琥珀
弥生
血染めの月
遺影の前に立つと写真のアイツは笑っていた。
大雑把に分類分けするなら「笑顔」なんだろう。
けど、頬や目尻や額の皺が笑っているどころか哀しみ苦しみ悶えていた事をありありと滲ませている。
笑顔と呼ぶにはお粗末過ぎる造り笑顔だ。
アイツはこんな調子で、いつも惜しいヤツだった。
そして今、私に笑えと云われたならきっと、私も全く同じ表情をするに違いない。
こんな小さな町じゃ、私が自殺騒動を起こした事なんて知れ渡っているに違いない。
田舎町の公立高校で現国の教員として勤めていたけれど、思い描いていた理想と現実とがあまりにも解離していて鬱ぎ込むようになり、引き籠った挙げ句、カッターを手首に当てて・・・。
表向き学校では疲労のため暫くの間は療養で休職すると云う扱いになっているみたいだ。
葬儀には私の教え子達もまばらに参列しているのを見受けた。
きっと私のその一件は知れ渡っているに違いない。
誰も私の方を見たり、ましてや話しかけてきたりはしない。
こんな有り様で今更先生ヅラをするツモリもないけれど、きっと生徒達も生徒達で腫れ物に触るような感覚で私に近寄らないようにしているのだろう。
「先生!あの無冠の文豪って呼ばれてる咲良岬って、この高校の卒業生だったって知ってました?」
進路相談の時に、その咲良岬を敬愛する生徒が私に訊いてきた。
咲良岬と云うのはアイツのペンネームだ。
年齢や出身地や性別までもを隠して覆面作家を気取っていたみたいだけれど、いまいちパッとしないし、「無冠の文豪」なんて枕詞はまさにアイツには打って付けだと思えた。
本当にアイツはいつも惜しいんだよ。
その生徒は夏休みの宿題の読書感想文で咲良岬に出会い、それ以来咲良岬の過去の作品を読み漁っては興奮しながら放課後に私に感想を聞かせに来たりもしていた。
直木賞、芥川賞、その他の文芸文学に贈られる賞の類いは、現国の教員と云う仕事柄すべて抑えてはいた。
ベストセラー作家の名前が並ぶ中に咲良岬の名前が入るようになったのは昨日今日の話ではない。
毎回毎回ノミネートはされるものの、未だかつて1度も受賞はした事がなかった。
それもその筈、
内容を読めば明らかに他のベストセラー作家達とは差があり、それが何なのかははっきりと分からないけど、致命的に足りない何かがアイツの作品にはあった。
ノミネート作品を全部読めば、アイツだけ数合わせか当て馬で名前が挙がっているだけだと云うのが明確に読んで取れた。
良い所まで行ってるんだと思うけれど、アイツはいつも惜しいんだよ。
御焼香の煙が立ち上ぼり、
私の視界から一瞬だけアイツの笑顔が遮られた。
煙が消えると、相変わらず辛そうな笑顔のアイツが遺影の中にいた。
「コハクだよ、コハクイロの月って読むんだ」
国語の成績は子供の頃から良かったし、小学生の頃から大人が読む様な小説も格好付けて読んだりしていた。
内容なんて理解できるような年齢でもなかったけれど、漢字や言葉遣いや大人の云い回しをクラスの誰よりも知っていると云う自負があった。
同い年のクラスメートの書いた「琥珀」と云う漢字が読めなかった事は、私にとってこの上ない屈辱でもあり、あの時の敗北感は一生忘れられないと思っている。
「結末を曖昧にして読者に想像の余地を残すのは味があっていいと思うのよ。でも、この主人公、ヒロインのために死ぬのはいいんだけどさ、そこに至るまでの過程の心理描写が足りない気がするかな」
たかだか小学生の書いた小説に、これまた同い年の小学生が感想を求められただけなのに、私の中で琥珀の一件以来アイツへのライバル心がメラメラと燃え続けていた。
大人の評論家が大人の小説に論評するかの様な口調で批評をし続けた記憶がある。
アイツの母親と私の母親とは、家が近所なのもあってアイツと私が産まれる前からの仲良しだったらしい。
家族ぐるみのお付き合いと云えば大袈裟だけれど、幼い頃からお互いの家に行き来はあった。
幼馴染と云えば幼馴染なのかも知れないけれど、それを云ったらこんな小さな田舎町じゃ小学校の全校生徒が幼馴染みたいなものだ。
アイツの母親から私の母親に、アイツが学校で苛められているのではないかと相談に来られた事があった。
盗み聞きするツモリはなかったけれど、漏れ聞こえてくる単語から話の内容は把握できた。
苛めか・・・
