3

 ただならぬ風格と威厳を兼ね備えた老女は、名を名乗ることはなかった。その代わりに、彼女は自身を役職である大巫おおかんなぎと呼ぶように、と指示した。


「無礼と断ぜられることは百も承知。しかし、これも村祭りを成功させるため。どうかご理解いただきたい」

 

 慇懃に──然れど遠慮や譲歩を見せることはなく、大巫は頭を下げる。思わず此方も礼をしなければ、と思わせるだけの貫禄があった。

 大巫──となると、祭祀においては中枢を担う人物なのだろう。篝は彼女を見つめながら、緊張感に唾を飲み込んだ。

 大巫は、じろり、と品定めするかのように身代わりの舞い手たちを見遣る。蛇のような眼光だ──と篝は思った。


「……其処の者は?」


 夜霧、かよ、篝の順に視線を巡らせていた大巫だったが、篝を通りすぎた後に彼女は怪訝そうな顔をする。何処と無く不信感を孕んだ声音であった。

 どういうことか、と篝が疑問に思うことはなかった。大巫の視線の先にいる人物に関しては、何となく突っ込まれるだろうと予想していたのである。


「…………」


 大巫の眼光を受けて尚、無愛想な使用人──冬の表情は変わらない。

 前髪に隠されていない方の瞳は鋭く尖り、見た者を射抜いてしまいそうな程に研ぎ澄まされている。相手が村の有力者であろうと、腰を低くすることはなく、相変わらずの仏頂面で睨み付けている。

 冬には、誰も彼もが同じに見えているのではないか。その態度を前にした篝は、ある種の驚嘆を覚える。誰に対しても同じ振る舞いが出来る者など、この世に多くはあるまい。


「……この者は、村長のもとから付けられた護衛です。──そうだろう、篝?」


 張り詰めた空気にかよはすっかり怯えきってしまっているようだったが、彼女の横に座する夜霧は顔色ひとつ変えずにそう述べた。艶やかな黒髪をさらりと揺らしながら、彼女は篝に確認を取る。

 まさか自分に振られるとは思っていなかったので、篝は若干面食らいながらああ、と答える。何かあれば自分が説明をしなければ──と思っていた矢先に先手を取られたので、虚を突かれてしまったのだ。

 大巫は、そうか、と短く答える。冬は一言も発しなかったが、どうやら納得してもらえたようだ。


「……たしかに、此度の村祭りにはこれまでになかった特例も少なくはない。用心を重ねるのは当然か」


 自らに言い聞かせるように呟いてから、大巫は篝たちに向き直る。


「貴殿らの名は、既に聞き及んでおる。村祭りの概要もご存知だそうじゃな」

「……はい。仰る通りで」

「では、今日はこの村にて祀られている神に関して語るとするか。神楽舞の練習は、後日でも間に合おう」


 誰が返事をするべきなのかはわからなかったので、大巫の言葉には篝が肯定しておいた。

 一応この面子の中では最も年上のようだし、何より例外ということもある。いざとなったら、彼女たちを牽引しなければならない──という責任感を覚えないでもない。

 うなずいた篝を確認してから、大巫は後方に控えている神官たちに目配せをする。彼らはきびきびとした動きで何かを持って来ると、それを大巫にうやうやしく手渡した。


「……この村では、百年程前からある神をお祀りしている。百年、というと信仰の期間としては浅く感じられるやもしれぬが、其処にはとある事情があった」

「事情──ですか」

「うむ。──これを見よ」


 事情──というのは、大方鬼を生き神として祀っていたことだろう──と篝は予想する。ただ夜霧やかよがその“事情”に関して知っているとは限らなかったので、篝もまだ聞かされていないという素振りを取った。

 そんな篝の内心を知っているのかそうでないかはわからなかったが、大巫はおもむろに先程受け取ったものを床に広げた。一同の視線は一気に同じ場所へ集められる。

 大巫が神官たちから手渡されたのは絵巻物であった。其処には流れるようにして、一連の絵が描かれている。

 大巫はつ、と人差し指である一点を指差す。


「貴殿らには、これが何に見える」


 大巫が指差したもの。それは、整った顔立ちをしているが憤怒の形相に顔を染め上げた一人の女の絵だった。

 ──鬼、なのだろう。これが。


(しかし、思っていたよりも鬼らしくはないな)


 顎に手を遣りながら、篝は絵巻物を見つめる。

 たしかに、この絵に描かれる女性の形相はまさに鬼女と形容すべきだろう。怒りに歪んだ端正な顔は、美しさを通り越して凄絶の一言に尽きる。実際にこのような表情をする人間を前にしようものなら、身動きが取れなくなってしまうかもしれない。

