5

 篝、夜霧、かよの三人が退室した後の室内は、不気味な程静謐としていた。

 篝たちを追いかけることもなく、桐花はその場に座している。その顔はうつむけたまま、強く唇を噛みながら。


「……間ノ瀬桐花」


 ごそごそ、と衣擦れの音がする。それが誰のものか、わからない程桐花も鈍くはない。

 顔を上げる気にはなれなかった。言い様もない悔しさと、胸の内に穴が空いたかのような空虚に、ありとあらゆる気を削がれていたのだ。

 起き上がって己が隣へと移動したらしい声の主の方は見ることなく、桐花は喉の奥から声を絞り出す。


「……私のこと。お祖父様に伝えるの?」

「…………」


 愛想のない用心棒──冬は、桐花の問いかけに答えようとはしなかった。

 篝がこの屋敷を去ると知って、声を荒らげたことを気取られてしまった。それだけで、桐花は決して浅からぬ後悔に苛まれた。

 普通なら、生贄にも等しい存在でもある舞い手が去るとなれば、誰しも安堵することであろう。この村に根付いた呪い──その犠牲になるかもしれないという人間を、好ましく思うことなど余程の事態でもなければ起こり得まい。

 とりわけ、冬は以前から、桐花が金峰村に関して何らかの憂いを抱えていることに気付いていたようだった。疑念を抱かれていたとしても可笑しくはない。


「……伝えたところで、私に利はない」


 隣から、抑揚のない冬の声が聞こえる。きっといつものしかめっ面なのだろう。


「以前にも申し上げただろう。たしかに私は間ノ瀬に雇われているが、間ノ瀬に忠誠など誓ってはいない。私には、間ノ瀬よりも優先させねばならぬことがある」

「……でも、だからといって私を庇い立てる必要もないでしょう? あなたにとって、私は雇い主の孫娘というだけの存在に過ぎないのですもの。私の味方をしたところで、それこそあなたに利益はない。その点においては、お祖父様の側に付いた方が良いのではなくて?」


 冬の意図が理解出来ず、そのもどかしさから桐花はややつっけんどんな物言いでそう言い返した。多少無礼に感じられるかもしれないが、冬程ではないので大丈夫──と自分に言い聞かせる。

 冬は数秒間沈黙する。──そして、ふぅぅ、と細く息を吐いた。


「……あなたは、私の恩人に似ているんだ」

「恩人……?」


 思わず桐花は顔を上げる。冬の声音が、今まで聞いたことがない程優しげだったのだ。

 ──息を飲む。


(駄目だわ、私ったらまた──)


 ──美しい。

 思慕に満ちた、冬の眼差し。それは自分に向けられているものではないとわかっているはずなのに、心臓が跳ねて仕方がない。

 鋭く、尖った表情しか浮かべないはずの、冬の顏。だというのに、今の冬は刺々しさとは対極にあるだろう顔をして、何処か遠く──それこそ、冬しか知り得ぬ場所を見つめている。

 羨ましい、と思った。冬にそのような表情をさせる、自分に似ているという人物が。


「──おい、どうした。私の顔に、何か付いているか?」


 しばらく呆けて声も出なかった桐花だが、冬にそう声をかけられて意識を現へと引き戻した。

 きっと冬に、己が美しいという自覚はないのだ──と桐花は思う。そうでなければ、このように戸惑ってなどいられるものか。

 普段は畏怖しか覚えないというのに、度々感じられる真っ直ぐな美。それは予想し得るものではなく、桐花はいつも不意討ちを食らう。だからこそ、質が悪いことこの上ない。


「……別に。あなたも、そんな顔をするのだと思って」

「……? そんな顔……?」

「もう、こういう時ばかり鈍いのね、あなたって人は。あなたがいつになく優しい顔をしていたものだから、驚いたのよ」


 刀の切れ味と普段の物言いは鋭いというのに、肝心な時はなまくらか。

 幼子のように首をかしげる冬を、桐花はじっとりとした目で見る。こういった場合は、素直に伝えなければ永劫に此方の真意を理解されることはないだろう。

 冬はきょとんとした顔をして、おもむろに自らの頬に触れる。今更では、と突っ込むのは野暮というものだ。


「それにしても、あなたにそのような顔をさせるだけの人がいたとはね。世の中、何が起こるかわからないものね。私はいつまで経っても井の中の蛙でしょうから、余計に驚いたわ」


