桜の木の下で

 朝、目を覚ましたと同時に、カーテンを開ける。目の前には青空が広がっていて、桜の花びらがひらひらと落ちているのが見える。


 スマホを取り出す。4月3日7時。とりあえず、自分が今日という日を寝坊しなかったことをほめてあげたい。


 バチン!


 両手で思いきり頬を叩いて、自分を奮起させる。


 身支度を済ませて玄関へと向かう。いつもは結びなおさない靴ひもを、今日は入念に結ぶ。


「いってらっしゃい」


 笑顔で咲が迎えに来てくれた。親指を彼女に向けてちょっとにやけつつも、いつもより2割くらい大きな声で言う。


「行ってきます」


 自転車に乗ると、決して強くない風が体に当たっていく。その風を受け止めながら、佳奈の家に向かって自転車をこいでく。


 さんざん悩み、考えたけど、もう迷わない。今日でしっかり終わらせる。この意識だけをもってペダルを踏んでいく。


 佳奈の家の前に着く。引っ越しの準備はもう済んでいるのだろうか。もぬけの殻といった感じだ。


 ちょっと緊張するけど、スマホを取り出して佳奈に電話を掛ける。


「もしもし」


 ものの数回のコールで出てくれた彼女の口調は、いつもよりしんみりとしていた。


「あのさ。ちょっと外で話さない?今家の前にきてるんだけど」


「……いいよ。ちょっと家の前で待ってて」


「わかった」


 自転車のサドルに座って、空を眺めながら彼女を待つことにした。


 ガチャ


 玄関のドアが開く。あわただしい格好で、けれどもそれなりに身なりは整った服装で彼女はやってきた。


「どうしたの?急に」


 開口一番、率直な疑問をぶつけられる。


「今日が、千葉にいる最後の日でしょ?だから少し喋りたいなって。」


「そっか」


 どこへ行くわけでもなく、ただただ道を歩いていく。


「もう荷造りとか終わった?」


「向こうの高校ってどんな感じなの?」


 本来話したかった事とは別のところで話題が広げられる。


「いつここを出発するの?」


「昼過ぎくらいには出るってお父さんが言ってたよ」


 そう言って時間を確認する。よかった。まだ十二分に時間はある。


 ヒュウー


 二人の間を勢いよく風が通り過ぎていく。少し沈黙が訪れる。コンクリートの上を歩く音だけが周りで響き渡っている。彼女が立ち止まって話しかけてくる。


「なんで今日来てくれたの?」


「なんとなく」


「理由なんてないけど、友達がここを離れるんだから最後に少しくらい喋りたいなって。」


 嘘も交じっている気がするけど、本心でそう答える。


「そっか。それじゃあさ、公園でも行く?」


「うん。行こう」


 そしてまた歩き出す。


 目の前に見える公園には桜の木が広がっていて、風に吹かれて花びらが舞っている。


 先に公園の中に入っていった彼女を追いかける前に、自販機で飲み物を買ってから行く。


 ベンチに座っている彼女の横に座り、あったかい紅茶を差し出す。


「はい」


「ありがと」


 カフェオレの蓋を開けてゆっくりと飲み込む。もうそろそろ自販機で冷たーいしか見かけなくなるだろう。この時期に飲む温かい飲み物は心がほっこりする。


「懐かしいね。ここで遊んだの覚えてる?」


 楽し気な口調で佳奈が話してくる。


「結構ここで遊んだよね。ケイドロとか、氷鬼とか」


「なんだかすごい年取っちゃったみたい」


 経過年数は3年足らずだけど、今考えると長かったようで短い瞬間だったなと思う。


 手元に残っているカフェオレの残量を少し振って確かめる。これを飲み切ったら話そうと心に誓う。


※ ※ ※ ※ ※


 飲み切った缶を振り、残量がないか確認する。案の定空になっていた缶を握りしめながら、口に出そうと思う。


 言おうと思っていた言葉はうまくのどを通ってくれなくて、もう思い描いていた展開とはかけ離れているけど、口を動かして言葉に出そうとする。


「あのさ」


 やっと声が出た。目の前にいる彼女はこちらをやさしく見ている。目の前の桜の木が揺れる。


「うん」


 佳奈が返事をしてくれる。


 少し深い深呼吸をして、もう一度彼女の方を向く。よし。


 桜の木に囲まれながらこちらを見ている彼女はとてもきれいで、風に吹かれた花びらが肩に乗ろうとしている。


「っと、その……」


 うまく言うことができない俺に対して、やさしくこちらを見ていてくれる。


 今しかない。今しかないんだ。


