乱痴気騒ぎの胎動

第1話 夜と祭りに潜む影

「――しかるに、今年も安息の内にこの一日を迎えることができるのは、ひとえに我らが王の善政、そして王を支える国民の活動が為す恩寵と言えましょう」


 とは言うものの、私にはアレが善政だとはとても思えない。

 狭い領邦の中で世界を知らずに過ごせば、民は嫌でも盲目的に支配者を崇める。

 その歪んだ在り方に対して、私はどうしても納得がいかない。言葉や整理された論理で上手く表現することはできないが、民草も真実を知るべきだ、とは思っている。

 

 そう、彼らは知らないのだ。この『オリム記念祭』が本来どのようなものであるのかも……。


 私が言葉ウソを吐くたびに、この演壇の前に集まった民衆は喝采を挙げる。

 彼ら民衆は、私のような王族に拝謁する幸福に浴するというだけのことを栄誉と考える。それはなぜか、民と王家、被支配者と支配者とを隔てる距離が非常に遠いからだ。そして彼らは多くを知らず、王家を崇拝することに対して全くの疑念すら抱かないように統制されているから。

 

 あぁ、胸が痛い。

 身分の違いはあれど、同じ人ではないか。

 それが何故、こんなにも……。


◆◆◆


 雪の夕暮れ。平生には穏やかな自然で満ちた閑静な辺境の都市として知られる『カダレヤ』の街には、どこからこれだけの人間が湧いてきたのだろうかというほどの人々が溢れ、楽団の奏でる賑やかな音楽や出店の客引きの呼び声などが混じり、雑踏と喧騒が生じていた。

 暮れのの深い紫には照明の温かな橙色がグラデーションとなって映える。


 今宵は年に一度の祭りの日。

 そして何と言っても今年は大きな賓客がある。

 すなわち、カダレヤの街を擁する大国『ゲシュム王国』の第二王女、ハヌカ・ジンベルその人である。


 演壇に立つ少女は夜風に金の長髪をなびかせ、堂々たる様で身振り手振りを交えながら周囲に集まった民衆に言葉を投げかけている。

 民衆の中の誰一人として彼女の言葉の裏に張り付いた淀みを読み取れなかったし、そうさせたのは彼女の徹底された儀礼用の作法、身体に染みついた一挙一動がそれ――自分個人の思考を悟らせない事――を目的としたものだったからだ。


「――今年のオリム記念祭も皆の努力によって滞りなく開催されました.

この祭の記念すること、それは“円卓会議”の開催と“オリム計画”の策定に在ります。偉大なる先達は『戦争を必要最小限に限定すること』『子孫に豊かな国を遺すこと』を目的として全世界の共同体の長を集め、円卓を挟んで話し合いを行い、以降の戦争の歴史を“確定”させました。あらかじめ戦争を確定させておけば不必要な警戒も腹の探り合いも無益な流血も避けられるという彼の先達の考えは契約の神『啓画天オリム』のもとで誓約され、絶対のものとなりました。これがオリム計画と皆が呼ぶ契約であります」


 そう。

 耳あたりが大変心地良い契約であり、考え方だ。

 しかしどうだろう、我が国の民草は自らの狭い世界の外側を知らないからオリム計画を礼賛し、記念日まで作って祭りを執り行うが、我が国以外にこの日を歓ぶ国は……果たしていくつあるだろうか。


「――果たして、我らがゲシュム王国はこの契約の下で安定した発展を遂げました。市場には民を満足させるだけの品々が揃い、飢饉などの社会動乱は契約が発動してから一度たりとも起こりませんでした」


 当たり前だ。

 オリム計画――一聞すればこの計画がいかに平和的であるか、そしていかに人類の協調性の高さが強調されて耳に届くだろうことか。

 しかしながら、人類に協調性というものはこれといってない。

 平和など戦争という収穫物を肥やすための休耕期でしかない。

 この虚飾の裏側には、多くの犠牲が隠れている。


「――古き時代を生きた先達は深い慈悲を持って契約を結びました。オリム計画そのものは近年に満了を迎えましたが、その慈悲は今なお弱者に注ぐ恵みの雨となって我らが王国を潤しています」