 しみじみとした調子で、桐花は冬を見る。

 冬が他人に思慕の情を抱いている──という光景は、なかなか想像出来たものではない。そもそも冬は他人との交わりや馴れ合いそのものをあまり好いていないようだし、桐花の中ではそのようなものは無用だと切り捨てるような印象があったのだ。

 しかし、冬はそんな桐花の言葉に、意外そうな顔をして瞬きをした。仕草だけならば、それこそあどけない童子のようだ。


「それほど珍しいことでもあるまい。あなたとて、あの舞い手の男に随分入れ込んでいるようではないか」

「げほっ」


 唐突な切り返しに、桐花は思わず咳き込んだ。

 まさか篝との関係性について触れられることになろうとは。桐花は何度か咳払いをして声の調子を戻してから、慌てて冬に向き直った。


「あ、あのねえ、それとこれとは話が違うでしょう……!? 第一、私は──」

「──わかっている。あなたは、村祭りが無事に済まされることを願っているのだろう。そのために、あの舞い手へ接触を図った」


 さすがに勘違いさせたままなのも癪なので、桐花は早急に言い返そうとした──が、冬は桐花の言葉を遮ってそう告げてきた。

 はっきり言おう。図星である。

 何処まで把握されているのだろう──と、桐花は末恐ろしく思った。いちいち匂わされるのも厄介だが、知っていて黙っていられるというのも居心地が悪いことこの上ない。


「……ええ、そうよ。私は、こんなおぞましい村祭りを──人死にの出るような祭りは、もうたくさんなの。あなたは去年に来たばかりだからわからないかもしれないけれど、ろくなものではないわよ」


 逃げも隠れも出来ないこの状況では、最早開き直ることしか出来なかった。

 顔をしかめながら告白する桐花を、冬は黙って凝視していた。前髪に隠れていない、つんと鋭い瞳が桐花を射抜き続ける。


「私が今年の舞い手候補だったってこともあるけれど……でも、そうでなくとも村祭りの前後の雰囲気といったらなかったわ。次は誰が死ぬのか、もしや己ではなかろうか──。そんな風に村中が戦々恐々としていて、舞い手でないはずの者さえも何か得体の知れないモノに殺されるのではないかと怯えていた」


 物心ついた時から、桐花にとって村祭りというものは忌避すべきものであった。

 ホフリの君へと神楽を捧げる乙女たち。彼女らの辿る末路はあまりにも凄惨なもので、村の少女たちは己の最期を想起しては恐怖に震えた。

 金峰村は小さな村である。外界から隔絶され、自身らの手のみで収穫を増やさねばならない。そんな土地であるから、人口も多いとは言えず、村祭りの舞い手というものは大体決まってしまうものであった。


「ねえ冬。そんな悲劇が、何代にも渡って続くなんて、愚かしいことだとは思わない? 誰もが死にたくないと願っているのに、代々続く風習だからというそれだけの理由が村祭りが行われるのよ。これって、絶対に可笑しいわ。少なくとも、私は納得なんて出来ない」


 外界へ飛び出したいという思いが先行せぬようにと心掛けながらも、桐花は漏れ出づる言の葉を止めることは出来なかった。それだけ、村祭りに対して思うところがあったのだ。今まで押し込めていた思いは、冬を前にして堰を切り、喉の奥から溢れ落ちた。

