訪問‐⑦
「犯行現場と同じものか!?」
階段を駆け下りながら、俺はレフティに確認した。
『成分比率からみて、適合率は九十七パーセントです』
なら間違いない。
俺は玄関を飛び出すと、脇目も振らず外門に走った。
まさか、手掛かりが向こうからやって来るとは……
この機を逃す手は無い!
興奮と武者震いで全身が総毛立つ。
俺は外門に辿り着くと、慎重に外を覗き見た。
門前から六メートルほどの路傍に、白いワゴン車が停まっていた。
ナンバープレートは無く、車窓には黒い遮光フィルターが貼られている。
確かに、ここを訪れたときには停まっていなかった車だ。
「あの車か?」
『はい。車内に微量の炭化物反応があります』
俺の問いに、レフティが即答する。
炭化物の付着した物体がある以上、川瀬の殺害に関係した者と見て間違いない。
もし加害者本人であるならば、一気に捜査の進展に繋がる。
俺は深呼吸をして、はやる気持ちを抑えた。
落ち着け……
落ち着いて考えろ。
炭化物反応を有する物体が、殺害凶器である可能性は高い。
そして乗っているのが犯人なら、当然抵抗してくるだろう。
今の俺は、銃器類を所持していない。
万一戦闘になれば、素手で太刀打ちしなければならなくなる。
いくら訓練を受けたとは言え、あまりに分の悪い賭けだ。
だが……やるしかない!
今は己の技能と、左手のAIを信じるしか無いのだ。
俺は意を決し、思い切って門外に踏み出した。
僅かな動きも見逃さぬよう、全神経を研ぎ澄ます。
「レフティ、車内の様子は分かるか」
俺は、ゆっくり接近しながら小声で尋ねた。
フィルターのせいで、中は全く見えない。
『赤外線透視により、運転席に人影らしきものが確認できます。乗員は一名です。ただ、生体反応は探知出来ません。何らかの遮蔽手段がとられていると思われます』
相手が一人というのは悪い情報ではない。
タイマンなら、こちらにも勝機はある。
ひとつ気になるのは、今のレフティの報告だ。
炭化物反応はキャッチできたのに、なぜ生体反応は確認できない?
正体を隠すための、防御措置か?
だがそれなら、なぜわざわざこんな所に現れた?
俺の中で、疑念の渦が激しく流動する。
脳裏に、奥相模湖の地下施設の件がよぎった。
あの施設にも、探索妨害のための遮蔽措置が
おかげで捜索が手詰まりとなり、自分は武装ドローンの餌食となってしまったのだ。
ひょっとして、また同じ事が……
俺は、頭を振りながら深呼吸をした。
心奥から湧きあがろうとする恐怖心を懸命に振り払う。
いや……今は恐れている場合じゃない!
いずれにせよ、高度な技術力が用いられているのは確かだ。
例のドローンと関係している奴とみるべきだろう。
俺は唇を噛み締め、運転席側のドアに近付いた。
そして、そっと内ポケットから警察手帳を取り出す。
警察官を装い、尋問するためである。
俺が運転席を覗いても、窓は開こうとしなかった。
中から様子を窺っているのだろうか?
二、三度ノックしたが、やはり何の応答も無い。
「すみません。ちょっとよろしいですか?」
俺は、警察手帳を車窓に貼り付けて声を掛けた。
ようやく窓が下降し始める。
やっと観念したか……
だが……
車内に目を向けた俺は言葉を失った。
全く予想だにしない光景が飛び込んできたからだ。
運転席には、確かに一人の人物が座っていた。
だが、俺はその人物をほとんど識別できなかった。
なぜなら、そいつの頭部が……
それはバイク乗りが使用する、フルフェイスのヘルメットに酷似していた。
だが市販のものとは、明らかに異なっている。
前面にあるはずのシールドが無い。
まるで【のっぺらぼう】のように、全面が銀色のライナーで覆われていた。
何だ、こいつは!?
俺は思わず心中で叫んだ。
あまりの衝撃に、集中力が一気にふっ飛んだ。
『高熱反応があります』
唐突に、レフティの声が頭に響いた。
一瞬何の事か理解出来なかったが、身体の方が先に反応した。
俺が反射的に後方へ飛び退くのと、
右の脇腹に強烈な痛みが走り、肉の焦げるような刺激臭が鼻を突く。
まさに、一瞬の出来事だ。
あまりの速さに、何が起こったのか分からなかった。
突然、何かが襲い掛かってきた……
認識出来たのはそれだけだ。
俺は路に腹這いになったまま、車を睨みつけた。
窓ガラスの砕け散った運転席から、フルフェイスの頭部が垣間見えた。
何も無かったかのように、じっとこちらを見ている。
俺は、血の滴る脇腹を押さえながら身を起こした。
脱力感で、思うように体が動かない。
激痛で、全身から冷や汗が噴き出した。
それでも、どうにか片膝をつき身構える。
しかし、二度目の攻撃はやってこなかった。
それどころか突如エンジンが始動し、けたたましい摩擦音が耳をつん裂いた。
そして……
瞬く間に、その場から走り去ってしまった。
俺は追いかけようとしたが、手を伸ばすのが精一杯だった。
時間にして、僅か数分の出来事だ。
「いったい……今のは何だ!?」
俺は再びその場に座り込み、痛みと悔しさで顔を歪めた。
いくら思い返しても、何に襲われたのか分からない。
誓って言うが、運転席のフルフェイスが動いた気配は全く無かった。
奴が何か仕掛けたとは、どうしても思えない。
気付いた時には、窓ガラスの割れる音と共に負傷していたのだ。
それに……
鼻腔にへばり付く焦げた臭いが、俺の記憶を呼び覚ました。
そう……
この状況は、川瀬成彦が負った致命傷と同じだ!
レフティが発した、【高熱反応】というひと言──
その直後に、体に走った灼熱の激痛──
それはつまり、身を焼くほどの高熱を発する凶器を使ったと言う事だ。
これで、殺害現場での検証結果が証明された訳だ。
あのフルフェイスを被った者こそ、成彦殺害犯に相違ない。
「くそっ、何てことだ!」
せっかくの容疑者を取り逃がしてしまうとは……
筆舌し難い屈辱感が胸を締め付ける。
相手の容姿に気を取られ、状況判断が遅れてしまった。
敵に接近する際の手順は、特隊の訓練でいやというほど仕込まれた筈なのに……
ただひたすら、自分に腹が立った。
「レフティ……本部に連絡だ」
俺はワゴンの走り去った方向を睨みながら、声を絞り出した。
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