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当然ながら打ち合わせの場所である建物は土足禁止であったため、篝と冬は履き物を脱いで上がった。足袋越しでもわかる程、ひんやりとした床であった。
篝は周囲を見渡そうとして──此方へと向けられる視線を感じ取る。
(あれが──身代わりの舞い手たちか)
だだっ広い建物内部の中央部、其処に三つの敷物が敷かれている。ひとつは使用されていないところから見るに、篝のために用意されたものなのだろう。
残り二つの敷物の上に座すのは、どちらも若い女性だった。──いや、少女、と表現した方が適切だろうか。
「なあなあ、あれが噂の舞い手さんでねがな」
真っ先に声を上げたのは、まだ十代に差し掛かって間もない年頃に見える幼い少女である。
白い肌に、真っ黒な切り揃えられた髪の毛がよく映える。大きな瞳は愛嬌があり、ふっくらとした紅い頬も相まって
彼女はくいくい、と隣に座っている少女の袖を引っ張った。その口調──何処かの方言だろうか──に聞き覚えはなかったが、大方篝たちが来訪したことを伝えようとしているのだろう。
袖を引かれた少女は、伏せていた顔をおもむろに上げる。そして、穏やかな、落ち着いた口調で言葉を紡いだ。
「──それにしては、一人多いようだけれど……。まあ、例外のようだから致し方ないか。護衛でも付けねば、村の者たちも不安なのだろう」
初めに発言した少女に比べると幾分か
艶やかな黒髪をたっぷりと蓄え、結うことなく伸ばしている。座している状態だと、後ろ髪が床に届いてしまいそうだ。面立ちは涼やかで彫りが浅く、古き良き絵巻物に描かれた宮廷女官のようにも見える。
年齢の割りに大人びて見えるのは、年少の少女に向ける雰囲気が慈愛に満ちたものであるからだろうか。伏し目がちなので視線までは読み取れなかったが、少なくとも篝には彼女が年少の少女の面倒を進んで見ているように思えた。
彼女は篝たちの方へ顔を向けると、にっこりと微笑んだ。たおやかなその笑みからは、気品とゆかしさが感じられる。
「こんにちは。お前が、例外として採用された──男の舞い手だね?」
「いかにも。──お前たちも、村祭りにて神楽を舞う舞い手だな?」
「うん、そうさ。──まあ、何だ。立ち話をするのも何だし、とりあえず此方においでよ。護衛の方の分までは敷物がないようだけど、其処は妥協してくれるかな」
目を伏せたまま、少女は座るようにと掌で促した。
特に断る理由もないため、篝は促されるままに空いている敷物へと腰を下ろす。冬も黙って篝の側に正座した。
──と、此処で年少の少女が篝の方へ顔を寄せてくる。無垢な眼差しを向けられて、篝は思わず仰け反った。
「うわあ、どだな人がど思ってだんだげんと、すこだまめんごいずにゃあ。おら、こだな
「おい待て、そう顔を近付けるな! それにお前は何を言っているんだ?」
「何って、兄ちゃんがめんごいって話すてだんだあ。な、な、兄ちゃん、名前さ教えてけろ? おら、かよっていうんだげども──」
「──こら、かよ」
年少の少女は、すっかり篝に興味津々といった様子だった。たじたじになっている篝に詰め寄ると、底抜けにきらきらとした瞳で見つめてくる。
話しかけられること自体は苦ではないものの、何せこの少女は訛りがきつい。早口で、しかも矢継ぎ早に質問を投げ掛けられるとなると、篝としては最早どうしようもなかった。
そ知らぬ顔をしている冬を内心で恨んでいると、年嵩の少女──夜霧と呼ばれていた──が、やんわりとした調子で年少の少女を窘めた。かよ、というのが少女の名前らしい。
「かよ。そのような、追い立てる風な調子で話しかけるものではないよ。相手も困ってしまっている」
「んだけんど、姉ちゃん」
「私たちの方が先にいたんだ。まずは、此方から挨拶をするのが礼儀というものだよ」
優しく注意されたかよは、はあい、と沈んだ声で返事をする。心なしか、その小さな体躯も幾らか萎んで見える。
意気消沈してしまった彼女の頭を撫でながら、夜霧は苦笑しつつ篝たちへ向き直った。
「すまないね、矢継ぎ早に話しかけてしまって。ただ、この子はまだ幼いし、何よりもこのような状況だ。悪気もなかったのだろうし、どうか大目に見てやってくれないか」
「もとよりそのつもりだ。幼子を責め立てる趣味はないものでな。少し驚いただけだから気にするな」
「ふふ、ありがとう。お前は優しいのだね」
子供相手ということもあって語気を和らげた篝だったが、夜霧はそんな彼を揶揄うように微笑む。
「私は夜霧。この子はかよという。何だかんだで舞い手をすることになってしまってね。まあ、同病相憐れむというし、よろしく頼むよ」
「仲良ぐすてけろなあ」
夜霧とかよも篝と同じように村祭りの説明をされていたようだが、彼女たちから悲愴感は感じられなかった。仲睦まじくしている様子は、実の姉妹かと思う程である。
まあ、初対面で悲哀に満ち溢れた顔をされるよりかはずっと良い。彼女たちの境遇に同情する気持ちは強いが、だからと言って全面的に共感することは出来ない。篝と彼女たちは、全く同じ過去を歩んできたという訳ではないのだから。
「俺は篝という。本来ならば男子は舞い手になれんはずだが、今回ばかりは例外のようでな。この通り、男でありながら舞い手を務めることになった。こちらこそ、よろしく頼む。──おい、冬」
「…………」