 弱者……ここで言う弱者とは、もちろん“我が国の”弱者だけだ。

 歴史に見て、オリム計画とは即ち、強者による談合に過ぎなかった。それも弱者が打ち破ることのできない、神の権能によって絶対の保証を得た談合。

 

 悪質に過ぎるだろう。

 

 考えてもみるがいい。要するに戦果の前払いだ。自分たちが体験するはずだった戦火を子孫にツケているに過ぎない。

 『私はあの土地が欲しいから未来にここで戦争を起こすことにして、そこで得るであろう土地を今、前借りしよう』――そんな愚か者の月賦払いのような感覚で、古の愚者たちは土地や資源の分割を進めた。

 そして何より恐ろしいのが円卓会議において力を持っていたのがその愚者の方だったということだ。

 当然のことだが、発言力のある国、武力のある国の長が強い発言力を持ち、対照的に慎ましやかな規模の国々の長はただ言われるがままに大国の案を受け入れるしかなかったのだ。


「――このような先達の遺産へ感謝の念を籠め、今日という日を記念しましょう。カダレヤの街の皆さん、そして遠方よりお越し下さった皆さん、本日はこのめでたき日を盛大に祝いましょう!」


 ハヌカは日常のふとした瞬間に垣間見えるような、とても自然な笑みを浮かべた――否、作った。

 胸の内側から全身を巡った活力をのびのびと放出するように、華奢な腕を悠然と大きく開き、民衆に語りかけている。

 質素ながらも格式のある木製の演台に所々施された金属製の彫刻が祭りの燈火を受けてゆらゆらと橙に煌めく様は、あたかも彼女という完成された絵を縁取る年代物の額縁のように彼女を飾り立て、いかにもといった王族の力強い言葉を演出している。

 民衆はソレを理想の王女だと仰ぎ、実際にゲシュム王国という世界の中ではソレで良かったのだ。下手な事を言わず、民を気に掛け、国を思い、先達に感謝をささげ、美しく、正しい。ソレが王族として求められる在り方なのだから。

 

 ――そんなもの、犬にでも食わせておけばいい。なんて、言えたらどれだけ楽だろうか。

 ハヌカは率直に言ってこの祭りが好きではない。

 彼女は知っているからだ。オリム記念祭がどのようなものであるかを。ゲシュム王国と他の大国いくつかを除いた地域で、円卓会議が、そしてオリム計画がどのように言われているか……。

 「円卓遊戯」「オリム愚書」、それが広く用いられている呼称だ。

 それを知ったとき、彼女は憤った。愚かな古き者どもに。そしてそれを国民に隠す支配層に。

 彼女はこの国のことが好きではない。出来れば自分が変えてしまいたいと思うこともある。


「――長くなりましたが、これでゲシュム王国第二王女、ハヌカ・ジンベルからの挨拶とさせていただきます」


 ――私がこうして公務として地方のくだらない記念祭の場で挨拶を行っている間にも、他の国々では搾取に枯れ、飢餓に喘ぎ、貧困に昏倒する者達が我が国のような大国への怨嗟を積み立て、無慈悲な現実に絶望しているのだ。


 いずれ、この手でどうにかしなければ。


「と、いけない」

 挨拶を終え演壇から立ち去ろうとする彼女は、思考が不安にからめとられていたことに気づく。ふと口をついて出た言葉は、彼女のやりきれぬ思考を一旦停止させる常套句だった。

