第五章 思索

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 間ノ瀬家を後にした篝たちは、案の定先日舞い手たちで打ち合わせをした建物へと導かれた。

 篝としては二回目の来訪だが、夜霧とかよにとっては居住空間でもある。きょろきょろと辺りを見回している篝を、かよはにこにことしながら見上げた。


「篝兄ちゃん、緊張すてんだが? 後でおらが案内すてやろっが?」

「かよ、案内の前に神楽舞の練習をしなければならないだろう? はやる気持ちもわからなくはないけれど、あまりはしゃぎ過ぎてもいけないよ」


 かよを嗜めている夜霧は、彼女に手を引かれて移動していた。その足取りは淀みないが、やはり歩行する上で何も気掛かりなことがない──という訳にはいかないようで、速度は些か控えめだった。

 はっきりと明言された訳ではない。だが、この様子だと夜霧は視力に何らかの障害があると見て差し支えはなさそうだ。

 大した女だ、と篝は思う。

 関わり始めてから長い──という訳ではないので偉そうなことは言えないが、不自由を抱えている身で売り飛ばされ、それでも平常心を保っていられるのは並大抵の精神力では不可能だろう。


「そういやあ、大巫様は何処にいるんだべねえ。ちゃんと付いでぎでるんだべか」


 先導する神官に聞こえないようにか、声を潜めながらかよが篝に尋ねる。声を抑えたところで、近くにいる夜霧にはしっかり聞こえているのだろうが。

 夜霧の話通り、大巫は彼女らと共に間ノ瀬家に同行していた。篝たちが出た時には既に玄関口に佇んでおり、相変わらず此方の身が引き締まるような鋭い視線をくれたものだ。

 そんな大巫ではあったが、自ら先頭に立って歩くことはなかった。篝たちの先導は他の神官たちに任せ、彼らが歩いていくのを見てから移動を始めたようだった。


「さあ、俺にもわからないが……。何か気になることでもあるのか?」


 大巫が何をしているかは篝にもわからないが、だからといってかよの問いかけを無視出来る程酷薄にはなれない。かよを見下ろしながら、篝はそっと小声で聞き返した。

 かよはんだ、とうなずいて肯定の意を示す。


「あのね、昨日のことなんだけんどね。夜、お清めがら戻る最中さ猫ば見づげだんだ」

「猫?」

「んだんだ。めんごい猫だったんだあ。真っ白でふわふわすてだがら、暗え中でもよぐ見えだんだず。んだがら、ちょっと気になってで」


 かよいわく、お清め──つまり体を洗った後に、その猫を目撃したのだという。

 鼠避けとして猫を飼うこと自体は、そう珍しいことではない。特に農業が主である農村ならば、収穫した作物を鼠に荒らされては堪ったものではないだろう。

 篝は農村の生まれではないが、周囲に猫を飼っている者が全くいない──という訳ではなかった。鼠は農作物だけではなく、書物をかじることもある。中には幼児や高齢者、病人が鼠に齧られたという話も挙がる。

 そういった鼠の被害を防ぐのに、猫はうってつけであった。鼠は自分よりも体の大きい生き物をも食用として齧り付くことがあるが、猫はそういったことが少なく、防衛のために引っ掻いたり噛み付いたりするくらいのものだ。個体差はあるのだろうが、飼育するのが極めて難しい動物ではないため、民衆の中にも猫を飼育する者は少なくない。

 しかし、かよはその猫に少なからず違和感を覚えたのだという。


「どう言えば良いが難すいんだけんど、その猫、なんだが可笑すいどごろがあって。おら、不思議だなって思ったんだあ」

「可笑しいところ? ただの猫ではなかったのか」

「んだ。あっ、でも猫又どは違うと思うんだずにゃあ。ちゃんと尻尾は一本だったす、見だ感ずは普通の猫だったもの。可笑すいっていうのは、何でいうのがな……」

「──この村の環境と、その猫が噛み合わなかったそうだよ」


 状況の説明に頭を悩ませていたかよに、横合いから夜霧が助け船を出す。


「その時は私も同行していたのだがね。私はかよ程周りが見える訳ではないから、あちこちを見回している間に猫は何処かに行ってしまったようでね。後からかよの話を聞いて、どうにか想像で補っているような状況さ」


 まあ、わからないことがあったら説明することくらいは出来るよ、と夜霧は唇の端を僅かにつり上げて微笑んだ。

 何はともあれ、今はかよの話を聞くことが先決だろう。篝はつい、と視線を遣って、かよに先を促す。


「あのなあ、その猫、首輪ばすてだんだ。きらきら光ってだがら、きっと金属ば使ってるんだど思った」

「金属……か。それをわざわざ猫の首輪にしているとするなら、余程裕福なところの飼い猫なのだろうな」

「はっきり言える証拠がある訳でねんだげんと、おらはあの首輪にはきっと銀ば使われでるんでねがって思うんだあ。白っぽぐで、そんでも夜中にきらきら光るのは、銀ぐらいのもんだべ」

