4

 赤日せきじつ目映まばゆしと言えども、西の山々の向こう側へ沈んでしまえば、すとんと夜の帳が落ちる。

 夜間に出歩く村人は少ない。それでも、万全の体制で臨まなければ何が起こるかわからない。

 頭巾の先を指で引っ張りつつ、桐花は神経質に周囲を見回した。


(……さすがに、あのようなことがあった後では夜歩きする人なんていないわね。家々の前に提灯や松明が提げられているのは厄介だけれど……)


 本来ならば、人死にが出た直後の外出など──いや、何が起こっていようと屋敷の外に出ることはご法度のはずだ。もしもこの事実が祖父に知れようものなら、冬が言っていたように半ば監禁にも近い生活を送らなければならなくなるだろう。

 それでも桐花は外に出たかった。どうしても、篝に会いたかったのだ。


(村祭りまで時間もないというのに、篝さんとろくな話し合いも出来ないままなのは嫌だわ。下手したら、篝さんが村祭りの犠牲になってしまうかもしれない。そんなの、絶対に駄目)


 村祭りを何事もなく終わらせるというのが、桐花の当面の目標である。その過程を経なければ、金峰村を出ることなど出来ない。

 金峰村を出たいということはさすがに伝えなかったが、村祭りを成功させたいという話をしたところ、冬は悪くは思わなかったようだ。どうしたものかと煩悶する桐花に向けて、愛想のない用心棒はある提案を打ち出した。


(まさか冬まで共犯になってくれるとは思っていなかったけれど……。でも、今の私が頼れるのはあの人くらいのものだわ。少し不安ではあるけれど、此処は冬のことを信じてみましょう)


 冬は腕利きの用心棒であり、狩人である。万が一の事態に陥れば、誰もが冬に頼ることだろう。

 そんな冬は、昼間に祖父のもとへある進言をしに向かった。金峰村の最高権力者に対しても、冬の態度は変わらないに違いない。


(冬が私の部屋の警護をすることで、逆に私が動ける時間を作るだなんて……。あの人もよく考えたものだわ)


 人喰いの犯人──人ではないかもしれないが──が見つからない今、金峰村全域に警戒を置く必要がある、と冬は説いたらしい。事件が間ノ瀬家で発生した以上、間ノ瀬の屋敷も例外ではない──と。

 其処で、冬は間ノ瀬家が何よりも大切にしている桐花の護衛を申し出た。

 護衛と言えど、室内に入り、びったりとくっつく程のものではない。夜間、すなわち桐花が眠っている時間帯に、彼女の部屋の前に居座るだけのことである。

 しかし、それでも村長にとっては心強い申し出だったのだろう。彼は冬の提案を二つ返事で飲み、孫娘の護衛を一任することを許した。

 そういった訳で、桐花は現在冬に守られながら眠っている──ということになっており、屋敷の者たちに勘繰られることもない。冬の手引きでこっそりと屋敷を脱け出し、独りで篝たち舞い手の住まう神殿──のような建物の前にたどり着いたところであった。

 普段外出することを許されていない桐花ではあるものの、村の地理はそれとなく理解している。例外──村祭りの日に回れるだけ回り、密かに位置関係を習得したのだ。


(此処に篝さんがいらっしゃるのでしょうけれど──神官や、他の舞い手と鉢合わせないようにしないと)


 ごくり、と唾を飲み込んでから、桐花は抜き足差し足で歩を進める。

 大巫に仕える神官たちを警戒するのは当然のことだが、桐花としては朝方に間ノ瀬家を訪れた舞い手──夜霧にも注意を払わなければと感じていた。

 やたらと伏し目がちで、何を考えているのか全く読み取らせなかった少女。恐らくは篝と同年代なのだろうが、彼女には言い様もない不気味な雰囲気が纏わりついている。


(あの舞い手は──きっと、篝さんとは違った方向に頭が切れる。篝さんは何だかんだで素直だし、自分に嘘を吐けないようだから良いけれど……あの舞い手は、まさに正反対だわ。自分が何者であるかさえ、容易には読み取らせてくれないのですもの)


 篝を己が側から引き離したことを根に持っているのか──と問われれば、きっと桐花は言葉に詰まってしまう。

 しかし、そういった事情を抜きにしても、夜霧に対する警戒心を薄めることは出来なかった。

 夜霧には隙がない。たとえ弱点があったのだとしても、弱点があるという事実ごと隠してしまえる女なのだろう──と桐花は思う。

 油断のならない相手。だからこそ、この計画について知られてはならない。


(……それに、きっとあの舞い手は私と篝さんが恋仲──いいえ、私が篝さんに想いを寄せているものだと思っているわ。私のことを揶揄からかうような顔をしていたもの)


