4

 衣装合わせは滞りなく済ませられた。

 篝としては衣装が身の丈に合うものかと不安だったが、その心配は杞憂に終わった。篝くらいの体格であれば、女物の衣装もすんなりと入ったのだ。


「篝兄ちゃん、めんごいずにゃあ!」


 複雑な気持ちで言葉を失っている篝に、純真無垢な笑顔で追い討ちをかけたのはかよだった。

 衣装は巫女装束の上から千早のような薄い生地の貫頭衣を纏うもので、袴を身に付けたことがないというかよは手間取っていた。それでも、鮮やかな色合いの衣服に彼女は大はしゃぎし、嬉しそうにくるくると回っていたのは微笑ましい光景であった。


「こら、かよ。あまり動き回るものではないよ。汚してしまったらいけないだろう」


 そんなかよを、夜霧は優しくたしなめていた。その声色には慈愛が溢れている。

 異性装することになったのは何とも言い難いものだが、見ていて胸糞悪くなるような状況ではないことに篝は一安心した。

 見ず知らずの相手と言えど、己と同じ身代わりの舞い手であることは事実。そんな彼女らが(現時点では)健やかでいるのならば、篝の気も幾分か楽である。


「私の必要性が感じられない打ち合わせだったな」


 ──が、無愛想な付き人は回顧の暇さえろくに与えてはくれない。

 衣装合わせを済ませ、ちょうど昼時だからと身代わりの舞い手たちで昼食を摂った後、本日の打ち合わせは解散となった。現在は、冬と共に間ノ瀬家へと戻る真っ最中である。

 特に何事もなく終わった──というのは喜ぶべきことなのだろうが、仕事らしい仕事の出来なかった冬としては不満のようだ。顔には出さないが長時間正座しているのは辛かったようで、建物を出るなり足が痺れた、と呟いていた。

 また派手に転倒するのではないか──と篝は心配したが、冬が同じ轍を踏むことはなかった。──今のところは、だが。


「そう言うな、冬。お前がいた意味は十分にあった。一人にしておけば、俺が逃げ出すとも知れなかったのだぞ」

「逃げたら逃げたで、それが私の仕事になるからな。おとなしく座して貴様らの下らない話を清聴しているよりはずっとましだ」

「……お前、それを間ノ瀬の者たちの前で口にするなよ」


 用心棒を名乗る割には身も蓋もないことを言う冬に、篝は呆れながら相槌を打った。

 この場の人通りが少なくて本当に良かった──と篝は思う。仮にも尊ばれるべき大巫の──しかもこの村の唯一神であるホフリの君の話を、下らないと一蹴したと知れたらどのような目に遭ったものか。考えるだけでも恐ろしい。

 呆れ顔の篝に、冬はふん、と鼻を鳴らす。相変わらず可愛げがない。


「誰が口にするものか、たわけ」

「た、たわけってお前……。その口の利き方はさすがにどうかと思うぞ……」

「知るか。所詮私は金で雇われた用心棒。間ノ瀬の者たちとは、金銭で繋がっているだけの関係だ。意味のない告げ口をしてまで、奴等に気に入られようとは思わない」


 篝の方を向くことなく、冬は突き放すような口調で告げる。いっそ清々しい程真っ直ぐな口振りであった。

 何ともまあ、わかりやすい人間だ──と篝は内心で思う。恩義や忠誠は抜きにして、報酬のみで働く。それは、きっと最も用心棒らしい生き方なのだろう。


(だが──他者との精神的な繋がりなしに、生きていけるものなのだろうか)


 つんと鋭い冬の横顔を盗み見つつ、篝は思案する。

 冬は、どのような場面であってもつんけんとした態度を崩そうとはしない。篝の前でだけ──という可能性も捨てきれないが、何となくこの使用人は己を偽ることが不得手に見える。それゆえに、きっと誰に対してもこのような振る舞いをしているのだろう──と篝は推測した。

