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 金峰みたけ村は山あいにあるとは言え、この季節となると日が昇った時点でそれなりの暑さを感じるものである。


 代々この村の長を務める一族──間ノ瀬まのせ家の一人娘である桐花とうかは、鬱屈うっくつとした思いで座していた。


 事の発端は今月に行われる、三年に一度の村祭りである。


 この祭りでは、この村に祀られている土着の神のため、村の若い未婚の娘が神楽を舞わなければならない。この神楽は神への崇敬を示すための儀式であり、決して欠かすことの出来ない神事であった。

 しかし、此処二十年程前からだろうか。神楽の舞い手である娘たちが、次々と不審な死を遂げるようになったのだ。

 ある者は身体中の骨を折って。ある者は家財の下敷きとなり。またある者は、四肢をもぎ取られた状態で、苦悶の表情のまま息絶えていた。


 死因は異なれど、彼女らには共通点があった。それが、神楽の舞い手だったということである。


 初めは、村人たちも偶然だろうと考えていた。しかし、死ぬのは神楽の舞い手に限られているし、彼女ら以外は死なないのだ。原因が神楽舞にあると誰もが判断するまでに、そう時間はかからなかった。

 それからというもの、村人たちにとって祭りの神楽舞は生贄の選出という意味合いを持つようになった。誰も、見知った村人の娘を惨たらしく殺されたくなどない。いつしか、祭りは祝いの日から呪いの日へと形を変えた。

 去年までは、村の娘によって神楽舞が行われていた。しかし、舞い手は皆一様に死ぬのだ。どのような対策を取ろうと、初めからそうと決められていたかのように。

それゆえに、村人たちはどうにかしてこの村の中から犠牲者を出さないための方法を見つけ出そうとした。


(その結果が、人拐ひとさらいだなんて)


 ──いくら自分たちの身を守るためとは言え、ついに醜行しゅうこうに及ぶか。

 苦肉の策を打ち出した村の重鎮たちを、桐花は心の底から軽蔑した。そのような悪事に手を染めなければ、村を守ることさえ出来ないのか──と。

 しかし、桐花には彼らに文句を言う権利などない。村人たちは、他ならぬ桐花たちを守ろうとしているのだから。

 ただでさえ人口の少ない、細々とした村だ。若い娘、しかも未婚となると、当然限られたものである。

 最近は世の中が乱れたということもあって、敢えてひなびた土地に逃れてくる者も増えたようだが──それでも、祭りのための犠牲になれとは言えない。そういった訳で、たとえどのように死のうと構わない、村とは何の関わりもない人間を拐ってくることに決まったのだという。


 だが、その身代わりの舞い手に何やら問題があったらしい。


 拉致してきた娘は地下にある座敷牢に入れておいたはずだったのだが、今朝様子を見に行った村の若い衆がひどく慌てて村長宅に駆け込んできた。桐花に詳しいことはわからないが、どうしても村長たちが関わらなければならない程の大事のようだった。

 本音を言うとあまり関わりたくなかったのだが、桐花にも立場というものがある。村長である祖父に言われるがまま、こうして村の集会場へと足を運んだ。

 身代わりの娘に、何処までこの村の事情が伝えられているかはわからない。どうか何も知らないでいてくれ、と桐花は密かに思った。

 身代わりの娘は、きっと己を盾にしたこの村の者を恨むだろう。その矛先は、絶対に本来の舞い手──桐花にも向くはずだ。桐花は、それが恐ろしくて堪らなかった。

 情けないことを言っているのは、桐花とて重々承知している。しかし、誰かから直接負の感情を向けられたことが、桐花は極めて少ないのだ。それでいて、周りの大人たちのいざこざを頻繁に見ているものだから、そういった視線に対する恐怖だけが無駄に育ってしまった。

 どうか、私の方を見ないでくれ。そう願いながら、桐花はうつむく。身代わりの娘の顔を、直視したくはなかった。


 ──と、此処で集会場がざわめきに包まれる。


 嗚呼、身代わりの娘がやって来たのだ、と桐花は思った。祖父や大人たちの話を聞き流していたから、正直な話どのような状況にあるのかを彼女はさっぱり把握していなかった。


(……けれど、こうも騒がしくなることなんてあるのかしら)


