訪問‐⑤

「よく分かりました」


不快感を悟られぬよう注意し、俺はそこで話を切り上げた。

康子はと言えば、陶酔した眼差しであらぬ方を眺めている。


駄目だな……


俺は、心中でため息をついた。


彼女の口から出て来るのは、夫に対する賛辞ばかりだ。

これだけ盲信していれば、多少素行に不審な点があったとしても、猜疑心など微塵も湧かないだろう。


失敗か……


このまま話を続けても、過去の研究内容とドローンとの関連性など見つけられそうに無かった。


敬愛する夫を失い哀しみに耽る妻と、惜しまれながら世を去った夫……

そんな良好な夫婦関係を再確認したに過ぎない。


果たして本当に、川瀬成彦は武装ドローンの開発に関与していたのだろうか……


俺や狩矢本部長の勘は間違っていたのか……


言いようの無い焦燥感が、俺の中で渦巻いた。


「最後に、もう一つだけお伺いしたいのですが」


疲れが見え始めた康子の姿に、俺はこれを最後の質問にしようと決めた。


「息子さんがお亡くなりになった際……大変恐縮ですが……ご主人は体調不良で三か月ほど休職されておられますが、その時の状況を教えていただけませんか」


これは、俺が確認したかった三つ目の疑問である。


休職していた間、成彦は一体何をしていたのか。

この点については警察の調書にも無かった。

事件と直接の関係は無いと判断されたのだろう。


俺の質問を耳にした途端、今まで高揚していた康子の表情が見る見る曇ってしまった。

両眼には涙が溢れ、ポロポロと頬を伝って流れ落ちる。

手近の布巾で顔を押さえるが、漏れ出る嗚咽を抑えることは出来なかった。

俺は、何も言わずにそのまま待った。


「……すみません」


やがて顔を上げた康子が、謝罪の言葉を口にする。


「いえ、大丈夫ですか」


俺は、出来る限りの穏やかな口調で返した。


触れられたくない話題である事は百も承知だった。

その話をするという事は、最愛の子供を亡くした当時を思い返すという事だ。

夫を失って間もない今の康子にとって、それがどれほど酷な事かも分かっている。


だが、こればかりは彼女に聞くしかなかった。

休職中の夫の動向を知っているのは、唯一この人物しかいないのだ。


「あの人の……主人の落胆は酷いものでした。息子が死んだと聴かされても、全く信じなくて……あの子を見ようともしませんでした……仕方なく、遺体の確認は私が行いました」


康子は布巾を握りしめ、ポツポツと語り始めた。


「訃報を聴いてからというもの、主人は部屋から出ようとしませんでした。私があの子の遺品を部屋の前に置くと、やっとドアが開きましたが……目が腫れて真っ赤でした。そして、遺品を手にした途端、その場に倒れてしまって……すぐに主治医を呼びましたが、極度の精神衰弱が原因だと言われました」


疲れ切った表情で、大きく一つ溜息をつく康子。

焦点の合わぬ視線は、遠くを見つめたままだ。


「その日を境に、主人は書斎に籠り切りになってしまいました。食事もほとんど口にせず、四六時中書斎机の前でパソコンを眺めて過ごすようになりました。何をしていたのかは分かりません……勿論何度も声を掛け、説得もしたのですが……ただ黙って、首を横に振るだけでした」


話を聴きながら、当時の情景が浮かぶようだった。


引きこもり……情緒不安定……


職業柄、そんな奴らも嫌というほど見てきている。


「……ある日などは、怒鳴り声と大きな物音がしたので慌てて部屋に行くと、めちゃくちゃになった家具の中で立ちすくんでいました。何があったのか尋ねても、一切応えてくれません。怖ろしい顔で、ただ立ち尽くすだけで……主治医にも相談したのですが、暫くは様子をみるしかないと精神安定剤を処方されただけでした」


康子は当時を思い起こす苦痛に耐えながら、絞り出すような声で続けた。

布巾を握り締めた手が震えている。


「そんな事が続いたある日……ふいに主人が書斎から出てきました。本当に突然に……頬はこけ、身体も痩せ細っていましたが、不思議に顔付きはしっかりしていました。そして今まですまなかったと私に詫びると、明日から出勤すると言いました。仕事が溜まっているからと微笑みながら……私は、ようやく立ち直ってくれたんだと胸をなでおろしました。やっと元の生活に戻れると喜びました」


ほんの一瞬、康子の顔に赤みがさす。

その時の様子が、脳裏をよぎったのだろう。

俺は何も言わず、小さく頷いた。


「主人は、以前にも増して仕事に励むようになりました。長期休職の反動からか毎日残業続きでしたが、表情は驚くほど輝いていました。その様子に、すっかり安心していたのですが……それが、まさか……こんな事になるなんて……」


言葉が途切れる。

せき切った嗚咽が、激しい号泣となり室内に響き渡った。


康子も、大切な子供を亡くした直後だったのだ。

本来なら夫の胸にすがり付き、心ゆくまで泣き明かしたかったに違いない。

それが成彦の受けたダメージの方が大きかったため、自らの悲しみは抑えるしかなかった。

無理矢理気丈に振舞い、何とか日常生活を維持しようと耐え凌いだのだ。

愛する夫に再生して欲しいという思いだけが、その時の康子を支えていたのだろう。


その夫も、今はいない。


なぜ自分ばかりが苦難を背負わねばならぬのか……


己れの業の深さを呪い、神への恨み事を吐いた事も一度や二度では無いだろう。

彼女が、自ら断命しなかったのが奇跡と言えるほどだ。


この時ばかりは、俺は心底康子に同情せずにはいられなかった。


「……お察しします。長い時間、お手間をおかけしました」 


泣き終えた康子に、俺は静かに声をかけた。


もうこれ以上、この女性ひとに聴くことは無い。

彼女の目には、休職中の夫の姿は心神耗弱に苦しむ者としか映っていない。

部屋で何をしていたかなど、詮索する気も無かったに違いない。


またしても、答えは得られなかった……


だが、やむを得まい。


女性の疲弊し切った様子に、俺はそれ以上の追求は断念した。

今回の訪問が不発に終わった事は、完全に俺の認識不足が原因と言える。


妻なら、何か知っているのではないか……


そんな甘い考えで、訪れるべきではなかったのだ。


やはり、成彦の背後関係を洗い直してみるしかないか……


俺は手帳を閉じると、そのまま腰を上げた。


「こちらこそ、大変失礼しました」


くしゃくしゃになった布巾を抱えながら、康子も慌てて立ち上がった。

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