死の神様と亡命王女の国盗り戦

vosem/ぼせみ

第一章:叛逆の血脈

 夜だというのに、空が赤い。


 その赤を遮るようにして空を覆わんとする黒は、無情にも消えることなく勢いを増す火災の煙だ。

 数百年の歴史と共に歩んできた木と石組みの街の一角は、油で満たした鍋に火をつけたように激しく燃えていた。

 街を覆う炎は耳をも焼かんばかりの轟音を立てて人々を責め立てる。

 瓦解する家々、悲鳴、花火のように舞い上がる火花。

 ある母親はどこに逃げれば良いのかすら判別できぬまま我が子を抱きしめ瓦礫に圧し潰され、ある家族は「あちらに広場がある」と言い建物の倒壊により袋小路となった道に向かってひた走る。

 訳も分からぬままにこの惨劇に巻き込まれた人々は皆一様に悲鳴を上げ、訳の分からぬうちに死んでいく。

 

 そして、哄笑。

 血、血、血。

 壁に当てつけられた大量の血飛沫、鼻腔を衝く饐えた匂い。

 焼けたヒト、無造作に転がされた臓腑。

 

 ――血と臓物と汚物とに塗れた武具と、それを持つ半狂乱の兵士たち。


 この惨劇は、人の手によって作られた地獄であった。


◆◆◆


「さぁ、余は貴公の選択を待つが、状況は待ってくれぬぞ。そら、こうしているうちにも、この街の人間たちは次々に命を散らしておる」

 眼前に立つ黒き長髪の若者は、この災禍を意に介さぬように悠然と言葉を紡ぐ。彼の華奢なその右手には、ひどく怯えた表情を浮かべる傷のある顔スカーフェイスの兵士の襟首が掴まれている。見かけによらず非常に強力な彼の腕力はその男を気絶させるギリギリで保持しているが、まるで何かモノを持つように、その男には一切の興味を示していない。

「選択肢は二つに一つ……貴公がこの者に死を与えることを対価として余と契約を結びこの事態を解決するか、あるいはこの街の惨状を見過ごすかだ」

 彼は兵士を私の目の前に突き出し、選択を迫る。

 一瞬、恐怖に見開かれた男の瞳の奥に、私の狼狽える顔が覗いた。それを見た私の心には途端に恥ずかしさがこみ上げ、思わず瞼を下ろす。

 一国の第二王女としていついかなる時も毅然と振る舞い、人に弱みを見せるなと教育され、今まで実際にそのように振舞ってきた。だがどうだろうか、いざというときに、その教えは硝子のようにいともたやすく砕け散っているではないか。

「私は…………」

 この国の人間ではない。

 ゲシュム王国第二王女、それが私であり、この街は王国が支配するオスキラトル共和国の都市。本来ならば何ら与する理由もない。だが、この凄惨な光景から目を背けてよいのだろうか。否である。私が最も嫌うことこそ、見て見ぬふりだからだ。

 それに……。

「貴公が祖国から命を狙われ、逃亡した身であること、それを考慮すれば、この国に恩を売っておくのも一つの策であると、余は個人的にそう思うがな」

 その通りだ、と私も思う。あぁ、このような人として真っ先に手を差し伸べねばならない事態に対しても打算が働くのは、王女として受けた教育の忌むべき成果であろうか。

 しかし、今は進退窮まる状況だ。綺麗ごとを吐く暇があるなら、動かなければ。

「えぇ、そしてこれは私の姉が引き起こした事態。いずれにせよ私はこの暴虐に実力を持って抗うわ」

 我が姉たる第一王女が引き起こした王族殺しのクーデター、実権を握った彼女が決定したオスキラトルへの粛清とは名ばかりの虐殺による恐怖支配。一人生き残った私には、これを止める責任がある。

「私、ゲシュム王国第二王女ハヌカ・ジンベルは、貴殿と契約を結びましょう」

「然らば、その男の殺害を以て余への供儀とせよ。その対価を以て、死を司る神祇、獄吏天カヌスが貴公に力を授けよう」

 私は彼――死の神の言葉に導かれ、腰に差した短刀を抜く。

「――――ッ、――――」

 言葉にならない声が兵士の喉元から発せられる。彼の顔面には脂汗が滲み、肌は血の気が引いた蒼白に変わっている。

 彼は、ゲシュムの兵士だ。

 つまるところ、私の国の戦力。そして家族を持ち軍から給金を得て生活を営む、数多いる市民の内の一人である。カヌスに掴まれて歪む彼の襟首を見ると、そこにはおそらく家族や友人から貰ったものであろう小さな石のお守りが縫い付けてある。そして軍服の布地には小さく『無事を祈る』と。

