第2話 非日常なんかいらない

 僕――輪島竜也を一言で表すのであれば"平凡"という一言に尽きるだろう。

 小中高と地元の友達と一緒に進学していって、地元の公立卒。

 生まれだって普通だ。普通のサラリーマンの父と普通の母の間に生まれた子供。今時珍しくも無い一人っ子だし、当然、両親だって健在だ。

 昼は普通に大学に通い、夕方からはバイト。夜は家に帰って課題をこなして寝る。

 休日には友達と遊びに出たり、家に引きこもってゲームをしたり。

 そんな誰もがしている様な当たり前の生活を僕は送っている。


 過不足無く。

 突出して優れた部分も劣った部分も無く。

 僕は平平凡凡に生きている。それが僕の誇りであり、信条でもある。


 僕は平凡こそが一番幸せに近い状態だと思っている。

 人から劣っている状態が幸せな訳が無い。だけど、何かが突出していたからってそれが幸せに繋がる訳じゃない。

 "出る杭は打たれる"。

 日本人であれば大半の人間が知っているだろうその言葉、かつて僕は身を以て味わったのだ。

 何かが人より秀でている事が幸せに繋がる訳では無い事を――いや、むしろ不幸の始まりになってしまう事を僕は誰よりも知っている。


 そもそもだ。

 そもそも考えてほしいのだけれど、誰かが突出しているからこそ競争が生まれ、格差が生まれる。生まれた格差は必然的に勝者と敗者を生み出し、そこに差別が生まれる。

 この差別こそが不幸の始まりなのだ。

 弱肉強食などと言うけれど、弱者は蔑みの対象として排他され、強者はその他大勢の妬みの対象となり、やはり排他される。

 そこに幸せなどあろうはずもない。


 だから僕は平凡を愛する。いや、平凡であるべきだと思っている。

 平凡であるからこそ、弱者として蔑まれる事も無く、そして強者の妬みを受ける事も無い。

 人の悪意に晒されない。

 それがどれ程幸せな事なのか、世の中の人々は誰一人として理解していない。



「おーい、輪島。今日は6限終わったらカラオケ行くで」



 それは大学の夏季休暇も終わった10月のある雨の日の事だった。

 6限の講義が行われる教室へと向かう僕に、後ろから声がかけられた。

 声の主は高校生の頃からの友人・藤原義之君。平凡を貫く事を信条とする僕とは逆に、いかにして楽しく遊び倒すかを四六時中考えている男だ。

 あまり友達に順位を付けたくはないけれど、この大学の中という狭いコミュニティを母集団とするのであれば、僕にとって彼は一番の友達という立ち位置になるだろう。



「いいけど藤原君。生理学のレポートやってないんじゃなかったっけ……? 僕と遊んでていいの?」



 僕は、彼がついさっきの講義の前に「やっべ。明日の生理学のレポートなんもやってへんわ」とか言っているのを聞いていたので、心配半分、あきれ半分で聞いてみるのだけど。



「やかましいで、輪島。レポートなんか徹夜でテキトーに書いとったらエエねん。別に俺、単位さえ取れとれば、他はどうでもええし? ダチと遊んで、かわいい子とデートして、留年せん程度に遊び惚けて無駄に思える時間を過ごす。これが大学生っちゅーもんやがな」



 なんて言って、全くやる気を見せようとしない。

 当然だけど、僕はとっくにレポートを終わらせている。

 だって僕は平凡である事が何よりも大事だと思っているのだから。そんな付け焼刃で書いたレポートを提出して、誰かより劣っているなどと思われるのは心底心外なのだ。



「せやから行くで、カラオケ。葛西と敷島も呼んであるさかい、お前にも来てもらわんと困るて」



 藤原君の言う、"葛西"と"敷島"というのは二人とも僕の友達だ。

 葛西裕也君――柔道部に入っている寡黙な大男と、敷島奈々さん――葛西君の幼馴染のちょっとギャルっぽい女の子。

 大学入学以来、僕はこの4人で遊んでいる事が多い。

 勿論他の友達とも遊ぶけれど、この4人で集まるのが何だかんだと一番多いし、僕も気を遣わなくて済む間柄だと思っている。



「まあ……わかったよ。今日はバイトも無いし……。あれ、でも敷島さんは今日はサークルだったんじゃ……?」


「あー、まあ敷島はお前と遊ぶ時は大体サークルサボってんぞ?」


「え、そうなの?」


「なんやお前、気付いてへんかったんかい。敷島のお前へのゾッコン具合は傍から見てても丸わかりやで?」


「藤原君、前もそんな事言ってたけど……敷島さんが僕の事好きなんてそんな事あり得ないでしょ? だって彼女、読モだよ? こんな平平凡凡な一般大学生捕まえて喜ぶような人じゃないでしょ」


「また始まった、お前のそのわざとやってんのかっちゅー鈍感。お前は何で、あれに気付かんねやろな?」


「いやいや、だからそれは藤原君の勘違いだって。敷島さんも可哀想に……。そもそもだよ? 読者モデルでこの大学でも人気のある彼女と万が一付き合う様な事があったらだよ。僕の平凡な日常があっという間に無くなっちゃうじゃないか。知らない人からやっかみの視線を受けたりさ。僕はそういうのが嫌なの」


「はいはい。お前は平凡博愛主義者やったな。もうええわ」



 僕は今日も平凡な一日を過ごす。

 いつも通りご飯を食べて。

 いつも通り大学に行って。

 いつも通りの友達と集まって。

 いつも通りみんなと遊んで。


 そしていつも通り、家に帰る。

 それが僕の幸せ。

 目立った変化は無いけれど、大きな悲劇も無い、ただ平坦な一日。

 そんな平和な日々を過ごす為だったら、非日常なんかいらない。


 そうして平凡な日常が今日も平和に続いていたと思っていたのに。

 何の嫌がらせかはわからないが、今日という日は最後の最後に僕の平和を乱すイベントを用意していたらしい。

 僕の住むアパート。その2階への階段の昇り口に。



「あの……大丈夫ですか?」



 長い黒髪をサイドテールにした女性が座り込んで眠っていた。

 この時の僕は、彼女の存在こそが僕の愛する"平凡"の終焉をもたらす存在だとは露ほども考えていなかったのである。

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