或る神父の教誨

 教誨きょうかい、ですか。ありがとうございます、お若い神父様。僕はこの通り足枷に括り付けられ、今は火刑を待つばかりの身ですが、そんな僕のためにお時間を割いていただきましたことに、まずは感謝を捧げさせていただきます。

 僕は再洗礼派の宣教師ではありませんし、まして神父様はカトリックの神職にあられるお方ですから、あえてここでその教義について語ることは控えるといたしましょう。ただ僭越ではありますが、かつて主なるイエス様がバプテスマのヨハネによって洗礼を授けられたとき、イエス様は既に成人しておられたのだという事実、その一点のみをここでこうして指摘させて頂くに留めたいと思います。

 ——悔恨の念、ですか。いいえ。僕は、悔い改めるつもりはありません。自らの信念、自らの信じるところに従って、僕は再洗礼を受けたのですから。え、そうではない? ああ、ホンデハットの池の一件についてですか。そうですね。確かに神父様の仰られるように、看守の方が溺れて死ぬのを見過ごしさえすれば、僕は隣の村まで逃げ延びることができたでしょう。そうして、今こうして険しい塔の上の牢獄にいましめられることもなかったでしょう。

 僕の心が、そのとき迷うことすらなかったと言い切ったならば、それは神父様の前に嘘を申し上げることになるでしょうね。僕はただの人間です。死など一切恐れない、と胸を張って言い切れるほど、胸のうちに確かな信仰を宿しているという自信もありません。

 ただあのとき、僕はイエス様のお言葉を思い出したのです。ルカ福音書、6章27節。そう、そうです。「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい」。その言葉に従うために、僕はホンデハットの池の上できびすを返したのです。


 ……おっと、これまでのようです。どうやら、処刑の時間のようですね。では、短くなりましたが、これにて永遠とわのおいとまをさせて頂きたく存じます。有難うございました、神父様。

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