 冬は桐花が話している間、発言することはなかった。聞き役に徹してくれていたのだろう。愛想はないが、空気まで読めないという訳ではないようだ。


「篝さんに近付いたのは、彼が美しくてその美貌に魅入られたという理由ではないわ。外界から来たという彼ならば、この村の異常さを理解してもらえると思ったの。篝さんはお祖父様にも臆することはなかったし、聡くて頭の回転も速い。きっと村祭りを良い方向に導いてくれると思ったの。故に、篝さんと離れたくないのは決して邪な思いからではなくてよ」

「──待て」


 きっぱりと言い切った桐花だったが、不意に冬が切り込んできた。何か気に入らない点でもあったのだろうか、と桐花は身構える。


「……何? 気になることでも?」

「ああいや、大したことではない。ただ、私はあなたの行動を一度たりとも邪だと感じたことはないから、誤解をされていたのなら申し訳ない、と」

「……あのねえ」


 普段ならば上向きにつり上がっているはずの冬の眉尻は、何故か下を向いている。その理由を察した桐花は、呆れて肩を竦めた。


「そう、何でもかんでも真っ正面から受け取る必要はないのよ。そのような生き方をしていては、きっといつか疲れてしまうわ」

「私は、特に疲労など感じてはいないが」

「……とにかく、私は己が私情だけで篝さんに近付いた訳ではない──ということを伝えたかったの。それだけ理解してくれたのなら良いわ」


 これ以上真面目に会話を続けていようものなら、最悪日が暮れてしまう。そう感じた桐花は、溜め息を吐きながら話に終止符を打った。

 しばらく聞き役となっていた冬はふむ、と顎に手を遣る。そして、何か考えがまとまったのか数秒後に顔を上げた。


「間ノ瀬桐花。あなたの考えるところは大方理解出来た」

「そう、それなら良いわ。わかっていると思うけれど、このことは──」

「──間ノ瀬伝三に直談判するのは、やめておいた方が良い」


 桐花の言葉を遮って、冬はきっぱりと告げた。

 あまりにも唐突な発言だったため、桐花は思わずたじろいでしまう。しかし、すぐに彼女は冬を睨み付けながら問いかけた。


「それはどうして? お祖父様にお伝えしなければ、私はこの屋敷に閉じ込められたままなのよ。此処は危険を冒してでもお話ししに行くのが妥当でしょう」

「いや、恐らく間ノ瀬伝三は、あなたの真意を知れば知る程あなたをこの家に縛り付けようとするだろう。下手すれば、監禁にも近い状況下に置かれるかもしれない」


 必ずそうと決まった訳ではないが、と冬は付け足したが、桐花の決意を揺らがせるだけの効力はあった。

 ただでさえ軟禁とも言える状態なのだ。今よりも身動きが取れなくなったら──と思うだけで、桐花の二の腕には鳥肌が走る。

 冬を完全に信用した訳ではない。しかし、祖父から信頼を置かれている冬が言うのならば、可能性は決して低くないだろうという確信があった。


(やっぱり、諦めるしかないのかしら)


 篝と連絡を取りたいとは思うが、それで自分が不利益を被るようなことがあっては本末転倒というものだ。此処はおとなしく引き下がっておくのが懸命だろうか。

 諦念を胸に、落胆を見せまいとしながらも唇を噛む桐花を、冬は真っ直ぐに見据える。何処までもまっさらで、繕ったところのない眼差しだった。


「──間ノ瀬桐花。私に考えがある」


 再びうつむこうとしていた桐花の顔を、冬は手短な発言のみで制止した。


「単純なことだ。私にもやらねばならぬことがある。此処は、互いに手を取らないか」


 ぱちぱち、と桐花は瞬きをする。どういうことだ、とその目が物語っている。

 未だにこの用心棒を信用出来ない彼女に、冬はひたすらに澄みきった──澱みのない視線を向け、おもむろに唇を開いた。

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