第十二章 前夜

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 翌日、神楽舞の稽古の後に大巫から呼び出された篝はこっぴどく叱責されることを覚悟していたが、意外なことに彼女はほっとした表情で篝を出迎えた。


「……鬼女と邂逅かいこうしたそうじゃな。まったく、此処で死するやもしれぬ状況に首を突っ込むとは、一体何処まで肝が据わっているのやら。間ノ瀬の用心棒からの報告を聞いた時には、心臓が飛び出るかと思うたぞ」

「申し訳ございません」

「相変わらずのふてぶてしさじゃな。……いや、それも元気の証拠か。どれ、其処に座れ。怪我をしたのじゃろう? 手当てはしたのじゃろうが、無理が祟って明日の村祭りに響いたら本末転倒じゃ。見せてみよ」


 昨晩、夜中に水を汲んで自室で傷口を洗っていたところ、事情を察したらしいかよがこっそりと清潔な布を持ってきてくれた。幸いなことに大きな怪我はなく、神楽を舞う上でも支障はなかったが、やはり大巫としては気が気ではなかったようだ。

 申し訳ない気持ちを普段よりもひしひしと感じながら、篝はおとなしく座して着物をはだけさせ、比較的目立つ傷口を見せる。

 それほど痛むものではないが、んで悪化でもしたら困りものだ。素人の治療だけでは足りない部分もあるだろう。

 大巫は近くに控えさせていた神官たちに指示を出し、篝の傷口を処置していく。細かな切り傷や打ち身がほとんどなので、専門の医者でなくとも事足りよう。


「……して、件の鬼女は如何様いかようなものであったか」


 治療を施されている篝を見つめつつ、大巫は静かに問いかける。

 このような作業中に聞くことだろうか。篝は疑問に思いはしたが、特に困ることでもないので答えることにする。


「凶暴の一言に尽きました。理性がない……という訳ではなさそうでしたが、あれは人間のことごとくを憎んでいる。それが金峰村の人間であろうがそうでなかろうが、彼女は人であるならば殺すのでしょう。お陰様で、俺も酷い目に遭った」

「……では、やはり此処最近の──村人が喰われる事案も、その鬼女の仕業じゃろうな。まさかとは思っておったが……村祭りと重なるような形で蘇るとは」

「実際に、それを見越して蘇らせたのかもしれませんね。間ノ瀬の者たちは」


 ぴくり、と大巫の眉の片方が神経質に跳ね上がる。


「……何が言いたい」

「そのままの意味ですよ。鬼女の復活に、間ノ瀬が関わっていたのではないか──と。無論、あくまでも俺個人の憶測に過ぎませんがね」


 大方の手当てが終わった篝は、胸元を直しつつあっけらかんと口にする。大巫だけでなく、彼女に侍る神官たちもぎょっとしているのがわかる。

 篝はふん、と鼻を鳴らした。神官たちの目には、高慢で高飛車な風に映ったことであろう。


「もともと、間ノ瀬は鬼女と契約を交わしておりました。この村を守ってもらう代わりに、村祭りにて生贄を捧げる──と。今でこそ神楽を舞うのみですが、鬼女が存在していた頃には贄も奉納していたのでしょう?」

「たしかに、そう聞いてはおるが……。お前、その話を何処で聞いた? 村人たちとて、たとえ知っていたとしても間ノ瀬に口止めされているだろうに……」

「共鳴の術です。御神体の側で使ってみたところ、良い反応が返ってきたものでしてね。おかげで、村祭りについてよく知ることが出来ましたよ」


 篝は事もなげに言ってのけるが、それほど軽々しい問題ではない。

 大巫は近くにいた、比較的高位なのであろう神官に目配せをする。彼は静かにうなずいてから、他の神官たちを伴って退室していった。


「人払いですか」

「こうでもせねば、何処に情報が漏れるか知れない。独立した立場とはいえ、この村において間ノ瀬を相手にする程厄介なことはないからな」


 他人事のように言った篝を、大巫はじろりと睨み付ける。金峰村での立ち回りをよく熟知している辺り、この村での生活も短くはないのだろう。


「大巫様、あなたは間ノ瀬と対立なさられていると聞きました。俺の憶測よりも先に、その経緯を教えてはいただけませんか」


 ずい、と整った顔を大巫に近付けつつ、篝はそう提案する。声を潜めて、外部の者には悟られまいと心掛けながら。

 間ノ瀬が鬼女──テクラの復活に一枚噛んでいる可能性は高い。だが、何の確証もないままではただの憶測、信憑性も何もない妄想で終わってしまう。これでは、間ノ瀬が暗躍しているという理由を突き止められない。

 大巫は篝に見つめられて尚、厳格な表情を崩すことはない。篝とて色仕掛けをしている訳ではないが、これまでの経験上目を逸らされることの方が多かったので、流石のご貫禄だと内心で感嘆した。


