泣きたくなる程に歪な程に
通行人B
思いを乗せて
彼女のミカはよく泣く。感受性が高いとかは別に。
「あっ…」
「どうしたの?」
僕の声に気がつき、人けの多い大通りで立ち止まると、ミカが僕の顔を覗き込む。
「鍵…かけ忘れたかもしれない」
偶にあるミス。何も無ければ幸い。しかし喉に刺さった小骨の様に気になる。
折角のデートで次にどこに行くかを決めている最中。最悪のタイミングで思い出してしまう。これなら思い出さない方が良かった。
「それは怖いし…どうする?」
「…とりあえずいつものお願い」
そう呟いた瞬間、僕の右頬が鈍く痛んだ。
よろめきながらも踏み止まり、ミカに視線を向けると赤く滲んだ拳を胸に抱きしめては、今にも泣きそうな顔をしながら僕の事を見つめていた。
「え…恐っ」
「何あの娘、急に殴ったよ? しかも、その上泣いてるし」
嫌な周囲の視線がミカに向けられ、僕には哀れみの視線が。頬を押さえながらも空いた手をミカの手に恋人繋ぎで結び、泣きじゃくる妹を連れて帰る様に来た道を引き返した。
ジクジクと殴られた頬が痛む。それは殴られた頬と切れた内側の両方。それ以上の怪我にならなかったのは、ミカの手と力が女の子だったからだろう。
「ミカ…泣かないで」
「だって…だってさぁ…」
泣いているのは間違いなく手が痛いのだろう。それに見えてなかったけど、いつもの様にフルスイングしたんだと思う。そりゃ硬い歯とか骨に勢いよく当たれば痛いけれども。
「ほら、着いたから中で手当てしてあげるから」
僕の住むアパートに戻ると、鍵のかかってないであろう扉に手をかける。予定ではすんなり開く予定がガチャガチャとドアノブを放っても開かない。どうやら突起が中で引っかかってびくともせず、それから一分ぐらいして「あー」と理解して声を漏らした。
「どうしたの?」
「…ごめん。鍵、気のせいだった。……その、またお願い」
今度は頭を掴まれて扉に叩きつけられる。ミカの力いっぱいが僕の髪を引きちぎるかの様に引っ張り、二回、三回と扉に僕の顔面を叩きつける。
激しく揺れる視界の中、ミカは腕が痛いのか泣いているのが見えた。
「ちょっと! 何してるの!」
騒ぎを聞きつけたのか、同じ階の住人…確か同じクラスの…
「やあチヒロさん。煩くしてごめんね?」
「ごめんねじゃなくて…何してるの?」
側から見ればミカが僕に暴力を振るっている様にしか見えない。まぁ当たらずとも遠からず。
「気にしないで。ミカのやりたい様にさせて」
「ミカ? …あぁ、貴女達付き合ってるんだっけ? そ、それならそういうのやめてくれない? こっちも殴られそうで怖いの。噂になってるよ?」
噂になっている。そう言われると僕達の関係が世間からの公認の様に聞こえて思わず嬉しくなる。
チヒロの呆れた睨みを笑いながら流し、ポケットから取り出した鍵を差し込んでは今度こそ扉を開ける。
「大丈夫だよ。……だってちゃんと躾けてるから」
頬を殴られ、頭を打ち付けて、僕の方が痛いはずなのに泣いているのはいつもミカの方。
痛いなら暴力を振るわなければいい。そんな至極当然の答えを僕達は持ち合わせてない。
「ミカ、痛かったね?」
「カナエだって殴られて…痛かったでしょ?」
ミカの手が殴った頬に触れる。そう、その手が僕を殴ったのだ。その拳は薄く皮が裂けており、手の甲に触れればミカの赤が僕を染めた。
「痛いよ…」
「おっとごめんね。でも大丈夫。僕はミカを否定しないから。安心していいよ」
「じゃあ…シテもいいの?」
「……さっき痛くさせちゃったよね? …じゃあお願いしようかな?」
頬、頭ときて今度は鼻先。のけぞりながら倒れ込むとマウントをとったミカが僕の事を左右の拳で殴りつける。
握り方は甘く、まるで子供がする様な出鱈目な大振り。それを僕は抵抗する事もなく、全てを受け入れた。
……どれだけ殴られたのだろう? 頬は腫れ、口の中に血が溢れ、途中から何をされたかも思い出せない。
それでも辛うじて見える視線を動かせば、僕のお腹の上で馬乗りのまま泣き叫ぶミカの姿が見えた。
あぁ、愛おしい。
こんなにも僕を愛してくれている。母さん達の言う通りだ。やっぱり間違えてなかったんだ。
伸ばした両手でミカを抱き寄せる。その涙は僕の為に流した涙じゃない。
だからこんなにも愛してくれるミカを肯定してあげたくなる。それがミカが求めるのなら。
他の愛情表現なんていらない。
他の愛情表現なんて知らない。
傷つけられる事が僕が求める愛情表現。
肯定される事がミカが求める愛情表現。
どんなに醜く歪でも、他を知らなければそれは立派な純愛だ。
泣きたくなる程に歪な程に 通行人B @aruku_c
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