第一章 金峰村

1

 ──目を覚ましたら、其処は燭台の灯りも頼りない座敷牢だった。


 最悪だ、というのが囚われの人──波分はぶかがりの中で真っ先に思い浮かんだ所感である。

 十九年生きてきて、それなりに苦労することはあったけれども、牢獄に繋がれるのはこれが初めてだ。ついでに言えば、篝には牢獄に入れられるような心当たりは一切ない。皆無である。何故自分がこのような場所にいるのかなど、わかる訳がない。むしろ教えて欲しいくらいだ。

 くそ、と悪態のひとつでも吐き出してやりたかったが、不幸なことに猿轡さるぐつわを噛まされている。少しでも油断すれば唾液が垂れてしまいそうだ。

 このような状況で四の五の言っている場合ではない──と思う気持ちもなくはないものの、生憎篝の矜持きょうじはそれなりのものである。詰まるところ、彼は常人よりも気高くあろうとするきらいがあった。それゆえに、自分がだらしなく唾液を垂らしている姿を想像するなどおぞましくて仕方がなく、何とかして口から唾液が垂れぬようにと努めた。


(……此処は何処だ? 他に人はいないのだろうか)


 きょろきょろと、篝は神経質に辺りを見回す。

 篝を縛る拘束は、猿轡だけではない。其処まで首が回らないので憶測に過ぎないが、手首足首を縄で縛り付けられているようだ。おかげで、少し手足を動かしただけで擦れたような痛みが走る。

 よって、動かせるのは首と目のみ。しかも周囲は薄暗く、燭台の灯りさえ今にも消えてしまいそうな程に弱々しい。視界が暗闇に慣れるまでは、まともに様子を窺うことさえ出来ないだろう。


(やたら静かだな。息遣いひとつ聞こえない)


 耳を澄ませてみるも、自分以外の生物が発する音は聞こえない。己が動くことで生まれる微細な音さえも、この空間では目立って仕方がない程に静謐せいひつとしている。

 舌打ちをしたくなったが、猿轡を噛まされていては溜め息を吐くことさえ出来ない。何とも言えない歯痒さに、篝は眉間の皺を深くした。


(とにもかくにも──このような状況に置かれているからには、きっと首謀者がいるはずだ。そいつに二度と会えないということはないだろう。面倒なことになったが、此処は誰かが来るのを待つしかないか……)


 ごろり、と転がって体勢を整えつつ、篝は思案する。

 恐らく、自分は事前に詳しく情報を掴まれた上でこのような目に遭った──という訳ではないだろう、と篝は考えた。心当たりはないし、そもそも己を拐ったところで明確な利点はないはずだ。

 これは憶測に過ぎないが、篝を拐った人物はすぐにでも人手が欲しかったのかもしれない。そんな最中に彼(もしくは彼女)の前に現れたのが篝であったため、拉致監禁される運びとなった。この状況は、いわば偶然の産物なのだろう。

 だとすれば、至極理不尽な話だと篝は思う。

 間接的な部分まで想起することは難しいが、少なくとも篝は直接的に手を汚すような真似をしたことはないし、今日まで真っ当に生きてきたつもりでいる。それなのに、どうしてこのような薄暗い座敷牢に押し込められて、手足を縛られ猿轡を噛ませられ転がされなければならないのか。運が悪い、の一言で済ませるには納得のいかない話である。

 拐われてから、一体どれくらいの時間が経過しているのだろうか。遠慮なく鳴る腹の音に呆れながら、篝はやっと利いてきた夜目でぼんやりと頭上を見つめた。


 ──ひたり、と。


 それは、たしかに足音であった。加えて、音の調子からするに、此方に近付いてきている。

 篝はがばりと顔を上げられるだけ上げた。やはり、此処に誰かが来るのだ。そう思うと、緊張感でじっとりと汗が滲んだ。

 少しでも見苦しくないように──と体を動かしているうちにも、足音は篝のもとに近付いてくる。──そして、ある時点を境に止まった。


「君──大丈夫か?」


 鉄格子の向こう側から、心配そうに話しかけてくる人物。それは、まだ年若い男のものだった。

 来訪者が手燭てしょくを有していたことを幸いに、篝はじっとその人物を注視する。

 一目見て言えば、健康的な青年である。どのような生活を送っているのかはわかるはずもないが、程よく日に焼けた肌と短く切った髪の毛、そして丸くつぶらな瞳が印象的だった。痩せている訳でもなく肉付きの良いところから見て、貧しい暮らしを余儀なくされている──という訳でもなさそうだ。

