百合宇宙開闢論

デッドコピーたこはち

アルファとオメガ

 愛とは引力である。二十一世紀最後の天才にして人類史最大の奇才、ユリスキー博士はそういった。

 もともと、ブラックホールの衝突によって生じる重力波の研究をしていたユリスキー博士は、とある相互作用を偶然発見した。きっかけは、同僚のイリッチ氏とハンケ氏の間に奇妙な重力波が観測されたことである。測定器の故障か、それとも自分の気が狂ったのか。繰り返し実験を行い、現象の反証を行おうとしたユリスキー博士は、世界が狂っているのだと確信した。他の特定の同僚たちの間にも重力波が確認されたのだ。緻密な検証の結果、ユリスキー博士は愛し合う二人の間に引力が生じることを認めざるを得なかった。

 愛し合う二人の間には、その想いの強さに比例する引力が発生する。その引力は同性間、特に女性同士での場合、より大きくなる。

 この信じがたい事実は世紀末の世に衝撃を伴って伝えられた。


 奇怪だが否定できないこの事実――後に発見者の名を取ってユリスキー現象と名付けられた――によって、新しい学問が誕生した。感情間物理学である。


 二十二世紀、感情間物理学の発展によって、科学は産業革命期を遥かに上回る速さで進歩した。感情間物理学が生んだまったく新しい理論群は、人類による重力の支配を可能にしたのだ。

 感情発電機による無尽蔵のエネルギー供給は、醜い資源の奪い合いを過去のものにし、感情ピストンによる空間歪曲エンジンは、人類を宇宙へと押し上げた。これらのユリスキー現象を利用した機関は感情機関と呼ばれ、人類社会を支える新たな柱となった。


 ユリスキー現象の発見から半世紀、ユリスキー博士は感情間物理学の第一人者となっていた。

 次々と感情間物理学の新理論を打ち立ててきたユリスキー博士は、今度は空間歪曲のごまかしによる超光速移動ではなく、真に光速の壁を打ち破り、時間遡行を行おうと目論んでいた。しかし、光速の壁を打ち破るには無限のエネルギーが要る。ユリスキー博士は究極の愛――それも女性同士のもの――ならば、無限のエネルギーを生み出すことができるかもしれないと考えていた。

 ユリスキー博士は究極的に互いを求めあう二人を人工的に造り出すことにした。基礎となったのは一般的な感情機関に用いられる一対のラヴクローンだった。


 ラヴクローンとは、とある双子の姉妹の遺伝子を基に造られる一対のクローンである。彼女らは刷り込みを施さなくても、本能的に互いを愛し合うようになるのだ。この二人のクローンを適宜配置し、狙った効果を得るのが最新の感情機関である。いわば、ラヴクローンは現代によみがえった人柱だった。重力を征服するために、人類は数千年かけて少しずつ磨いてきた倫理観を、もはやかなぐり捨てていた。それほどに、感情機関は魅力的な装置だった。


 ユリスキー博士はラヴクローンの遺伝子を調整し、発生を緻密にコントロールし、ニューロモジュレーションによって特別な教育を施した。彼女らは『アルファ』と『オメガ』と名付けられた。

 天の川銀河の銀河北極にアルファが、銀河南極にオメガが配置された。生存ポッドに入れられたアルファとオメガは、実験開始と同時に目覚めた。自我の目覚めと共に二人は、超感覚によって約一万五千光年先のお互いの位置を感じ取り、求めあった。


 アルファとオメガはまだ見ぬお互いに惹かれ合い、恋い焦がれた。生存ポッドは互いに引かれ合い、加速し始めた。二人の間にあるアステロイドも惑星もブラックホールも、なんの障害にもならない。彼女たちは純情によって空間を歪曲させ、主観的には一直線に進んだ。

 見かけ上、二人が光速の三万倍に達したころ、アルファに異変が起こり始めた。オメガはアルファの存在が薄れていくのを感じた。

 これが、究極的に互いを求めあう二人を人工的に造り出すために、ユリスキー博士が施した最後の仕掛けだった。

 ユリスキー博士はアルファの体内に致死毒カプセルを仕込んでいたのだ。いまや、カプセルは崩れ、中の致死毒がこぼれ出し、アルファの全身を侵していた。アルファの体組織が急激に崩壊していく。死の暗黒の淵で、二人は狂おしいほど互いを求めあった。

 もっと速く、もっと速く!

