第3話 身元不明の女
「あの……大丈夫ですか?」
僕の部屋はアパートの2階の一番奥の部屋。故に階段を必然的に上る必要がある。
だからこそ、階段に座り込んで眠る目の前の女性を全く無視して家に帰ることができなかったのである。
雨の日に傘もささずに、アパートの階段に座り込んで寝ている女など、地雷でしかないと考えるのが普通の思考回路である。
だから僕も本当であればただ彼女を横目に見てスルーし、翌日になって「あぁ、昨日座り込んでた女の人、どっか行ったんだ」なんて思いながらまたいつも通りに大学に行く。そんな日を過ごす筈だったのに。
僕は彼女に声をかけた。
声をかけざるを得なかった。
「……」
ゆっくりと瞼を開いた女性は寝ぼけているのか、何度か瞬きをした後、何も話す事も無くジッと僕の顔を見つめ続ける。
よく見れば、異常とも言える程に整った顔だ。
僕はそもそも平凡を愛する男であるがゆえに、別に美人・美少女の類を追いかける様な趣味は持ち合わせていないのだが、それでも読者モデルをしている敷島さんと仲が良い分、"顔の良い女性"という存在は見慣れている筈だった。
それだというのに、目の前の女性はそんな僕が思わずドキッとしてしまう程に整った容姿をしていて、しかも僕の視界にはそんな彼女の存在が大半を占めて映り込んでいる。
雨のせいで濡れた髪は吸い込まれそうな程に黒く、僕を見る瞳は輝く黒真珠を思わせるようで。大きな目、高い鼻、潤いに溢れた柔らかそうな唇。
あの敷島さんですら霞む程の美貌が無感動に僕を見つめ続けていて、しかも僕はその様子を間近で同じく見つめているのだから、いかに僕が平凡を愛する男だと言っても心臓が一度や二度跳ねる事に不思議は無かった。
「……ここ……は……?」
「えっと……僕の住んでるアパート――その階段なんですけど……むしろ貴女こそどうして傘もささずにこんなところに?」
僕は信条を無視して跳ね続ける心臓を無視しながら、極めて冷静に彼女に問いを投げかける。
いかに彼女がこの僕が心を乱されそうな美貌を持っていたとしても、極力関わらない、可能であれば今すぐにでもこの場から退去していただきたいのだ。
でもそんな僕の願いとは裏腹に、彼女は何も語ろうとしない。
「あの……警察呼びます? なんか大変そうなアレだったら、警察に保護してもらった方が良いと――」
痺れを切らした僕が彼女に再び話しかけようとしたとき、彼女はジャケットのポケットから銀色の何かを取り出して自らの腕に取り付けた。
僕にはそれに見覚えがあって、でも、そんなものを今このタイミングで目にするとは思ってもいなくて、思わず口を噤んでしまう。
≪Initialize system settings...≫
≪Authorized system owner.≫
≪......Arcadia System boot completed.≫
銀色の何かは無機質な音声をバラまきながら、女性の腕を覆うように拡がっていき――最終的には籠手型の形を取って変化を止めた。
「それ……"ユートピア"?!」
"ユートピア"――正式名称、ユートピアシステム。それは10年前、とある天才少女が基礎を作り上げ、その基礎を基に完成された"第3の腕"とでも言うべき画期的なツールだ。
どういう原理か全くわからないが、ある特殊な電磁波を照射する事で生物の細胞と融合する事ができる特殊合金、通称ATENA。それに人間の電気信号を機械を制御可能な信号に変換するシステムARTEMISと、人間の思考能力を大幅に飛躍させる思考補助システムHESTIAを組み合わせ、インストールする基幹ツールによって自由自在にその姿を変え、人間の思考やイメージ次第で自由自在に動かせる"金属性の第3の腕"を提供するシステム及びデバイス。
内部に組み込むプログラム次第では、人間では到底不可能な芸当を可能とするそんな夢の様な代物が今、僕の目の前で使われている。
「どうして君がそんなものを?!」
ユートピアシステムはそのあまりにも汎用性の高い性質故に、生活の補助として、創造と表現の一助として、社会福祉の一環として。あらゆる形で社会に瞬く間に溶け込んでいった。
例えば、"マジックアーム"のプログラムをインストールする事で腕の形に変形させて、単純に手が足りない時の補助をしたり。
例えば、"ワークツール"のプログラムをインストールする事で工具に変形させて緊急の修理対応を可能にしたり。
例えば、"メジャーシステム"のプログラムをインストールして、センサーを組み込んでおいたデバイスを細長い針の様な形状に変化させて僅かな隙間から対象物を測定したり。
例えば、"ワイヤー&ロープ"のプログラムをインストールする事で、ロープ状にして命綱にしたり。
使用用途はインストールするプログラムと使用者の想像次第で無限に広がっていく――そんな夢の様なデバイスだ。
だけど、その価格は一般消費者には到底手が出せないような価格帯であり、所有しているのは国の機関であったり、企業、病院ぐらいのもので、個人所有している例など一部の大金持ちぐらいしか無い。
そんな、社会ではよく見るけれど、個人で持つようなものでは無いユートピアシステムを、目の前の身元不明の女が突然使用を始めた。
これには流石に驚かざるを得ない。
「……システム適合率を測定」
≪O.K.≫
≪Start running of the "Measuring System Synchro rate" program.≫
驚く僕など目にもくれず、目の前の女性はユートピアシステムを起動させる。
なぜそんな事がわかるかと言うと、相変わらず籠手から聞こえる機械音声が、オペレーターの音声指示に従って動いている、と言う事がわかるからで――
そして僕には彼女が何をしたいのかがわからない。
だから、次の彼女の行動も全然わからなかった。
「測定開始」
彼女はユートピアの籠手で僕の腕を掴んで、再びプログラムを動かす。
その瞬間。
「な――っ?!」
彼女の腕に取り付いていた筈の
そして僕の腕に纏わりついてきた。
それが僕等のユートピア クローズ @cross-z
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