3

 間ノ瀬家、というのがこの村を仕切っている長の一族らしい。


 篝の身柄は、当分の間この間ノ瀬家に預けられることとなった。いつまでも座敷牢に置かれているのは篝とて本意ではないので、まともな家に居場所を与えられたのは万々歳である。

 村長は初めこそしらばっくれていたが、篝を身代わりの舞い手にしようとする姿勢は苅安の言葉通りだった。少し煽って様子を窺ってみたが、今のところ篝の息の根を止めるつもりはないようだ。


(“神楽舞で死ぬかもしれないから”、此処で殺すような真似はしないのだろうな)


 一先ず、村長が話の通じない人間でなくて良かった──というのが篝の感想である。村人の中にはやたらと余所者に敏感な者もいるようだが、村長の家にいる限り危害を加えられることはないだろう。

 着替えも用意してもらい、すっきりとした気分で宛がわれた部屋にて寛いでいると、とんとん、と襖が控えめに叩かれた。来訪者がやって来たようだ。


「どうぞ」


 断る理由もないので、そう返事をする。

 少し間を置いて、失礼致します、とご丁寧に声をかけてから襖が開いた。声の調子からして、篝とそう年齢の変わらない女性であろうことが窺い知れた。

 顔を覗かせたのは、まだ二十歳にも満たないであろう少女だった。日に焼けていない肌は白く、陶磁器のように滑らかである。やや痩せているが、そのほっそりとした体つきは人形を思わせる可憐さだ。真っ直ぐな長い髪の毛は、横側の髪の毛だけを後ろでまとめていた。

 何処かで見覚えのある顔だ、と篝は思った。そうしている間にも、少女は襖を閉めて入室し、ぺこりと頭を下げている。


「この村の長が孫娘──間ノ瀬まのせ桐花とうかと申します。この度におきましては、貴殿の世話係を仰せつかりました。何卒よしなに」


 村長の孫娘──と口にされて、篝はこの少女が先刻集会場の上座に座していたことを思い出した。村長としか話さなかったので、その他の人物に関しては忘れかけていた。

 世話係──というと、村祭りの彼是を指南する立場にあるのだろうか。村長の孫娘ということもあるし、この村の祭事に関しては詳しいのかもしれない。


(それに何より──もともとの神楽の舞い手である可能性が高い)


 村において重要な位置を占める神事。それは、決して疎かにして良いものではなかろう。

 あくまでも憶測に過ぎないので決め付けはしなかったが、一先ず篝はこの桐花という少女をもともとの舞い手と仮定した。詳細な部分は、これから少しずつ聞いていけば良い。

 居住まいを正し、篝は桐花を見据える。桐花の喉がごくりと動いた。緊張しているのだろうか。


「俺は篝という。この村に関しては昨日の今日に来たばかり故、至らない点もあるだろうが──無知なりに、最善を尽くしていくつもりだ。こちらこそ、よろしく頼む」


 つ、と三つ指をついて一礼する。礼儀作法は幼少の頃から叩き込まれてきたため、それなりの見映えにはなっているはずだ。

 篝の一挙一動を、桐花は食い入るようにして見つめていた。こうも凝視されるとは思っていなかったので、篝としては居心地が悪い。


「……篝さん、あなた、本当はこんなところに来るべきではなかったのかもね」


 ──ぼそり。

 その呟きは、たしかに篝の耳に入った。何処か遠くを見つめながら言うような──感傷のこもった言い様であった。

 篝はおもむろに表を上げる。桐花の白い顔を注視しながら、彼女に問いかける。


「こんなところ、とは随分な言い様だな。あなたはこの村を治める立場にある、長の血筋なのだろう? 故郷を中傷しては、村長殿に咎められるのではないか?」

「咎めやしないわよ。どうせ、お祖父様は私のことなど嫁入りのための道具としか思っていないのでしょうから。私の意見なぞ、端から聞いてくださるはずがないわ」


 ぷい、と桐花はそっぽを向く。

 可憐な見た目をしてはいるが、感情表現はかなり素直だ。顔立ちと表情が不釣り合いなことこの上ない。


「この村は典型的など田舎なのよ。外界との繋がりを持ちたがらないし、余所者というだけで忌避する人ばかり。昔からの因習に縛られ続けて、新しいものには見向きもしない。頭の硬い年寄りばかりが村を取り仕切っているから、やること為すことがどれもこれも古くさい。──そんな村、私は好きになれないわ。今すぐにでも出ていってやりたいくらい」


