お風呂に入ることひとつとっても(下)

 瑠璃子さんが異世界に来て、半年が経とうとしていた。


 世界が違っても見上げる空はやっぱり青くて、元の世界のことをついつい思い出してしまう。


 冷蔵庫の中に残してきたあのプリンは、誰かが代わりに食べてしまったかしら。

 どのみち賞味期限はもうとっくに切れてしまっているから別にいいのだけれど。

 プリンだって、プリンでいられるうちに食べてもらったほうが幸せに違いないもの。


 プリンの形に見えなくもないフェルトの雲を眺めながら、そんなことを考えた。




 『魔導王国トゥナリオセキオ』──魔法の力によって栄えるこの大陸随一の巨大国家。

 瑠璃子さんをこの世界へと呼び寄せた黒幕。

 この国で瑠璃子さんはまるでお姫様のようにもてなされ、お城の中で何不自由ない生活を送っていた。


 "トゥナリオセキオ"はこの世界の言葉で"隣の席の"を意味し、全ての人類が気の知れた隣人同士のように仲良く暮らせるようにという願いが込められている。

 『魔王領エンドレスナイト』と接するこの国は度々魔族による侵攻を受けていたが、その崇高な理念と強大な軍事力によって自国および周辺国を守り抜いてきた。

 しかし数年前の皆既日食を境に、魔王領から次々と強力な魔物が現れ(後の世に言う『エンドレスナイトフィーバー』)、度重なる戦争に国は次第に疲弊していった。


 城下を眺めると、その綺麗なマリック様式の町並みは戦火に晒されることなく保持されており、一見ここに住まう人々は戦争などとはまるで無縁のようだ。

 けれど実際に町の中を歩いてみると、ひとつ異様な点に気付くことができる。


 若い女性の姿がどこにも見当たらないのだ。


 そもそも魔法というのは、女性特有の力だ。

 それは女性の持つ『新たな生命を宿し育む力』が、無から有を産み出す魔法のロジック──マジックに深く関わっているからだ。


 軍事力と魔力がほぼ同義であるこの世界では、適齢期の女性は危険な戦場の最前線へと駆り出され、そのまま帰らぬ人も多い。

 戦争が長引いた結果、この地は男ばかりが暮らすむさ苦しい国となり果て、少子高齢化が進みつつあった。


 けれどお城の中だけは違っていて、瑠璃子さんの周りには侍女や魔術師、魔導騎士団などむしろ女性のほうが多かった。

 だから、この世界に来て日の浅い瑠璃子さんはこの世界の事情なんて全く知らないものだから、町行く人々が瑠璃子さんに向ける視線をただ着ている服のせいかなーなどと呑気に考えていた。


 すっぽんぽんで異世界に飛ばされてきた瑠璃子さんに与えられたのは、本当のお姫様が着るような豪華でキラキラしゃららんのアントワネットなドレス。


 贅沢は敵、動き辛い、何より似合わない。


 というわけでもっと普通のごく一般的にありふれた庶民の服がいいと最初はお願いしたのだけれど、実際着てみたら悪い意味でこの世のものとは思えない肌触りをしていて一体どんな生地を使ったらこうなるの敏感肌の瑠璃子さんにはムリこの世界の庶民の服ムリ、ってなったので仕方なく着るものだけはアントワネットなドレスを選ばざるをえなかった。


 町中をひとり歩くアントワネットな瑠璃子さん。


 確かに服も目立っていたかもしれないけれど、男たちが瑠璃子さんに向けていたあのギラギラとした視線は、今考えるともっと異質なものだったように感じる。


 あれは……そう、オタサーの姫に向ける視線。


 突如自分の手の届く範囲に現れた年頃の女の子に向ける、特別かわいいわけでもないけれど女の子だったら別に誰でもいいや的な猛獣の本能むき出しの視線。


 もしかしたら、この国は日本ほど治安は良くないのかもしれない。一応、戦時下でもあるし。

 ひとりのときは、もっと気をつけないといけないと思った。


 ちなみにこっちの世界はお洋服だけでなく、お化粧品とかも粗悪なものが多くて瑠璃子さんはダメだった。

 どんな不純物や未知の添加物が入っているのかわからないけれどすぐに蕁麻疹が出てきて、あら聖女様こちらの世界ではこれが普通よ、ムリムリ瑠璃子さんにはムリお願いだから触れないですっぴんでいさせてください、というやりとりをご年配の侍女長と繰り広げたのだった。


