偶像のキモチ

るつぺる

 

 かったりぃ。毎日毎日、毎日毎日毎日毎日くる日もその明くる日も。誰かが俺の前にやって来ては拝み倒して去っていく。俺に御利益があると信じて何かを供えたり。けどな、俺はいただけないんですよそのお供えものを。腐るか、その前に回収されるか、野良畜生にぶん盗られるか。だからね。頼むからもうお参りとか来ないでください。大体さ、あんたら俺に何を期待してるの。ここから一歩も動けない石の塊よ。ってちょっとまて無闇に水ぶっかけるんじゃないよ。教わらなかったか。人に水をかけちゃいけません、自分が嫌なことは他人にしちゃいけないんですと。石もまた然りなんだよタコスケが。あーまただ。犬、ションベンかけんな。飼主、お前に寸分でも俺を敬う気があるなら犬を連れてくんじゃないよ麻婆茄子。と思いきやこの暇ですよ。誰も来やしねえこの無の時間。なーんにもありゃしねえ。来なけりゃ来ないでクッソ暇なんだよな。来たところで話もできないし暇つぶしにはならんのだけど。地蔵ってのも大変なんですよ。

 雨が降って来やがった。ぶっかけられる水や犬のションベンと違った虚しさがある。こんな時も俺はじっとしてる。なるほどほんとに地獄だな。あいつが言ったとおりだ。ただじっとしてるだけ? 痛くなったりしないなら余裕じゃねえか。みたいなことを言ったんだよな。地蔵になって五年。これがずっとかって思うと寒気がする。


 タッちゃんが亡くなって五年。どうしようもない奴だったけどいないならいないでちょっと寂しい。流石に五年も経てば割り切れる部分もあって今ならもう前を向ける、そう思った。あの日、タッちゃんの顔を見て、触れて、冷たくて、悲しくて辛くて、私はタッちゃんがどんなに悪いことをやってても世間からどれだけ憎まれてても生きてくれてたならそれでよかったんだけどな。タッちゃんが十七歳で私に告白してくれた時、私六歳から知ってる男の子に好きとか嫌いとかあんま考えれなくて一度断っちゃったよね。それっきり曖昧なまま。彼氏でも彼女でもない私たちの関係はただ近くにいるってだけだったけどあれって付き合ってたのかな。まあ、でもあの日も当たり前に帰ってくるんだって思ってたもんなあ。ずっと愛とか恋とかそんな名前もつけずに私たちはいつまでも一緒なんだって思ってたもんなあ。


 まともな働き方なんて知らなかった。高校出た後は付き合いで先輩に誘われて気づいたらクソみたいなチンピラになってて、でもやってりゃあそれなりにやりがいみたいなのも感じ始めて、気づいたらどうにも抜け出せなくなってた。テメーより年下のガキを酷い目に合わせて、爺さん婆さんは金儲けの道具みたいに見てた。俺らの所為で首吊った工場のおっさんの顔は何度も夢に出てきて、兄貴分だった人は「慣れる」って言った。ほんとに慣れた。どれだけ人をコケにしてもなんとも思わなくなった。むしろ笑えた。人生は勝ち組と負け組しかいない。勝ち組が負け組をどんだけ虐げても当たり前だなんて。それなら俺は負け組だ。あの日も雨が降ってた。後ろからグサって。熱いな、痒いなって腰をさすったら手のひら真っ赤なんだもんな。ビビってすっ転んで、だんだん分かってきてヤベーってなって喚いて叫んで。俺を刺した奴は泣いてんのか笑ってんのか変な顔だった。たぶん俺が酷い目にあわせた誰かなんだろうけどもう思い出せなかった。でも死ぬな俺って分かったらコイツの人生また狂わせちゃったんだなと思えてきて「ごめんな」って何を今更ってテメーでも可笑しかったけど言葉にしてた。


 タッちゃんが居なくなった時、私はまだ十九だったけど、もう二十四歳になりました。社会人も五年目で給料は少ないけどひとりで生きてくには十分です。苦手だった料理もだいぶ上達しました。だからもう一度食べさせてあげたいけどタッちゃん素直じゃないから不味〜〜って言うかもね。それで私は怒ります。怒りたいです。でももうタッちゃんは上手いも不味いも言ってはくれません。分かっているけど、もう無理なんだって知ってるのに、野菜を炒めながらどうかな?って聞いてしまいます。


