第2話 一人称と神視点の混在

私が投稿された小説を読んでて思う事。それはほとんどと言っても過言ではないと思っている事があります。それは一人称より三人称で書いたほうが書きやすいと思っている事。


 なぜかと聞かれたら、よく神視点がでてくるからだ。


 そもそも小説のルールとして同一場面での人称の混在は小説ではタブーとされている。しかし、驚くほどこのタブーとされる事が書かれている作品が多いのだ。

 何故こうも多くなってるのか。何故おかしいと思わず書かれているのか。そしてそれを読者がうけいれられているのか。理由が全くわからない。


 考えられるのはテレビ、漫画、アニメの影響かなとは思う。これらは観てるわけだから客観的に見てる。だがどうにも主人公が見ている世界だと誤認識してるのではないかと思っている。


 大半の投稿されてる方は読みなれてるのはラノベに漫画。見るものはアニメに映画だと思う。しかしこれらの大半は読んでいる、観ているあなたは三人称なのだ。当然カメラ割もコマ割りもほぼ三人称で描かれる。

 だからよくあるシーンで、主人公の後ろで睨んでる敵の描写「後ろで憎悪に満ちる○○に主人公はしるよしもなかった」みたいな映像や絵で表現されるのだ。(映像は尺的問題で描かなければならないといった理由もあるけど……)。


 書きたい心情は私としても物凄くわかる。伏線を書きたいのは凄くわかる。私も仮に書いてたら恋愛にしろファンタジーにしろ書きたいと思って書くと思う。

 だがルールとしてはダメなのだ。いくら『私、俺』と書いても『知る由もなかった』と書いてしまえばそれは神視点なのです。


 一人称物語とは『俺、私』といった自分が見えているものしか表現できないから一人称物語なのです。

 作品名は伏せるがこれを指摘したら作者からの返事「いきなりなったら読者がついてこれないだろ」と言われブロックされた事があるのだが、私からするとついてこれないなんて読者をバカにし過ぎである。


 一人称とは主人公を自分に投影し楽しむための作品。だから仮に事件が唐突に起きると主人公も驚くと思うのだが、それがリンクするから同じように驚き楽しむのだ。「ついてこれない」なんてことは起りえない。もしなると言っている読者がいるなら小説を、文章を、読むのを書くのをやめたほうがいいと断言する。安易に「その時の俺はあんなことになるなんて知らなかった」と安直な表現は、文章力。構成力。想像力。がありませんと言ってるようなもの。


 神視点は便利だが諸刃でもある。万能だけれど作品の世界観を壊してしまう事があることをわかってほしい。


 読者にとって何が一番つまらないかと言うと、読んで現実に引き戻され途中で醒めてしまうことなのだ。これはドラマや映画を熱中して観ている時に横から話しかけられたり、何か邪魔をされた気分と同義だと思う。B級映画とか言われるものがあるが視点のズレがあるのはB級ですらなく、自己満足の趣味の延長で自作映画を作ったようなもの。


 今風に言うのならば、作家は如何に読者を自分が造った仮想世界、いわゆるバーチャル世界へ没頭させ、疑似体験をさせられるか。これが肝心だと思っている。私は。

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