 ついでに言うと食べ物なんかも、食べ慣れてないせいか日本よりも衛生的に緩い部分があるのか、食べたあと結構お腹が痛くなる。


 他にも……いや、言い出したらきりがないけれど、なんていうか、異世界って思ったより色々あるんだなって。




 瑠璃子さんは見晴らしの丘にひとり腰掛け、眼下の風景をぼんやり眺めていた。

 一面に広がる小豆畑は香色に染まり、たわわに実るさやは今にも弾けそうだ。


 これだけの小豆があれば、一体どれだけのおはぎが作れるだろう。


「またここに来ていたのですか」


 左斜め後ろ45℃あたりから掛けられた声に、振り返ることなく頷く。


 瑠璃子さんの隣に、高級なくるみ割り人形みたいな男──髙田くんが立つ。


 この世界に来てからお姫様のようにもてなされている瑠璃子さんだったけれど、本当の聖女になれなかった瑠璃子さんにとっては逆にそれが居心地が悪く、ついこうして人気のないところを探してこの丘へと足を運んでしまうのだった。


 『聖女』──それは、聖なる魔法で魔を退け人々を癒す存在。世界に光をもたらす伝説の乙女。


 この国の歴史には、聖女と呼ばれる者が度々登場する。

 そのいずれもが、世界が危機に瀕したときに異世界より現れる救世主として描かれていた。


 聖女は異世界からこの世界へ渡る際、『女神の産道』と呼ばれる空間を通る。

 そこで女神の祝福を受けた者が聖女として生まれ変わり、膨大な魔力とそれを繰るに足る知識を得る……らしい。


 けれど瑠璃子さんはどうもその過程が不十分だったみたいで、魔力も知識も微妙に中途半端だった。

 まぁ瑠璃子さんの場合、鼻の穴からボウリングの玉どころか風呂桶が一緒に出てきたわけだから、女神様も祝福どころの騒ぎじゃなかったのかもしれない。

 あるいは日陰者の瑠璃子さんはもともと闇属性だから、聖女の力と打ち消し合ってしまったか。


 理由はともかく、瑠璃子さんがこの世界に来て使えるようになったのは、半径5km圏内に存在するもの全てを無に帰す破滅の魔法『イレイズ』だけだった。

 敵味方の区別がつかないこの魔法は、戦場でもほぼ使いどころがない。


 そんなわけだから、瑠璃子さんは聖女として召還されたにもかかわらず、戦場に立たされることもなく日がな一日ぼーっと過ごしているのだった。


 ちなみにこの世界の言語を読み書きできる程度の知識は備わっていたので、意思疎通は元の世界と同じ程度にはできた。コミュニケーション能力は備わらず残念なままだったけれど。


 そんな瑠璃子さんにも、この国の第4か5くらいの王子──髙田くんはずっと優しかった。

 聖女召還の儀式を執り行った張本人である責任を感じているのか、瑠璃子さんのことをよく気にかけてくれていた。


 こんなタダ飯食らいは秘密裏に処理して、なかったことにしてしまえばいいのに。その後、また新たな聖女を召還すればいいのだから──偉い人たちの中ではそういう声だってきっとあるはずなのに。


 いやもしかしたらそんな気軽に何度も行えるような儀式ではないのかもしれないけれど。


 そう思うとなんだかさらに申し訳なくなってくる。

 こんなにダメな聖女はきっと史上初だろうから。


 暇を持て余して読んだ歴史書に書かれていた聖女たちの偉業は、どれも輝かしいものだった。

 その中でも『始まりの聖女』と呼ばれる初代聖女の偉業は特に凄まじい。

 当時の魔王を討ち滅ぼした後、それだけでも凄いのに、後の世に復活するであろう魔王を監視する目的でこの地に一から国家を築き上げ、そのとき上下水道を整備して水洗トイレをこの世界に伝えたという。


 それまで、この世界にトイレという概念は存在しなかった。

 排泄物は道端に投棄され、ハイヒールを履いて歩かなければドレスが汚れてしまうほどだったらしい。


 始まりの聖女がトイレを作ってからは衛生面も飛躍的に改善し、流行り病による死亡率が劇的に下がった。

 この功績から、彼女は別名『トイレの聖女』とも呼ばれている。

 ……可哀想に。もうちょっとうまくやれば白衣の天使的な呼ばれ方だったかもしれないのに。


 でも瑠璃子さんがその時代に呼び出されなくて本当によかったと思う。

 ちゃんと水の流れる陶器製の洋式トイレがある世界にしてくれてありがとう、トイレの聖女様。


 彼女は他にも、魔族の弱点が煎った大豆であることを見抜くと農家のみなさんに大豆の栽培を命じ、さらにはお味噌やお醤油やお豆腐などの製法を指導して回ったため、農民たちからは『大豆の聖女』とも呼ばれていたのだとか。