 だが、この女性は鬼のような形相をしてはいるものの、鬼らしい見た目をしてはいない。容姿は人のそれと言って良いだろう。

 普通、鬼と言えば人にはない角や牙が生えているものだ。鬼面にも幾つか種類があるが、鬼になりかけている生成なまなりでさえも角が生えかけている。それだけ鬼という属性を象徴するものなのだ。

 そんなことを考えながら篝がじっと絵巻物を観察していると、彼の横から声が上がった。


「見でぐれは人だんだげんと、顔づぎは鬼さ見えますだ。人もごしゃぐどおっかねえげんども、こだな風にはならね」


 発言したのはかよだった。彼女は緊張しているのか、顔を強張らせたまま続ける。


「おら、鬼見だごどはねんだげんど、きっと彼らはこだな顔するんだべなって思いますだ。んだげんと、こいつの格好は人間のままですだ。こりぁ、鬼が人間の姿ばたがいで生まれですまったがのように見えっず」

「──要するに、外見は人間のようだが、纏っている雰囲気は鬼のように見える──ということです」


 一生懸命標準語に近付けようとしているのだろうが、やはりかよの言葉は訛りが強い。先程よりはわかりやすいが、篝としてはまだ慣れることが出来ない。

 案の定、気を利かせた夜霧が解説に回っていた。よくわかるものだ、と篝は内心で夜霧に感嘆した。

 大巫は、うむ、と満足げにうなずく。かよの見解──正確には夜霧の解説だが──に不満はないようだ。


「そのように受け取るのが妥当じゃろう。この絵巻物に描かれる女は、たしかに鬼じゃ。こやつは人の血肉を喰らい、永き時を生き続けてきた。だからこそ、村人たちはこの鬼を生き神と崇めたのじゃ。美しく、そして知識も持ち合わせていたようじゃからな。鬼の正体が露見するまでは、賢女として敬われ、崇敬を集めていたという」

「しかし──その鬼は、もういないのでしょう?」


 大巫の言葉に被せるようにして、夜霧が発言する。その口元には、うっすらと笑みが浮かんでいる。

 大巫は一瞬眉根を寄せたが、夜霧を咎めることはなかった。ふぅぅ、と細く息を吐いてから、彼女は絵巻物をさらに広げる。


「その通りじゃ。鬼は退治された。一人の聡き村人が鬼の正体を看破し、人の身でありながら鬼の心臓を貫いたのじゃ」

「鬼の、心臓」

「……確実に是と言える訳ではないが、そのように伝えられているのでな。我等は、その伝承を信ずる他にない」


 進められた絵巻物には、鬼女に立ち向かう人が描かれている。

 しかし、その顔は描写されていない。──いや、体すらも、細かく書き込まれておらず、其処だけ人の形をした枠組みが記されているだけであった。

 それが、鬼女を倒した村人なのだろう。だが、あまりにも異様な絵面である。篝は思わず大巫へと問いかけていた。


「失礼は承知と心得ておりますが──何故、この村人は確固とした姿で描かれていないのですか? 鬼女は、こうもはっきりと描かれているというのに……」

「……その村人は、村の守り神となった。神を形として残し、絵巻物の中に閉じ込めるのは不敬が過ぎよう」


 大巫の目線が篝に突き刺さる。質問の仕方を間違えていようものなら、咎められていたかもしれない。


「守り神──この村では、ホフリの君と呼んでいるが、そのご尊顔やお姿を描くことは禁じられている。生前のお姿を描けば、ホフリの君は其処に封じられてしまうからな。我等が目にすることの出来るホフリの君は、その御神体だけにあらせられる」

「御神体──とは」

「此処より幾らか山へ分けいったところに、一際大きな御神木がある。それこそが、ホフリの君の御神体じゃ。貴殿らの神楽舞も、御神体の前で行われる」


 ホフリの君にお捧げするものじゃからの、と大巫は付け加えた。

 ホフリの君──漢字にすれば、屠りの君と記すのだろうか。何とも物騒な名前だが、鬼を屠ったということならば妥当な名称ではある。どのような字を書くのかはわからないし、そもそもこの村に読み書きの出来る人間がどれだけいるのかすら不明なので、現時点では何とも言い難いところであったが。


「ホフリの君に関しては、この辺りで良いじゃろう。後はそうじゃな……衣装合わせもこの際済ませておくか」

「衣装──ってことは、めんこいべべだか!?」


 ホフリの君の話は此処で終わりのようだ。大巫が何気なく持ち出した衣装の話に、ぱあっと瞳を輝かせてかよが反応する。

 これまでの舞い手は少女に限られていたと聞いている。当然、衣装も女物なのだろう。

 かよは見ての通りはしゃぎ、そんな彼女を夜霧は微笑ましそうに見守っている。しかし篝としては、この歳になって女装することになるとは──と頭を抱えざるを得なかった。

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