第六章 遭遇

1

「篝兄ちゃん、舞、上手になったんでね?」


 そうかよに告げられたのは、翌日の神楽舞の練習中──正確に言えば休憩時間のことであった。

 ぱたぱたと衿元えりもとを扇いでいた篝に、かよは嬉々とした表情で近付きながら前述の言葉をかけた。彼女も暑いのか、白い頬が僅かに紅潮している。


(上達した──のだろうか、俺は)


 たしかに、昨日よりは大巫に注意される回数も減ったように思う。それでも、篝に至らないところがあるのは事実なので、昨日の注意点が改善されたとてまた別の箇所を注意された訳ではあるが。

 しかし、神楽舞が上達しているのならば素直に嬉しくもある。

 昨夜苅安と桐花に舞う上での助言をもらったからだろうか──とは、口が裂けても言えない。夜霧やかよに知られれば、おのずとこの地に侵入者を招き入れていたことが大巫に知られる可能性も高まる。そうなれば、自分がどのような立場に置かれるかわかったものではない。


「──まあ、昨晩自主的に練習をしたからな。その成果が出ているのやもしれん」


 かよをすげなくあしらうのも可哀想に思えたので、篝は重要な部分をぼかしつつ答える。嘘は言っていない──と思いたい。

 かよはんだがあ、と何度もうなずく。


「篝兄ちゃんも努力家だにゃあ。おらも見習わねど駄目だな」

「そうか? お前は十分頑張っていると思うが……」

「いやあ、おらなんてまだまだだあ。特に夜霧姉ちゃんはすこだま頑張ってるす……。──ほら、今だっておらだに構わずずっと練習すてるでねが」


 つい、とかよが視線を移ろわせた先には、大巫のもとで個別に指導を受けているらしい夜霧の姿がある。

 単純に舞に慣れていない篝とは異なり、夜霧は視界が不安定なこともあってかやはり危なっかしい所作が目立った。彼女は何とかなる──と口にしてはいたものの、見ている側としてはどうしてもはらはらとしてしまう。昨日のように転倒し、思わぬ怪我でもしたら──と思うと気が気ではない。

 だが、夜霧本人は視界が不安定であることを言い訳にしたくはないのだろう。休憩時間を割いてまで、大巫に指導を求めている。大巫も彼女の姿勢に嫌な気はしなかったようで、厳しいながらも夜霧の望む通りに指導していた。

 ──飄々として掴み所のない夜霧ではあるが、意外に芯の通ったところもあるものだ。

 偉そうなことを言えた立場ではないが、これには篝も感心せざるをえない。


「……かよ。夜霧について、少し聞きたいことがあるんだが」


 夜霧が此方に目を向けていないことを見計らって、篝はこそりとかよに耳打ちした。無論、夜霧のことを聞き出すのが目的だ。


「このようなことを聞くのは不躾と承知しているが、どうしても気になったことがあってな。わかる範囲で構わない。──夜霧は、目が不自由なのか?」


 声を落とし、かよの耳に唇を寄せて、篝はそっと問いかける。

 かよははっとしたように瞠目して、静かに息を飲んだ。大声を上げない辺り、この娘もなかなかに聡明である。


「……んだ。なすてそうなったのがは聞がされでいねんだげんと、少なぐどもまなぐが不自由で、視界がはっきりすねってことは確かだあ」


 普段よりも低く、潜められた声色でかよは答える。やはり、夜霧の視界が不安定なことは間違いではないようだ。


「人買いに売られだのはおらの方先だったんだんだげんと、夜霧姉ちゃんは初めがらこだな調子だったよ。多分、目が不自由だがら売られだんだずにゃあ。瞽女ごぜや座頭の道さ進むことも出来だんだべげど……多分、夜霧姉ちゃん本人にその意思がねえっけんだべね」


