指令-①
ピッピッという電子音が耳をくすぐる。
薄目を開けると、白い天井と点滴が視界に入った。
音の主は、頭上に置かれた生態情報モニターだった。
ここは……?
自らの状況が理解出来ぬまま、俺は起き上がろうとした。
即座に、激痛が全身を襲う。
おかげで、一気に記憶が蘇った。
そうだ!
俺はあの時、断崖から川に落下して……
脳内に散らばる記憶の断片が、走馬灯のように回転し始める。
ドローンの執拗な襲撃──
ミサイルによる負傷──
そして断崖からのジャンプ──
映画さながらのシーンが、脳裏をよぎっていく。
首を捻って右腕に目をやると、肩から肘にかけて包帯が巻かれていた。
胸には、硬そうなギプスが乗っている。
そこから伸びたコードが、頭上のモニターと連結しているようだ。
ちなみに、右腕には馬鹿でかい点滴も付いていた。
見覚えのある室内の様相に、俺はここがどこかを悟った。
なるほど、本部のICU(集中治療室)か……
どうやら、特隊に救助されたらしい。
よく間に合ったものだ……
『お目覚めですか。何かご用はありませんか』
耳元で懐かしい声がした。
「レフティか……お前は無事か?」
そう言って、俺は左手をゆっくり持ち上げた。
時計盤の青い点滅が、数回
『すでにセルフチェックは完了しています。特に異常は検出されませんでした』
元気満々です!
人間なら、そんなセリフが語尾に付きそうだった。
確かに、音声から受けた印象では問題無さそうだ。
もっとも、こいつには心臓部であるCPUを守るための保護対策が幾重にも施されている。
崖から落ちたくらいでは、びくともしない。
全く……
それに引き換え、俺の方は散々な有様だ。
本部への報告を怠り、自分勝手な行動をとった結果がこれである。
同僚に
全く……情けない……
俺は胸中で悪態をつくと、今一度当時の状況を思い返してみた。
黒いドローンから発射されたのは、恐らく小型の対地型ミサイルだろう。
威力は、TNT四十キロ相当といったところか。
着弾地点から、周囲二十メートル四方を吹き飛ばせる威力だ。
一発目から二発目までの間隔がやや長かったところをみると、装弾数は恐らく二基だ。
一基目で俺の生死が確認出来なかったため、二基目の発射に慎重になったのだろう。
この時間差のお陰で、逃亡距離を稼げた訳だ。
こうなると、あの地下施設はドローンの収納庫と見て間違いない。
俺が探索を始めたのを見て、慌てて始末しにやって来たのだ。
何の装備も持たない──少なくとも相手にはそう見えていた筈だ──奴が、いとも簡単に地下の出入口を開けてしまったのだ。
さぞや、驚き焦った事だろう。
それにしても、一体誰が何のためにあんなものを造ったのか……
この点に関しては、さすがに見当もつかない。
現段階で分かっているのは、相手が機械工学や航空力学などの専門知識を持ち、かつ相当の資金を有しているという事ぐらいだ。
くそっ!
俺は、心中で舌打ちをした。
結局、大怪我の割には収穫無しだ。
単なる殺人事件では無いと思っていたが、これほど大掛かりなものとは思わなかった。
荒っぽい事に慣れた俺でも、こいつは度を越している。
「あら、起きてたの」
ふいにノック無しでドアが開き、白衣を着た女性が顔を覗かせた。
「おはよう……と言っても、もうお昼過ぎだけどね。それにしても、よく寝てたわね」
女性は部屋に入るとそのまま窓際に行き、分厚いカーテンを開け放った。
痛いほど眩しい陽光に、俺は目を細めた。
「運ばれてきた時は、意識不明の重体だったのよ。手貸して」
女性は俺の返事を待たずに右手を掴むと、腕時計を見ながら脈を測り始めた。
その後ペンライトを取り出し、これまた容赦なく両眼をこじ開け覗き込んだ。
「良好ね。あなた元々頑丈だから治りも速いわ……はい。レフティ、調子はどう?」
女性は手際よく点滴と生態情報モニターをチェックしながら、俺の左手にも声をかけた。
『問題ありません、有馬先生。お久しぶりです』
すかさず返事を返すレフティ。
どこかしら嬉しそうに聴こえたのは、恐らく俺の錯覚だろう。
「良かったわ。衝撃吸収用の特殊コーティングを施して正解ね」
その女性はにっこり微笑むと、俺の左手の時計盤をチェックし始めた。
どう見ても、俺の時より親切丁寧だ……
レフティの声が識別できるという事は、この女性の耳にもマイクロチップが埋め込まれているという事だ。
彼女の名は、
医者である。
特隊本部の医療班でチーフドクターをしている。
つまり、このエリアのボスだ。
従って病室のドアをノックする必要も無いし、脈をとるのにいちいち許可を得る必要も無い。
ここに入った時点で、【思いやり】や【マナー】といった言葉は無いと思った方が良い。
非礼を怒ろうが、文句を言おうが、この女性には全く効かないからだ。
すました顔で、「あらそう」の四文字が返ってくるだけだ。
それが分かっている俺は、腹も立たなかった。
ただ、コイツ……失礼……有馬恵子を、ただの無礼な医者と思ってもらっては困る。
医者であると同時に、量子物理学の博士号も有するキレ者だ。
小難しいシステム開発なども、片手間にやってのける天才なのだ。
そして、俺の左手にレフティをくっ付けた張本人でもあった。
だから俺は、この場所がいまだに好きになれない。
自分が、籠の中のモルモットになった気分になるからだ。
俺が終始憮然とした表情なのも、このせいである。
こう言えば、どんな憎たらしい風貌なのか気になるだろう。
ついでなので、彼女の外見も説明しておこう。
ショートヘアで目鼻立ちの整った顔は、女優にしても十分通用するほどの美形だ。
勿論、眼鏡などかけていない。
すらっと伸びた長身に、細くしなやかな四肢──
揺らめく白衣越しに、そのスタイルの良さが際立つ。
女優で、モデルで、そして天才……
まさに、才色兼備を地でいくスーパーウーマンだった。
これで、性格さえ良ければ……
彼女に言い寄ってきた男性の大半が、そう思っているに違いない。
これだけの容姿を持ちながら、これまで浮いた話のひとつも無かった。
ほとんどの相手が、告白してすぐに
どこに好意を持ったかデータで示せと迫られたら、誰だってそうなる。
しかも本人はそれが当然だと思っているから、余計始末が悪い。
天は二物を与えず、とはよく言ったものだ。
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