第二章 伝承

1

 舞い手たちの練習や打ち合わせは、村の中心部からは外れた──山に入りかけたところにある、神殿じみた建物で行われるとのことだった。

 神をまつっているとは言え、それはあくまでも土着のものである。本来ならば神社があるものだが、金峰村では社にて祀るのではなく御神体そのものを崇めているらしい。そのため、村祭りも基本的に屋外で行われるのだと桐花は説明した。


(しかし、説明していた本人が同行出来ないとは)


 目的地までの道を歩きながら、篝は嘆息したくなる気持ちを必死で噛み殺す。

 他の舞い手との顔合わせに行くこととなった篝ではあったが、其処に桐花が同行することは出来ないという。

 何でも、神楽に携わる施設に入ることで何か良くないものを拾ってしまうのではないか──とのことだ。呪いとはそう簡単に──それこそ病気か何かのように伝染するものなのだろうか、と篝としては首をかしげたくなってしまう。

 だが、いくら威勢が良くとも、桐花の発言権は極めて弱い。女子であることも由来しているのだろう。極めて不愉快だわ、と朝に連絡をしに来た桐花は頬を膨らませていた。


「──おい、貴様。何処を見ている」


 その代わりに付けられたのは、昨日知り合った目付きと口の悪い、不思議な髪の毛の色をした使用人であった。

 この使用人は、村内でも話題になる程の腕利きらしい。他に護衛は付けられず、たった二人での道中である。

 少し物思いにふけっていただけでこの言い様だ。お前の前世はいばらか、とも突っ込みたくなる。


「いや、見知らぬ土地だからな。どうにも目移りして敵わん。お前とはぐれないように注意はしておくから、少しは見逃せ」

「言い訳はいらない。鈍足は置いていく」

「お前の前世は茨か?」


 突っ込んでしまった。こればかりはどうしようもなかった。

 しかし、使用人は特に意に介した様子もなく、相槌のひとつも打たずに無視する。

 無愛想だ何だと言われた身だが、そんな篝でもこの使用人にはお手上げである。どのような教育を受ければ、此処まで刺々しい言葉を吐けるようになるのだろうか。是非ともご教授願いたいものだ。


「──そういえば、お前の名を聞いていなかったな。お前、名は何という」


 沈黙したまま歩くのも居心地が悪かったので、篝は当たり障りのない話題を振る。現に、名前を知らないのは呼びにくくて敵わない。

 使用人は、篝の方へ顔を向け──はせず、正面を向いたまま前髪で隠れていない方の目をぱちぱちと瞬かせた。そして、む、と口をへの字にする。


「……私の名など知って、どうするつもりだ」

「そう警戒する必要はないと思うが……。まあ、何だ。特にどうこうするつもりはないが、呼び名が決まらんままでは接しにくくてな。お前とは、顔を合わせる機会も多いだろう? お互いに名を知っておけば、色々な場面で滞りなく事を進められると思ったのだが」

「…………ふん」


 ぷい、と使用人はそっぽを向く。不機嫌極まりないといった顔付きだった。

 ──これは投げ掛ける話題を間違えたか。そう思い、篝が使用人から顔を背けようとした時だった。


「──ふゆ、だ」


 ──ぽつり。

 それは、今にも空気の中に溶けてしまいそうな声であった。この時は隣を歩いていたから幸いにも聞こえたが、もう少し離れていようものなら、篝は使用人の言葉を聞き取ることが出来なかったかもしれない。

 冬。それが、使用人の名前なのだろう。


「ほう、冬──か。ということはお前、冬に生まれたのか?」


 背けかけていた顔を再び使用人──冬の方へと向けて、篝は問いかける。此処で会話を途切れさせるのは、何だかきまりが悪かった。

 冬はいいや、と首を横に振る。


「いつ、どの季節に誕生したかなど、覚えていない。そのようなものを気にする暇などなかったからな」

「親に教えてはもらわなかったのか?」

「親──など。奴等の顔は、とっくの昔に忘却した」


 冬の眉根が寄せられる。あまり良い思い出がないのだろう。

 さすがの篝も他人の家庭環境にまで口出しをするつもりはないので、そうか、とだけ返しておく。人には誰しも、触れられたくない話題があるものだ。軽々しい気持ちで詮索するのは野暮である。