 次に気づいた時にはでっかい門の前に立ってて、アレ?生きてる?って一瞬思ったけど迎えにきたやつの頭に角が生えててあーハイハイってなった。口笛とか吹いて誤魔化しながらソイツの後をついてくとすんごいデカい椅子に赤ちゃんみたいなやつが座っててさ、ソイツがおっさんくらいの低い声で俺に話しかけてきた時ここが地獄なんだって理解できた。赤ん坊は俺が生まれてからずっとどうやって生きてきたかを説明した。俺がマリに出会ってから好きになるまでのところはめちゃくちゃ恥ずかしかった。それから卒業してクズになるまでは我ながらクソ野郎だった。ああ、あん時俺を刺したのは工場のおっさんの息子か。俺はあの一家を狂わせた。人間死ぬとなんの恨みもないみたいで俺が死ななきゃならなかった件についてはすんなり納得できた。いよいよ俺にどんな処分がって話になって、赤ん坊がしばらく手元の書面を眺めた後「地蔵になってください」って言った。なんのこっちゃと聞き返すと「そういう地獄です。痛みはないけれど辛い地獄です」と答えた。俺は分からなかったんだよねその言葉の意味が。


 家を出ると雨が降っていた。私は傘をとりにいったん戻る。送ってこうか? 彼は言います。大丈夫、私は言います。


 雨の中で信じられないものを見た。嘘だろと思った。道の向こうから歩いてくるのはマリだった。俺ってアイツん家の近くの地蔵だったのか? いや今はそんなことどうだっていい。マリ! 俺だ! タツオだよ! マリはだんだん近づいてくる。俺は叫んだ。マリを呼び止めたくて。もう一度話がしたいんだ。全部謝りたいんだ。頼む。地獄があるんなら天国だってあるんだろ? 神様だっているんだよな? こんなクズでも信じていいんだよな? めんどくせえ! なんだっていい。マリに届いてくれ。お願いします。

「アレ。こんなとこにお地蔵様なんてあったっけ」

 ナイス。グッジョブ神様。ご都合主義最高。マリ、俺だよ。チクショー、めちゃくちゃ触れてえ。

「ビシャビシャですね。ちょっと待ってね」

マリ、ハンカチ? いいよそんなの汚ねえし汚れるぞ。ああ、いい匂いするな。たぶん。

「お地蔵様、少しだけいいですか?」

 俺、退屈なんだよ。ずっと居ていいんだぞ。あ、でも風邪引くか。

「なんだろ。お地蔵様に向かってひとりごとなんて私ヤバイですよね」

 んなことねえって。俺は楽しいぞ。久しぶりに楽しい。

「もう五年前なんですけど、私は大好きな人を亡くしました」

 マリ。

「私と彼は幼なじみでした。不器用で気が短くて、人の気持ちとか気にしないどうしようもない人です」

 ……。

「変な関係で、はっきり恋人だって言えないまま一緒に暮らしてました。一緒に暮らしてれば彼が何やってたかくらいわかりました。少なくとも銀行マンなわけないって。だって近くの銀行のどこにもいないし、バカすぎます」

 そのとおりだ。

「バカなのにもっとバカなことしてた。私が止めてあげればよかった。鬱陶しがられてもしつこく説得してやり直そうって。でも嫌われるのが怖かった。私もバカです」

 そんなことねえ。もうやめろ。

「私が止めてれば彼は死なずに済んだかもしれません。分からないけど五年経っても悔やんでます。もっと話したかった。私が思ってること言えばよかった。一緒にいるだけでいいなんて思い過ごしだった。一緒にいれなくなるなんて思わなかった」

 頼む。俺なんかのために泣くな。

「お地蔵様。私に勇気をください。これから私は彼のお墓に行きます。で、バカヤローって言ったあとちゃんと伝えたいことがあるんです。私はタッちゃんのおかげで今も幸せです。タッちゃんと過ごした日はかけがえのないものです。私はこれからも生きていきます。タッちゃんじゃない人と一緒になることにしました。タッちゃんが置いてくからですよ。ものすごく迷ったけど今の彼はいい人です。タッちゃんの数倍。だからタッちゃんはどこかでヤキモチ焼いててください。って笑いながら言えるように……ゆ、勇キッ、勇気をぐだざい」

 マリ、俺はもうなんも答えてやれない。涙も拭いてやれない。幸せになんてもってのほかだ。いい人が見つかったんか。良かったな。今のお前が幸せなら俺はそれでいい。だから言ってやれ。タツオ! お前みたいな奴とくっつかなくてよかったよってな。これ国民の総意だわ。間違いない。おめでとうな。ありがとうな。






「あ、あのさ。そそその」

「なに? タッちゃん変だよ」

「うるせえ! だからアレだ! すすすきなんだよ」

「ちらし寿司? タッちゃん好きだもんね」

「違うわバカやろう! ちがうちがう。俺と付き合ってください! お願いします!」


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