3

 篝が朝食を食べ終えてから四半時程が経過したが、未だに冬が目覚める気配はない。すうすうと、規則正しい寝息が聞こえてくるばかりである。


(やはり寝不足だったんだな)


 この意地っ張りめ、と内心で冬に毒突きつつ、篝はその寝顔をちらりと盗み見る。

 どのような夢を見ているのか、はたまた生来のものなのかはわからない。しかし、眠っていても冬の眉間には皺が残り、口はへの字のままだった。起きている時よりは幾分かましだが、それでも十分しかめっ面と呼べる顔付きである。

 ──一見自分とそう変わらない年頃に見えるというのに、何ともまあ難儀なものだ。

 余計なお世話だと承知の上で、篝は冬の眉間をそっとほぐしてやる。余程寝ていなかったのか、冬はううん、と唸っただけで、起きる様子はなかった。


(こうして見ると、なかなか綺麗な顔だというのに)


 多少穏やかになった冬の顔付きを、篝はぼんやりと観察する。

 起きている時は常に不機嫌極まりないといった表情の冬だが、改めてその顔を前にするとよく整っていることがわかる。

 伏せられた瞳を縁取る睫毛は長く、鼻筋は通り、肌はきめ細やか。顔色が悪く痩せぎすなところが不健康さを前面に押し出しているが、程よく化粧でもして明るみを表現すればそれなりの見映えにはなるだろう。

 性別は未だに不明なので何とも言えないが、少し工夫を加えればがらりと雰囲気が変わりそうだ──と篝は思う。尤も、冬がそれを望まないのであれば泡沫うたかたと消える話ではあるが。


(……故に、昨日の俺はこいつに美を見出だしたのだろうか)


 残光に照らされた、血濡れの冬。それは血なまぐさく忌避すべきものであろうに、篝は直感的に美しいと思ってしまった。

 美の基準とは人それぞれである。時に篝が理解出来ないものを、美しいと讃える者もいるのだろう。美とは、たった一人の価値観だけで決定して良いものではない。

 それでも、昨日の冬には底知れぬ美しさがあった。理由もなく美しいと思えるだけの魅力を、この無愛想な用心棒は刹那であろうとも醸し出したのだ。


(不思議なこともあるものだ)


 人は時に、言の葉で表現し難い姿を見せることもある。冬にとっては、それが美だったのであろう。

 退廃的にして純粋。矛盾を孕みながらも、其処に真っ直ぐ屹立する美。

 末恐ろしい人間がいたものだ、と篝はしみじみ思う。他人の美醜を此処まで気にしたのは、これが初めてだ。


「──もし、篝さん。いらっしゃる?」


 物思いに耽っていた矢先に、襖越しから声がかけられる。桐花の声であった。

 屋敷がてんやわんやの状況なのに、移動が許されているのか。そんな疑問を抱きはしたが、見知らぬ人物でもないため、篝は音を立てぬようそっと襖を開けた。


「どうした、桐花。俺に何か用でも──」


 俺に何か用でもあるのか──と問いかけようとした篝だったが、桐花の横に立つ人物を前にして思わず息を飲む。


「か、かよ……!?」

「篝兄ちゃ──んむっ」


 瞳をきらきらと輝かせて篝のもとに飛び出そうとしたかよの唇に、篝は慌てて己の人差し指を当てる。そして、しぃ、と声を潜めた。


「説明の前に、だ。今は眠っている者がいる。起こさないように、静かに話すこと。良いな?」

「お、おう。わがったよ。おら、絶対静かにする。約束すっず」


 神妙な表情をする篝につられたのだろう。かよもいつになく真剣な顔付きになって、こくこくと何度もうなずいた。

 そんなかよの後ろから、桐花がそっと篝の背後──詰まるところ、敷かれている布団の方を見る。ひゅ、と息を吸い込む音が聞こえた。


「ふ──冬ではないの」


 篝の部屋にて寝かされている人物に、桐花は驚愕したようだ。声を潜めながらも、はっきりと聞き取れる音量であった。

 桐花はそろりそろりと、足音を殺して部屋へと入る。篝はおい、と言いたい気持ちを堪えながら、かよの手を引いて桐花に続いた。


「どうした。冬が眠っているのはそれほど珍しいか」


 枕元に腰を下ろして刮目する桐花に、篝は軽く肩を竦める。このような反応をする彼女を見るのは初めてだ。

 桐花は篝からの言葉を受けて、照れ臭そうにはにかんだ。


「まあね。この人ってば、毎日雨降りなのかってくらいしかめっ面をしているものだから、こんな無防備な顔をするなんて思わなくて……。私ったら子供っぽかったかしら」

「いいや、その気持ちはわからんでもない。俺も同じように思ったからな」


 やっぱりそうよね、と桐花は苦笑する。冬を雇っている側の人間でも、その愛想のなさを痛感していたようだ。


「……よくよく見てみると、綺麗な顔をしているのよね、冬って」


 他人のことを言えるような身分じゃないけど、と付け足しつつ、桐花は冬の寝顔を見下ろす。

 昨晩、彼女は冬を探していたと言っていた。詳細は不明だが、少なからずこの用心棒と関わりがあるのだろう。

 天衣無縫な桐花と、石部金吉な冬。二人が仲良く並んでいる光景はなかなか想像出来たものではないが、桐花の人柄であればとんでもなく険悪な仲になる、ということもない──と思いたい。