 たしかに、この場には村の重鎮が集められている。辺境の村とは言え、それなりの人数が集っているはずだ。

 だが、こうまで騒ぐことがあろうか。其処まで身代わりの娘に問題があったのだろうか。

 怖がっていたとは言え、桐花も本来ならば好奇心旺盛な十七の娘である。引っ立てられてきた身代わりの娘に対する興味を、抑えられない訳がなかった。

 ちら、と桐花は視線を少し上げる。あくまでも様子見だ、と己に言い聞かせ──ることは、出来なかった。


(──なんて、こと)


 この時、桐花はうつむけていた顔を上げざるを得なかった。まじまじと見なければ、後で絶対に後悔をするとさえ思った。

 身代わりの娘は、それだけ──この場に集められた誰もが驚嘆する程に、美しかったのだ。

 女性にしては背が高くすらりとしていたが、それが一層彼女のたたずまいを気高く彩っている。やや赤みがかった茶色の、絹糸のようにさらさらとした髪の毛は無造作に結われているだけだが、かえってその無造作さが独特の色気を醸し出しているようにも見える。

 そして何よりも、その顏の美しさといったら、桐花が一瞬にして己を井の中の蛙と悟ってしまう程の代物であった。

 きめ細やかな肌は、白くありながらも健康的な赤みがある。小ぶりな唇はうっすらと程よく色付き、それが生来のものであることを象徴している。長く、それでいてくるりと上を向いた睫毛に縁取られた瞳はつんとつっており、やや刺々しい印象を与えるが、その近寄りがたささえ娘の美貌に拍車をかけていた。

 これは問題にもなるはずだ、と桐花はしみじみ感じた。何の手違いで連れてこられたかは知らないが、このような逸材を生贄にしてしまうなど、勿体ないにも程がある。

 村の若い衆に付き添われた娘は、指定された場所まで堂々たる足取りで歩んだ後、流麗な仕草で腰を下ろした。座るだけで様になる人間を、桐花は初めて見た。

 娘はじろり、と周囲に視線を走らせてから、恭しく一礼する。その一挙一動さえも、桐花には一種の美術品のように見えた。


「……面を上げなさい」


 重々しく口を開いたのは、桐花の祖父──すなわち、金峰村の村長である間ノ瀬伝三まのせでんぞうである。彼は娘の美貌にも動じていないようだった。

 村長からの指示を受けた娘は、す、と顔を上げる。

 大輪の花を思わせるその面立ちを目にする度に、桐花は心臓を鷲掴わしづかみにされているかのような感覚を覚えた。


「──貴殿が、この土地の長か」


 娘が口を開く。臆せず、屈せず、凛とした、おおよそ無理矢理に拉致されてきた人物とは思えぬはっきりとした物言いだった。

 その瞬間に、ざわざわとざわめいていた集会場が、刹那のうちに沈黙に包まれた。誰も彼も──勿論桐花も含めて、村人たちは唖然とする他出来なかった。


(な──この方、まさか──)


 桐花は息を飲む。言い様もない衝撃に襲われた身体は、びりびりと痺れて動かなかった。


 拉致されてきたのは、あまりにも美しい顔をした──男であったのだ。


 これは問題にならざるを得まい。桐花はこうして集会場へ村の者たちが集められた理由に、やっと得心がいった。

 いくら美しく、綺麗な面立ちをしていると言えども、村祭りの神楽を舞うのは未婚の若い娘と決められている。そのしきたりが破られたことは一度としてなく、また犠牲になるのも舞い手たる若い娘ばかりであった。詰まるところ、神によって求められるのは、年若く瑞々しい生娘というのが正道とされてきたのだ。

 だが、連れてこられたのは男だった。声変わりしているところから見ると、既に元服を済ませるべき年齢なのだろう。


「……いかにも。儂が、この村の長じゃ。お主の名は──」

「──それは、お伝えしたところで双方の利となり得ましょうか」


 驚愕のあまり放心したり、呆然としたりしている村人たちを他所に、村長と身代わりの舞い手たる青年は会話を進めている。

 青年は真っ直ぐに村長を見据え、毅然とした物言いを崩すことはなかった。折れるものならこの心を折ってみるが良い──とでも言いたげな、挑むような目付きであった。

 この青年であれば、おぞましい殺戮にも屈することはないかもしれない──と、桐花は一瞬でも希望を抱いてしまった。軽々しく言えたことではないとわかってはいたものの、そう思える程、青年の威風堂々とした立ち振舞いが小気味良かったのだ。