 この聖女、絶対日本人だろうなぁとか思いつつ、でもそのお陰で瑠璃子さんは異世界でも和食が恋しくならずに済んでいる。なぜかお腹は壊すけれど。


 そして、この国でひとりの青年と恋に落ちたり落ちなかったりした彼女は、女王として最期までこの世界のため尽力し天寿を全うしたそうな。


 そんな優秀で偉大で誉れ高い先人に比べて、当代の聖女である瑠璃子さんときたら、ろくに仕事もせず今日もぶらぶら。

 そんな瑠璃子さんをみんなが何と呼んでいるかといえば──


「『おはぎの聖女』瑠璃子様」


 隣に座るトルコ行進曲みたいな男──髙田くんが瑠璃子さんを真っ直ぐ見つめて言った。


「貴女は自分を役立たずの聖女だと揶揄するが……見てください、この広大な小豆畑を!」


 相変わらずのオーバーアクションで、両手を広げて叫ぶ。服装はともかく、顔はこれでもかというくらいアジア顔なくせして。


「それほどまでに今、王国の民たちは求めているのです。貴女と、貴女の作った新感覚スイーツ『おはぎ』を!」


 この小豆畑にしたって王族の髙田くんが指示を出して作らせただけで、瑠璃子さん自身の力じゃない。

 それに流行なんてすぐに廃れて、きっと来年の今頃には誰もおはぎのことなんて見向きもしなくなっているに違いないわ。


「貴女は戦場に立つ必要なんてないんです。ここでずっと、好きなだけおはぎを作っていればそれで……」


 そもそも瑠璃子さんは別にそんなに作るのはそこまであんまり好きでもないのだけれど。


 この世界にまだ伝わっていなかったおはぎを、一時なんだか無性に食べたくなったときがあって……それでお城の厨房に忍び込んでこっそり作っていたところを見つかってしまい、そのとき咄嗟についた嘘が「いつもお世話になっているみんなに感謝の気持ちを込めて作りました」だった。

 おはぎはその言葉と共に聖女の真心として城内で評判となり、一夜にして瑠璃子さんは『おはぎの聖女』となる。


 さらに噂はお城の外へも尾ひれはひれ付けながらはらほろひれはれ拡散されていき、今や国中がおはぎの話題で持ち切りだった。

 庶民たちは皆、まだ見ぬ新作スイーツに思いを馳せ、涎を垂らした。


 噂は当然、髙田くんの耳にも入っていて、瑠璃子さんの真心にいたく感銘を受けた髙田くんは、おはぎをもっと手軽に誰もが食べられるものにするのだと意気込んだ。


 髙田くんはまず、新たな農地を切り拓きそこを小豆畑とし、あんこの安定した供給を実現した。


 そして次に、城下の一等地を買い取る(立ち退きとも言う)と、そこにおはぎ専門店の建設を始めた。

 その名も『甘味処るりこ』。近日オープン。


 ちなみに今でこそ"るりこ"は"真心"を表す言葉としてこの国に定着しつつあるけれど、 瑠璃子さんがこの世界に来た当初、この名前はあまり快く受け入れてはもらえなかった。


 自国の言語では超イケてる名前が、他の国では変な意味だったり卑猥な言葉だったり……そういうことってたまにあると思うの。


 "るりこ"はこの国では"BLを好む"という意味の"ルゥリッコ"と発音が似ていたため、公の場ではちょっと扱いに困るようだった。


 まぁ、侍女の中にはこっそり瑠璃子さんにそういう本を差し入れてくれたり、瑠璃子さんを囲んで第1王子が攻めで第2王子が受けで~なんて話で盛り上がっている子もいたので、そこまでひどい偏見が蔓延っている風でもなさそうだったけれど。

 というか別に瑠璃子さん、そこまでBLが好きなわけでもないのだけれど。


 瑠璃子さんの左隣に立つ髙田くんをちらり見ると、始まりの聖女の血を濃く受け継いでるのか他の王子たちと比べるとやっぱり体格的にも華奢で、平凡受けとかヘタレ攻めとかの言葉が浮かんだ。