「……此方は、護衛の冬だ。愛想はないが、いつもこうだから気にしないでくれ」
冬にも自己紹介を促してみたが、無視を決め込むばかりだ。他人というものに悉く興味がないのだろう。結局、代わりに篝が紹介する流れとなった。
普通初対面で挨拶もしない──となると、それだけで悪印象を抱かれてしまいそうである。篝が二人の立場であったら、何だこいつ、と眉を潜めることだろう。
しかし、夜霧とかよは機嫌を損ねることもなく篝の紹介を受容した。ふむふむ、とうなずきながら、夜霧は冬の方へ顔を動かす。
「なるほど、非力な私たちならともかく、麗しくも力のありそうなお前に抵抗でもされたら一堪りもないものね。どうやら幾分か華奢な者のようだが──わざわざ護衛を任されたとなれば、それなりの手練れなのだろう。これは、私たちも下手なことは出来ないな」
「下手なことをするつもりなのか、お前は」
悪戯を仕掛けようと企む悪童のように、夜霧は思案する素振りを見せる。どうやら平然と冗談を言うきらいのある人間のようだ。
呆れ顔で溜め息を吐く篝だったが、彼は夜霧の発言だけに気を取られている訳ではなかった。まったく、と嘆息しつつ、意識は夜霧の顔へと向けている。
(この女──もしや、目が不自由なのか)
夜霧は顔を合わせてからというもの、目を伏せたままである。初めこそ強い光が苦手なのかもしれない──という可能性も捨てきれなかったが、彼女と接しているうちにそれはない、と篝は判断した。
夜霧は時折、鼻をくん、と小さく鳴らす。その後に、彼女は顔を動かす。匂いによって他人の気配を感じ取っているようだった。
きっと、このように近い距離感で話していなければ、すぐに気付くことは難しかっただろう。それだけ夜霧は、自身の抱える壁に順応している。篝には到底真似出来ないことだと思う。
「なあなあ、篝兄ちゃん。少す聞ぎだぇことがあんだけどよ」
思案のうちにあった篝の意識を現へ引き戻したのは、此方を見上げるかよであった。彼女は篝の方へと身を乗り出しながら、あのなあ、と切り出す。
「おらや夜霧姉ちゃんは
「……すまない、この子は何と」
「お前も拐かしの一派を介して此処に来たのか──と聞いているな。私たちは人買いの取り成しもあって、この村に買われた立場だから」
相変わらずかよの言葉は訛りが強すぎてわからなかったが、夜霧の解説によって篝は彼女の言わんとするところを理解した。
篝は拉致という形を取られたが、どうやらこの二人はそうではなかったようだ。
よくよく考えてみれば、たまたま通りかかった人間を無理矢理に拐うよりも、人身売買を生業としている者たちから仕入れた方が効率も良く、身代わりの取り扱いも容易に思える。商品である者たちを選択することも出来るから、篝のように性別を間違えた──ということも滅多に起こらないだろう。
何故、篝だけ拉致という形を取ったのだろうか。それほどまでに人買いたちの商品が気に入らなかったのか。
新たな疑問が生まれはしたが、今はかよの問いかけに答えるのが先決だ。篝は返答を待つかよへと顔を向ける。
「どういった理由があったものかはわからんが、俺は外出していたところを何者かに襲われ、気が付いたらこの村の座敷牢にいた。拉致──拐われた、というのが正しいな」
「拐われだ? そいづはなすて?」
「さあ、俺は村の者ではないからな。しかし、おかげでこのようなことに巻き込まれている。人買いに売り捌かれるのもどうかとは思うが、突然前触れもなく急襲されるというのも堪ったものじゃない」
ふん、と吐き捨てるように篝は語る。
経緯は異なれど、舞い手たちにとってははた迷惑な話である。望んで此処に来たのならまだしも、何の脈絡もなく生贄にされたのでは腹の虫が収まらない。
そんな篝に、かよはんだずにゃあ、とうなずく。
「おらもこだなこどになるどは思ってねえっけがら、篝兄ちゃんの気持ぢはよぐわがっず。まさか生贄になるとか、誰も想像でぎねよ」
「想像出来る方が稀だと思うぞ」
「ははは、それもそうだな。私も、良からぬことに使われる覚悟はしていたが、生贄にされるのは予想外だった」
まともな待遇をしてもらえたのは幸運だったけれど、と夜霧が横から口を挟む。
これまでまともな待遇を受けてこなかったのだろうか──と篝は心配になったが、深追いするのはやめておいた。ただでさえ身代わりとして捧げられるというのに、暗い話を持ちかけては追い討ちをかけるようなものだろう。
そのように考えていた矢先、つん、と篝の肩が控えめに叩かれた。叩かれた──というよりは、つつかれた、と表現した方が適切だったかもしれない。
「……そろそろ打ち合わせだろう。人の気配がする」
振り返ってみれば、相変わらずしかめっ面をした冬がそう告げていた。言葉尻は刺々しいが、触れ方は意外に優しい。
気配などでわかるものなのだろうか──そう篝が疑問に思うのも一瞬のことであった。
ざっ、と耳に入ったのは、恐らく一人のものではない足音。視線を向ける間もなく、彼らは篝が入ってきたのとは別の方向にある出入口から室内へと足を踏み入れる。
「──貴殿らが、此度舞い手を務められる方々じゃな?」
本能的に、篝は感じ取る。この声の主は、ただの村人とは違う──と。
篝の視線の先。神官じみた風体をした者たちで構成された集団の最前に立つ一人の老女は、集められた身代わりの舞い手たちを鋭く見据えた。
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