訪問‐④

「最大の難関は、制御システムの開発でした」


静かな室内に、康子の声が木霊こだまする。


「人の手を介する事無く、ロボット自身が状況判断するための基幹システムをどうするか……予想にたがわず、開発は難航しました。事象に対する答えを個々に紐付けていたのでは、データ量が増えるばかりです。初期の試作品では、一つ作業をするたびに数分の滞留時間ロスタイムが発生しました。動作を確定する選択肢が多過ぎて、記憶領域がオーバーヒートを起こすのです。このままでは、生産設備として全く役に立ちません。この課題をいかに解消するか……私たちは連日連夜、議論を重ねました」


康子はそこまで一気に語ると、肩で息をしながら俺の方に顔を上げた。

先程とは異なり、頬の赤みが気持ちの高揚をあらわしている。


自分の説明が、犯人逮捕に役立つなら……


そんな健気けなげさが見て取れた。


「試行錯誤の末、主人は一つのアイデアを出しました。アームに人間の動きをさせるのであれば、制御システムもに改良してはどうか……人間の行動パターンは視覚情報だけでなく、音や臭い、温度や触感によって決定されます。これらの情報が媒体となって、記憶から次になすべき動作を引き出すのです。主人はこの一連の仕組みをロボットに応用しようと考えました」


人間の思考回路を真似る……?


それはもはや、ロボットというよりAIの領域だ。


俺は無意識に、自らの左手に視線を走らせた。


「話を聞いた研究員は、皆当惑しました。そんな雲を掴むようなアイデアが、実現できるとは思わなかったからです……でも、主人は皆を説得しました。科学に不可能は無いと、何度も繰り返して……そして自ら率先して、人間の記憶とその誘発媒体との関連性について、学習と研究を始めました。脳が織りなすこの仕組みを、主人は【記憶のアルゴリズム】と呼んでいました。やがて、主人の熱意に研究員も次第に触発され……気が付くと、全員が一丸となって取り組んでいました」


息を切らしながらも、康子の話が途切れる事は無かった。

その表情には、微かな笑みさえ浮かんでいる。

夫の卓越した発想力と他者を惹きつける人間的魅力は、彼女にとっても大きな誇りなのだろう。


記憶のアルゴリズム──


人間の持つ[記憶]という現象は、近年の脳科学の研究でもかなり解明されつつあった。

人が感じ取った刺激は、各感覚器官を通じて脳にある海馬に到達する。

海馬では、その刺激を過去の記憶に基づき解釈・理解し、その中で必要なものを大脳皮質に書き込む。

人の動作は、この大脳皮質から記憶を引き出すことで生まれる。

この一連の流れを、成彦はアルゴリズム……法則性としてとらえたのだ。


「一度方向性が決まると、それ以降は流れるように進みました。制御システムも組まれ、起案から三年の後、私達は一つのプロトタイプの完成に至りました」


ここまでの話から、俺は改めて川瀬成彦という男の凄さを実感した。


電子工学が専門の成彦が、畑違いの脳科学分野にまで踏み込むには相当の決意を要したに違いない。

一から基礎知識を学び、そこから電子工学への応用を図るなど並大抵の事では無かったはずだ。

素人の俺でも、それくらいは分かる。

それをたった三年で成し遂げたのだから、驚異的な頭脳と言わざるを得ない。


まさに天才だ。


学術論文を評した世界の著名研究者らに、【東洋の島国に生まれた奇跡】と言わしめたのも納得がいく。


「プロトタイプには作業データのインプットは必要ありません。研究員が実演する動作を、自らが使記憶するのです」


顔を紅潮させながら、康子の話は続いた。


「実験的に行った数百種類の動作を、プロトタイプは一回で記憶し、寸分違わぬ正確さで再現してみせました。さらに動作の中には、製造作業以外の要素も取り入れました。食材の調理や車両の操縦、絵画や陶器類の製作……人が【たくみの技】と呼ぶ特殊な技術も、ロボットアームは見事なまでに模倣してみせたのです」


胸前で手を組む康子の目は、俺の頭上を越え、はるか彼方を見つめている。

この研究が彼女にとっても、いかに大きな意味を持っていたかが読み取れた。


「勿論、実際の製造ラインを使ったテストも行いました。ロボットアームの前後で、わざと異なるバリエーションのトラブルを起こし、その対応を確認したのです。どのトラブルに対しても、このプロトタイプは人間が行うのと全く同様の対処を実行しました。つまり人間と同じように感じ、判断し、次の正しい動作を自分の記憶領域から導き出したのです」


康子の陶酔した顔を見ながら、俺は川瀬成彦の学術論文のテーマを思い起こした。


【記憶アルゴリズム適用による産業用ロボットの次世代進化】


論文は発表されるや、国内のみならず海外の科学誌でも大きく取り上げられた。

小さな島国の東洋人が、世界の壮々たる研究者を尻目に偉業を成し遂げたのだ。

その反響は、想像をはるかに上回るものだった。

そして、成彦を始め研究スタッフが歓喜に沸いたのは言うまでもない。


彼の開発したロボットアームは、製造業の枠にとどまらない利用価値があった。

寝たきりの身障者や高齢者の介護から、一般家庭の家事アシストに至るまで、その用途は多岐に及ぶ。

個々の要求に応じて臨機応変に対応してくれるのだから、もはや専門職のサポートを受けているに等しかった。

母親の代わりに、乳児を寝かし付ける事さえ可能となるのだ。


汎用化が実現すれば、産業のみならず福祉施設や医療現場での慢性的な人手不足解消にも繋がる。

機械であるが故、講習や研修といった技能教育に時間をかける必要も無く、休息等のロスタイムや労働賃金の発生も生じない。

ロボットアームが生活の必需品となる日も、そう遠くはないだろう。


俺はもう一度、左手をちらりと見た。


特隊本部の中で、こいつ──レフティ──の事を、俺にとっての【第二の脳】と呼んだ奴がいる。

当人は称賛のつもりだったのだろうが、俺は少しも嬉しくは無かった。

一つの身体に、脳みそは二つもいらない。


その理屈で言うなら……


記憶アルゴリズムを組み込んだロボットアームは、さしずめ【第二の肉体】といったところか……


赤子をあやすアームの姿を想像して、俺は気分がした。

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