 そして決まってその後にすることと言えば、空を見上げることだった。

 晴れた日は良い。活力がみなぎるし、突き抜けるような青空を見ると世界は広いと知れる。

 曇天の日は良い。直視するには眩しすぎる陽の光を柔らかくほぐしてくれるし、どんなものにでも影は落ちると知れる。

 雨の日は良い。天高くから地に注ぐ雨音は心を癒してくれるし、晴れの日だけでは立ち行かないことを知れる。

 そしてちょうど今日は雪。

 雪の日は良い。晴れと曇天と雨を合わせたような雰囲気がたまらなく好きだ。

 雪のせいか、はたまた街全体に掲げられた燈火のせいか、今日の暮れはいつにもまして明るい暮れだった。

 燈火の暖かく柔らかい灯りを、ひらひらと舞い落ちる雪が拡散している。演壇の上から見る街は、まるで巨大なスノードームだ。どこまでも続く雪は街の輪郭で橙色に切り取られ、ゆったりと空を舞っていた。

 

「オリム記念祭なんて普段は毛嫌いしているけれど、たまには良い事もあるものね……」


 思わずに口にしてしまったその言葉は、しかして祭りに興じる雑踏の声に掻き消され、だれの耳にも届かなかった。

 

 思えば毎年、自分が十の時からこの祭りには来ていたのだから感慨深いものがある、とハヌカは思う。

 初めの内は、この壇上に登ることが怖かった。自分に危害を加えるなにがしかが在るのではないかと不安になったからだ。

 実際王族は暗殺の危険と常に隣り合わせで生きていると言ってもいいが、しかしながら今までの人生で一度たりとて命の危険を感じたことは無かった。

 幾年か前までは、なぜ自らの意思も無く王族という立場に生まれただけで身の危険を抱えなければならないのだと理不尽への怒りを抱いていたが、もう慣れてしまった。


「感性が枯れるのは……怖いものね」

 最近となってはそのような危険は観念としてのみ存在するモノだったのだということを知った。

 このゲシュム王国という国の中で彼女に仇を為そうという人間など存在し得ないのだから。

 民草は狭い領邦内で情報を統制され無知の幸福を得て暮らし、支配階級は牧畜が如き国家運営で利益を得られるというこの状況で、いったい誰が王族に刃を向けるというのか。

 野心家? 

 違う。彼らは現時点で十分すぎるほどの甘い蜜を吸っている。この状況を変えることは、むしろ悪手でしかないだろう。


 ――ゆえに、私は誰からも――。


 悪寒。

「……ッ⁉」

 背骨を悪魔の冷たい手に握られたような。

 

「嘘でしょう……まさか、そんな」

 言うが先か、彼女は手早く索敵魔法を行使し、検出された周囲の状況に息を詰まらせた。


 自分の警護は演壇を囲むように四人の近衛兵が四方に配置されている。

 では何だこの反応は……彼らとほぼ同じ距離、倍の数。

 兵士? 

 何であれかなり強力な魔法の保持者が私を取り囲んでいるのだけは分かる。


 ハヌカの行使した魔法で索敵できるのは人の持つ魔法の程度と、その位置だけだ。相手が何を目的としてそこにいるのかという点については、高度な思考読取の魔法でも持っていないと把握することができない。

 ただ、強力な魔法保持者が数人まとまって、それも本人に知らせずに周りを固めているなど、考え得る状況はそう多くない。


 暗殺……?

 他国の機関員? 

 祭りの人だかりに隠れて見えないけれど――いや、それがまず不可解なことである……強力な魔法を持つ者がそう簡単に人混みに紛れられるわけがないのだから。

 そういった人間はおよそ兵として名声を高めているか、研究者としてなんらかの成果を上げているような人目に付く者ばかり……隠密の訓練を積まなければこんな芸当は不可能だ。

 であれば国外からの刺客か……と思考するが、その説はすぐに脳の片隅に追いやる。

 ゲシュム王国はこういったことが起きないように国内滞在者の監視ならびに素性の把握を厳としているのだから、それはあり得ない。


 ――あり得るとしたら……いや、分からない。一体何者なの……?