「さて──」


 瑠璃子さんがちょうど髙田くんのことを考えているところにいきなり声を出されたので、一瞬びくっとする。


「風が冷たくなってきました。そろそろ城に戻りましょう」


 髙田くんに言われて初めて気付く。

 いつのまにか空には暗雲が立ち込めており、嫌な寒気がした。


 髙田くんが、着ていたバグパイパーみたいな上着を脱いで瑠璃子さんに被せると、手を取って瑠璃子さんが立ち上がるのを手伝ってくれた。


 ──ありがとう。


 目の前の髙田くんに、感謝を伝えようとしたその刹那。

 暗雲より放たれた轟雷が髙田くんを打ち、髙田くんは爆破されたヤギのような雄叫びをあげた。


 ちなみに瑠璃子さんは、咄嗟に髙田くんの手を振りほどき0.3秒無敵のバックステップで回避した。

 ぼーっとしてるように見えて、こういうときの反射神経はいいのだ。


 そんな……髙田くんっ、どうしてこんな……っ。


 地面に倒れ動かなくなった髙田くんに歩み寄り、肩を揺さぶり、ほっぺを両手で叩く。


「そなたが『おはぎの聖女』だな?」


 瑠璃子さんが髙田くんにすがり嘆き悲しんでいると、頭上から変声器を通したようなざらついた声が響く。

 見上げるとそこには、黒いマントに中二病のような仮面の、謎の人物が宙を浮いていた。


「安心しろ、その男には10年後禿げる呪いをかけただけだ。将来への不安と絶望で気を失ってしまったようだが、命まで取るつもりはない」


 この人は何者……? どうして瑠璃子さんのことを知っているの……?


「自己紹介がまだだったな」


 謎の人物がその中二病みたいな仮面を脱ぐ。


「我は魔王! 終わりなき夜の支配者にして永遠の闇──エターナルダークなり!」


 脱いだ仮面の下からは、まだ別の表情の仮面が現れた。


 そんな……どうして魔王が、こんな小豆畑の上空に……っ。


「『おはぎの聖女』……そなたの噂は聞き及んでおるぞ」


 魔王がまた仮面を脱ぐ。怒った顔の仮面になる。


 やっぱり魔王の狙いは、自分を倒すために呼び出された聖女であるこの瑠璃子さん……


「なんでも、大層美味なる新感覚スイーツをつくるそうではないか」


 そ、それがなんだっていうのっ。


 恐怖で膝ががくがくと震える。けれどアントワネットなドレスに隠れて魔王からは見えていないはず。

 弱気なところは見せられない。自分を奮い立たせ魔王を睨み付けると、仮面がまた脱げ笑った仮面に変わる。


「くくく……そうだ、もっと怯えろ。人間どもの絶望! 恐怖! あと尿意を我慢してたりするときのやつ! それら負の感情こそ我がエネルギー、三度の飯、糧となるのだ! ただし、スイーツは別腹!」


 な、何を勝手なことを……っ。

 出来損ないの聖女だけれど、瑠璃子さんにだって使える魔法はあるんだからっ。

 いざとなれば『イレイズ』で魔王もろとも……


「聖女よ……我はそなたと争う気はない」


 魔王の仮面が、真顔の仮面になる。


 どういうこと……? 髙田くんにこんなひどいことをしておいて、何を今さら……


「我はそなたが欲しい」


 戸惑う瑠璃子さんに追い討ちをかけるように、イケメンの仮面で魔王が囁く。


 なっ……何を言っているのっ……?