「銀──だと?」


 かよの推測に、篝は思わず目をみはる。

 この国は、古来より金銀の産出が盛んなことで知られている。最近では、海の向こうからやって来る商人たちが、鉱物をわんさと買い付けているという話も聞く。

 篝は海の近くで暮らしているため実際に鉱山に入ったことはないが、住まいのある国にも鉱山は存在する。それに、日々の暮らしの中で貨幣を用いるため、手の届かない存在──という訳でもない。

 しかし、それでもかよの話には首をかしげざるをえない。

 猫に首輪を着けるのはわかる。我が家の猫が何処か遠くに行ってしまった際にそれとわかる目印になるし、何よりも所有物であることを示すことが出来る。


(だが──わざわざ銀で作った首輪などを着けるような人物が、このような場所にいるのか?)


 言っては何だが、金峰村はひなびている。桐花の言う通り、田舎と形容するのが妥当なところだろう。

 真偽の程は未だ不明だが、今のところ金峰村の近辺に鉱山があるという話は聞いていない。産出した鉱物を加工する施設も見受けられない。金峰村のみで銀の首輪を作ることは不可能と思われる。

 金峰村は、外界と関わることを酷く忌避するきらいがあるという。だというのに、加工物を身に付けた猫がいるとかよは口にした。

 ──言い様もない違和感が、篝の胸中を埋め尽くしていく。


「ほだな訳でね、おらも不思議だなって思ったんだあ。おらも同ずんべな、田舎で生まれ育ったがら、なにすても納得がいがねぐで。んだがら誰が飼ってる猫なのか、大巫様だら知ってるかなって思ったんだげんど……」


 思案する篝を余所に、かよはうーん、と悩ましげに首をかしげる。

 たしかに、この建物の近辺で見かけたというのなら、大巫に聞くのが得策だろう。行動が制限されている身ならば尚更だ。


(……しかし、そう易々と伝えて良い情報なのだろうか)


 言っては何だが、篝はこの村の人間のほとんどを信用していない。協力関係にある苅安や桐花のことも、完全に信じきれる相手だと見極めるまでは警戒を怠らぬようにと心掛けている。

 見ず知らずの人間を拉致、夜霧とかよに至っては人身売買を介して集めるような者たちだ。すぐに信じろという方が難しい話である。


「──かよ。その件、まずは俺たちだけでどうにかしてみないか」


 こそり、と篝はかよに耳打ちする。前後を歩く神官の耳に入っていては一堪りもない。

 かよは一瞬、きょとんとした顔付きで篝を見た。その後に、訝しげな表情をして問いかけてくる。


「なすて? おらだは無闇に外に出だらいげねごどになってるんだよ。おらだだげでだねるのは難すいんでねがな」

「第一、大巫様は村祭りのお支度でお忙しいだろう。たかだか猫一匹を探すだけでお手を煩わせては、ご迷惑をかけてしまう。その猫はこの建物の近くにいたんだろう? それなら、この辺りを住み処にしている可能性が高いと思うが」

「でも……」

「かよ。此処は篝に従おう。大巫様に個人の事情で頼み事をするのは良くないよ」


 かよは不服そうだったが、夜霧の取り成しで一先ずは納得したらしい。唇を尖らせながらも、わかった、とうなずいた。

 ──それとほぼ同時に、三人の前を歩いていた神官が立ち止まり、振り返る。


「お二方はもうご存知でしょうが、此方が舞い手の方々が生活をなさる寮となります。篝殿には個室が宛がわれておりますので、我々に付いてくるように」

「──おや、では一旦お別れだね」


 さすがに異性と同じ部屋で過ごすことはないようだ。内心でほっと一安心する篝に、夜霧は薄く微笑みかける。


「お前を案内してやれないのは残念だが、致し方のないことだからね。早いところ此処に慣れるんだよ」

「……何様だ、お前は」

「夜霧様さ。──それじゃあね、篝。また後で会おう」


 相変わらず掴み所のない口振りで、夜霧はひらひらと手を振る。それを見て、かよも後でなあ、と破顔しながら大きく手を振っていた。

 ──新しい居住空間に慣れるまで、一体どのくらいの日数がかかることやら。

 せめて村祭りまでには慣れておきたいところだ──と考えつつ、篝は案内人である神官の後に続いた。

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