 楚々とした顔立ちのまま、桐花はとげのある口調で愚痴を吐き出す。此処でしか愚痴を吐き出すことが出来ない、とでも言うように。

 ようやく一息ついた桐花に、篝はつい、と視線を遣る。桐花は怯えたようにびくりと肩を揺らした。


「俺の前でそのようなことを──聞かれてはならないような発言をしても良いのか? あなたのお祖父様に言い付けてしまうやもしれんぞ」

「あら、出来るの? お祖父様はきっと、あなたのところには近付かないわよ。あの人、基本的に出不精でぶしょうだから」


 ふふん、と桐花が胸を張る。本人がいないのを良いことに、祖父に向かって言いたい放題である。

 ──この少女、ただの箱入りではない。

 篝は桐花に対する見識を改める。これはそこそこのお転婆娘に違いない。

 得意気な桐花を、篝は挑みかかるように見る。いつまでも好き勝手言わせていては、何処の誰に聞かれているかわからない。早いところ収拾をつけなければ。


「そのようなことを言っておいて、俺を陥れる算段ではあるまいな? いきなり部屋にやって来たかと思えば、此方が頼んでもいないのに村の愚痴。何か企みがあるのなら、俺を巻き込むのはおすすめしないぞ。何せ俺には何の力もないのだからな」


 ふん、と強気に言い放つ。相手が少女であろうと、全くもって容赦のない語気である。

 桐花は、きょとんとして数秒間沈黙した。──が、篝の言葉はすぐに噛み砕けたのだろう。みるみるうちに、彼女の頬は膨らみ、眉はつり上がる。


「酷い! 私のことを疑うのね! お会いしてから四半時も経ってないのに!」

「当たり前だろう。出会って間もない人間のことを、そう易々と信用出来るものか。此方は好き好んでこのような山あいにやって来たという訳でもないのに……」

「た、たしかに、いきなり拉致されて、見ず知らずのど田舎に連れてこられたのなら、何もかもを疑ったって道理だわ。しかも怪しげな祭りに、半ば生贄のような形で参加させられるというのだから、人間不信になるのも当然でしょう」


 桐花は、少なからず篝の身の上を憐れんでいるらしい。篝からしてみれば余計なお世話だが、彼女の発言によって苅安の言葉に偽りはなさそうだということは理解出来た。


(やはり──この村の祭りでは、毎回人死にが出るのだな)


 村長たちはあくまでも“行き倒れていたが故に助けた”という大義名分を掲げたいようだが、事前に事情を知らされていた身としては、彼らの下心が丸見えだ。村の者を犠牲としないために、たまたま目についた篝を拐ってきた──という話の信憑性が、凄まじい勢いで高まっていく。

 巻き込まれた立場の篝としては恨めしいことこの上ないが、彼らにも守りたいものがあるのだろう。一概に批難すべきではない──と思いつつも、村長たちに対して同情するつもりは皆無だった。

 篝でなくとも、己が身を危険に晒されるとなれば、誰だって恨み言のひとつやふたつは言いたくもなる。言わない努力をしているだけ、感謝して欲しいものだ。

 閑話休題。篝から疑惑の目を向けられた桐花は、やけに自信満々な様子で彼を見遣った。


「でも安心してちょうだい。お祖父様や村の頭でっかちたちはともかく、私はあなたや──あなたと同じように、望まずしてこの村に連れてこられた者たちを死なせるつもりはないわ」

「簡単に言ってくれるがな。この問題は、二十年近くに渡って続いていると聞き及んでいる。余所者の俺が言うのも何だが、相当な因縁がある案件なのではないか? ただの人にどうこう出来るものとは思えんが」