「我はただ、そなたに新感覚スイーツおはぎとやらをしこたまつくってもらい、たらふく食いたいだけなのだ」


 だ、誰がそんなこと信じるっていうのっ。


 口を開くたびにころころと変わる魔王の仮面。

 その言葉もまた何が本当かわからず、信用ならない気がした。


「聖女よ、我が下へ来い」


 瑠璃子さんは思いっきり首を左右に振った。


「……ふん、まぁいいだろう。今日は挨拶に来ただけだ」


 魔王が、どこか寂しげな仮面で呟く。


 その姿になぜだかちくりと胸が痛んだ。


「だが覚えておくがよい! そなたが返事を渋っている間に、1本また1本とその男の頭髪が抜け落ちてゆくということを!」


 びっくり顔の仮面の魔王はそう言い残すと空高く飛び上がり、黒雲の中へと姿を消した。


「また会おう、『おはぎの聖女』よ! ふははははは! はーっはっはっはっ!」


 霧散してゆく黒雲の中、魔王の声だけが木霊する。

 空は元の青空に戻ったが、瑠璃子さんの心はずっと晴れないままだった。


 魔王……魔王エターナルダーク……


 魔王の消えた空を見上げていると、魔王が最後に放り投げた仮面が少し間を置いて落ちてきて、髙田くんの頭にジャストミートした。

 その衝撃で髙田くんは意識を取り戻す。


「ぅっ……ここは…………ハッ?! 魔王はどこだっ!!」


 髙田くんっ、よかった……生き返って……


 瑠璃子さんは事の次第を髙田くんに伝えた。


「そうでしたか……魔王の仮面がどんどん変わって、貴女におはぎをつくれと……」


 髙田くんがしゅんとうなだれる。


 やっぱり、10年後に禿げるのがショックなのね……

 そうよね、10年後と言ったら髙田くんはまだ20代後半。その若さでつるっぱげなんて、人生を悲観しても仕方がないわ。


 やっぱり、瑠璃子さんが行くしかないみたいね……


「何を馬鹿なことを! 奴の言うことを信用するのですか!? たったひとりで……無事で済むはずがありませんっ!」


 髙田くん……いつも瑠璃子さんの身を案じてくれてありがとう。でもね……


「それにこれは、元はと言えば私たちの世界の問題……貴女が犠牲になる必要なんて、本当はないのに……っ」


 でもね、髙田くん。本当は瑠璃子さん、どうせなら金髪碧眼のイケメンがよかったな。

 せっかくの異世界だもの、銀髪とか青髪とかもありよね。

 あぁでも外国人て体臭きつかったり毛深かったりするかもしれないから、やっぱりまぁ日本人でいいかって。

 でも若ハゲはちょっと考えるわよね。


 ごめんね、髙田くん……


 瑠璃子さんは伝えた。あえて魔王に近付き、『イレイズ』で魔王城もろとも消し飛ばすつもりだと。


「……どうやら貴女の意志は曲げられないようですね」


 捨てられた仔犬のような髙田くんに、罪悪感が込み上げる。


 勝手な瑠璃子さんで本当にごめんね、髙田くん……


 こういうとき、どう慰めたらいいかわからない。

 けれど髙田くんはすぐに前を向き、何かを覚悟したかのように言った。


「ならば付いてきてください。貴女に取って置きの秘宝をお渡ししましょう」


 決意のこもったその口調に、さっきまでの弱々しい髙田くんの姿はなかった。




 髙田くんの後を追って、暗い螺旋階段を下っていく。


「この先には、かつての聖女が使っていたと言われる『神器』が祀られています」


 瑠璃子さんも本で読んだことがあるので、その存在くらいは知っている。

 『神器』──それは聖女の出現と同時にこの世界に生まれ出づる、女神の力宿りし聖なる武器。聖女のみが扱うことのできる、最強の兵器。


 けれど伝承の通りなら、瑠璃子さんがこの世界に来たとき、神器もまたどこかに誕生しているはずだった。瑠璃子さんだけが抜くことのできるルリコカリバー的なのがあるはずだった。

 でも実際はそんなものどこにもなくて、やっぱり瑠璃子さんは本当の聖女じゃないんだって諦める出来事のひとつになっていた。


 もし本当にこの先に昔の聖女が遺した神器が眠っていて、それを瑠璃子さんも使うことができたら、瑠璃子さんも本当の聖女になれるだろうか。


「この扉の奥です」


 螺旋階段を下った先の一番深いところに、その扉はあった。

 何重にも鍵を掛けられ重々しい雰囲気を放つ扉は、まさに何かを封じている禁忌そのもののようだった。


「今、鍵を開けます」


 手元にマリックボール(あの宙に浮いてた明かりのやつ、瑠璃子さん命名)を固定し、髙田くんは鍵をひとつひとつ開けていく。


「今さらこんなことを言うのも未練がましいのですが……瑠璃子様。私は、本当は貴女を戦わせたくなんてなかった。危険な目になんて合わせたくなかったんです」


 扉の前で背を丸めて作業する髙田くんの後ろ姿はなんだか哀愁が漂っていて、瑠璃子さんはその頭にそっと手を伸ばした。


「自分で召還しておいて、矛盾していますよね」


 でも下手に刺激して毛髪が抜けるといけないので、触るのは止めておいた。


「けれどあの日、貴女の裸を見たその瞬間に、私の中の何かが変わるのを感じたんです」


 ……ぇ? なんだって?


