4
夜霧は伴らしき者を付けておらず、たった一人で此処までやって来たようだった。
突然の来訪を受けて呆気に取られている一同を余所に、夜霧は遠慮なく入室する。そして、腰を下ろすことなくその場にいる者たちを見渡した。
「まあ、まずは自己紹介をしなくてはね。私は夜霧。其処にいるかよや篝と同じく、此度の村祭りで舞い手を務めることになった者さ。どうやらうちのかよがお世話になったようだね。お礼を言わせてくれないかな」
「なっ──あなた、一体何処から──」
「何処から──と言われてもね。正面から、玄関から入っただけだよ。あとはかよの気配を辿ってきたんだ」
そうしたらどんぴしゃだったのさ、と夜霧は笑む。
桐花は夜霧を完全に警戒しているようだった。それもそうだろう。突然単身でやって来て、馴れ馴れしく話しかけてくるのだから、警戒心を抱くのが常道というものだ。
険しい表情で己を睨み付けてくる桐花を、夜霧は面白いものでも前にしているかのような顔付きで見る。挑発でもしているような雰囲気であった。
「さて──間ノ瀬桐花殿。あなたは、この篝が我々と同じ場所で生活するという情報に疑念を抱いているようだね」
「……ええ、そうよ。だって、お祖父様と大巫は昔から折り合いが悪いのよ? 大事な舞い手である篝さんを、そう簡単に譲り渡すような真似はしないと思ったのだけれど」
「ほほう、なるほどね。昔日からの因縁を持ち出されては、私も困ってしまうが──彼の居場所を移すという話は、真実だよ」
困った様子など皆無で、夜霧はさらりと口にした。
篝としては、住まいを移すことに異論はない。安全であればそれに越したことはないし、何処にいようと自分が余所者であることは変わらないので特にこれといった感慨も抱かない。
しかし、桐花にとっては篝のように割り切れる問題ではなかったようだ。
「そ、んな……それじゃあ、篝さんはもう此処に来ることが出来ないというの……?」
わなわなと震えながら、桐花は呆然として呟く。
何故此処まで──とは思わなかった。桐花の目的を知っている身としては、彼女が動揺する理由が何となく目に見えていたのだ。
間ノ瀬の屋敷に、桐花の味方と呼べる人間はいないだろう。彼女によれば、間ノ瀬の──いや、金峰村の者たちは基本的に外界を厭っているという。桐花が外界へ行きたい、と素直に吐露出来る人間は、篝くらいのものなのだ。
だが、その目的を桐花は夜霧や、大巫たちに語ってはいない。語るはずがない。それゆえに、ただ篝を引き留めようと足掻くことしか出来ないのだろう。
──何とか出来ないものだろうか。
すっかり意気消沈した様子の桐花を、篝は気遣わしげに横目で見る。彼女の事情を知っているが故に、このまま何もせずに間ノ瀬家を離れることは心苦しかった。
「夜霧。大巫様は今、何処にいらっしゃる?」
立っているためだいぶ遠いところにある夜霧の顔を、篝はじっと見つめる。
「どうした、藪から棒に」
「いや、せっかく世話になったというのに、何も礼を出来ないのは心苦しくてな。勿論、村祭りにて神楽を舞うことが俺たちの役目ではあるが、俺は間ノ瀬家ではなく間ノ瀬桐花個人に感謝を伝えたいんだ。勝手な願いだとわかってはいるが、余所者の俺に良くしてくれた彼女に礼を尽くせないのは些か納得がいかん」
「ふむふむ、なるほどね」
夜霧は何度か首を縦に振った。篝の申し出を、彼女なりに
桐花はというと、驚いたような表情で篝を見つめている。まさか篝が加勢するとは、考えてもいなかったのだろう。喜ぶよりも先に、何故、どうしてといった疑問を覚えたらしい。
す、と夜霧が篝の方へ顔を戻す。目は伏せられているため、視線の移ろいは全く感じられない。それがかえって掴み所のなさを強めているようにも思えた。
「詰まるところ、篝──お前は、住まいが変わってからも桐花にまた会いたいのだね?」
「まあ、そういうことになるな。一つ屋根の下で寝食を共にしよう──とまではいかないが」
「──へえ。そうか。そうかそうか」
にやり、と夜霧の口角が持ち上がる。その表情はとてつもなく愉しげであった。
──一体、夜霧は何に面白味を感じているというのだろう。
いまいち彼女の心情を理解出来ていない篝は、そっと傍らにいたかよへと問いかける。
「かよ、夜霧は何故ああも楽しそうな顔をしているんだ? あいつのあのような顔、初めて見たぞ」
「ええっ、おらにそだなこと聞かれてもよ……」
戸惑いながらも、かよはんだけんど、と続ける。
「夜霧姉ちゃんがこだな顔するのは、大抵何が面白そうなごどに出会った時だべな。篝兄ちゃん、多分何が面白いこと言ったんだべ。おらにはなあんもわがらねがったげど」