「──篝」


 此処で、冬から篝に声がかけられる。貴様、と呼ばれることに慣れかけていた篝としては、思わず面食らった。


「どうした、急に」

「どうしたもこうしたもない。目的地が見えたから、伝えたまでのことだ」

「目的地……」

「あの建物が、今回集合する予定になっている施設だ」


 す、と冬がある方向を指差す。

 会話に精神を集中させていたためにあまり意識はしていなかったが、気付けば周囲は夏らしい緑に囲まれていた。金峰村が山間部にあるということは熟知していたつもりだが、いざ村と自然の境目を前にすると言葉を失うものだ。特に篝は山あいで育った訳ではないため、雄大な山間部の風景には少なからず圧倒された。

 冬の指差した方向には、比較的大きな茅葺かやぶきの建物が存在している。民家というよりも神社の一角に近い造形だが、鳥居や手水舎てみずしゃがないためか、個の神殿という印象が強い。

 建物の周囲は木々に囲まれており、足下に気を付けなれば木の根につまづいてしまいそうだ。それだけ長い期間、これらの木々はこの地に鎮座してきたということなのだろう。

 冬の前で派手に転倒する訳にもいかないので、篝は注意を払いながら歩く。もしも転ぼうものなら、眉を潜められるか、もしくは何もなかったかのように置いていかれるだけだろう──。


「……っ!?」


 ──と、そのように思っていた矢先のことであった。冬が太い木の根に躓いて、びたん、と盛大に転倒したのは。

 これには、篝も一瞬何が起きたかわからなかった。目を擦りたいのを我慢してから、恐る恐る冬に声をかける。


「ふ……冬……?」

「…………」

「おい、大丈夫か? 怪我はしていないだろうな?」

「…………平気だ。支障はない」


 うつ伏せになったまま、しばらくぴくりとも動かなかった冬だが、返答する気力までは削がれなかったらしい。それでも、これまでよりもうんと低められたその声音は、冬の気分が後ろ向きなところにあることをまざまざと示していた。

 普段の篝なら前を見て歩け、とでも言ってやるところだが、冬の姿を見ていると何となくいたたまれない気持ちがわき起こる。冬が幸薄そうに見えることも起因しているのかもしれない。


「立てるか?」


 やっと顔を上げた冬に、篝は手を差し伸べる。一人で起き上がらせるのは、さすがに気が引けたのだ。

 だが、冬は篝の手を借りずに立ち上がった。ついでとばかりに、眉間の皺をさらに深くして、ちっ、と小さく舌打ちをする。ご機嫌斜めなのは明白だった。

 何ともまあ、可愛げのない。土を払う冬を横目で見遣りながら、篝は嘆息する。


「……歩けそうか?」


 一先ず、怪我の有無は確認しておかなければなるまい。腕を組みつつ問いかけると、冬はこくり、と小さくうなずいた。


「怪我もない。多少膝は痛むが、恐らくは軽度の打撲といったところだろう。軽傷だ」

「それなら良いが……。思いきり頭から転倒したものだから、此方は心臓が掴まれたかと思ったぞ。これほどの転げ方をするとは思ってもいなかったからな。咄嗟のことでは難しいやもしれんが、受け身を取るなり手を付くなりしろ。頭を打ったらどうする」

「体は丈夫な方だ、心配には及ばない」

「……丈夫……?」


 冬の矮躯わいくを前にして、篝は思わず首をかしげる。

 前日にも感じたことだが、冬は細い。細身という言葉で表して良いのかと思う程にほっそりとしている。まともな食事を摂っているのだろうか──と、いらぬ世話を焼きたくなってしまう程だ。

 細身であることは美しく受け取られることもあるが、度を超せばそれは真逆の位置へと置かれる。冬自身はこれで健康体なのかもしれないが、第三者として見る立場としては不健康で不摂生な印象しか与えられなかった。


「……おい、いつまでそうして突っ立っているつもりだ。当初の用件を忘れたか」


 篝としては冬が色々な意味で心配だったが、当の本人はこれ以上転倒の件を引き摺るつもりはないようだ。じろり、と鋭い眼光を篝に寄越す。

 たしかに、打ち合わせに遅れることがあってはならない。遅刻などもっての他だ。

既に歩き出している冬に肩を竦めてから、篝も急いでその線の細い背中を追いかけた。

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