 しかし、いくら人付き合いが鬱陶しいと言えども、人生には人と人との繋がりが不可欠だ。

 先程冬が口にしたような、報酬を介した関係もそれはそれで大切だろう。だが、友や信頼出来る相手といったものを抜きにする──ということは、篝には到底考えられなかった。

 余計なお世話だということはわかっている。それでも、何処と無く危なっかしいこの使用人を独りにしておくのは心配だった。自分では無理だろうが、せめて村の中に親しい人間はいないものか──と、勝手に思案を巡らせてしまう。


「──い、おいっ、聞いてくれ! あんた、間ノ瀬の用心棒だろう!」


 ──と、此処で唐突に声がかけられる。

 声のした方向を見てみれば、其処には息を切らして駆け寄ってくる村人たちがいる。彼らは篝を見て一瞬眉を潜めたり驚いたように目を見開いたりしていたが、すぐに冬の方へと向き直った。


「なあ、あんた! 火急の用事だ、すぐに来てくれ!」

「火急の用事……? 何があった」

「獣だよ、獣が出たんだよ! 何だかよくわからねえが、とにかくすぐ其処に出たんだよっ!」

「頼むから早く来てくれ、俺たちじゃあどうにも出来ん!」


 村人たちの切羽詰まった声音から、彼らは確実に獣を見たのだろう──と篝は確信する。

 この辺りは山間部に近い。民家も少なく、少し歩を進めようものなら緑鮮やかな自然が待ち受けている。野生の獣が出る、と言われても疑う余地はない。

 冬は群がる村人たちを鬱陶しそうに見た。そして、その中の一人に視線を向ける。


「おい貴様」

「貴様──って、俺か!?」

「貴様以外に誰がいる。──その獣は今、何処にいる」

「ど、何処にって……。さっき見た時は、村の者が何とか押し止めていたが──」


 問いかけられた村人が全てを答え終わらないうちに、少し離れた方角から人のものと思わしき悲鳴と、何やら獣の咆哮のような音が轟いた。その壮絶な轟音に、篝は思わず身を竦ませる。


「なっ、何だ!?」

「──彼方か」


 篝が振り返るよりも先に、冬が動く。旋風がごとき俊足であった。

 冬は篝たちの前に躍り出ると、もとから鋭い眼差しをさらに尖らせて前方を睨み付ける。獲物を捕捉したその瞳は、決して揺るぐことはない。


「……あれか。また妙なものを……」

「──な、んだ。あの生き物は──」


 冬は至極冷静沈着であったが、続いて視線を移ろわせた篝は思わず絶句する。

 冬の見据える先。其処には、木々を傷付け、時に薙ぎ倒しながら迫ってくるモノがいる。

 獣、と形容すべきなのだろう。人には見えず、本能のままに暴れ、自然の猛威とも取れる被害をもたらす存在。人里に下りてきた野生の動物の行動と、それはよく似ていた。


 ──だが、その姿形はただの獣とは言い難い。


 黒く毛むくじゃらなそれは、遠目から見れば大きさからして熊か何かだろうか、と思わせた。しかし熊とは思えぬ程の巨大な一つ目、横に細長く避けた口、そして何よりもひょろりと長い六本の腕は、毛に覆われてこそいれど人間のそれとほぼ変わりなかった。


(あれは、獣ではない──化け物ではないか!)


