訪問‐①

俺は宣言通り、五日目の朝に退院した。

病室の窓から嬉しそうに手を振る恵子を完全無視して、本部を後にする。


無論病床にあっても、ただ寝ていたわけではない。


レフティのネット機能を使い、あらゆる方面から川瀬に関する情報を集めた。


川瀬かわせ成彦なるひこ──


防衛装備庁電子装備研究所の副所長に就任して十年になる。

現在の所長は防衛省事務次官が兼任しているため、川瀬が研究所の実質的な最高権力者という訳だ。


もともとは某大学の電子工学部門の学部長をしていたが、当時発表した学術論文が世界的評価を受けたことがきっかけで防衛省の勧誘を受ける。

桁外れの研究費に惹かれ、入省を決意した。

その後電子装備研究所に配属となり、副所長の座についたのが七年前だ。


防衛装備庁とは、国防のための新しい電子機器や装備を研究・開発する機関だ。

その外部機関である電子装備研究所は通信、情報処理、レーダー及び光波技術などの研究を主な役割としている。

今流行りのネットによるサイバー攻撃防護策や弾道ミサイルの探知システムなども、ここで開発されている。

その意味では、日本の国防レベルの良し悪しは、全てこの部門にかかっていると言えるだろう。


日本の国防力を海外の大国と双肩をなすものにする……


それが、川瀬に課せられた使命だった。


事実、戦車など対戦用重機類の無人化や、レーザーを利用した超遠隔操作システムなどの開発は既に実用化レベルであり、日本の防衛力の進化を十年は早めたと言われている。

いずれも、レフティが覗いた防衛省のトップシークレット情報である。


居住地は東京郊外で、夫婦二人暮らし。

子どもはいない。

いや、正確には一人息子がいたのだが、五歳のとき交通事故で亡くしている。

相手は未成年の暴走族少年の運転する盗難車で、加害者はすでに少年院送りとなっている。


今から二年前の話だ。


息子を亡くした直後、川瀬は体調不良で自宅療養を余儀なくされたが、三ヵ月ほどで職場復帰を果たしている。

歳をとってから授かった子だ。

夫婦の悲しみは、相当なものだったろう。


妻の名は川瀬かわせ康子やすこ──


成彦の大学時代の教え子で、彼とは十二も歳が離れている。

結婚するまでは、川瀬のいる電子工学部で研究員をしていた。

師弟関係が、いつしか恋愛関係に変わった訳だ。

結婚後は、大学院卒業を機に専業主婦となっている。


当然ながら、夫婦とも犯罪歴は無い。

それどころか交通違反の切符一つ、切られたことが無い。

職場での川瀬は面倒見がよく、部下からの人望も厚い。

康子の方も、近所のコミュニティで世話役を買って出るほど地域貢献に力を入れている。

二人とも交友関係はかなり広いが、良い評判しか聴こえてこない。


善良な市民の見本のような夫婦だな……


俺は、内容を確認しながら肩をすくめた。


保有資産を見ても金銭的に困窮している形跡は無く、当たり前だが借金も無い。

データをみる限り、川瀬と例の武装ドローンとの関係を匂わせるものなど、どこにも見当たらなかった。


残る可能性があるとすれば、川瀬が何者かの脅迫を受けていたという線だ。

特に彼が体調不良で休職していた時期については、一切記録が無かった。

もしこの間に第三者からの接触があり、関与せざるを得ない状況が発生していたとしたら……

あくまで想像の域を出ないが、そう考えると辻褄は合う。


この点も含め、川瀬の身辺情報については妻から聴き出すしかなさそうだ。


俺はかき集めた情報を反芻はんすうしながら、川瀬の自宅に車を走らせた。



*********



そこは、川瀬の遺体発見場所とよく似ていた。


高級住宅街というのは、きっとどこも似通った造りになるものなのだろう。

造園のような庭と高級車のある駐車場、洒落た造りの犬小屋が、まるで三点セットのように並んでいる。


その中でも、川瀬の自宅は一番高台にあった。

二百坪はありそうな豪邸だ。

敷地の半分近くを庭園が占めており、ビニールハウスや小さな人口池まで備わっていた。

庭の隅には、野晒のざらし状態の遊具が放置されている。

ブランコの支柱は錆び付き、滑り台の板も底が抜けて傾いていた。


「レフティ」


俺は、正面を向いたまま小声で囁いた。


「今から周辺探査を始めてくれ。殺害現場にあった炭化物反応の有無を調べるんだ。あと上空の動体物にも気を付けろ」 


妻が殺害に関与しているとは思いたくないが、犯行時刻には就寝中との証言しかなく、明確なアリバイとは言い難い。

凶器の特定は出来ていないが、もし妻が関与しているなら、家の中及び周辺に隠匿している可能性もある。

そして、そこに殺害現場で検出した炭化物……皮膚の焦げ跡の痕跡が見つかれば、凶器と断定出来る。

俺としては、何より凶器の発見を優先したかった。


『分かりました』


俺の入院中に、レフティのバージョンアップもなされていた。

奥相模湖の一件を教訓として、探査範囲の拡充が必要と判断されたのだ。

これまで百メートル四方が限界だった範囲が倍に広がり、接近物体もかなり事前に察知できるようになった。


同じ失敗は繰り返さない。


俺は自分の服装にちらっと目をやってから、外門の呼び鈴を鳴らした。

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