3

 篝たちが駆け付けた先では、神官たちを中心とする人だかりが出来ていた。見たところ、一般の村人はいないようだった。

 篝は夜霧とかよが追い付いていることを確認してから、人だかりの方へと近付く。邪魔だと一喝されかねないが、今は状況を把握することが先決だ。


「おい、どうした!? 何があった!?」


 最後列にいた若い神官の肩を掴んで、篝は彼の顔を己の方へと向かせる。多少強引だが、気付かれないよりはましだ。

 若い神官はひっ、と悲鳴じみた吐息を漏らしたが、篝の顔を見て数秒間硬直した。まさか立ったまま気絶したのでは──と篝は危ぶんだが、すぐに神官が細く息を吐いたので杞憂に終わった。


「あ、ああ、舞い手のお方! まさか此方にいらしてしまうなんて……!」

「どういうことだ? 俺たちが来てはならなかったのか」

「ええ、ええ。それはもう。あってはならぬことでございます。貴殿らは、此処に来てはならない……!」

「──だから、俺たちが来てはならぬ理由は何だと聞いている!」


 怯えきって震えている神官は哀れだが、いつまでもこの調子では埒が空かない。篝は焦燥感をその美貌に上乗せして、よく通る声で神官を怒鳴り付けた。

 神官はひゅう、と息を飲む。自分よりも華奢な男に、少なからず気圧されたようだった。

 そんな若い神官の側にいた、三十から四十代と思わしき年嵩の神官が篝の声を聞き付けたのだろう。若い神官よりは幾分か落ち着いているものの、やはり青ざめた顔で口を開いた。


「舞い手の皆様、お気持ちはわかります。ですが、どうかこの者を責めないでやってくださいませ。彼は、あのようなものを見たことなどないのですから」

「あのようなもの……?」

「──獣でございます」


 年嵩の神官が言い終えるか、言い終えないかの間。その僅かな瞬間に、前方からオォオオオ、という尋常ならざる咆哮が轟いた。

 こういった咆哮は、以前にも聞き覚えがある。篝の背中を、冷たいものが流れていった。


「獣──って、猪とか、熊のことだか……? こだな鳴ぎ声、聞いだこともねえだ……」


 かよはぶるりと震えながら、視線を右往左往させている。彼女の手を握る夜霧は何も言わなかったが、その顔色はお世辞にも芳しいとは言えない。

 獣。それは、自分たちの知る獣のそれとは程遠い形状をした異形である。

 出来れば見たくないものだ──と思っているのに、篝は知らず知らずのうちに背伸びをして人垣の向こうを覗こうとしている。怖いもの見たさとは、こういうことを表すのだろう。


「──総員、陣を形成せよ! 間ノ瀬の狩人が来るまで持ちこたえるのじゃ!」


 もう少し、もう少し──と篝が爪先立ちしていた矢先、大巫の一喝がその場に鳴り響いた。

 びりびりと肌を突き刺すかのようなその気迫に、篝は思わず後退りする。その最中にも、人垣ばかりを作っていた神官たちは一斉に行動を開始し、大巫を中心に据えて陣を形成していた。

 ──自分も動かなくては。

 きょろきょろと辺りを見回しながら移動し始めている夜霧とかよを追おうと、篝も方向転換──しようとした時だった。


「──なっ──!?」


 異形と、目が合う。

 それは、果たしてどの目であっただろうか。この時の篝にはわからない。だが、その瞳に射竦められたことだけは事実だった。

 それは、三つの首の付いた、蜘蛛のような多足の異形である。首から下は異形と言って差し支えのない外見をしており、胴体に大きな口が付いている形だが、三つの首は辛うじて人のそれとわかる形状を保っていた。

 その三つの顔に──篝は、動きという動きを封じられた。


「お前たちは──其処で、何を」


 逃げ遅れた篝を、異形の目は見逃さない。人であった頃にはしなかったであろう、ぎょろぎょろと黒目を縦横無尽に移ろわせながら、異形は篝へと矛先を定める。

 瞳から血涙を滴らせながら、胴体の大口を開けて駆け寄ってくる異形を前にしても、篝は動かない。──否、動くことが出来ない。


「っ、いかん……!」


 そんな篝の姿を、大巫が捉える。

 ちいっ、とわかりやすく舌打ちをしてから、大巫は異形を見据えた。


「邪なるモノにかせを、穢れしモノに鎖を。あまねくおわす九天の御光よ、いかでか我が身に力を与えたまえ──禁!」


 大巫は何事かを呟くと、両の掌を素早く組み合わせる。そして、異形を鋭く睨み付けた。

 篝や異形が動く前に──それは作用している。


「……! あれは……!」


 何処からともなく現れた、細く、そして幾重にも重なる輪。薄く光るそれは、異形の体躯を縛り付け、その行動を封じる。


「早く、此方へ!」


 呆気にとられている篝を、血相を変えて駆け寄ってきた神官が陣の中へと誘う。たしかに、ぼんやりとしている暇はない。

 無事に陣中へ入ってから、篝は異形を拘束する輪を改めて観察する。


(あれは……間違いなく巫術ふじゅつだ。動きを制限する程度だから、異形を祓うまでにはいかないのだろうが……。では、やはり──)