 篝を見つめる表情は、純粋に此方を案じるもので、この青年が余程の役者でない限りはお人好しなのだろうと感じさせる。その身体全体から、善性が溢れ出ているような感覚すら覚えた。

 それゆえに──篝は、この青年を気味悪く思った。


「待っていてくれ、今鍵を開けるから」


 そう言って、青年はいそいそと懐を探る。しばらくしてから金属音が聞こえ、青年が牢の中へと入ってきた。

 彼は心から気遣わしげな目をして、篝のもとにしゃがみこむ。その行為自体が、篝にとっては気持ちが悪くて仕方ない。


(仮にこいつが首謀者であるならば、このような目をするのは不自然だ……! いや、それ以前に気持ちが悪い! 不可解だ! 訳がわからない! 何もかもが理解不能なのが、余計に腹立たしい!)


 手足を動かすことが出来ないので、せめてもの抵抗として篝は青年を睨み付ける。見下ろされている姿勢で睨んだところで、威圧感も何も出ないのだろうが。

 しかし、睨み付けられた青年はというと、何故か悲しげに眉尻を下げた。まるで、篝に対して申し訳なさでも感じているかのように。


「ごめんなあ、辛かったよな。言い訳に聞こえるかもしれないが、俺は君をこんな目に遭わせたくなんてなかったんだ。──あっ、まずは拘束を解かないとだな。そのままの体勢だときついだろ」


 そう言うなり青年は短刀を取り出して、篝の手足の縄を手際よく切っていった。ついでに、猿轡も外してくれる。

 その躊躇いのなさに、ますます篝は恐怖した。この青年の考えていることが、篝には全くもってわからなかった。

 身動きが取れるようになった篝だったが、あまりの気味の悪さに耐えられなかったのだろう。何をするでもなく、真っ先に座敷牢の隅へと後退した。そして、震える声で青年へと言葉を放つ。


「な、な、何の、何のつもりだっ」


 紡いだ言葉は声が裏返っているばかりか、吃っているせいでいやに滑稽であった。篝は耐え難い羞恥心に苛まれ、唇を噛みながら頬に紅葉を散らす。

 一方、篝の拘束を解いた青年はというと、え、と吐息のような声を漏らして目を見開いた。


「ま、まさか君──」

「な、何だ。何がまさかだ」


 ずい、と青年が身を乗り出してくる。そして、じいっと篝の顔を凝視し──恐る恐るといった様子で尋ねた。


「まさか君、男子なのか?」

「──お前に言われずとも俺は男だッ!」


 ──瞬間、篝の頬は羞恥しゅうちではなく怒りによって紅潮する。

 言葉を発するまで、女だと思われていた。その事実は、篝の矜持をいとも容易く傷付けた。

 別に、篝とて女性を蔑んでいる訳ではない。彼女らが不当に扱われることに、疑問を抱くこともある。

 だが、だからと言って自分の性別を間違えられるのは我慢がならない。たしかに篝は女顔だと自負しているし、なかなか肉が付きにくい体質のせいで同年代の男たちと比べると幾分か華奢である。しかし、自分を男性だと決定付けるものが声だけだとは、あまりにも屈辱的であった。

 篝は先程までのへっぴり腰をかなぐり捨てた。そして、凄まじい速度で青年に接近するや否や彼の胸ぐらを掴み上げる。


「お前、もしやこの俺を女と間違えて拉致したのではあるまいな? もう声変わりも済ませ、それなりに成熟したこの俺を、どのような目的で拉致した? まさか如何わしいことに付き合わせるつもりじゃあないだろうな?」

