エピローグ

 俺はあのスカイツリーの見える練習場に来ていた。

 稗田コーチから「息子を教えているんだが、お前もこい」というメッセージが届いたのだ。ぶしつけに呼び出すなんてどういうつもりだと憤慨しながらも、俺をさらに成長させるための考えが何かあるのかもしれないなどと期待してのこのこやって来てしまった。

「久しぶりだな、お望み通り『悪魔の左足』を広めておいてやったぞ。今日はそのお礼をしてもらおう」

「は? 頼んでねえぞ」

 勝手にやっておいてお礼をしろとはずいぶん一方的だ。

「俺は今日ちょっと用事があってだな……、こいつは『こうせい』っていうんだ。小一だ」

 稗田コーチは、やっとその横でさっきから体をずっとグネグネさせている落ち着きのない小さな少年を紹介した。「こうせい」がどんな字を書くのかはわからない。

「代わりに教えてやってくれ。くれぐれも安全にな。無茶なことしそうだったら叱っていいから」

「な! ちょっと待て、あんた、俺に子守させるためにわざわざこんな遠くまで呼び出したのか!」

「スイミングまでの2時間くらいだ。そのあとは好きに使え。俺は夕方には戻る。じゃ、こうせい、このお兄ちゃんに教えてもらえよ」

 そのまま稗田コーチは消えてしまった。


 仕方ない。見てやるか。

 とりあえずは、靴拾いをしながら危険がないように見張ってればいいかと、こうせいの好きなようにやらせてみることにした。

 普段から稗田コーチに教えられているだけあって、子供にしてはそこそこ様になってはいる。

「ちっちゃい靴だなあ」

 靴を拾ってやりながら、こうせいがやっているのをしばらく見ていると、いろいろ欠点が目に付く。

 せっかくスカイツリーの見える練習場なのに、こうせいは下を向きっぱなしで、靴を飛ばしたあと、行方を追うときだけ顔を上げる。

「あそこにスカイツリーがあるだろ? あのてっぺんめがけて飛ばすんだ」

 そうアドバイスして顔を上げさせると、先ほどより、だいぶ姿勢がよくなり、明らかに靴に力が伝わるようになった。

「こうせい、さっきより飛んだじゃん!」

「へへえ」

 ちょっと嬉しそうに前歯のない笑顔を見せた。

「じゃあ、今のを忘れないようにもう一度だ」

「おお!」

 こうせいは急にやる気を出して、楽しそうに練習するようになった。

 わかりやすい奴だなと思いつつ、そんな姿を見ていたら、俺も教えることが楽しくなってきた。

 しばらくこうせいの練習を見ていたが、俺は自分の競技用の靴を取り出した。

「よし、じゃ、俺が手本を見せてやる、ちょっと代われ」

 見ていたら、無性にやりたくなってウズウズしていたのだ。

「俺は『悪魔の左足』って呼ばれてるんだぞ」

「あくま?」

「それくらいすごいってこと」

 ブランコに乗ってベルトを着ける。

 体が勝手にブランコを漕ぎ始めた。

 自分の思う通りに体が勝手に動く。

 ――――楽しい‼


『好きだからやるんじゃなくて、やるから好きになる……。物事も、人も、自分から関わっていくほど、どんどん好きになって、好きなものがどんどん増えていくんだよ……』


 いつかの美佐姫先輩の言葉が蘇った。

 本当だ……。

 勝ちたくて、ただそれだけで、夢中で突っ走ってきた。好きかどうかなんて、考える暇もなかった。

 あれだけ欲しかった勝利は手元にない。だけど、ブランコに乗るだけで自然と動き出す自分の身体は確かにここにある。

 この感覚は好きという気持ちだ。


 タイミングはドンピシャ。会心の出来だった。

 ロベルト・カルロスのシュートのイメージで作り上げた俺の靴飛ばし……。

 靴はまっすぐスカイツリーに向かって飛んでいく。

 こうせいがこちらを向いたのを感じて、俺もこうせいと顔を合わせる。こうせいは驚いたように口をあけて尊敬のまなざしでこちらを見ていた。

 俺はブランコを止めて、親指を立て、ドヤ顔を決める。

 …………? 

 ……靴がない!

 どこまで飛んだか見ようとしたら、どこかに落ちているはずの靴がないのである。

「こうせい、靴どこ行った?」

「………………ない!」

「ないな……」

「ははは、なくなった」

 こうせいは無邪気に笑っている。

 その時、

「こうせー!」

 うしろの方から名前を呼ぶ声、声の方を振り返ると稗田コーチの奥さん、こうせいのお母さんが立っていた。

「スイミングー!」

 母親は、車のカギが付いていると思われるキーホルダー持った手を上に掲げながら息子を呼ぶ。

「やべ、スイミングだ!」

 こうせいは俺への挨拶もなしに、母親の方へ一目散に駆けていってしまった。

「教えてやったのに、礼儀知らずなガキだ」と一瞬思ったが「それは俺か」とおかしさがこみ上げてきた。


 それにしても、靴はどこに落ちた?

 スカイツリーはすました顔で立っているだけで何も教えてくれない。

 この前の犬が持って行ってしまったのだろうか? 目を離したあの一瞬のスキに?

 もしかして、向かいのフェンス手前の草むらの中に入ってしまったのか?

 ……だとしたら60メートルは飛んだことになる。

 俺はブランコから降りて靴を履くと、そちらへ駆けよって草むらに分け入って靴を探す。だが、その草むらの中からも靴は見つからなかった。

 仕方なく、ブランコの方に戻る。

「あの靴買ったばかりだったのに……」

 俺はやれやれと一つため息をついてから振り返り、もう一度、遠くでそびえるスカイツリーを見つめた。

 スカイツリーに靴が引っかかっていたら、それは俺のだ。

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スカイツリーに引っかかれ! 中井佑陽 @nakaiyuhi

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