「……私は、今より五十年程前に、お前と同様にとある任務を受けてこの地域の調査へと出向いた。しかし、山中を歩いている最中に段々と気分が悪くなり、果てには意識を失い──気が付けば、この村に保護されていたという訳じゃ」


 声を抑えながら、神妙な表情で大巫は語った。

 五十年程前──というと、大巫も今の篝と同じくらいの年齢だったのだろう。老いた姿しか見たことのない篝には、彼女の若い頃の見目など想像もつかないが、それだけ長い期間金峰村に留まっていたことだけは理解出来た。


「この村では、余所者を排除する傾向にある。流されるがままになっておっては、きっと始末される──と、私は恐れた。それゆえに、村人たちに向けて自分は僅かながら巫術が使える、神事に関しては庶民よりも多くの知識を有していると、そう主張した」

「なるほど。能力を売って、立ち位置を得ようとしたのですね」

「うむ。私は八百万の神に通じているから、土着の信仰でも概要さえわかればどうにか出来る──と伝えた。その頃の村には、神事を執り行う専門家はおらなんだようでな。村人たちは、ならばこの女を巫女にして、一先ずは様子見としてホフリの君に仕えさせてみてはどうかと、私を受け入れる方針で話を進めておった」

「しかし──間ノ瀬は反発したのですね」


 見透かしたように篝が言うと、大巫は苦々しい顔をしつつもうなずいた。


「左様。当時、村の行事のほとんどは間ノ瀬によって仕切られていた。村祭りも然り、じゃ。村祭りの全てを私が仕切る訳でもないというに、奴等は私の介入を酷く拒んだ。早く殺してしまおうとする程じゃ。私は最早これまでかと、半ば諦めかけておった」

「ですが、実際にあなたは大巫として生きている。どのようにして、間ノ瀬の許しを得たのですか」

「──命あっての物種というものじゃよ」


 此処で、大巫は目を細めた。


「私は、金峰村付近の山中でとある調査をしていた。……それは、霊力の濃度に関する調査じゃ」

「霊力……ですか。では、あなたが気を失ったというのは」

「左様。お前にも通ずることじゃ。恐らく、この金峰村を取り囲むような形で、高濃度の霊力が渦巻いておるのじゃろう。その領域に足を踏み入れれば、大抵の人間は濃すぎる霊力にあてられて気を失うか、最悪の場合死ぬ。──確かなことは言えぬが、死んだ者の方が多かったのじゃろうな」

「では……あなたは生きていらっしゃったが故に、金峰村にいることを許された──と?」

「うむ。これには、被支配階級とも言える村人たちが反論した。『ホフリの君がお許しになった人間だ、であればすぐに殺すべきではない。本人もこう言っているのだし、まずはホフリの君の側に置いておいてはどうか。さすれば、ホフリの君がこの女を見極めるに違いない』──とな」


 ふう、と大巫は一区切りついたところで息を吐く。長時間話しているのは、老齢の彼女には辛いようだ。


「これには間ノ瀬も言い返せぬようじゃった。此処で私は、間ノ瀬はホフリの君に関して何やら後ろめたく感じていることがあるのではないかと思ったものじゃが……これが鬼女の復活に関係しているとなれば、たまげたものじゃな」

「いいえ、この時点ではまだ憶測の域を出ません。それよりも、間ノ瀬との因縁に関しての話を続けてはいただけませんか」

「そう急かすな。──まあ、こういった対立もあってか、間ノ瀬は我等を敵視するようになった。此処で働いている神官たちも、もともとはただの農民じゃ。これまで間ノ瀬に支配され続けてきた立場の者を選んだ。……そうでもしなければ、何をされるかわかったものではないからな」

「当時も、間ノ瀬の力は強かったのですか」

「無論よ。むしろ、今よりも金峰村の権力を掌握しておった。私が独自に神事を執り行うようになってからは、幾分かおとなしくなったようなものじゃが……間ノ瀬の一声で村民はどうにでも出来た。それゆえに、一部の村民は間ノ瀬の権力を削げぬものかと苦心しておったようじゃな」


 余所者の私に白羽の矢が立つとは思わなんだが──と大巫は苦笑した。

 彼女が大巫としての地位を手に入れたのは、間ノ瀬を良く思わぬ村人に立てられたが故なのだろう。間ノ瀬が神域の者たちを目障りに思うのは当然である。唯一無二であった権力を、分散させたようなものなのだから。


「とにもかくにも、私は村民によって祭り上げられたようなものよ。その点においては、ホフリの君とそう変わらぬのやもしれぬな。実際、神事も滞りなく執り行えている故、今のところはこの村から追い出される気配はない。……陽向の者たちが来るまでに、何とか持たせておきたいものじゃが」

「村の外へ出ることは叶わないのでしょうか」

「……恐らく、難しいじゃろうな。私は巫術に関しては三流じゃが、あれほど濃い霊力を見れば一目でそうとわかる。一度目は気絶する程度で済んだが、二度目はどうなるか知れぬ」