 全くもって不愉快極まりないこと。それは、夜霧が桐花と篝の関係を邪推している可能性がある──ということであった。

 一瞬だけ見せた、此方を揶揄うような夜霧の顔付き。それを思い出す度に、桐花のはらわたは煮えくり返りそうになる。


(私や篝さんのこと、何も知らない癖に! 何でもかんでも知ったような顔をして、不愉快だわ! 思い出すだけで忌々しい……!)


 かつて、これほどまでに怒りを覚えた人物がいただろうか。いや、きっといないだろう。

 苛立ちに、桐花の足取りはついつい大股の、威勢の良いものへ変わる。絶対にあの舞い手とは会いたくない──と思いつつも、いつの間にか頭の中は夜霧のことでいっぱいになっていた。

 ぎり、と桐花は歯軋りをする。賢女だとでも言わんばかりのあの見てくれで、結局のところは浅はかなことしか考えられない夜霧が憎らしくて堪らない。


(あの舞い手ならば──村祭りの贄になったって、構わないのに)


 このようなことを考えてはならないと、心の何処かでは理解している。

 それでも──桐花は、夜霧に苛立ちをぶつけるしか出来ない。金峰村に閉じ込められてきた彼女は、負の感情を発散することに慣れていないのだ。


「──桐花?」


 焦燥感に身を焦がしながら歩みを進めていた桐花だったが、そんな彼女の背後から声をかける者がいた。

 びくり、と桐花は一瞬体を震わせたが、すぐに振り返る。其処に警戒や恐れは感じられない。


「苅安さん!」


 桐花の目線の先にいる人物──それは彼女らの計画に協力する青年、苅安であった。

 彼はおっかなびっくりといった様子で辺りを窺いながら、桐花のもとまで駆けてくる。そして、相変わらず人好きのする笑顔で桐花に向かって片手を挙げた。


「やあ、桐花。こんばんは──というのも、何だか照れ臭いな。とにもかくにも、合流することが出来て良かったよ」

「苅安さんも、篝さんに会いにいらしたの?」

「そうさ。場所を移動したと聞いたから、様子見も兼ねて来てみたんだが……。まさか桐花にまで会えるとは思わなかったな。今日は運が良い」


 苅安の邪気のない笑みを前にすると、桐花の心も自然と温もる。先程までの苛立ちは、嘘のように霧散していた。

 篝程とは言わないが、桐花としてはこの苅安という青年にも好感が持てる。金峰村の人間というだけで誰彼構わず忌避するのは良くないかもしれない──と思う程に、苅安からは善性しか感じられない。その笑顔を前にしただけで、ありとあらゆる負の感情が打ち消されるような感覚さえ覚える。

 桐花は駆け足で苅安の横に並ぶ。独りでいるよりも、彼の隣にいた方が心地よい。


「それにしても、見張りも何も置いていないなんて案外無用心なものね。たしかに此処は神域でも何でもないけれど、祭具を盗まれたら困るでしょうに」

「仕方ないさ、盗んだところで使い道がないのだから。いくら精緻で作り込まれたものであっても、売り買いする場がないのだからどうしようもない」

「そう……よね。──ごめんなさい、私ったら無知なものだから。世間知らずなことを言って、あなたの気分を煩わせてしまったわね」


 間ノ瀬の屋敷に閉じ込められているも同然の桐花は、村内でのやり取りをほとんど知らない。時たま許される外出の際に村人たちを観察して、何をしているのか、どのようにして日々を過ごしているのかを推測するより他にないのだ。

 うつむいて謝罪した桐花に、良いんだ、と苅安は苦笑した。つくづく、笑うことでしか感情表現をしない男である。


「君が謝る必要などないさ。君は何も悪くなどない。むしろ、村祭りでの犠牲を出さぬようにと奔走している。どうか、あまり気に病まないでくれ」

「……優しいのね、あなた。優しすぎて損ばかりしそう」

「はは、よく言われる」


 また、苅安が笑う。よく笑う男だ──と、桐花は何度目になるかわからないままに思う。

 くしゃりと破顔するその横顔をちらりと一瞥してから、桐花は篝のもとを目指して足を動かした。

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