4

 桐花の言った通り、程なくして夕食が運ばれてきた。昨日、苅安が持ってきたものと比較すると、やはり此方の方が豪勢だった。


(生贄にこのようなものを出して良いのか)


 どうせなら、村の民たちの食い物を豪華にしてやれば良いのに──と篝は一時思ったが、せっかく出された食事にけちをつけるのはいくら何でも失礼極まりない。篝は手を合わせると、黙々と食材を口に運んだ。

 食膳を篝の部屋に運搬してきたのは、恐らく桐花と同年代であろう若者だった。

 使用人、と桐花は言っていたが、女中のようには見えない。──いや、そもそも性別すらはっきりとしない。

 後ろ髪は短いが、前髪は此処しばらく整えていないのか伸ばしっぱなしである。辛うじて右目は見えるが、左目は髪の毛に隠されて全く見えない。肌は青白く、目の下にはくまが浮かび、細い手足は今にも折れてしまいそう。見るからに不健康、といった見てくれをしている。それでも身長はひょろりと長く、並べば篝と同じくらいはありそうだった。


(珍しい色の髪の毛だな)


 出された食事を嚥下えんげしながら、篝は気取られないようにと気を配りつつ使用人を観察する。

 その使用人の髪の毛は、不思議な色合いをしていた。光の当たり方によっては緑がかって見える。肌の青白さとも相まって、使用人を人ならざるモノであるかのようにも思わせる。

 しかし、髪の毛の色合いは珍しくあるものの、それ以外の点に関しては人以外の何物でもない。多少見た目が変わっていたとしても、それだけで人間扱いをしないというのは、あまりにも傲慢が過ぎる。


「──何か?」

「……!」


 知らず知らずのうちに、凝視してしまっていたのだろう。使用人が片目を細めて、胡乱げに此方を見返していた。わかりやすく不審がられている。


「いや、お下がりにならないのだな──と」


 言い訳を考える暇もなかったので、篝は正直に考えていたことを伝えた。

 普通使用人というものは、用事が終わればすぐに下がるものである。しかし、この使用人は篝が食事を終えるまで其処を動かない──とでも言うように、彼の真っ正面に座って食事の様子を見つめている。不機嫌そうな、鬱屈とした表情で。

 昨日に引き続き、この村ではやたらと人の食事の様子を見るものだ──と篝は思う。苅安には言いたいことが言えたが、此処は村長の家ということもあって余計に落ち着かない。気を遣わなければ、またあの座敷牢に押し込められそうだ。

 使用人は、ますます表情を曇らせた。曇った、というよりは、余計機嫌が悪くなった──と表現することが的確だろう。

 もともと深く刻み込まれていた眉間の皺を一層深めながら、使用人はぼそぼそと答える。


「……上から、食事が終わるまで下がるな──と言われている。貴様は何を仕出かすかわかったものではないからな」

「き、貴様ってお前な……」


 たしかに、篝は人質のような立場だ。偉そうなことを言えた身分ではない。

 しかし、まさか使用人に貴様、などと呼称されることになろうとは思いもしなかった。この家の使用人教育はどうなっているのだろうか、と篝は頭を抱えたくなった。


「目障りならばそうと言え。私は貴様にこれといった感慨を抱かない。不満があるならば、後で長にでも言い付ければ良い」


 対する使用人には、微塵も反省した様子が見受けられない。肝が据わっている──というよりは、初めから他人との馴れ合いに対して雑なようだった。

 篝も他人のことを言えた身分ではないが、これは多少てこ入れをしなければ人前には出せないのでは──と危機感を覚えた。この調子では、客人だけでなく桐花たち村長の一族にも無礼な物言いをしかねない。──いや、もうしているのかもしれないが。

 臆してなるものか、と篝は自分に言い聞かせる。これもまた試練のひとつかもしれない。村長が敢えてこのような物言いを使用人に命じている──という風には見えないが、いちいち動揺していては身が持たない。

 こほん、と篝は一度咳払いをした。気を取り直して、使用人に向き直る。


「──いや、むしろこの場にいてくださることはありがたい。俺は海沿いで暮らしていたものだから、山の料理には慣れていなくてな。もし食べているものが体に合わず倒れるようなことがあれば、どうしたものかと考えていたんだ」

「ふん」

「返事!」


 此方が話せば生返事を寄越され、己の語り口は傲岸不遜ごうがんふそん。それがこの使用人の基本的な態度のようだ。

 これには篝も思わず突っ込んでしまう。この使用人を指導する立場にある訳ではないが、これは何とか直さなければならない──という気がして仕方がなかった。

 使用人は鬱陶しそうに篝を見る。やかましい奴、と右目が物語っていた。


わめいている暇があるのなら、飯でも食ったらどうだ。食う気がないのなら取り下げるが」

「お前……口が悪いとか、そういったことで叱られることはないか?」

「……? 何故私が物言いで叱責されなければならない? 私は接待のためにいるのではないというのに」


 疲れきった表情で篝が問いかけると、使用人は純粋な疑問を覚えている、とでも言いたげに首をかしげた。

 ──ということは、この使用人は身の回りの世話のために雇われたのではないのか。


「では、お前は何を仕事としているんだ? 使用人と言えば、家人の身の回りの世話や、屋敷の管理といったことを請け負っている印象があるものだが」


 あまり深入りするつもりはなかったが、篝はこの使用人に幾分か興味が湧いていた。──勿論、好奇心ではなく、むしろ案じる風が強めの興味である。

 使用人は幾分か不機嫌そうな表情を弛めて、そうだな、と切り出す。


「用心棒、と表すのが最も適切かもしれない。この村は山間に所在しているから、獣が下りてくることも少なくはない。以前は珍しかったようだが、近頃は頻繁に熊や猪が下りてくる。そういった獣の駆除や、賊の始末を請け負っている」