「面白いこと──? 何だ、それは」
「ふふふ。皆揃って鈍感か。これはまた面白くなってきたぞ」
首をかしげる篝とかよを余所に、夜霧はさらに笑みを深める。理由はわからないが、余程この状況を気に入ったらしい。
そんな夜霧に、桐花は鋭い視線を向けた。その表情には、決して弱くない苛立ちが含まれている。
「……夜霧殿、といったかしら。あなた、根も葉もないことに対して遊び心を抱くような真似はやめてくださる?」
「おや、どうしたんだい? 私は何も、あなたの気に障るようなことを口にしたつもりはないのだがね。私の発言に、何か気になることでもおありかな?」
「……っ、よくもいけしゃあしゃあと……!」
のらりくらり、といった表現が適するであろう夜霧の口振りに、桐花は目を三角にする。篝と同じ舞い手──詰まるところの外界の人間と言えども、夜霧のことは簡単に信用出来ない様子だった。
桐花に睨み付けられても、夜霧の態度は変わらない。おっと、とわざとらしい口調で会話に戻る。
「すまないね、会話の筋が逸れてしまった。──とにもかくにも、篝は間ノ瀬桐花殿にまたお会い出来る機会が欲しい……と。そういったことを伝えたかったのだね?」
「そうだ。何度も言わせるな」
「まったく、素直ではないのだから」
肩を竦めながら、夜霧は桐花の方へと向き直る。彼女の声がした方向から、その立ち位置を推測しているのだろう。
「──間ノ瀬桐花殿。篝の──そしてあなたの要望はよく理解出来た。だが、こればかりは私たち個人の申し出だけではどうにもならない問題だ」
「……どういうこと」
「私たちは、あくまでも舞い手だ。この村の者たちに強く出ることなど出来ない。とりわけ、村人たちは余所者──私たちのような人間を忌避しているというじゃないか。私たちが村人たちに意見をした日には、今よりもよろしくない待遇を覚悟しなければならなくなるかもしれない」
其処でだ、と夜霧は人差し指を立てる。
「私たちではなく、あなた方──村長に近しい人間が提案をしてみるのはどうか、と思うんだが、どうだい? 私たちの発案ではなく、孫娘であるあなたが初めに考え付いたことなのだ──という体を取れば、厳格な村長殿も折れてくださるのではないかな」
「なるほど、桐花から申し出るということだな」
良いのではないか、と篝は夜霧の意見に賛同する。
たしかに、余所者が偉そうな口を叩くのは村人たちも承知しないだろう。初日の会合でも、篝は村人たちから向けられた非難の眼差しから、彼らが余所者を良く思っていないことを感じ取った。下手すれば、再び座敷牢に投獄されても可笑しくはない。
しかし、村長の孫娘である桐花ならば、祖父に意見することも不可能ではないかもしれない。桐花の話によると、村長に話しかけられる機会は少なくないようだが、それでも篝たちよりは幾分かましだろう。
桐花は一瞬表情を曇らせたが、すぐにええ、とうなずいた。
「……わかったわ。私の方から、何とかしてみる。通るかはわからないけれど、やれるだけのことはやろうと思うわ」
「……無理はするなよ、桐花」
桐花が無茶をする程猪突猛進な娘だとは思えないが、それでも彼女の孤独を考えると篝としても心配になってくる。
幾分か声色を和らげてそう声をかけると、桐花は力なく──不安げな色を含みながらも、何とか力を振り絞ったかのような微笑みを返した。それが、篝にとっては酷く痛々しいものに見えた。
「──さて、区切りも良いことだし、そろそろ篝には私たちと共に来てもらおうかな」
このような状況下であっても、夜霧の飄々とした立ち振舞いは変わらない。
未だ表情を沈ませたままの桐花の横を素通りして、彼女は篝の前に立つ。そして、来い、とでも言うように右手を差し出した。
「外で大巫様や神官たちが待っている。諸々の説明は其処でしてもらえるだろう」
「……そうか。なら、此処等で出立しなければならないな」
「物わかりが良くて助かるよ。──其処の狸寝入りしている用心棒殿も、異論はないようだしね。上手く話がまとまって良かった」
目を伏せているというのに、夜霧は冬が寝かされているということを理解していたらしい。嗅覚で判断したのだろうか。
冬はぴくりとも動かない。しかし、先程までの規則正しい寝息が聞こえない辺り、意識が覚醒していることは何となく察することが出来た。
一抹の不安は残るが、いつまでも外にいるという大巫たちを待たせる訳にもいかない。名残惜しい気持ちを多少覚えつつ、篝は夜霧にうなずいて肯定の意を示した。
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