 かよが言うには、夜霧は人買いが北陸を訪れた際に買い上げられたのだという。その人買いは大坂を本拠としていたらしく、その道すがら買われたという訳だ。

 瞽女というのは、弾き語りなどを生業にして各地を転々とする盲目の女芸人である。篝も何度か目にしたことがあるため、どのようなものかはそれなりに理解しているつもりではいる。幼い時分から訓練を受けるのだ──と、かつて出会った瞽女は笑いながら教えてくれた。地域によっては、瞽女を育成する組合もあるようだった。

 座頭というのは、按摩や鍼灸を生業とする盲目の者たち──時に琵琶法師を指すこともある──のことだろう。江戸に幕府が置かれた際に、とりわけ栄えたと聞いている。

 どちらも盲人や視力に難のある者たちが生業とする職業だが、どうやら夜霧はそのどちらにもなるつもりはなかったらしい。本人の意思とは関係なしに売り飛ばされた可能性も考えられるが、その辺りは本人に聞かなければわからないことである。この話は長引かせないのが得策だろう。

 思案する篝を見遣りながら、かよは続ける。


「目が不自由って言っても、物の位置はそれどなぐわがるみだいだす、何も見えねって訳でねど思うげど……。それでも夜霧姉ちゃん、やっぱり動ぐ上で心配なことも多いみだいだべ。歩ぐ時は出来るだげ手引いで欲すいって言うす、昨日のばんげもどうすたら舞ば上手ぐ出来るがってずっと悩んでる様子だったもの。口さ出すこどが少ねがらわかりにぐいげんども、きっと夜霧姉ぢゃんも苦労すてるんだよ」

「そうか……。夜霧が己の目について話したのは、今のところお前だけなのか?」

「ううん、夜霧姉ちゃんが自分がら教えでくれだ訳でねよ。おらが不安になって、夜霧姉ちゃんに聞いでみだんだ。そうすたら、困ったみだいに笑って簡単な説明はすてぐれだげど……。んだげんと、やっぱり自分の目のこと、あまり話すたぐねみだい」


 話しているうちに、かよの表情は徐々にしょんぼりとしていった。出来るだけ、夜霧に無理をして欲しくはないのだろう。

 ──要するに、かよが聞き出さなければ、夜霧は彼女にさえ己が視力のことを伝えようとしなかったようだ。

 夜霧の気持ちもわからなくはないが、これではかよが可哀想になってくる。夜霧を姉のように慕うかよのことだ。夜霧が自分に気を遣って苦労する姿など、見たくないに違いない。


(あの女にも、案外いじらしいところがあるものだ)


 常に飄々と振る舞い、油断も隙も見せないような女。それが夜霧への印象だったというのに、かよの話を聞くと一気に人臭く思えてしまうから不思議なものだ。

 夜霧はきっと、他人に弱味を見せることを好ましく思ってはいないのだろう。昨日も篝の前では茶化すような発言ばかりで、神楽舞の練習中に転倒した者とは思えない姿であった。


(……あれも、己を守るための殻だったのだとしたら)


 それは何とも──悲しいことである。

 一人で生きていこうとする気概を、篝は悪く思わない。不自由を抱えていながら、それでも懸命に己が足で歩もうとするのならば、それに文句を言うことは無粋だとさえ思う。

 だが、他人を頼ろうとしないという点においては、篝としては首をかしげたくなってしまう。

 他人に頼らず、己が力のみで生きていくことは非常に難しい。余程の精神力の持ち主でなければ不可能な話だろう。少なくとも、篝には無理だという自信がある。


(せめてかよにくらいは、弱味を見せても良いような気もするが──)


 不安げにうつむいているかよを一瞥し、篝は嘆息する。

 他人の行動にあれこれとけちを付けるべきではない。それはわかっているのだが、どうしても放っておけず、口を挟んでしまう。

 悪い癖だ──と篝は思う。この性格のせいで、損をしたことだってある。それなのに、持って生まれた気性はそう簡単には変えられない。


「──まあ、お前もあまり気に病むな」


 ぽす、とかよの頭を撫でながら、篝は何とか励ましの言葉を捻り出す。


「少なくとも、今の夜霧は自分なりに村祭りへ臨もうとしている。それを悪いことだとは思わんし、むしろ精力的に活動出来ているのならまずは見守るのが一番だろう。どうしようもなく困っていたり、苦しんでいたりした時に、お前が手を差し伸べてやれば良い」