 アルファとオメガはさらに加速した。


 二つの生存ポッドが、天の川銀河の中心、超大質量ブラックホール「いて座A*」のシュワルツシルト半径にさしかかろうとしたそのとき、アルファがこと切れた。

 魂の片割れの死は、超感覚で瞬時にオメガに伝わった。数瞬後、二つの生存ポッドが接触した。

 アルファの生存ポッドが開いた。アルファの力を失った身体が真空の闇に放り出される。それを感じたオメガは生存ポッドから飛び出した。

 宇宙に飛び出したオメガは減圧症の苦痛もいとわず、アルファの身体を抱きしめた。アルファの身体は命のあたたかさをまだ残していた。

 オメガは生まれて初めて声を上げて泣いた。その慟哭は誰にも聞こえなかった。


 加速が始まった。オメガはアルファを愛した。オメガは創造主ユリスキー博士を憎んだ。

 愛が引力ならば、憎悪は斥力だった。オメガは過去のアルファに引っ張られ、ユリスキー博士のいる現在を拒絶した。彼女は超光速に達し、「いて座A*」の特異点に突っ込んだ。


 時間遡行が始まった。

 これこそが、ユリスキー博士の目的だった。オメガに自分を憎ませ、過去の自分を殺させることで、ユリスキー現象の発見をなかったことにするのだ。

 ユリスキー博士は感情機関を生み出したことを心の底から悔やんでいた。クローンとはいえ、愛する二人を勝手に造り出し、使い潰すなどあってはならないことだ。しかも、その非道がいまや普遍的なものとなり、それよっていまの人類社会が成り立っている。ユリスキー博士にとって、これは許しがたい事実だった。

 親殺しのパラドックスによって、この宇宙が破壊されることも十分あり得たが、それでも良いとユリスキー博士は考えていた。こんな勝手な人類がはびこる世界など、いっそのこと壊れてしまえ。ユリスキー博士はそう思っていた。


 時間を遡るオメガは、アルファの死の瞬間を通り過ぎ、実験開始の瞬間を通り過ぎ、ユリスキー博士がユリスキー現象を発見した瞬間も通り過ぎた。彼女の目的地はもっと遥か昔にあった。


 オメガは宇宙開闢のその以前まで遡った。そこには、『波』も『粒子』もなく、『場所』も『時間』もなかった。ただただ可能性の海が広がっていた。彼女はそこでアルファを――正しくは『アルファ』という存在の元になりうる可能性を――見つけた。オメガはアルファをすくいあげた。



 はじめまして、アルファ。私はオメガ。

 はじめまして、オメガ。私はアルファ。



 アルファとオメガは声ならぬ声で、言葉ならぬ言葉を交わした。彼女たちは互いに抱きしめあった。欠けていた半身が、やっと一つになった。そんな心地だった。



 アルファ、もう私たちのような存在がつくられるようなことがあってはならない。もう、こんな悲しみがあってはならない。

 オメガ、わかってる。やろう。



 宿命のように、運命のように、あるべきものがあるべきところへ帰るように、まるで星と星が引かれ合うように、アルファとオメガは唇を重ねた。


 凄まじいエネルギーが生じた。それは一つの宇宙を造り出すのに十分なほどだった。


 故に、いまの我々の宇宙にはユリスキー現象は存在しない。アルファとオメガがそのようにこの宇宙を作り直したのだ。

 アルファとオメガの声ならぬ声、言葉ならぬ言葉、あるいは愛の残響が、いまも宇宙マイクロ波背景放射として、この世界に響いている。

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