「うふふ、そう思うでしょう? でもね、私ったら幸運だったの。この村のことを何とかしてくださるお方に出会えたのよ」


 ついこの間のことなのだけれど、と桐花は付け加える。


「だから、近いうちに祭りで起こる問題を解決していただけるかもしれないの。信じられないかもしれないけれど、本当のことよ。あまり口外してはいけないと言われたから、詳しいことはまだ話せないけど──」

「待ってくれ。その……何とかしてくださるお方というのは、一体誰のことだ? 如何わしい詐欺師に騙されているのやもしれんぞ」

「まあ、失礼ね! ちゃんと信用出来るお方ですっ。でも、今はまだお話し出来ないわ。あなたが信用に足る人物か、見極めなくてはならないのですもの」

「見極める以前に、このような話をしている時点でどうかと思うが……」


 疲れきった表情で、篝は桐花の面前ということも憚らずに溜め息を吐く。

 この少女の言うことは詳細に欠ける。ついでに言えば、わざわざ篝に接触を図る理由もわからない。大方、人質のような立場であるから、それを利用して何らかの協力を求めようとしているのかもしれない。

 苅安には食事を与えられたという恩義があるが、この桐花という少女自体には特にこれといった恩義はない。勝手にやって来て、ぺらぺらと話し始めただけなのだ。何の理由もなく出会ったばかりの人間に手を貸せる程、篝もお人好しではない。

 篝の胡乱げな視線を感じ取ったのだろう。桐花は不満そうに眉根を寄せる。


「あのね、疑わしく思われるのは承知の上だけれど、私たちは協定を結ぶべきだと思うの」

「協定?」

「そうよ。あなたは無事にこの村から帰還したいでしょう? 私にもね、あなたには及ばないけれど果たしたい目的があるの。お互いの目的のために、此処は協力し合うべきだと思うのよ」

「たしかに、俺はこの村から一刻も早く帰還したいが……。そもそも、お前の目的とは何だ? 村祭りを無事に、何事もなく終わらせるということだけがお前の目的ではないのか?」


 篝の問いかけに、桐花の目はわかりやすく輝いた。よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりの表情だった。


「私はね、この村を出たいの」

「……それは何故」

「だって、つまらないのですもの。こんなど田舎で出来ることなんて、ごく限られたものだわ。皆変わり映えのしない、型にはまった生活ばかりしているから、頭も硬くなるのよ。少なくとも私は、村の大人たちのようにはなりたくないわ」


 桐花の語り口には熱がこもっていた。演技とは思えない程、感情という感情が内包された言葉の数々が、篝の目の前で紡がれていく。

 握り拳を作りながら、桐花は続ける。


「でも、きっと今のままじゃ、私はこの村から出ることなんて出来ない。それどころか、誘拐犯に落ちぶれた大人たちに囲まれて、彼らの言いなりになって一生を終えなければならないんだわ。そんなの厭、絶対にいや! 誰かを身代わりにしてまで、こんな因習で凝り固まった村なんかにいたくはない!」

「……そのために、今回の祭りを犠牲なく終わらせ、村を出る口実を作ろうと?」

「そうよ! 篝さん、集会場にいた時から思っていたのだけれど、あなたってとても聡いのね!」


 ぱっ、と桐花は満面の笑みを浮かべる。くるくるとよく表情が変わる女だ、と篝は内心で勝手に評価を下した。

 桐花自身の言動はどうあれ、彼女の言いたいことは篝にもわからなくもない。

 多少早計なところもあるが、恐らく桐花は聡明だ。新し物好きで外界への興味を持てるだけの知的好奇心も兼ね備えている。そんな内面を、少なくとも集会場にいた時には感じさせなかったという点から考えてみても、己を律する理性があると判断して良いだろう。

 一先ず、篝はこの少女を信用してみることにした。見たところ何か良からぬことを考えているようには見えないし、裏表もなさそうだ。これで騙されたのなら、彼女は相当な役者である。その時は見抜けなかった己を責めるとしよう。