 篝が見つめる中で、異形は拘束から逃れようともがいている。大巫の放った輪は、少なからず効力を発揮しているようだった。

 大巫は直ぐ様振り返り、神官たちへと告げる。


「急ぎ怪我人を屋内に運び入れよ! 多少喰い千切られはしたが、手当て次第では命を落とすまでにはいくまい。村祭りも迫っておる、神域で死人を出してはならぬ!」

「は! しかして大巫様、舞い手の者らは──」

「今のところは陣中に入れておくが良かろう! 獣の視線が逸れるよりはましだ。間ノ瀬の狩人が到着するまで、そう時間もかかるまい。この間に、可能な限りの治療を──」


 治療を済ませよ、とでも大巫は口にしたかったのだろう。

 しかし、彼女の指示は途中で止まる。止めるしかなかったのだ。

 呻き声を上げながら、異形がその体に力を込める。ぎちぎちぎち、と軋んだ音が鳴ったかと思うと、今まで動きを拘束していた輪が弾け、光の粒となって空気中に溶けた。

 要するに──異形は拘束を振りほどいたのだ。


「お、大巫様!」

「わかっておる!」


 掠れた悲鳴を上げる神官に、大巫は苛立ちを含んだ声音で答える。直ぐ様手を組み合わせて、先程と同じように何事かを呟く。


「邪なるモノに枷を、穢れしモノに──」

「う、うわぁああぁあ!!」

「な──に……!?」


 大巫が詠唱を終える前に。前方にいた神官の一派が、異形によってその体を潰された。

 その圧倒的な力と、むっと濃くなる鉄錆の臭いに、篝はぞっとして顔を青ざめさせる。間近に迫る死の気配に、否が応にも足がすくむ。


「皆の者、臆してはならぬ! 倉に竹束があったはずじゃ! 獣を神域に入れさせはせぬ!」

「しかし、大巫様! 陣を崩しては……!」

「ええい、怯むでない! 私のことは後回しで良い。死人をこれ以上増やしてはならぬ!」


 大巫は気丈にも指示を出し続けるが、神官たちはすっかり怯えきった様子である。陣を崩すことに不安を抱いている者ならまだしも、同胞の死を前にして腰を抜かしている者もいた。逃げ出そうとしない者がいないのは、逃げれば次の標的は自分になると考えているからだろうか。

 誰も動かないのでは、異形に立ち向かう術もない。異形は幾つもある脚の一部を伸ばすと、先程ほふった神官を腹部の大口へと放り込む。バリバリと、いやな音が耳に入った。


「っ……」


 人が喰われている。その光景に、さすがの夜霧も息を飲んでいる。かよはぶるぶると震えながら、悲鳴を殺すように唇を噛んでいた。

 篝は周囲を見遣って、打開策を講じようと試み──すぐに諦めなければならないことを理解した。この状況下では、たとえ策があろうとそれを遂行出来るだけの素材が揃わない。

 ──万事休すか。


 だが、その諦念は転瞬に切り払われる。


 神官の上半身を喰らっていた異形。その三つ首のうちひとつが、ぼとりと地に落ちた。

 赤黒い液体がほとばしる。悲鳴にも似た叫びを上げる異形には目もくれず、返り血をしとどに浴びたその人間は刀に付着した血を払う。


「……既に喰われた者がいるか」

「ふ──冬!」


 眉間に皺を寄せながら、変わり果てた神官の亡骸を一瞥する痩身の人物。それは、間ノ瀬家に仕える用心棒──冬であった。

 思わず声を上げた篝の方はちらりとも見ずに、冬は異形へと向き直る。首のひとつを失った異形は、絶叫しながら冬へと突進する。

 冬は異形の行動をある程度予測していたのか、異形の体が大きいことを幸運に身を屈める。そして脚の隙間に身を潜らせたかと思うと、先程血を払った刀で前肢の一本を斬り飛ばした。


「す、すんげえ……!」


 思わずかよが感嘆の声を上げる。それだけ、見事な手際だったのだ。

 苦悶する異形を前にしても、冬の瞳に慢心の色は宿らない。そのまま体勢を崩した異形の上に飛び乗ると、残る二つの首もすぱんすぱんと落としていく。実に手慣れた剣捌きである。

 しかし、冬の表情はますます険しさを増していた。異形からは目を離すことなく、冬は珍しく声を張り上げる。


「大巫! 今話せるか!」

「差し支えない! 何事じゃ」

「こいつの──この獣の核は何処だ!」


 前肢の一本と三つの首を飛ばされて尚、異形の動きは鈍らない。むしろ、激昂してさらに凶暴化しているようにも思える。

 異形の目が冬一人に向けられていることが幸いであった。これで大巫を囲む陣に突撃でもされれば、数多の犠牲は避けられない。

 大巫はぎょっとしたように瞠目した。凄まじい速さで異形の上から下までを視認してから、彼女は冬に答える。


「詳しいことはわからぬ! だが目視した以上、その胴体に核があることは確かじゃ。胴体の何処かに、決め手となり得る急所はある!」

「ちっ、やはりか……!」


 厄介な、と冬が舌打ちする。急所がわからない以上、どのようにして倒したものか判断しかねるのだろう。

 冬は暴れ回る異形の攻撃を素早く回避し続ける。異形の周囲を走り回ることで、急所を探さんとしているようだ。

 こうなっては、篝には最早どうすることも出来ない。冬を支援してやりたいのは山々だが、下手に首を突っ込んで足手まといになるのは目に見えている。


(どうしたものか……!)


 篝は歯噛みする。このままでは、冬の体力が尽きてしまいかねない。

 再び大巫によって術をかけることは出来ないものか。そう考えて篝が視線を移そう──とした、次の瞬間であった。


(──! あいつ、何を──!?)


 冬が動きを止めた。それはもう、急停止という単語が似つかわしい程度に。


「何をしておる!」


 大巫も声を上げたが、冬にその言葉を聞く素振りは見受けられない。

 首を全て失って尚、異形には冬が目視出来るらしい。壮絶な咆哮を上げながら、冬目掛けて駆け出し──。


「冬──!」


 篝の叫びも虚しく。一切の抵抗を見せぬまま。

 冬の体は、異形の大口に飲み込まれた。

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