 さすがの村長も、青年の発言に一瞬なりとも気圧されてしまったのだろう。ぐ、と口をつぐんだ瞬間を、青年は見逃さなかった。


「この村の祭りに関しては、関係者よりある程度聞き及んでいます。何でも、三年に一度行われる村の神事において、神楽舞を担う娘たちが次々と不審な死を遂げる──とか。村の娘たちが犠牲者となることを防ぐため、こうして自分のような──この村とは関係のない人間を拐い、舞い手にしようとお考えになったのですよね」

「さ……拐う、というのは人聞きが悪い。我々は、この山で行き倒れていた者を保護することはあれども、無理矢理に拉致するような真似はせぬ。それに、連れてきた者を舞い手にするなど、そのような話を誰から聞いた? お主を舞い手にするなど、我々は一度たりとも口にしてはおらぬがの」

「誰から──ですか」


 ふむ、と青年はおとがいに手を添える。そして、ぐるり、と周囲を見回してから──全く悪びれる様子もなく言い放つ。


「この場にいる者ではありませんから、わかりかねます。生憎、まともな名も聞いていないものでね。村人を総ざらいすれば、わからないこともないでしょうが」

「でっ──出鱈目でたらめだ!」


 いけしゃあしゃあ、といった様子で告げた青年を、集められていた村人の一人が指を差して弾劾する。

 一人が言えば、誰もがそれに乗っかって増長するのが村というもの。村人たちは、頻りにわあわあと青年を詰り始めた。


「あの地下牢は、限られた者しか入れなかったはずだ! この中にいないとなれば、それは寄合に集められることもない者じゃないか! そんな者が、あの地下牢に近付けるはずがない!」

「もしやこいつ、金でも渡して村の者を手懐けたんじゃ」

「最初から村祭りを台無しにするつもりで忍び込んだんじゃねえだろうな」

「取っ捕まえろ! 拷問にかけて、洗いざらい吐かせるしかねえ!」

「──やめんか、見苦しいッ!」


 聞くにも堪えない怒号の嵐に思わず耳を塞ぎたくなった桐花だったが、村長の一喝によってその場には再び沈黙が戻った。

 このような中にあろうと、青年はけろりとした表情で村長だけを見つめていた。初めから、彼としか話す気はないとでも言うように。

 村長はふぅぅ、と細く長く息を吐く。八十近くなる彼には、少し声を荒らげるだけでも堪えるらしい。


「……お主が誰から村祭りの情報を聞いたのかは、後々調べさせることとする。今此処に見知った顔がおらぬのでは、探りを入れようともどうしようもあるまい。突貫での調査では不足も出よう」

「ええ、まさしくおっしゃる通りです。自分としても、助けてくださったという村の方々に疑われたままというのは心苦しい。後日調査を行うのであれば、何なりとお申し付けください。協力は惜しみません」


 青年は顔色ひとつ変えず、澱みない口調で村長に返す。その様子が、桐花にとってはいっそ清々しかった。

 村長は眉間に皺を寄せながら続ける。


「村祭りについて知られたからには、お主を易々と外へ帰す訳にもゆかぬ。祭りは、他言無用の神事じゃからな。口外されることは、儂だけでなく──村中の者たちが望んでおらぬ」

「おや、では口封じに自分を殺しますか?」


 にべもなく青年は言った。整った顔に浮かんだ笑みは、あまりにも勝ち気で、したたかだった。

 再び、集められた村の者たちがざわめく。

 ──何てことを口にする男だ、やはり怪しい、このまま生かしてはおけぬ。

 はっきりそういったことを口にする者はいなかったが、空気感で彼らが何を言わんとしているかを桐花は察した。


(……何という胆力かしら)