 思わず目の前の髪の毛をむんずと掴んで大根を収穫するように引っ張りあげたい衝動に駆られたが、すんでのところで堪えた。


 つまりあのとき、髙田くんは瑠璃子さんの裸を見ていたの? 瑠璃子さんからは湯気で何も見えなかったのに?


「だから私は隠した。貴女が戦場に立たなくてもいいように、そのはんぺんのように白く綺麗な柔肌に1mmの傷も付けられることのないように、ここに貴女の神器を!」


 いやなんかもう、神器とかどうでもよくなってきた。

 人の記憶を消す魔法とかないのかしら。ないなら『イレイズ』で存在ごと……


 とか考えていると、最後の鍵が外れる音がして、髙田くんがゆっくりと扉を開いた。


「さぁ、どうぞ中へ……」


 髙田くんが部屋の中を照らしてみせると、その先には瑠璃子さんのよく知っている、瑠璃子さんの好きなあれがあった。


 そう……半年も、こんなところに閉じ込められていたのね。


 歩み寄り、指先で縁をなぞってみる。

 不思議と手に馴染む感覚。それは長年親しんできたものだからか、それとも──


 触れた指の先から瑠璃子さんの中に魔力が流れ込んでくるのを感じる。

 欠けていた、失われていた魔力が満たされていく充足感。


 そうか……そういうことだったんだ。


 一緒にこの世界に飛ばされてきた瞬間から、瑠璃子さんたちは合わせてひとつ……ひとりの聖女だったんだ。


「今だ! 魔術師たち! 召還の術を逆詠唱するのだ!」


 その言葉にはっとする。

 辺りにはいつだかの黒ローブ集団が控えていて、瑠璃子さんに向けて一斉に呪文を放った。

 たちまち光る紋様が瑠璃子さんの体に絡み付き、まるで膝の軟骨がすり減ってしまったかのように体を動かすことができない。


「瑠璃子様……こんな形になってしまい、すみません。ですが信じてください。私が貴女を守りたいと思ったこの気持ちは本物だと」


 髙田くん……まさか、このまま瑠璃子さんを元の世界へ帰そうというの……?

 この瑠璃子さんの神器、風呂桶と一緒に。

 そのために瑠璃さんをここへ……?


「それと……恥ずかしながら、正直に言うと見てほしくないのです。貴女には、10年後の禿げた私の姿を」


 瑠璃子さんにまとわりつく呪文が魔方陣の形を成し、輝きを増す。


 待って……そんなのずるいわ。

 瑠璃子さんだけ恥ずかしいところを見られて、髙田くんはハゲのひとつも瑠璃子さんに見せないなんて。


「せめて貴女の記憶の中では、いつまでもふさふさな私のままでいたい……なんて、ただの我が儘ですよね」


 視界を濃厚な湯気が覆い、自身の手足さえ見えなくなる。


 ……そうよ、そんなわがままは許さないわ。

 今すぐチキンの羽根をむしるようにその頭の毛を残らずむしり取ってあげる。

 だから……だから……っ。


「元の世界で、どうかお幸せに」


 瑠璃子さんの裸を見たことは今すぐに忘れてーっ──


「さようなら、私だけのお風呂の聖女──聖女・オブ・バス」




 体を包む湯気が晴れ、気が付くと瑠璃子さんはすっぽんぽんのまま立ち尽くしていた。

 瑠璃子さんのよく知る、自宅の、こじんまりとした、でも安心感のある浴室の中で。


 ……元の世界に、戻ってきたのね。


 あちらの世界で身に付けていたものは、何も持ち帰ることができないのだろう。

 服もそうだけれど、先ほどまで感じていた魔力の流れを、自身からも風呂桶からも感じ取ることはできなかった。


 窓辺に置かれた防水時計は最後に見たのと変わらない日付で、時間も僅か数分しか経っていないことを瑠璃子さんに伝えてくる。

 浦島太郎のような、まるであちらとこちらの世界では時間の流れが全く異なるような。


 いや、それともまさか、夢? 向こうの世界での日々は全部、お風呂で茹だった頭の見せた白昼夢だったとでもいうの?


 ……でも、それならそれで構わないと思った。


 異世界で見られた裸を数に入れるかどうかの判断は微妙なところだけれど、少なくとも夢なら確実にノーカウントにできるのだから。

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瑠璃子さんの妄想は止まらない 橘 綾雨 @ayametachibana

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