決意
春休み。何をする気にもならず、ただただ時間が過ぎていく。太陽はもう沈みかけていて、部屋の窓から見る空は赤色に染まっていた。
特別したいこともなければ、するべきことに取り組む意欲も湧き出てこない。
こんなちょっと特別な虚無感に襲われて、この夕日を眺めている。
ポケットに入ったスマホが震える。佳奈からのLINEだ。どうしたのだろうと思い、速攻で画面を開く。
今度の日曜日、一緒に映画見に行かない?
「っっっっ」
言葉にならないものが口から出てくる。
ベッドの上をゴロゴロ回る。一回転、二回転とフィギアスケーター並みの速さで回り続ける。
「うおおおおおおお」
思わず叫んでしまう。なんか廊下をどんどん鳴らしながら近づいてくるのが聞こえるがそれはきっと気のせいだろう。
いや、あの超絶美少女山崎佳奈だぞ。世の男ならだれもがうらやむようなルックスの女の子とデートだぞ。嬉しい以外の何物でもないじゃん。
ガバン!!!
もはや大きすぎて鼓膜が破れそうな勢いでドアが開く。
そして、こちらを死んだ魚を見るような目で見てくる。思わずベッドで転がりまわるのを抑えて、慌ててその上で正座する。
「にやにやしてて気持ち悪いんだけど。どうにかならないのそれ」
「はい……」
口ではそう答えつつも、思わず口元が緩んでしまうのには許してください。わが妹よ。
「それにうるさいんだけど」
「……」
「なにしてるの?」
俺は事の顛末を咲に話した。その際も口元がにやけてしまっていたのは言うまでもない。
「で、行くかどうか決めたの?」
「えっと……それは……」
痛いところを突かれてしまった。あんなことがあったのだから、こちらとしては何とも気まずいのである。
「好きなんでしょ?」
「え?」
想像の斜め上をぶち抜かれて頭が飛びそうだ。
「好きなら今行かないと後悔するよ」
バタン
ゆっくりとドアが閉められる。
好きか……正直よくわからない。だけど、でも言い訳みたいだけど許してほしい。スマホの電源を入れてLINEを開く。トーク画面は佳奈だ。
行こう映画
たったこれだけの返事にどれだけの時間をかけてしまったのだろう。物理的な時間だけで考えればそんなに長くないけれど、俺はすごく長く感じた。
※ ※ ※ ※ ※
あの誘いを受けてから3日後の今は12時45分。ちょっと騒がしいゲームセンターの前で、佳奈との映画でテートの待ち合わせをしている。
いや、自分でデートっていうのめっちゃ恥ずかしいな。ちょっと汗出てきた気がする。
集合時間の十分前に佳奈が来ることを見越して、15分前にきているわけだけど予想よりも早く来ていなくてちょっとほっとしている。女の子に待たせたら最悪だもんね。
エレベーターから、ロングスカートを身に着けてちょっぴり大人に見える佳奈が、こちらへ手を振ってやってきた。予想通り10分前にきて思わず笑いそうになる。
笑うのをこらえているのが見透かされたのか、ちょっと不思議そうな顔をしつつ元気な声で彼女は言う。
「やっほー。待たせちゃった?」
「いや、今さっき着いたところだよ」
お決まりの文句をテンプレ通りに返した後、二人でチケット販売機の方へ向かう。
最近の映画館では、受付に行ってチケットを買う形ではなくこのように機械で行われている。この方がスムーズにできるし、気兼ねなく席を悩める。
機械の前について佳奈が手をささっと動かせ、操作していく。
「じゃあ席ここにしちゃうねー」
「あ、ああ。オッケー」
映画の席って結構悩むものじゃないのか?一瞬で決まったので思わず返す言葉が適当になりすぎた。それに、しっかり隣同士なのもなんか心に来る。いや、想像はもちろんしてたけどこうもあっさり決まると変に緊張してくるな。
彼女は気分が高揚しているのか頬が赤く染まっていた。
5階がチケット販売機で、今から向かうのが6階の映画館とポップコーンとかが売ってある売り場である。
「ポップコーンとかどうする?」
意気揚々と佳奈が聞いてきた。
「うーん。俺はコーラだけでいいかな」
映画館と言ったらポップコーンだけど、なんとなく今日はコーラだけの気分だ。
「じゃあポップコーン一番大きいサイズ買って二人で食べよう!」
こちらの意見を全く聞こうとせず、ずけずけと主張する佳奈。こんな会話を目の前にしてよく店員さんは平気でいられるな。
と思ったら、店員さんはこちらにいつも通りの営業スマイルを見せている。しかし、目はちっとも笑っていないのは気のせいだろうか。
そんなこんなで、劇場内に。休日のわりに今日は空いているのだろうか。あまり客は見かけない。一番後ろの席に座り、二人の真ん中に大きいポップコーンが置かれる。
始まるまでのCMが流れている間、ひそひそ声で少し話す。声を殺しながら、けれど笑っていることは隠さない彼女の表情は、こちらまで楽しくなってしまうような笑顔だった。
CMというのは短いようでとても長い。映画が楽しみな分、今か今かと少し焦らされている気分だ。
ついに映画が始まり、会場内にいる全員が一斉にスクリーンに注目する。少しシリアスな恋愛ものの映画になっているのであろう。会場の空気が少し寒い気がする。
次々と繰り広げられる映画の展開を集中して見届ける。
たまに、佳奈の表情が気になって覗いてしまう。わかりやすく喜怒哀楽がわかるけれど、視線は一直線で真剣に映画と向き合っていた。このことだけで今日来てよかったと思えた。
スクリーンに照らされて頬が赤くなっている様子は、ついさっきにも見たような気がするけど今の方が断然きれいだ。真っ暗な会場の中で明るい光に照らされている彼女は、どこか手放したくないようなそんな表情をしていて、こんな姿を見ているのは久しぶりだった。