「ま、待ってくれ! すまない、君の顔があまりにも綺麗だから、きっと村の者たちは間違えてしまったんだろう! うちの村には、その、君のような綺麗な男子がいないものだから……!」

「言い訳は無用! こうなれば、事の成り行きを一から十まできっちりと説明してもらうぞ……!」

「わかった、わかったよ! 君の望む通りに話すから、だからまずは手を離してくれないか! ちょ、ちょっと息苦しい……!」

「人に猿轡を噛ませておいて、よくもまあ戯けたことを言えたものだな!」

「違う、君を拘束したのは俺ではないんだ! これには深い事情があって……!とりあえず、飯でも食べながら話さないか! 君を悪いようにはしないと、此処で約束するから!」


 すっかり狼狽うろたえてしまった青年から、篝は渋々手を離す。いくら怒ろうと、空腹感には逆らえなかったのだ。

 解放された青年はというと、片手で胸を押さえつつ食事を取りに行くためか焦った様子で座敷牢を出ていった。慌てたせいか、鍵を開けっ放しにしたままで。

 これでは、いつ逃げられても可笑しくない。あの男は阿呆なのか、と内心で思いつつ、篝は居住まいを正した。

 しばらくして、食膳を手にした青年がそろりそろりと座敷牢に戻ってきた。先程こっぴどく責められたこともあってか、その態度はやたらと恐々している。

 入ってきた時の威勢はどうした──と思わない訳ではなかったが、今は言葉ひとつかけることさえも煩わしい。代わりに、猿轡を噛まされていた時の分も込めた大きな溜め息を吐いてやった。

 思いきり溜め息を吐かれた側の青年はというと、篝を前にして驚いたように目を見張った。


「……君、逃げなかったんだな」

「逃げる訳がないだろう。俺は、この状況の釈明を求めているんだ。何も知らぬまま、見知らぬ土地へ躍り出るような馬鹿と同じにされては困る」

「手厳しいなあ、君は」


 ──そのような物言いをしていたら、誤解されてしまうぞ。

 旧知の間柄でもないというのに、青年は苦笑しながらそう忠告してきた。篝にとっては余計なお世話にも程がある。

 ふん、と篝が不満げに鼻を鳴らすと、青年は困ったような表情のまま向かいに座ってきた。まだ湯気の立つ食膳が、篝の前に差し出される。


「大したものは出せないけれど、これで腹を満たしてくれ。うちの村は取り立てて裕福という訳ではないから、質素に感じるかもしれないが──」

「いや、良い。食事が出るだけ十分だ。いただこう」


 ぱちん、と手を合わせてから、篝は食事に手を付ける。変なものを入れられていたら、という懸念がない訳ではなかったが、今は空腹を満たすことの方が肝要だ。腹が減ってはどうにもならない。

 出されたのは、雑穀を炊いた飯と味噌汁、そして漬物だった。簡素ではあるが、空腹の篝にとってはありがたい献立である。

 もぐもぐと咀嚼そしゃくしていた篝だったが、向かいに座る青年がじっと此方を見つめていることに気付き、不愉快そうに眉を潜める。食事を出してくれた相手ではあるものの、こうも無言で凝視されては気まずいことこの上ない。


「……おい、俺の食事風景など見て面白いものでもあるのか?」

「えっ、ああ、いや、特にこれといったことじゃあないが……。説明は食べ終わってからの方が良いかと思って」

「いや、待たなくて良い。どうせなら今すぐにでも事の次第を説いて欲しいんだが」

「そ、そうだよな」


 何をそれほどおどおどとする必要があるのか──と篝は思ったが、口に出すのはやめておいた。

 挙動不審なところもあるし、まだ薄気味悪さが払拭しきれていないこの青年ではあるが、篝にとっては食べ物を恵んでくれた恩人でもある。よく無愛想だの口が悪いだのと評価されることの多い篝ではあるが、恩義や礼儀の概念がない──と形容するまでの無作法な人間ではない。目の前で居心地悪そうにしている青年には、それなりの恩を感じている。