 異形の口の端から垂れるは、唾液であろうか。それにしても赤黒い。鉄錆びた臭いが此方にまで漂ってくる。

 胃の中のものがせり上がってくるのを、篝は必死で堪えた。冬を呼んだ村人たちの中には、耐えきれずに嘔吐している者もいる。彼らも最悪の事態を想像してしまったのだろう。

 だが、冬だけは顔色を変えなかった。す、と目を細めてから、異形を見据えたまま村人に問いかける。


「死人は出たか? 他の村人たちはどうしている」

「す、少なくとも、二、三人はやられた。村の者らには、獣が出たからと家に入らせてある」

「ふん、そうか」


 素っ気なく相槌を打ってから、冬はくるり、と此方に向けて振り返る。そして、別の村人を鋭く睥睨へいげいした。


「貴様、それを貸せ」

「へ、へっ……?」

「その竹槍だ。貴様が持っていたところでどうにもならないだろう」


 貸せ、と言いながらも、冬は半ば引ったくるようにして放心しかけている村人から竹槍を奪う。横暴にも程があるが、今は文句を言っている暇などない。

 冬の瞳が、再び異形を捉える。涎を垂らしたそれも、冬へと狙いを定めたようだった。


 ──投擲とうてき


 微塵の躊躇もなく、冬は村人から奪取した竹槍を異形に向けて投擲する。

 真っ直ぐに飛んでいったそれは、異形の反応を待ちはしなかった。竹槍は容赦なく、異形の眼球へと突き刺さる。

 オオオォオ、と異形が咆哮した。木々をも揺らしてしまいそうな轟きに、篝は思わず後退りする。

 だが、冬は怯えない。退きもしない。

 いつ、この仏頂面をした使用人が駆け出したのかはわからない。それだけ、冬は速かった。


(なんだ、あの速さは──)


 篝は瞠目する。息を飲む他になかった。

 冬は何度、地を踏んだだろうか。数える間もなく、冬の矮躯は異形との距離を詰め、そして腰に差した二本差しの刀──大きさからして打刀であろう──を抜き放っている。

 眼球に竹槍が刺さったままの異形だが、冬の姿は視認出来ているらしい。その長い腕を、冬に向けて勢い良く振るった。


 ──斬。


 細長いものが宙を舞った。それが異形の腕であると篝が認識した時には、冬は既に次の斬撃へと移りつつある。

 振り下ろされる異形の腕を、冬は次々と落としていく。赤黒い血潮に濡れながらも、冬の表情が変わることはない。一撃で腕を落としていく様は技巧すら感じられた。

 腕を全て失った異形は、それでも冬の息の根を止めようと足掻く。おどろおどろしい雄叫びを上げながら、異形は口をぱかりと開けて冬を飲み込もうと飛び掛かる。

 だが、冬はだん、と地面を蹴ると、異形の上唇──唇と形容すべきかは不明だが、詰まるところ口の上部である──に刀を突き立てた。そして、そのまま刀を軸に飛び上がる。


(あいつ、何をするつもりだ──!?)


 絶句する篝を余所に、冬は刀から一旦手を離す。暴れる異形をものともせずに、眼球に突き刺さった竹槍を引っこ抜く。

 つ、と移ろった視線は、あまりにも冷たく、そして熱っぽい。

 異形に対する感情は有にして無。ありとあらゆる後ろ向きな感情をない交ぜにした結果、如何とも形容し難く変成した──と表現するのが適切か。

 冬はとん、と軽やかに地面へと着地する。腕をなくした異形が、その華奢な身体を喰い破らんと襲い掛かる。


「冬!」


 思わず篝は叫んだ。冬が呑み込まれてしまうのではないかと思うと、背筋が一気に冷たくなった。

 異形と冬の影が重なる。沈みかける夕日が、一人と一体を橙色に染め上げた。

 どう、と何か大きなモノが倒れる音が谺した。直後に、鉄錆びた液体が地面に染み込んでいく。


「……これで良いのだろう」


 ぐちゅり、とお世辞にも快いとは言えぬ音を立てながら、全身を返り血に染めた冬は異形の体から竹槍を抜いた。どうやら最後は竹槍で止めを刺したようだった。

 冬が無事であったことに、篝は一先ず安堵する。身体中血まみれではあるが、怪我をしているという訳ではなさそうだ。まだ顔を青くさせている村人たちのもとへ歩む冬の足取りはしっかりとしている。

 だが──それでも、篝は素直に異形退治の功を喜ぶことが出来なかった。


(何て──危ういんだ)


 上から下まで、返り血に濡れた冬。勝利したはずだというのに、その姿はあまりにも血なまぐさい。

 ──一瞬でも、其処に一欠片の美しさを感じてしまった己に、篝は人知れず恐怖した。

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