「あのさ、小学校の頃はごめん」


 目の前に写る彼女が、動揺するのがわかる。


「黙って傍観することしかできなくて、力になってあげられなくて、つらい時よりそってあげられなくて……」


 佳奈は顔を震わせながら、後ろにそらす。


「あれだけ仲良く遊んでいたのに。本当、友達失格でごめん」


 佳奈の足元に涙が落ちて地面にしみる。


「中学に上がってからも、怖くて、どんな顔をすればいいのかわからなくて。声を掛けられなくてごめん……」


 佳奈が鼻をすする。


「本当、ご……めんな……」


 俺は泣くのをこらえて自分を懺悔する。あの時の後悔は取り戻せない。失態は巻き戻せない。けれど、謝ることはできる。反省することはできる。その一心なんだ。


「そんなのが聞きたかったんじゃなかったんだけどな」


 一瞬自分の耳を疑ったけれど、それよりも自分の気持ちを伝えたい。


 「けど、最近は。春休みに入ってからは楽しかったよ。昔みたいに口げんかして、佳奈といる時間が楽しかった」


 俺はもう前を向ける。これで3年越しの過去にようやく決着をつけることができた。と、心の中で思った。


「ほんと、ばっかみたい」


 顔をぐしゃぐしゃにしながら、佳奈は言う。


「いつまで気にしてたの?もう3年前だよ?」


 佳奈は笑いながら、ちょっとからかうように言ってくる。


「そんなの……」


 言いかけたところで、佳奈が声を遮って喋る。


「でもね……」


 佳奈の頬には涙が垂れていた。


「嬉しかったよ。本当。何なんだよって思っちゃうけど。でも、謝ってくれたのは翔汰が初めてだったから」


 佳奈が少し離れたところにある、桜の木の下へと駆ける。そこの周りにはほかの木がなく、どの桜の木だけが目立って見えた。


 フリスビーを追いかける子犬のように走る彼女の姿は、昔の佳奈とダブって見えた。


 桜の木の下に辿り着いた彼女がこちらを手招きする。それにつられて俺は、ベンチから立ち上がり彼女のもとへと行こうとする。


「あのさーーーー!」


 大声で佳奈がこちらに向かって叫ぶ。


「小学校の頃、私のこと好きだったーーー?」


 思わず動揺してしまう。心臓がぐらついているのが自分でもわかる。


 これこそが山崎佳奈なのだ。ぐしゃぐしゃになった顔そのまま、あの時から目に焼き付いたままの人が目の前に天真爛漫な様子でいる。


 風が、二人の間を通り過ぎるように通り抜けていく。その隙間を1つ埋めるように俺は一歩前へ足を進める。


「そんなの」


 思い切って息を吸う。


「当たり前じゃん!!好きに決まってんじゃん!」


 彼女がそっと微笑む。


「そっか。じゃあ私たち両想いだったんだね」


 予想外の言葉に頭が真っ白になる。


 そしてようやく理解できる頃には、佳奈は空を見上げていた。


 それを一緒に見たくて、追いかけたくて、彼女のもとに駆け寄って、空を見上げる。


 今までで一番近い距離に佳奈の顔がある。こっち向いて微笑む。空の青さと同じくらい彼女の姿は可憐だ。


「俺はさ」「私はさ」


 声が重なる。けれどそんなのお構いなしに続ける。


「「今でも好きだよ」」


 さっきよりも声が重なる。そして、佳奈が目を閉じる。


 誰もいない、ここだけ世界のどんな所よりも特別なところで、僕たちは初めてのキスをした。


「内緒だよ?」


 と口を指に当てる佳奈。


 そんな姿が、表情が、誰よりもかわいくて、少しだけ凛としていて。頭の中から離れそうにない。


 もう一度、今度は佳奈が口を付つけてくる。甘くて、ちょっとほろ苦い、キスは、これから起こる先のことなんかを吹っ飛ばすような、チョコレートみたいだった。


「もう時間だ」


 時間は誰にも止められない。木から落ちた桜の花びらは絶対に地面に着くように、僕たちの物語は桜の木から地面にたどり着けたのだろうか。


 否、そんなことがあるはずがない。ここからきっと僕たちの物語が始まる。


 これが終わりじゃない。もう終わらせたりなんかしない。そう願って、決心して、流れる桜の花びらを彼女と追いかける。








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風が吹く。花びらが舞う。 千葉ソウタ @Yukimaru_0521

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