「おらが──?」

「そうだ。勿論、お前一人では難しいような状況なら、俺だって尽力を惜しまないさ。──此処で出会ったのも何かの縁だ。互いに村祭りを生き延びてみせようじゃないか」


 そう言葉をかけてやると、かよはぱあっと──それはそれはわかりやすく、嬉しそうに満開の笑顔を咲かせる。自分が夜霧の役に立てるかもしれない、という可能性に気付けたが故であろうか。

 かよは良い子だ──と、篝は思う。声に出すのは気恥ずかしいので黙っておくが、他人のためにこうまで気を揉める人間などそうそういはしない。見たところ十五にも満たないかよではあるが、その気性は真っ直ぐで聡く、見ていて快いものでもある。こういった人間であれば、妹にしても良いかもしれない──とさえ思う程に。


「おや、二人とも。何やら楽しそうな話をしていたみたいだね」


 ──と、微笑ましく思っているのも束の間のことであった。

 いつの間にか練習を一段落させたらしい夜霧が、後ろからひょっこりと顔を覗かせている。先程まで話題に挙がっていた人物の登場に、篝は思わず肩を震わせた。


「よ──ぎり。練習は終わったのか?」

「うん、今しがたね。さすがの大巫様も、休憩時間なしのぶっ続けで動かすのには反対のようでね。少し休んでこいと言われたのさ」

「夜霧姉ちゃん、お疲れ様あ」


 僅かに動揺を見せる篝とは対照的に、かよは邪気のない笑顔で夜霧に向き直る。かよにとって、先程の会話は決して疚しいものではないのだろう。

 ──まあ、変にどんよりとされているよりは良い。篝はすぐに気を取り直して、平静を装う。


「練習熱心なのは良いことだが、節度は守れよ。また倒れられては、堪ったものじゃあないからな」

「はいはい、わかっているよ。まったく、篝は本当に口喧しいね。お節介の節度も守ってくれれば良いんだけれど」

「うふふ、夜霧姉ちゃん。篝兄ちゃんは、夜霧姉ちゃんのごどが心配なだげだずにゃあ。さっきも、夜霧姉ちゃんのことすこだま心配すてだもの。素っ気ね振りすてるんだげんと、篝兄ちゃんは心底優すいがら、口喧すくなるのも仕方ねよ」


 此処で、何を思ったか知らないがやけににこにことしたかよがそんなことを告げてきた。いやに嬉しそうである。

 夜霧の口角がつり上がる。これは、確実に彼女をその気にさせてしまったのだろう。


「──ほほう。ほほーう。それは失礼した。お前が私のために心を痛めてくれていたのなら、これほど幸いなこともないな。ふふ、可愛い奴め」

「おい、かよの言うことを真に受けるな。かよも、憶測だけで物を言うんじゃない」

「えー、ほだなこどねど思うげどな。だって篝兄ちゃん、嘘吐ぐの下手ぐそだべ? そんぐらい、おらにもわがっず。勿論、篝兄ちゃんがすこだま優すくて、めんごいってこともにゃ」

「かよ!」

「──其処の二人! お前たちは直ちに練習に戻れ。十分に休憩はとれたじゃろう」


 思わず篝が声を荒らげた矢先に、大巫から声がかかる。そろそろ練習に戻らなければまずい。

 篝は唇をへの字にして立ち上がる。続くかよは、怒鳴られたというのにいやに上機嫌であった。


「──行くぞ、かよ。遅れてはお咎めを食らう」

「いひひ、篝兄ちゃん、顔が林檎みだいに真っ赤だにゃあ。めんごいずにゃあ」

「行くったら行くぞ! 怒られても知らないからなっ」


 耳まで真っ赤にした篝は、照れ臭いのもあってか大股で歩く。彼の後ろを、かよが相変わらずご機嫌なままぱたぱたと追いかけていく。

 そんな二人の背中を、伏し目がちなままで夜霧は見送る。その口元は、微笑ましげに綻んでいた。

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