確かに弄られキャラではあるしみんなにからかわれたりもしているけれど、やってる連中に悪意はないと思った。
ただ、たまに度が過ぎて怪我をさせちゃったり泣かせちゃったりしてるのは私も気にはなっていた。
だけど、アイツの書く小説の主人公や登場人物だったらもっとスマートにウィットに富んだ切り返しで切り抜けるだろうなと思っていた。
小説の中ではあんなにクレバーなのに、現実では、本当に惜しいんだよアイツ。
遺影の中のアイツに手を合わせた後、遺族席の方に向き直ってアイツの母親の前まで歩み寄る。
両手でハンカチを顔にあてて嗚咽しているアイツの母親に、聞こえるか聞こえないかくらいの声で「惜しいヒトでした」と囁きながら深く一礼をしてその場から下がった。
「理想的で青臭くて、現実だったら当たり前のことをさも美しいことみたいに描いて。いい話っちゃいい話なんだけどちょっとあざといのよね。なんかこう、泣かせてやろうっていう意図がひしひしと伝わってくるっていうか」
アイツとの最後の会話だ。
最後の最後まで、私はアイツへのライバル心から憎まれ口を叩く事しかできなかった。
私は国語の先生に成ろうと云う決意を固めかねていた時期だったと思う。
不安と迷いの中で、きっと進路なんてまだ決めていないであろうアイツに将来の展望を聞いて、私の方が多少なりとも現実的な未来を見据えていると安心したかったのかもしれない。
小説家に成りたいなんて明確な夢を告げられて、琥珀の一件以来二度目の敗北感だった。
アイツに裏切られた様な感覚に打ちのめされつつも、強がって応援するような台詞を絞り出したのを覚えている。
そして、最後の最後に読ませてくれた作品への感想が、この批評だった。
「あの桜の木の下、先に行ってるね」
高校を卒業するまでの間、何十回何百回聞いたか分からないアイツの台詞。
毎日とまでは云わずとも、かなりの頻度でアイツと私とは放課後にあの岬の桜の木の下で会っていた。
靴を履いて斎場を背にして歩きだした時に、数年振りにアイツのその声を聞いた。
もうあの桜の木の下で待っているハズもないアイツに会いに、私の足は岬へと向かって歩きだした。
小脇に抱えたハンドバッグにアイツの遺作が入っていたハズだ。
月は低くて暗いけれど、もしかしたら月明かりでアイツの遺作をあの場所で読めるかも知れない。
アイツが旅立った場所で私がアイツの遺作を読むことが出来たなら、供養みたいな物になるかも知れないと。
桜の木は、いつも通りに、まるで何もなかったかのようににそこに立っていた。
私は桜の木の下まで行くとベンチに腰を下ろしてハンドバッグからアイツの遺作を取り出した。
真っ黒い海の上に血で染まったかの様な赤い満月が浮いていて、その赤い月の梺以外は水平線も見えないくらい真っ暗だった。
光なんて無くても、アイツの書いた小説なら読めるハズ。
そんな風に思えて私は本の表紙を開いた。
「ねぇ、コレが琥珀だよ。琥珀色の月って、このことだったんだよ」
聞き覚えのあるアイツの声に、私はすぐさま立ち上がって声のする方角に向き直った。
肩掛け鞄を下げた冴えないオヤジが突っ立っている。
これ以上ないってくらいの嫌味を頭の中で選びながら私はその冴えない顔したアイツの方に歩いて行き、目の前まで着くと同時に最高の嫌味を思い付いた。
「まだ、小説は書いてる?」
アイツは返事もせずに大粒の涙をボロボロと溢しながら泣き出した。
その涙のせいで、自分の吐いた嫌味が自分に跳ね返ってきた。
自分はどうなんだよ!と責め立てられるような感覚に陥った。
アイツの肩から下がっている鞄の中身を私は知っている。
一体の屍を木の枝から吊るすのに充分な強度のロープが入っている。
そのロープで死ねる事はつい先日アイツがこの場所で立証済みだ。
思えば私はアイツより一足先に敗北宣言の白旗を上げて、終止符を打つ事にすら失敗したばかりだった。
アイツのクセに私より先に逝くなんて生意気だ!
「ねぇ、その鞄、私に寄越しなさいよ」
そう云って強引にアイツの肩から鞄を奪うと私はいそいそと鞄の中からロープを取り出した。
アイツは怪訝そうな顔をしながら私に尋ねた。
「何してるの?君にはもうそのロープは必要ないでしょ?」
琥珀 弥生 @yayoi0319
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