「なるほど、武を生業なりわいにしているんだな」

「私には、これしか売るものがないからな」


 食い扶持ぶちが稼げるのなら何でも良い、と使用人は素っ気なく言った。


「しかし、野生の獣を仕留めるには大変な苦労をすると聞いているぞ。狩りのように此方から仕掛けるのではなく、況してや駆除となれば尚更だろう。俺は武術に関してはからきしだから、偉そうなことを言う権利はないが……」


 使用人の態度はどうであれ、その営みは篝が敬意を抱くに値するものであった。

 危険と隣り合わせにありながら、村を、民を、その細腕で守り通す。言葉にすることは容易だが、実際にやるとなれば数多の障害や苦難が立ち塞がるものであろう。

 職業に年齢を持ち込むのは無粋だ──と考えないこともない。しかし、この時ばかりは若いのによくやっている、と篝は率直な感想を抱いた。使用人の実年齢は不明だが、その仕事に尊敬の意を持ったということが伝わればそれで良い。

 口喧しい相手から突然称賛じみた言葉をかけられたことに、使用人は少なからず驚いたらしい。目をぱちくりとさせてから、不思議そうな声色で話す。


「……そのように評価されるものではないと思うが……。私を褒めたところで、貴様に与えるものはないぞ」

「見返りが欲しくて言った訳じゃあないさ。お前の態度や物言いはどうかと思うが、生業に関してはまた別だ。ただ素直に感心した──というだけでは不満か?」

「不満はないが、不可解なだけだ。貴様は酔狂なのだな」


 相変わらずの無遠慮な物言いだったが、先程までの刺々しさは幾らか緩和している。何となくだが、篝はこの使用人の感情の起伏を掴めるようになっていた。


(恐らく、この使用人は他人から褒められることに慣れていないのだろう)


 不思議そうに瞬きをしている使用人を、篝は注視する。

 この使用人が、どのような扱いを受けてきたのかはわからない。だが、つんけんとしている割りに、その反応には初々しい部分もある。篝には、集団の中に初めて放り込まれ、他人との関わり合いを知らない無垢な童子のようにも見えた。

 苅安のように気味が悪い──とまではいかないが、奇妙な人物である。


「──そういえば、貴様は神楽を舞うのだったな」


 食事に再び手を付けていると、唐突に使用人が話しかけてきた。

 あちらから話を切り出されるとは思っていなかったので、篝は驚いたように顔を上げる。無駄話を好まない人物のように見えていたが、案外そうでもないようだ。


「ああ、代理でな。当日までどうなるかはわからんが」


 この使用人が何処まで事情を知っているかはわからないので、篝は簡潔に答えた。お前の主人たちの命令で、無理矢理拉致されてきたのだ──とは口が裂けても言えない。

 使用人は、そうか、と短く返答した。片方しか見えぬ瞳が、篝を上から下まで眺め回す。


「貴様、この村の神事に関しては把握しているか?」

「いいや、まだ大まかなことしかわからんよ。俺はこの辺りに住んでいる訳ではないからな。後でと──ご息女にでもお聞きしようと考えている」


 桐花、と呼び捨てにしそうになったところを、直ぐ様訂正する。無礼と思われては一堪りもない。

 ふうん、と使用人が相槌を打つ。品定めでもしているかのような目付きだ。


「お前は教えてくれないのか?」


 試しに、篝は使用人へそう問いかけてみた。

 次の食事の際も同じ者が訪れるとは限らないが、どちらかと言ったら顔見知りに説明してもらった方が手っ取り早い。桐花と長時間共にいれば、村人たちに怪しまれるということもある。

 しかし、使用人はすぐに眼光を鋭くした。それが否定の意を示していることがわからない程、篝も愚かではない。


「私からは何も言えない」

「そうか。しかし何故」

「私も、この村の信仰には無知だからな。むしろ此方が教えて欲しいくらいだ」


 このような立場故無理な話だが、と使用人は締め括る。何かを隠し立てしているようには見えなかった。

 この村の神は、信仰する者を選別するのだろうか。それとも、使用人自身に何らかの事情があるのか。

 どちらにせよ、篝には関係のないことだ。それゆえに、彼はそれ以上詮索をすることはなかった。

 そうこうしているうちに、篝は出された食事を全て食べ終えてしまった。使用人に対しては慣れぬ食材だと言ったが、どれも大層美味な一品であった。身代わりという立場ではあるが、食事という楽しみが出来たことは幸いである。


「では、私は此処で。明日、頼まれれば再び貴様のもとへ向かうだろう」


 使用人はてきぱきと空になった食器をまとめてから、食膳を持ち上げる。

 そのまま素っ気なく立ち去ろうとした背中に、篝はおい、と声をかけた。無視されるのもやぶさかではなかったが、使用人は襖に手をかけたまま律儀に振り返る。


「何だ。私に言いたいことでもあるのか」

「俺の名は篝という。いつまでも貴様と呼ばれているのは気分が良くないからな。せめて名くらい覚えて帰ってくれ」

「……ふん。暇があれば覚えておいてやる」


 にこりともせずに、使用人は襖を閉める。最後まで、使用人とは思えぬ口振りであった。これは一度桐花に物申さねばなるまい──と、篝は人知れず肩を竦めた。

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