 私が治め、救うべき民の一人が、目の前で恐怖に震えている。

 そしてその命を奪うのは、他ならぬ私自身。

「許せとは言いません……開き直る気もありません。あなたの血は私の罪としてこれから先、永劫に背負いましょう」

 両手で短刀を振りかぶる。せめて、苦しまぬように一瞬で済ませなければ。

 掌に汗が滲み、カタカタと小刻みに震える。

 口では偉そうな台詞を吐くが、内心では何も考えられなかった。

 ただこの時が早く過ぎ去ればいいのに。そんなことを念じながら、避けることの出来ない選択を下す。

「守ることが出来なくて、ごめんなさい」

 思わず口をついて出た言葉と共に、刃は振り下ろされた。


 頬を伝う生温かい感触。

 それは私の両の手にもあって。

 その下からは、ドクン、ドクンと溢れ出ていて。


「ァ――――……カヒュ………ヒュ…………」

 掠れた呼吸音。地面に倒れた彼が苦痛に体を捩らせる衣擦れの音。


 それらが全ておさまったのは、数秒の後だった。

 糞尿の匂いが鼻を衝く。全ての生命機能が停止し、全身の筋肉が弛緩したのだ。

 そこにあるのは、ただ一つの薄汚れた死体。


「それが、人の身で他者に死を与えることの重みだ。都合の良い綺麗な死など、ありはせんよ」

 茫然自失していた私は、彼の言葉を受けてようやく我に返る。と同時に、両の瞳からとめどなく涙が溢れた。水溜りが出来るのではないかというほど、私の頬を伝ってぼとぼとと熱い雫が零れ落ちていく。

「あぁ……あぁぁぁぁぁ…………!!」

 みっともない嗚咽は街が燃え盛る音に掻き消され、ちっぽけな私は石畳に膝をつく。一人の国民を殺したという罪の意識に圧し潰されるように顔を俯ける。

 私は王族として、これまで多くの人が政治や利権のために命を落としてきた事実を知っていた。だというのに、ただ一人であっても、この手で直接命を奪うことの痛みを想像もできていなかった。

 なんとも無様な死に方だった。あの死に方を、私が彼に与えたのだ。

 あぁ、情けない話だ。

 こんな心持ちで今まで王女を名乗っていたとは、ひどい笑い話だ。


 そうやって苦しみのうちに自嘲する私の耳に、不意の声が飛ぶ。

「立て。貴公はそうしなければならない筈だ。そうするために、選択したのだろう?」

 見上げると、死の神が私に手を差し伸べていた。

「ただの人殺しか、多くの人々を救った人殺しか、せめてましな方を選べ」


 彼の言葉は慰めも憐憫も、余計な一切を含んでいなかった。ただ事実を受け入れ、前へ進めと後押しするように、差し出した私の手を力強く引っ張り上げる。

「あ――」

 立ち上がった時、私の中に今までになかった強い力が確かに感じられた。

「王族たる貴公は今までの人生において、救いの手を向けられる側の存在ではなかっただろう。むしろ救いを与える側、求める声に応える存在だ。だが、今はここにこうして神祇たる余がいる。明確に、貴公の上に立つ者だ。だから、余を頼るとよい。そうさな、あぁ、共犯者くらいにはなってやろう」

 死の神――カヌスがそう言ってゲシュム兵の遺体に腕を向けると、闇のような黒い炎が生じ遺体を包み、そして跡形も無く消し去った。

「冥府に送った。奴が当世の冥府の住人第一号というわけだ。さて、それでは死者の蒐集といこうか。貴公も、この街の惨劇を終わらせるのだろう?」

「え……えぇ、当然。そのために、あの者を」

 私は涙を両手で拭い、拳を握り締める。

 そうだ。このひどい状況を見過ごせないから、私は一人の命を犠牲に多くを救うと決めたのだ。彼の死を使って、多くの命を救う。命を秤にかけるなんて、実に為政者らしい考え方ではないか。