「……お姉ちゃん、おらはほだなこどねど思うだよ」


 ──と、此処でおとなしくしていたかよが口を挟んでくる。

 お姉ちゃん、というのは桐花のことだろう。現に、かよは桐花の方をじっと見つめている。


「こう思うのはおらだげがもすれねんだげんと、この用心棒さんはよぐ見ねぐでも綺麗だど思うよ。どだな風さ言ったらいいのがな……。多分、用心棒さんは上がら下までまっさらなんだど思う」

「……まっさら、なのかしら。冬は」

「さあ、おらにはわがんねよ。用心棒さんと話すたごどなんてなにむぎねもん。ただ、初めで用心棒さんば見だ時さ、おらがそう感ずだってだげだよ」


 相変わらずかよの訛りは強い。しかし、何を言っているかわからない程癖の強いものではなかった。


(……まっさら、か)


 かよの言葉を、篝は胸中で噛み締める。

 たしかに、冬は何処までも真っ直ぐな印象を受ける。常に視線は前を向き、余所見をすることはほとんどない。融通がきかないのも、自分に嘘が吐けないが故なのかもしれない。

 そのような生き方では苦労も多いだろうに──と思わない訳ではないが、冬のことをよく知りもしない分際で偉そうなことは言えない。冬の生き方を決めるのは、他でもない冬自身だ。たかだか現在守られているという立場の篝には、口出しする権利など皆無である。


「──それよりも、だ」


 これ以上冬について考えていても埒が空かなさそうだったので、篝は話題を切り替えることにする。いつまでもうだうだと考えているのは性に合わない。


「お前たち、俺に何か用があったのではなかったか? まさか冬の寝顔を拝むためだけに押し掛けてきた訳ではあるまい」

「あっ、そうだった! すっかり忘れるところだっただ、すまねえなあ」


 許してけろ、とかよは手を合わせる。どうやら本来の目的を失念していたようだ。

 幼子を頭ごなしに叱り付けても、何も面白くはない。篝は小さく息を吐きつつ、早く話せ、と先を促した。


「あのなあ、おらも詳すいごどはわがんねんだげどね。村長さんのお家で、何か騒ぎがあったんだべ? んだがら大巫様、篝兄ちゃんばおらだど同ず場所で生活さしぇんべぎだって言い出すてね。ほだなこっで、迎えさ来だって訳だよ」

「つまり──住まいを移せということか?」

「んだんだ。確が、村祭りまであど七日ぐらいすかねんだべ? 舞い手の子らさ何があったらいげねって、大巫様も心配すてるみてえでなあ。急なことではあるんだげんと、これぐらいすか方法はねえべー、ってさ」


 篝としては、受け入れられない話ではなかった。むしろ妥当な対応と言えよう。

 使用人を殺害したのが誰か──いや、何かはわからない。しかし、村内でも高い警備を誇る村長の家で事件が起こったのだ。舞い手である篝を移動させようとするのは、何ら可笑しい話ではない。

 どうせ、荷物も私物もほとんどない身だ。今更何処へ移動することになろうとも、篝が困る理由はない。何なら、今すぐにでも出発出来る状態である。


「そ、そんな……」


 しかし、傍らで事の次第を聞いていた桐花にとっては、この話はすぐに受け入れられるものではなかったようだ。

 彼女はわかりやすく衝撃を受けた、といった顔付きで、かよへと向き直る。


「そ、その話って、本当に決定されたことなの? お祖父様の許可は、ちゃんといただいているの?」

「お祖父様──って、此処の村長さんのことだか? いやあ、おらも今朝聞いだばがりだがら、はっきりすたことは言えねよ。んだげんと、大巫様は篝兄ちゃんば連れでいぐって言ってだす、大巫様のお付きの人らも反対すていねえっけよ」

「そんな──そんな訳ないでしょう!」


 だん、と桐花の拳が畳を叩く。かよは怯えきった表情で、びくりと身を縮ませた。


「お祖父様が、大巫の言葉を素直に聞き入れられるとは思えないわ。きっと、今はまだ話し合っている真っ最中なのよ! あの老いれたちは、ずっと昔からいがみ合っているんだから!」

「お、お姉ちゃん……?」

「そうよ、絶対に揉めるはずなのよ! 年寄りってものは頭でっかちで他人の話を聞かないから、きっと話し合いは難航している! 篝さんを連れていく理由は、まだ立ち上がった訳ではないわ!」

「桐花、落ち着け! どうしたんだ、いきなり──」

「落ち着いてなどいられるものですか! うちが危険みたいな扱いになっているけれど、大巫のところも同じようなものじゃない! 獣が出るのかもしれないのよ!? そんな場所に、篝さんを連れていくなんて──!」

「──悪いが、その件については既に決定したよ」


 いつになく必死の形相で甲高い声を上げる桐花には、さすがの篝も制止は敵わなかった。

 その代わりに──彼女を止めたのは、落ち着き払った女の声。

 ゆっくりと、緩慢な仕草で、桐花が振り返る。その目は血走り、唇から漏れる息は荒かった。


「──はじめまして、かな? 間ノ瀬桐花殿」


 新たな訪問者──夜霧は、桐花に臆することなく、目を伏せたままたおやかに微笑んだ。

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