 ちらと一瞥すると、先ほどから憮然とした表情で突っ立っているだけの警備の兵士は、依然として不審人物に気づく素振りを見せない。

 まさかこいつらも不審人物の側なのか……と、一瞬彼女の脳裏をそんな考えが過ったこともあったが、そんな考えを一笑に付して再び状況の把握に努めた。

 警備兵が気づかないのは単に彼らが弱いからだ。

 保持する魔法が警護対象より劣っている警備兵など肉壁にしかならないではないかと、彼女が気まぐれに不謹慎な冗談を考えている間にも、不審人物の気配はじりじりと近づいてきていた。


「―――後ろ!」

 気づいた時にはもう、何者かが彼女の背後でナイフを振りかざしていた。


「甘いっ!」

 ハヌカは振り返る勢いを拳に乗せ、背後に回り込んだ不審人物のフードに隠された顔に掌底を思い切りたたき込む。

 魔法によって強化された彼女の掌底は不審人物の顎を正確に捉え、十数メートル後方へ吹き飛ばす。通常であれば脳震盪を起こしてしばらくは動けないだろう。

 今の一瞬で彼女が見た不審人物は、深手のフードの下に黒い無機質な仮面をつけていた。性別や年齢は分からないが、やはり暗殺が狙いであることは確かなようだった。

 しかもかなりの使い手だ。先ほどから索敵魔法を展開していたにもかかわらず、直前まで気配を悟らせずに彼女の背後に回ったのは、相当の隠密技術を持っているがゆえであろう。


 ――私よりは弱かったみたいだけれど。


 しかしながらそれは一対一での話だ。

 あのレベルで隠密に長けた者が集団で襲い掛かった場合に、彼女にはそれをいなす手段もそこから逃げ切る手段も無い。反撃すれば幾らかは仕留められようが、その先は行き止まりだ。


 ――いけない……勝ち筋が見えない。


 周囲の警備兵はようやく異常事態を察知し、何事かと周囲を見回している。

 近くで事態を目撃した一般の民衆の一部は叫び声を上げその場から立ち去ろうとするが、如何せん広場に集う人の数が多く自由に動けない。少し離れた所にいる者たちは今この場で何が起きているのかも知らずに祭りを楽しんでおり、近くの者が逃げようとしても逃げられない状況になっている。

 彼女が思考を加速させ次に打つべき手を考えていると、人混みの中に一人、ふと手を高く挙げる者がいるのが見えた。


 ――何だ?


 と思うと同時だった。直近にいた近衛兵が四人そろって膝からがくりと倒れ込み、泡を吹いて昏倒したのだった。

「毒物か――!」


 最早逃げ場は何処にもなかった。

 彼らがこうして倒れたということは、敵がすぐ近くで自分を取り囲んでいることを意味する。


 ――絶体絶命。まさにそんな感じね。


 まさか自分の嫌いな記念日が自分の命日になるだなんて、考えただけでも表情が歪む。そうなればきっと、自分の死は政治利用される。敵が国外の人間だったら、彼らを叩き潰し搾取するためのプロパガンダに、敵が国内の人間だったら、彼らを弾圧し迫害するためのプロパガンダに。

 そんな事は絶対にさせない。させたくない。


 ――このまま突っ立っていれば殺される。かといって動きようがないのは確か……もう、一点突破するしか方法は……。


「助かりたいならこちらへ来い」


 『助かりたいなら』。今この状況で何に代えたとしても最も欲する言葉が出し抜けに耳に飛び込み、ハヌカは縋りつくような思いで顔を上げた。どんな選択を取っても、ここで自分は生き延びねばならない。そう強く理解している彼女が見た先にいたのは、件の人物。腕を高く掲げて彼女を見上げる、黒髪の若者だった。


「この場から逃がしてやれるが、どうか?」

 若者は肩に羽織る黒い外套を揺らし、不敵な笑みを浮かべていた。

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