 ごくん、と咀嚼していた雑穀を飲み込んでから、篝は青年に向き直る。


「──して、何故俺はこのような場所に押し込められることとなったんだ? 生憎、俺には心当たりがなくてな。ならばお前たちの方に理由があると考えたんだが──違うか?」


 す、と篝の──長い睫毛まつげに縁取られた──つんとつった瞳が、青年の姿を映す。

 篝の瞳の中に映った己を見た青年は、やはり気まずいのか口をもごもごとさせた。しかし、話すと決めた手前誤魔化そうとは考えなかったようで、絞り出すような声音で話し始める。


「……話せば、そこそこ長くなるんだけどな。うちの村では、もうすぐ祭りが行われるんだ」

「祭り?」

「村の安寧と、豊穣を祈る祭りだよ。此処の村は、昔から土着の神を信仰していてな。村の奥にある神社で、三年に一度、夏に祭りを行うんだ。その際に、儀式をすることになってるんだが……」


 其処まで話した青年だったが、その語尾が続くことはなかった。うつむき、憂いに沈んだ表情で、適切な言葉を探しているようだった。

 篝とて鈍感ではない。むしろ、相手の意図を察することは得意な方──と自負している。実際得意なのかどうかはさておき、この時は青年の言わんとするところを彼の表情から理解してしまった。


「……生贄いけにえ、か?」

「──!」


 遠慮のえの字もない程歯に衣着せることなく、篝は青年へと問いかけた。

 図星だったのだろう。青年の顔はみるみるうちに青ざめていく。

 篝は暫し、無言を貫いた。憶測だけで追及するのは、さすがに無粋だと思ったのだ。


「……端的に言えば、そういうことになる」


 やがて、青年は重々しく口を開いた。苦虫を噛み潰したような顔であった。


「けれど、神に贄を捧げる──という訳ではないんだ。そもそも、この儀式は生贄を捧げる儀式じゃあない。あくまでも、信仰する神を祀るための儀式なんだ。本来なら、犠牲なんて伴わないはずなんだが……」

「では何故生贄などという話になる? 時を経て儀式の内容が歪められたのか?それとも、外部から邪魔立てされた結果、犠牲を伴う儀式へと変成したのか?」 

「そ──そういったことに関しては、込み入った事情があるんだ。その辺りを説明するのは難しいし、この村の問題を君のような──巻き込まれた人間に背負わせるのは、俺としてもどうかと思う。だからまあ──儀式は、もともと贄を必要としていたのではない──ということだけを把握してくれたらそれで良い」


 ぐいぐいと突っ込んだ質問を投げ掛けてくる篝に少なからず青年は圧倒されたようだったが、村の儀礼の全てを話すことはなかった。彼なりに責任を感じているということだろうか。

 篝としても、面倒事に巻き込まれるのは可能な限り避けたいところだ。青年の言葉に反論はせず、そうか、と短く受容する。


「──とにかく、儀式はあるべき形を失ってしまった。もともと儀式では村の若い娘が神楽かぐらを奉納する手はずだったんだが、その神楽を舞う娘が数年──ちょうど二十年くらい前からかな、次々と不可解な死を遂げるようになったんだ。それゆえに、今では神楽の舞い手は生贄のように扱われ始めた」

「……それで、村外から若い娘を拉致して舞い手の代わりを担わせる──と。そう、村人共は考えたという訳か」

「……そう、なるな。納得したくはないが」


 悲しげに青年は眉尻を下げる。其処にわざとらしさは──少なくとも篝には──感じられなかった。

 きっと、この青年は可哀想なくらいのお人好しなのだ。そうでなければ、村の娘たちと拉致されてきた者たち、両方を心から憐れむことなど出来まい。感情表現が豊か過ぎるのも苦労の種になるのだな、と篝は他人事のように思った。