※ ※ ※ ※ ※
映画も終わり、一休憩ということでカフェにきている。俺はホットコーヒーで佳奈はカフェラテを手にしながら、映画の感想を言い合っている。
「最後の怒涛の展開凄かったよねー。心臓バクバクしすぎて飛び跳ねるかと思った」
「それに至るまでのヒロインとの軌跡も面白かったよなー」
特別、相手の意見を否定したりせずに、お互いの感想を共有できるこの時間こそが最も楽しい時間だと俺は思う。もちろん、作品の良し悪しはあるけどそれよりも、面白かったと思える作品に対してひたすら喋り倒す時間が一番好きだ。
お互いの飲み物もそろそろなくなりかけた頃、そろそろここを出て帰宅しようかということになった。
まだまだ感想を話したりない感は否めないけど、帰ってからLINEとかで話せばいいだろう。
※ ※ ※ ※ ※
家まで送る。そう宣言したのはいいものの、さっきのカフェとはうって変わって二人の間には沈黙と風だけが流れていた。
「なんだか懐かしいね」
小学校の頃も二人だけで遊ぶことはなかったのに、彼女の言葉にとても共感してしまう。きっと懐かしいのはこの空気感なのだと思う。誰にも邪魔されないで、好き勝手喋りまくっていたあの頃が。
佳奈が立ち止まる。風にロングスカートが揺れ動かされて、写真の一部を切り取ったような姿だ。
思わず圧倒されてしまう。その彼女の姿に、表情に、そして堂々とした姿勢に。
彼女がこちらに体を向けて大きく深呼吸する。それに合わせて俺も少し息を吸う。ちょっと苦しいそんな空気を。そして彼女が口を動かす。
「あのね。今度名古屋に引っ越すんだ。だから今日はありがとう。千葉での最後の思い出が翔汰でよかった。ありがとう」
涙ぐんだ声で、けれどしっかり伝わる口調でゆっくりと話してくれた。
けれど、全然理解が追い付いていなかった。
「え……そんな……」
言葉にならないものしか、口から出てこなかった。徐々に彼女の言っている言葉の意味が理解できる。
けれど、口からは何も出てこない。何か話さないと。何か伝えないと。頭では理解できているのに体は対応してくれない。
「い……つ……いつ引っ越すの?」
やっとの思いで口から出てきた言葉は、これっぽっちも本物ではなかった。
「4月の3日」
「そっか……」
沈黙が再び訪れる。何も言い返すための脳が仕事をしてくれない。
こんな時、罵声の一つでも、冗談の一つでさえいうことができない自分が憎たらしくて、とても悔やむ。
佳奈の家の前にとうとうついてしまう。じゃあとか小さすぎて伝わっていないような声しか上げることができない。
佳奈がこちらに顔を見せないようにして敷地の中へ入っていく。そして、ゆっくりとドアを開ける。
「ばいばい」
手だけこちらに向けて、俺だけをここに取り残してしまう。そしてドアが閉められる。
ガタン
静かだけど、ずっしりとした音が響き渡る。それと同時に家へ向かって走り出す。
「うあああああああ」
言葉にならない声を叫びながら、周りの目なんか気にせずに泣きながら全力で走った。
ようやく気付いた。
自分の後悔を。そして。
自分たちの物語を終わらせなければいけないと。
あまり目がぐちゃぐちゃになっているからわからないけど、目の前には夕日で空が染まっている。という事だけは理解できる。
けれど、ようやく自分のしなければいけないこと。したいことが理解できた。
※ ※ ※ ※ ※
佳奈との映画からもう3日くらいが経とうとしている。まだ日は出ていて外は明るいのに、気持ちだけが沈んでいる。
もともと高校に入ったら別の道に進むと知っていたけれど、どこか心の中が空っぽになったような虚無感に襲われている。
真っ白な天井を見上げる。あの時から頭を離れない。別れ際の佳奈の後ろ姿がずっと頭の隅にへばりついている。
今日も一日無駄に過ごしてしまうんじゃないか。そう感じられるくらい今は無気力で、何度目かもうわからない大きなため息ばかりしている。
ガタ
ドアが開く。申し訳なさそうに、咲がこちらを見てくる。
「最近どうしたの。元気ないね」
思わず泣きそうになるのをこらえながら、平然を保って答える。
「まあ、いろいろあったんだよ」
「聞かせて」
「お前に話すようなことじゃない」
「それでも聞かせて。私たち兄妹じゃん」
ベッドの横に咲が座り、俺の肩に頭をのせてくる。
「別に大したことじゃないんだけどね」
「うん」
俺は事の終始を彼女に話した。時々言葉を詰まらせながらも、要点だけははっきりと。咲は黙ってただうなずいてくれた。
俺が話し終わるのと同時に頭を肩から離す。そして、少しだけ微笑んでこちらを見ている。
「やらなきゃいけないこと。いや、やりたいことがようやくわかったよ」
「うん」
「本当はもっと前から気づいていたけど、今回こそはしっかり終わらせられる。」
「うん」
「だから、なんだ。その」
「うん」
「見届けてくれ。そんで終わったら何かうまいものでも食べよう」
もう、後ろなんか振り返れない。突っ走るしかないんだ。
「うん。わかった。楽しみにしてるね」
そう言って、ベッドから立ち上がりドアを開く。
「後悔は残るもの。減らせるように頑張れ」
微笑みながらそう言った彼女はゆっくりとドアを閉めた。
もう周りには誰もいない。自分の手で何とかするしかないんだ。
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