 私は臆病なのだ、と大巫は自嘲気味に笑んだ。


「私がこの村を出る時は、ホフリの君への信仰が途絶えた時であろうな。確たる証拠はないが、村民は皆この霊力の壁を『ホフリの君の選定』と呼んでおる。村民たちは、ホフリの君が金峰村を守るためのものだと信じているようじゃな」

「たしかに、猟師だの賊だのが入り込むのを防ぐにはうってつけのように思えますが……。しかし、死ぬ者がいるのだとすれば、誰がその遺体を処理しておくのでしょう? 俺もあなたと同様に気絶した質ですが、記憶の中に行き倒れた死体のようなものは見受けられませんでしたよ」

「村民たちによれば、死した人間は地中に還るのだという。……実際に目にした者がいるという訳ではなさそうじゃが」


 ──地中に還る。

 篝の胸がざわめく。まさか、ホフリの君は──。


(テクラと同じように、人を養分としているのか……?)


 テクラはにえを求めた。そして、村人の屍を養分とし、糧にしていた。

 ホフリの君は生贄いけにえを求めないという。二十年程前までは、神楽の舞い手が死ぬこともなかった。この村には社や、ホフリの君を祀る神殿もない。

 ならば、ホフリの君は何を糧としているのだろう──?


「……篝?」


 気付けば、大巫が訝しげに此方を見つめている。

 篝は平静を装いながら、こほんと咳払いをして気を取り直した。


「……間ノ瀬との関係性についてはよくわかりました。お話しいただき感謝します」

「構わぬよ。お前も陽向の術者、同胞のようなものじゃ。──して、篝。お前は何故、間ノ瀬が鬼女の復活に関わっていると考えるに至った?」

「簡単なことです。──行方不明になった間ノ瀬の孫娘、彼女こそが鬼女だったのですよ」


 篝はさらりと口にしたが、大巫は目をみはった。


「ま──誠か、それは」

「ええ。鬼女自身がそう言っていましたよ。間ノ瀬桐花は、弱体化した鬼女の中で新たに目覚めた人格だといいます。それゆえに、鬼女としての自覚は皆無でした」

「しかし──肉体を共有しているとなると、鬼女を倒せば」

「……ええ。恐らく、間ノ瀬桐花も死にます」


 考えたくなくとも、目を逸らす訳にはいかない。それが、人ならざるモノであるならば。

 毅然きぜんとした態度で言い放つ篝に、大巫は何と言葉をかければ良いか悩んでいるようだった。何度か口を開けたり閉じたりさせてから、彼女は細く息を吐く。


「……お前は、覚悟しておるのか?」

「それが陽向にとって排除しなければならないモノなら、俺はその方針に従うしかありません。たとえ間ノ瀬桐花が無害であったとしても、鬼女が人を喰らい生きる存在であるのなら生かしてはおけない。──鬼女は、きっと人とは共存出来ないでしょうから」


 そろそろ終わりにしましょう、と篝は告げる。


「あまり長話をしていては、神官たちにも怪しまれます。あなた様の沽券こけんにも関わるでしょう。どうか、俺のことは陽向の術者ではなく、舞い手として選ばれたただの篝としてお扱いください」

「じゃが、篝。お前は、鬼女を……いや、この村の件をどう処理するつもりじゃ? お前一人で解決出来る問題ではなかろう」

「運が良ければ──の話ですが、早ければ明日にでも陽向からの増援が到着しそうだとか。この件につきましては長も重大に考えていらっしゃるようで、珍しく外回りに意欲的でした。……ですので、人員に関しましては問題はないかと。間に合えば、の話ですがね」


 篝はわざとらしく肩を竦め──そして、苦笑しつつ大巫を見つめた。


「大巫様。俺を生かし、そして舞い手として留め置くように進言してくださったのはあなたでしょう? 長らくの間気付くことが出来ず、申し訳ございません」

「何を謝る必要がある。当然のことをしたまでじゃ」

「……あなたはお優しい。──ですが、あまり俺のことを気にかけてくださいますな。あなたは村人たちの、拠り所のようなもの。まずは村祭りを成功させることをお考えられませ」

「……私には、感謝される筋合いなどありはせぬ。村祭りの犠牲者を、幾度となく止められなんだ私に……出来ることなど、これくらいしかないのだ。──篝、無責任と蔑まれても構わぬ。お前が頼りじゃ。どうか──生き残って、村祭りの成功を証明しておくれ」


 それは、普段は冷厳で張り詰めた大巫からは想像出来ない、弱々しくか細い声だった。

 それだけ、彼女は追い詰められているのだ。この村を取り巻く因習と惨劇に。

 ぐっ、と篝は後ろ手に拳を握る。善処します、とだけ告げてから、彼は静かに退室した。

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