 これで大体の事情はわかった。相変わらずこの村が何処にあるのか、どのような神を祀っているのかは不明だが、無理に事細かな情報を求めるまでもないだろう。

 篝はずず、と味噌汁をすする。


(……しかし、俺では舞い手の条件に合致しまい。恐らく、舞い手は巫女の性質を担っているのだろう。この村で祀られている神がどのようなものかは知らんが、大抵の神は年若い生娘を好むと伝えられることが多い。むさい男が混じっていようものなら、神の怒りを買うに違いない)


 何処の誰が篝を拐ったのかはわからなかったが、その誘拐犯はとんでもない失態を犯したことになる。何せ、儀礼において求められる人材とは正反対の人間を連れてきてしまったのだから。

 仮に舞い手が不可解な死を遂げるということが正道であるならば、篝という番狂わせがいることで犠牲は皆無で済むかもしれない。しかし、それと同様に、篝という存在によっていらぬ犠牲を伴う可能性も捨てきれないのだ。村側としては、頭を悩ませることだろう。


「言っておくが、俺は神楽など舞えんぞ。舞踊の才云々うんぬんの前に、俺は男だ。これまでのしきたりに則るつもりなら、俺を採用するのは愚策も愚策、馬鹿の三乗というもの。俺なぞよりも、老婆を連れてきた方がずっと良い」


 憂いに表情をかげらせる青年に、篝はきっぱりと──釘を刺すかのように告げる。

 たしかに、青年の話を聞く限りこの村で起こっているらしい現象は野放しにして良いものではないと思う。少なからず犠牲者が出ているという時点で、放置してはいけない案件であることは確実だ。

 だが、篝は所詮余所者なのだ。ただ偶然、この村の者の目に留まったというだけで巻き込まれた部外者。それが、地名も祀る神もよくわからないままに、村の彼是に口出しをするのはあまりにも礼儀知らずだ。

 それに、篝は面倒事に巻き込まれたくはない。食事の恩があるとは言え、この村のために命を捨てるような真似など出来るはずもない。篝には、己が命を捨てられる程の覚悟は決まっていないのだ。出来ることなら、穏便にこの村から脱出したいところだった。

 何よりも、村の関係者と思われる青年は篝を巻き込むことを良しとしていない。双方の利害は一致している。これをわざわざ投げ捨ててまでこの村の神事に関わろうと思える理由を、残念ながら篝は有していない。

 青年はそうだよな、と相槌を打つ。篝の思惑を、彼なりに理解しているのだろう。


「君の言いたいことは、よくわかるよ。俺だって、無関係の君をうちのごたごたに巻き込みたくはない。出来ることなら、すぐに手はずを整えて村外に連れていきたい」

「出来ることなら──とは、まるでそうすることが不可能な事情でもあるかのような口振りだな」

「……ああ。情けない奴だと笑ってくれ」


 青年は苦笑する。自嘲するような色合いの笑みだった。


「君を解放しようものなら、村の者たちはきっとまた村外の人間を拐うだろう。俺には、それが耐えられないんだ。何も知らない者が、この村のしきたりによってその生を狂わされていく様を、もう見たくはないんだ」

「……では、どうするというんだ。このまま俺を舞い手として此処に置いておくのか?」

「……俺に、考えがある」


 篝は黙したまま、青年の瞳を見据えた。案があるのなら言ってみろ、と無言で促す。

 ぐ、と青年が両の拳を握る。其処には、確かな決意がある。


「君にとっては不本意かもしれないが、しばらくの間この村に滞在してもらう。舞い手は毎年三人集められることになっているから、残り二人とも接触を図ってくれ。出来る限り情報を集めてくれるとありがたい。俺はその間、どうにかして犠牲者が出ないように対策を張ってみる」

「……つまり、俺に舞い手として過ごせと?」

「勿論、君が神楽を舞わなくて済むように尽力するつもりだ。……けれど、うん。俺が対応策を見つけるまで、君には舞い手という立場を背負ってもらわなければならない。そうでもしなければ、村の者たちは君を口止めのために殺してしまうかもしれないから」