 これは受け入れるしかないことなのだと、私は自分に言い聞かせる。

「であれば、貴公は力を既に持っている。あとはそれを振るうだけだ。つまりは街を脅かす兵士共を制圧すればよい……殺すか生かすは貴公に任せよう」

 そう言い、カヌスは私の肩を軽く叩く。

 しかし……そうは言っても制圧など、どのように……。

 五人、十人であれば私一人の力でもなんとか鎮圧できるだろうが、この街に侵攻している兵士はおよそ百人を下らない。いくら力を得ようとも、一人一人拘束するのは無理があるだろう。

「無理などあるまい」

「――は?」

 出し抜けにかけられた言葉に私は思わず声が上擦る。

 なるほどこれが神。考えを読むなど造作もないということか。

「恐怖……それが余の持つ特質の一つだ。まぁ習うより慣れろと言うべきか。まず貴公に与えた余の神性を励起させろ」

「励起……こうかしら?」

 私は自分の内に意識を集中させ、ほつれた糸を手繰るようにして目的の神性へと接続する。


 突如、轟音と共に周囲の空間が爆ぜ、辺りが黒い炎に包まれた。

 半ば崩れかけていた建築物はその衝撃で瓦礫と化し、大きく広がった土煙が晴れると、辺り一帯は砲撃でも受けたかのような更地になっていた。所々瓦礫の中から顔を出す木材は炭化してなお黒炎が燻り、周囲には得体の知れない霊素エーテルの粒子が漂っている。

「これは……⁉」

 励起しただけでこれだけ物理的な影響を与える力とは。

 それに、周りに人が居ないのは僥倖だった。この力で人を巻き込み殺してしまうのは本末転倒にもほどがある。

「それが余の力の一端だ。だが、それは神祇であるがゆえに振るうことの出来る権能……大きすぎる力はヒトの身を蝕むだろう。使いどころはよく考えることだ」

「姉を止めるまで体が保てば十分よ。この状況も、今すぐに終わらせなきゃ!」


 先ほどの接続で、既にこの力の使い方は理解できた。後は実行するだけだ。


 集中。

 とにかく制御を違えぬように集中しなければ。

 

 私は全神経を獄吏天の神性片に注ぎ、膝をつき右手で地面に触れる。

 感覚が研ぎ澄まされている。大地を巡る龍脈の微弱な霊素を介し、この街に侵攻するゲシュムの兵士たちを一人一人補足する。

 

 「――ぐッ‼」

 

 体中に稲妻のように痛みが走り、肺が損傷したのだろうか喀血が見られた。

 肉体的にあまり恵まれてはいない私にとって、この力の行使は負担が大きいようだ。


 「――だけどッ‼」


 そんなことで止まれない。

 止まってはいけない。

 脳裏に血まみれの兵士の顔が張り付いているのだ。


 右腕を強く地面に押し付け、全身を蝕む鋭い痛みを必死に誤魔化す。

 更に力の励起が激しくなり、私の周囲に黒炎が溢れかえる。轟々と大気を震わせ、皮膚を焦がすような熱を発する。


 そして、遂に全ての兵士が補足された。


「これで……鎮まれッ‼」


 ◆◆◆


 オスキラトル共和国、首都パリエスルベア。

 街の一区画は立ち昇る烈火と黒煙とによって夜の平野を煌々と照らしていた。

 阿鼻叫喚の惨劇が繰り広げられる中、それ・・は突如として立ち現れ、その場にいた者全てを驚愕のうちに静止させた。

 地から天を衝く無数の光条。

 赤黒く輝くソレは夜の雲に光を落とし、星に届かんばかりに上へ上へと延びている。大地が裂けるような地響きの音は遥かに離れた国々に届き、それを聞いた者は皆一様に何らかの根源的な恐怖のようなものを感じたという。

 正しく神話の再現というべきものだった。


 そんな現象の中、街を攻めていた兵士たちが全て気を失い、これが捕縛されたのだ。彼らの処遇は政府の判断が待たれ、ひとまずは捕虜として捕らえられている。

 かの街の人々はこの現象を『神が与えたもうた救いだ』と口々に言う。それが真に神の力によるものだとも知らず。


 そして、この日だった。


 死の神と組んだ亡命王女が仕掛けた国盗り戦の始まりは。


◆◆◆


――数時間前

 ゲシュム王国第二王女ハヌカ・ジンベルと獄吏天カヌスが出会ったのは、この日の夕暮れであった。

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