 一見儚げで優美な顔をしていながら、この青年の中身は武者にも劣らぬのではないか。呆れを通り越して感心さえしてしまう。

 村長は、いいや、と青年の言を否定する。まさか面と向かって、それでは殺す、などとは言えまい。


「殺しなどせぬよ。今月には、村祭りが控えておる。死のけがれを纏ったまま、神事が執り行えようか」

「それもそうですね。神事とは厳かに──清らかに執り行われるものだ。人殺しをした後にするものではありますまい」

「うむ。──お主には、村祭りの舞い手として入ってもらおう。共に祭りを共有することで、お主にも一時的にこの村の人間になってもらう」

「しょ、正気ですか、村長!?」

「こいつは余所者だし、それに男だぞ!?」


 外野から批判の声が上がったが、村長も青年も意に介した風ではなかった。最初から其処にないものかのように、見向きさえしない。

 青年はふ、と笑む。ただでは死にそうにない、静かでありながら意気軒昂いきけんこうとした笑いだった。


「──承りました。自分でよろしければ、最善を尽くしてみせましょう」

「うむ。お主はなかなかに聡い。舞い手としての手筈は此方で教えよう。お主には、我が間ノ瀬家に滞在してもらおうか」

「ありがたいことです。お世話になります」


 再び、青年は流麗に一礼する。何度見ても、見映えの良い仕草であった。

 村人たちの中には納得のゆかない者も少なくないようだったが、村長の一存で決められたこととなれば反論することも難しい。その後異論の声を上げる者はなく、彼らは集会場を後にしていった。祭りの準備もあるため、いつまでも駄弁ってはいられないのだ。

 青年もまた、村の若い衆に連れられて集会場を出ていった。間ノ瀬家へ入るにあたり、身支度を整えなければならないのだろう。

 嗚呼、足が痺れた、と桐花が顔をしかめていると、同席していた母──間ノ瀬小百合がすす、と近付いてきた。


「──桐花。大変なことになってしまったわね」

「お母様──いえ、私が何か言えたことではありません。彼は、私を守るためにこの村へ連れてこられたのですから。私が口を挟むのは、あまりにも無作法、不躾にも程があります。お祖父様のお決めになられたことですから、私に異論はありません」

「桐花……」


 小百合はこの村の出身ではない。もともとは都市の生まれらしいが、攘夷の嵐を恐れてこの金峰村まで流れ着いた身である。それゆえに、彼女は一等桐花に優しかった。

 桐花は気遣わしげな母に、精一杯微笑んでみせる。あの青年のようには笑えなくとも、母を安心させるくらいなら出来る。

 そんな愛娘に、小百合は悲しげな目で視線を遣った。そして、彼女の髪の毛を撫でながら痛ましげに告げる。


「その……お義父様とうさまなのだけれどね。桐花にお願いしたいことがあるというの」

「お願い? 私に?」

 

 桐花と村長である伝三が関わることはほとんどない。共に食事をすることはあれども、桐花にはそもそも話しかけることそのものが許されていないのだ。

 厳格に過ぎる──と思うことはないでもないが、桐花に不満はない。祖父は何処と無く恐ろしいし、近寄りがたいとも考えているので、今のような距離感が一番居心地良かった。

 どうせ、自分のことも嫁入りの道具としてしか見ていないのだろう。祖父の意向を桐花は知らないが、せいぜいそんなところだろうという予想はしていた。あくまでも憶測なので、軽々しく口に出来ることではないが。

 そんな祖父から、桐花に“お願い”があるという。きっとろくなことではないだろう、と思いつつ、桐花は母に先を促した。


「お義父様がね──桐花に、あの舞い手をする男の子の面倒を見て欲しいと言っているの」


 沈痛な面持ちで、小百合は語る。

 これには驚く反面、まあそうだろうな、という納得もあった。本来ならば舞い手を務めるべきだった桐花が、あの青年に彼是と教えてやるのは道理に敵っている。

 桐花はぱちぱち、と何度か瞬きをしてから、母の手を握る。彼女を安堵させようと努めながら、健気な娘らしい表情を浮かべてみせた。


「お任せを! 私に出来ることは限られているかもしれないけれど、それでも村の役に立てるなら嬉しいことです。きっと上手くやってみせるから、お母様も安心なさって!」

「けれど、桐花──」

「大丈夫、私に頼むからといって、お祖父様が何もかもを私任せにするはずがないでしょう。お祭りを成功させるためだもの、私だってお役目をいただけてとても光栄に思っているわ。だから──ね、お母様。そのようなお顔をなさらないで」


 娘に励まされた小百合は、そうね、そうよね、と頻りに呟いていた。それは、桐花への相槌というよりも、己に言い聞かせているように思えた。

 ──これから忙しくなる。

 面倒なことになってしまった、と桐花は思う。しかし、村の祭事となれば桐花に拒否権などあるまい。村長である祖父の命令なら尚更だ。

 最善を尽くそう。決して、神楽舞の犠牲になどなるものか。

 母に微笑みかけるその裏で、桐花は決意する。村のための贄として生を終えるような真似はすまい──と。

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