 いくら何でも、殺されるのは御免だ。篝はわき上がる不満を飲み込んで、青年に問いかける。


「しかし、男が舞い手にはなれんのだろう? 俺は女らしく振る舞うことなど出来んぞ」

「その点に関しては……まあ、仕方がないな。男だと公表してしまって構わないよ。君くらい綺麗な顔をしているなら、解釈次第でどうにでもなる。年寄りたちは厭な顔をするかもしれないが──何もしないよりは良いだろう」

「そう上手くいくとは思えんがな。大事になったら、お前が上手く立ち回れよ? 言い出しっぺはお前なのだからな」

「わかっているとも。君を危険に晒しはしないさ。約束しよう」


 この通りだ、と青年は小指を立てる。約束を守る証だとでも言いたいのだろうか。

 馬鹿馬鹿しい──と思わなかった訳ではないが、約定の印を残しておくことは悪くない。篝は溜め息を吐いてから、青年の小指に己がそれを絡めた。

 素直に応じてくれたことが嬉しかったのか、青年はむず痒そうにはにかんでからぶんぶんと指を絡めた方の手を振る。そして、きりの良いところでぱっと離した。


「よし、これで俺たちは仲間だな! いざという時は俺が君を助けよう。……ええと……」

「……名前か?」

「そう、名前だ! 思えば、君の名前を聞いていなかったな。──ああ、別に本名を名乗る必要はないよ。好きな呼び名を教えてくれ」


 そういえば自己紹介をしていなかった、と篝も気付く。まあ、其処まで親しくなった訳ではないので、必ずしも自己紹介をしなければならないということでもないのだろうが。


「篝だ。好きな風に呼べ」


 特に隠し立てする必要もないと思ったため、篝は正直に名を名乗る。どうせこの村に篝の名を知る者などいないだろうから、本名でも偽名でも大差ないだろう。

 青年は頻りに、かがり、かがりかあ、と呟いていた。記憶の中に篝という名を刻み付けているらしい。

 律儀なことだ、と思っていると、ずい、と青年の顔が近付く。いかにも好青年といった風の笑顔に、篝は思わず顔をしかめた。


「教えてくれてありがとう、篝。俺のことは苅安かりやすと呼んでくれ」

「苅安──すすきの染め物か? 変わった名を付ける親もいたものだな」

「ああいや、本名じゃあないよ。村の者に知られたらまずいからな。君との間だけで使う通称だ」


 てっきり本名かと受け取った篝は、紛らわしい、と呟いて唇を尖らせる。

 これでは、自分が本名を教えたと暗に伝えているようなものだ。こんなことならば適当に偽名でも作れば良かった──とも思ったが、それはそれでややこしいので使いこなせる気がしない。結局、篝には本名を伝える以外に方法がなかった。

 そんな篝を前にして、苅安はやはり困ったように苦笑いする。この青年は、笑うという行為に頼りすぎるきらいがあるらしい。


「そう何でもかんでも笑って済ませるな。何をしてもへらへらした奴だと舐められるぞ」


 お節介だとわかってはいたが、篝としては一言物申さずにはいられなかった。

 きっと、苅安という青年は何をされても笑うのだろう。村のことを説明している際には笑顔を引っ込め、幼さの残る顔を憂いに翳らせていたが、それ以外では笑うばかりだった。負の感情を、極力見せまいとしているかのようにも見えた。

 篝の指摘に、苅安はきょとんと呆気に取られたような顔をする。──しかし、それも一瞬のことで、すぐにもとの苦笑へと戻った。


「いやあ、出会ってすぐの君にまで言われるとはなあ。これはどうにも治しようがない」

「よく言われるのなら、尚更気を付けた方が良いんじゃないのか」

「それもそうだな。──うん、これから、出来る限り善処するよ」

「……そのような調子では、いつまでもお前の顔は腑抜ふぬけたままだぞ」


 厳しい言葉をかけられても、苅安はにこにことしているばかりだ。篝は世話焼きなんだな、などと宣う始末である。

 ──やはり、この男は気味が悪い。

 皿に残った漬物を摘まみながら、篝は眼前の青年を睥睨へいげいする。面倒事に巻き込まれただけではなく、面倒な人間とも関わらなければならなくなった──と確信した瞬間であった。

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