 篝は桐花に向き直る。真っ正面から篝の顔面を拝むことになった桐花の唇から、ひゅ、と息を吸い込む音が聞こえた。


「……あなたの為さんとするところはわかった。俺としても、この村からは無事に出たい。お互いに目的達成のために助け合い、決して陥れず裏切らないと約束するのならば、少しは手伝ってやらんこともない」

「とても曖昧な言い方をするのね。やっぱり、全面的に信用する気にはなれない?」

「当たり前だろう。こういう話は、それなりの手順を踏んでからするものだからな」


 ぴしゃりと撥ね付けるように言った篝だったが、それに対して桐花が反論することはなかった。

 そうよね、と彼女は呟く。唐突に話を進めたことに関しては、桐花なりに自覚を持っているようだった。


「たしかに、事を急ぎすぎた風はあると私も思うわ。でも、私にとってこの村は檻のようなもの。だから、こんな風に気軽にお話し出来る相手なんていないの。皆無よ、皆無。お友達の一人もいやしないの、私には」

「まあ、たしかに年寄りしかいなさそうだからな、この村は。同年代の友がいないというのも致し方あるまい」

「そういうことじゃなくてよ! 若者はそれなりにいるわよ! ただ、外に出たい、なんて言える相手がいないだけ!」


 勝手に高齢化を進行させるのはやめてくださる、と桐花は再び膨れっ面になる。


「とにかく、これで私とあなたは同じ目的を介する同胞よ。絶対、絶っっ対に、お祭りを成功させましょうね」

「無論だ。──その代わり、この村に関しては色々とご教授いただきたい。今の俺には、情報が少なすぎる」

「わかっています。私も全知全能とはいかないけれど、この村のことならわかる範囲で教えてあげるわ。だから、私にもお外のことを教えてね」

「なるほど、等価交換か。そういうことなら、教えてやらんこともない」

「もう、篝さんってば、どうしてそう上から目線なのかしら」


 私、こう見えてもお嬢様なのよ、と桐花は腰に手を当てた。その仕草は些か幼げだったが、これまでの彼女の言動を鑑みると不自然なものとは思えなかった。

 よいしょ、と呟いてから桐花は立ち上がる。この辺りで退室するつもりのようだ。


「それじゃあ、私はそろそろおいとまするわ。あまり長居していたら、お祖父様やお母様から変に疑われてしまいそうだし。──あ、この話は他言無用で頼むわね。誰かに話したら承知しないわよ」

「わかっている。俺とて、自ら好き好んで墓穴を掘るような真似はせんよ」

「うふふ、頼りにしているからね。──そうだ、お祖父様に聞いたら、この間取り図に書いてあるところまでは移動して良いらしいわよ。迷わないように、しっかり確認しておきなさいな」


 ついでと言わんばかりに、桐花は懐から折り畳まれた紙片を取り出す。それは何よりも重要なのではないか──という突っ込みは、野暮というものだろう。

 何かあったらまた呼びに行くから、と告げて、今度こそ桐花は退室した。襖を閉めてから密やかな足音が聞こえなくなるまで、篝はじっと彼女が出ていった方向を凝視していた。

 きっと、桐花はこの部屋を出た瞬間から、また楚々とした村長の孫娘へと戻るのだろう。天真爛漫で、くるくると変わる喜怒哀楽のはっきりした少女は、なりを潜めるに違いない。

 桐花から手渡された紙片を、篝はおもむろに開く。今しがた記したものなのだろう、仄かに墨の香りが鼻先をくすぐった。


「……飯を食べ終わったら、少し散策してみるか」


 ある程度行動の自由が与えられたのは、篝としてもありがたいことである。ずっとこの部屋に押し込められたままでは、座敷牢とそう変わりない。

 篝は間取り図を再び折り畳み、懐に入れる。己が前途を憂いていはしたが──じゃじゃ馬娘こと桐花と出会えたことに、多少の満足感を覚えたのも、また事実であった。

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