、お前は信じてくれるかな」

「恐ろしいなら恐ろしいとはっきり言えば良い。お前はただでさえ表情が薄いから、言葉にせねばわからない」

「そうかもね。……でも、表情を作るのだって結構疲れるものだよ。──いや、感情表現そのものが、私にとっては多大なる労力の消費だ」


 特に私は鏡を使えないからね、と夜霧は付け足した。篝は何も言わず、沈黙をもって先を促した。


「まあ、要するにね。私は気付いてしまったのさ。人形になっているのが一番楽なんだよ。初めから諦めていれば、後々に傷付かずに済む。──不毛だと思われるかもしれないが、これが私の造った要塞さ。こうしていれば、心を揺さぶられることもない。……まあ、まさか迷信じみた因習というか、何というか……。此処の村祭りの関係者にされるとは思っていなかったけれどね」

「お前は、死をも覚悟しているのか?」

「どうだか。その前に、鬼女に喰われてしまうかもしれないからね。ろくな目に遭わないってことはわかっているけれど」


 夜霧の語り口は軽い。まるで他人事だ。

 だが──その口振りの中に矛盾があることを、篝は知っている。


「ならば何故、お前は舞を覚えようと努力するんだ?」


 ぴたり、と。

 夜霧のありとあらゆる動きが、一瞬ではあったが──全て、止まった。

 篝はその隙を見逃さない。す、と一歩踏み込んで、無表情のまま口を開く。


「お前は全てを諦めていれば傷付かずに済む、心を揺さぶられずに済むと言ったな。だというのに、お前は神楽舞を必死になって覚えている。個人的に、大巫様へ指導を求めてもいるそうだな。そうまでするのは何故だ?」

「……気まぐれでは駄目かい?」

「駄目ではない。だが不可解だ。神楽の上手い下手に関係なく、舞い手は皆死んでいる。自分には壁があるからと、初めから負担という名の盾を取れば楽出来たろうに……何故そうしなかった? お前は、何のために努力し、舞を習得しようとする?」


 夜霧は沈黙した。普段なら食い気味にでも──答えを躊躇うことのない彼女が、口を閉ざした。


「何故だ、夜霧」


 もう一歩、篝は踏み込む。夜霧の諦念を打ち崩すまで、彼は歩みを止めはしない。

 焦点の定まらない──いや、完全に伏せられているはずの夜霧の瞳。今其処に篝の姿は映っていないはずだ。

 だが──夜霧は、そっと顔を背けた。


「やめてくれ」


 夜霧は睫毛を震わせる。その動きだけならば泣き出しそうにも見えるが、彼女の表情に悲哀や物寂しさはなかった。


「期待してしまいそうになる」


 絞り出される声は弱々しくしおらしい。達観しきった女とは対極にある、無力で儚く、それでいて若く瑞々しい少女の声音。

 篝は目をぱちくりとさせた。一体どうしたというのだろう。

 夜霧はよろよろと後退り、篝から距離を取った。そして、何度か深呼吸してから顔を上げる。


「お前は陽の者だ。希望と、前進せんとする意思、そしてまばゆい善性に溢れている。諦めようと思っても、いいやまだ可能性はあると私に思わせてしまう」

「何を言っているんだ、夜霧」

「そのままの意味さ。篝、お前は私たちに希望を与えた」


 ──だから、下手でも構わない舞さえも最良のものにしたくなる。

 夜霧は何処か拗ねているような口振りで言う。僅かに尖らせた唇のせいだろうか、その姿はやけに幼げに見えた。


「お前に自覚はないのかもしれないが、お前はとんでもないお人好しだ。嫌でもそれが伝わってくる。お前は良心が服を着て歩いているかのようなんだよ。何とかして犠牲を出さずに村祭りを終わらせたい、任務を遂行すると共に鬼女の謎を突き止めその被害を抑えたい、そして──間ノ瀬桐花を救いたいと願う気持ちが、お前の内側から滲み出ている」

「ばっ、お前」


 桐花──ひいてはテクラに関しての話は機密事項だ。外に漏れぬようにと、大巫にも小声で話したつもりだ。

 まさか、それすらも聞こえていたというのだろうか。だとすれば、とんだ失態である。

 顔を真っ青にさせる篝のことが見えているかはわからないが、彼の焦りは通じたようだ。夜霧はふにゃりと、彼女にしては珍しく年相応の、くだけた笑みを浮かべた。


「誰かに告げ口するつもりはないさ。聞こえてしまったものは仕方がないけれど、これは私とお前との間だけに成立する話題だ。誰にも密告しないと約束しよう」

「いや、そういう問題ではないだろう。鬼女の正体は、術者の間のみ知るところでなければならないというのに……」

「──ねえ、篝」


 篝の言葉を、夜霧は躊躇いなく遮った。


「先に断っておくけれど、これは私の純粋な疑問から生まれた問いだ。個人的な感情は全く入っていない、ただの問いかけであると前提してくれ」

「……だったらどうした。早く問えば良いだろう」


 ぶっきらぼうに先を促した篝を、焦点の定まらぬ瞳が見つめる。


「篝──お前はどうして、間ノ瀬桐花を救いたい?」

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