訪問‐②

「……はい」


インターホンからかすれた女性の声が聴こえた。


「恐れ入ります。警察の者ですが」


俺は、高圧的な口調にならぬよう注意しながら名乗った。


[警察]というのは、俺が身分を隠す際に使う仮の職種である。

特隊の存在は非公式なため、状況に応じて使い分けているのだ。

前職が刑事なので特に演技する必要もなく、職務質問や事情聴取のやり方も心得ていた。


「少々お待ちください……」


少し間を置いてから返答があった。

電子ロックの外れる音と共に、外門が内側に開く。


「どうぞ、お入りください」


再び、インターホンから声が流れる。


俺は、玄関まで続く広い石畳をゆっくり進んだ。


間近でみると、庭の植木類は大半が色褪せている。

枝葉は痩せ細り、落葉した枯葉も放置状態だ。

池の方に目をやると、小さな鯉が仰向けになってへりに浮かんでいた。

もう何日も手入れされていないようだ。


玄関に着くと、ノックする前にドアが開いた。

青白い肌の痩せた中年女性が顔を覗かせる。

それが川瀬成彦の妻……康子やすこである事は、すぐに分かった。

化粧のされていない端正な顔が、泣き腫らした跡でむくんでいる。

ろくに食事をとっていないのか、半袖から覗く腕は痩せ細り血管が浮き出ていた。


「何か……ご用でしょうか」


康子は上目遣いで俺を見上げると、苦しそうな声で言った。


「警視庁のタキザワと言います。成彦さんの事で、少しお伺いしたいことがありまして」


俺は警察手帳を見せながら、平然と偽名を名乗った。

勿論、このアイテムもニセモノだ。

康子は手帳には目をくれず、じっと俺の後方を眺めている。

やがて俺の視線に気付くと、どうぞと身を引いた。


「失礼します」


俺は、誘われるまま家の中に入った。


外観にたがわず、屋内も広かった。

二階まで吹き抜けた玄関には、片側に花瓶の置かれた方形のニッチ、もう片側には大人の背丈ほどもあるシューズボックスが設置されている。

靴を脱いでスリッパに履き替えると、通路の一番奥の部屋に案内された。


たっぷり二十畳はあるリビングが目前に開けた。

部屋の半分はカーペットの敷かれた洋間で、半分は一段高い畳の間となっている。

洋間には豪奢なソファセットが中央に置かれており、その奥がカウンターキッチンになっていた。

畳の間は仕切りがなく、中央にえられた大きな仏壇以外調度類は無かった。


「よろしいでしょうか」


俺は仏壇の方を指し示すと、康子が頷くのを確認してから畳の間に上がった。

仏壇には生前の成彦の写真と、小さな男児の写真が並んで飾られている。

恐らく、二年前に死んだひとり息子だろう。

俺は焼香をあげ、静かに手を合わせた。

後ろから、康子のすすり泣きが聴こえてきた。


「ありがとうござました」 


そう言って、康子はハンカチで目を拭った。

そのまま立ち上がり、奥のキッチンへと引っ込む。

俺も洋間に移ると、壁に貼りついたガラス張りのキャビネットを眺めた。

中には、高額そうな陶器類が所狭しと並んでいる。


「主人のコレクションなんです」


いつの間にか戻ってきた康子が、ぽつりと呟いた。

手には、茶器の乗った盆が抱えられている。

どうぞと促されて、俺はソファに腰掛けた。


「それで……その……主人をあやめた犯人は、まだ分からないのでしょうか」


辿々たどたどしい口調で尋ねる康子。

茶碗を置く手が震え、少しでも気を抜けば倒れてしまいそうだった。


「現在調査中ですが、今のところまだ……今日お伺いしたのは、少し確認させて頂きたい事がありまして」


そう返すと、俺は視線を茶器に落とした。

あまり直視を続けるのは良くない。

相手を余計に萎縮させてしまうだけだ。


「そうですか……」


そう呟くと、康子は向かいのソファに腰掛けた。

噛み締めた唇が落胆の度合いを物語っている。


「お聞きしたいのは、ご主人のお仕事に関してです」


俺は、手帳を取り出しながら切り出した。


「電子装備研究所の副所長になられて七年ということですが、職場での交友関係はいかがだったでしょうか?奥さんから見て、何か気になる点などはありませんでしたか?」


交友関係については、本物の警察がすでに確認済みだが、俺はあえて質問した。

答えが聴きたいのでは無く、康子の様子が見たかったからである。


夫が何か隠し事をしていれば、その変化に真っ先に気付くのは妻である彼女のはずだ。

警察からの同じ質問に対し、この女性の答えは『特に無かった』だった。


本当にそうなのか……


あるいは、知っていて話さないのか……


もし後者なら、少なからず態度に現れてもおかしくない。


刑事時代の経験と、特隊で叩き込まれた犯罪心理学の知識を持つ俺には、話し相手の心理状態を読み取る技能がある。


顔色、目の動き、話し方や動作……


心にやましい事のある連中は、必ずと言っていいほどそれらに兆候が現れるものだ。

康子においても、決して例外では無い。

その微細な変化を逃すまいと、俺は意識を集中した。


一瞬、不思議そうな康子の視線が俺を捉える。

だが、またすぐにうつむいてしまった。


「以前別の警察の方にもお話ししたのですが、主人は性格が温厚な人でして人間関係をとても大事にしておりました。部下の方を食事にお招きする事もしょっ中でしたし、主人の誕生日祝いを毎年職場をあげてしていただいておりました。私は恵まれた人間だ、というのがいつもの主人の口癖でした」


視線を落としたまま、消え入りそうな声で康子は答えた。

俺が、知人による犯行を疑っていると思ったようだ。


夫は恨まれるような人間では無い!


そんな胸中の叫びが聴こえてきそうだった。


「仕事はお忙しそうでしたか。毎晩帰りが遅かったとか」


俺は、更に誘い水を向けてみる。


「はい。もともと仕事熱心な人でしたので……帰りが真夜中になる事も度々ありました」


そう言って、康子はいぶかるように首を傾げた。


「お仕事の内容を、お宅で話されたりはしましたか?」


俺は、話の矛先を少しずつ転換した。

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