後日談12
「つまらん。暇だぞ」
そう吐き捨てたのは、短いくすんだ金髪の巨漢だ。その男がいる場所は、ローランド王国の王都ローランディアより西、アクロニア帝国との国境近くにある、見通しの良い平原であった。
男は、甲冑を身につけ、馬上にて剣を携えた軍人であった。それも、ただの軍人ではない。騎乗する馬は立派な体格の、北方で生産された選りすぐりの駿馬であり、その身に纏う甲冑や手にした剣も、名工の手によって造られた逸品だ。そして本人も、それらに見劣りしない、鍛え抜かれた立派な体躯をしている。見る者が見れば、彼が最高位の軍人、すなわち将軍である事は明らかであろう。
彼こそは、ローランド王国軍の最高司令官にして、少し前に王位を継ぎ、即位したばかりのセシル王の異母兄である。筋骨隆々で荒々しい風貌の彼は、その見た目通りに粗野で横暴な性格である。戦士や軍人としては超一流だが、王族としては欠点があまりにも目立ちすぎる為、実の父親である先代国王も扱いに困っていた問題児だ。
そんな彼の視線の先には、地面に横たわる数十人の男達がいた。
倒れているのは、敵国であるアクロニア帝国の者達だ。ローランド王国は、アクロニア帝国と長い間、敵対関係にある。
しかしながら現在、両国の間には停戦協定が結ばれており、それを破って攻め入る事は重大な違反行為である。ゆえに、帝国のトップである皇帝に、ローランド王国を攻める意志は無い。
だが先の魔神将陣営との大戦において、首都に大きなダメージを負い、少なくない数の貴族が粛清され、直後に王が代替わりした事による政治的混乱から回復しきれていない王国を狙って、皇帝の目を盗んで火事場泥棒のように敵国の領地や財産をかすめ取ってやろう、と攻め込んでくる帝国貴族も、少数だが存在していた。帝国とて、決して一枚岩ではないのだ。
しかし、ローランド王国側もそのような者が現れる事は最初から想定していた。ゆえにアンドリューが国境に派遣されたのだ。
アンドリューは、王族として見れば暗愚極まりない男である。アンドリューに政治はわからぬ。しかし彼は有り余る才能を、戦に関する事のみに特化させて誕生した、生まれついての戦争屋である。僅かな数の精兵を率いて国境地帯に現れた彼は、予想通りに襲ってきた帝国貴族とその兵士達を、あっさりと殲滅してのけたのだった。
アンドリューが率いる二十人の兵士は一人残らず無事であり、代わりに帝国の兵士は全員、地面に転がっている。死者が二割で、負傷者が八割。無事な者はいない。帝国の者達は数こそ五十人程度と、こちらの倍以上であったが、所詮は烏合の衆であり、率いる将も凡庸であった。アンドリューと彼が率いる精鋭達の敵ではない。
「全くもってつまらんぞ、帝国の雑魚犬どもめ。攻めてくるのはいいが、もう少しマシな連中を送ってこいというのだ。どうせならレイドリックを連れてこんか、レイドリックを」
レイドリックとは、『不敗』の二つ名で呼ばれるアクロニア帝国の大将軍である。軍を率いれば右に出る者無しと言われるほどの戦巧者にして、個人の武力も大陸最高峰の武人だ。アンドリューは過去に三度、この男と戦ったが決着はついていない。
「いや待てよ、こちらから帝国に乗り込めば出てくるやもしれん」
過去に行われたレイドリックとの戦いは、いずれも今回のような国境での小競り合いだった。その際に王国の者が帝国側へと攻め入った際に、それを阻止する為に現れたのがレイドリックだ。
そして、レイドリックによって赤子の手を捻るように打ち負かされた王国軍を救助するという名目で、彼が率いる軍に挑みかかったのがアンドリューだった。
戦の才能に溢れ、生まれてこの方誰にも負けた事のなかった若き日のアンドリューにとって、レイドリックとの出会いは衝撃であった。逆にレイドリックの目にも、アンドリューの存在は脅威として映った。彼らはお互いに、相手を互角の存在と認めあっていた。
「勘弁して下さいよ将軍。今の我が国に帝国と事を構える余裕はありませんし、こっちは将軍を入れてもたったの二十一人です。とてもレイドリックとやり合える兵力じゃないです」
「チッ。お前に言われんでもわかっておるわ。ちょっと言ってみただけだ」
アンドリューは、副官の苦言に憎まれ口で返した。
「全く……。こんな雑魚ばかり相手にしておると腕が鈍るというのに。帝国のクソ共め、もう少し気合を入れてかかって来んかい」
無茶苦茶な事を言いながら、倒れた敵兵を捕縛して捕虜として引き連れ、アンドリューは引き上げるのだった。
……そして、それから数日後。
たまに襲ってくる帝国の兵士や、どこからともなく湧き出てくる盗賊の類、それから魔物を片っ端から駆逐して、国境付近に平和を齎した将軍・アンドリューは、
「暇じゃあああああああ!!」
あまりの退屈さに、遂に爆発した。
「もう限界だ! おい副官! ここは貴様らに任せるぞ。あんな雑魚共、俺様が居らんでも貴様らだけで十分だろう。俺様は遊びに行ってくるぞ!」
「将軍、まさか単騎で帝国に攻め込むつもりでは……」
「馬鹿者、いくらなんでもそんな真似するか! やるならお前らも連れて、来た初日にやっておるわ!」
そう怒鳴られながら副官は、
(いや、貴方なら本当にやりかねないのですが……)
と胸中で呟いた。
「ではどちらまで?」
「うむ! ちょっとグランディーノまで行ってくるぞ! 噂の爆乳女神には結局会えずじまいだったしな。あとはついでに、隠居した親父のシケたツラでも拝んできてやろう! ではな、愚弟共にはお前から適当に言っておけ!」
「ちょっ、将軍! グランディーノはマズいですって! ああもう、女神様の前で無礼な真似はしないで下さいよぉぉぉぉぉ!」
馬に乗って走り去っていくアンドリューの背中に向かって、副官は叫んだ。
こうして、蛮族王子は北に向かって驀進した。道中で行く手を遮る魔物や賊を片っ端から撫で斬りながら野を駆け、山を越え……そして一週間後、アンドリューはグランディーノの土を踏んだのであった。
「ここがグランディーノか。初めて来たが、なかなか良い処ではないか」
超一流の軍人であるアンドリューの目から見ても、グランディーノの防衛状態は完璧と言えるものだった。下手をすれば王都よりも堅牢かもしれない。流石は女神の本拠地であり、対魔神将陣営の最前線といったところか。
職業病か、無意識の内に自分ならばこの堅い護りの街をどう攻めるか……と考えながら、アンドリューは街へと入った。
街を入る際に、身元の確認を求められた時にアンドリューは王家の紋が入った剣を見せたところ、あっさりと街に入る事を許可された。そして王兄の来訪を知らせる為に、伝令の兵士がアルティリア、ロイド、町長、そして先王の下へと走った。
「水路が多いな。水が豊富なこの街ならではという事か。水道もしっかりと整備されておるようだ。む、あれは水車か? かなり大きいが精巧な作りだと一目で分かる。なるほど水を動力としても活用しておるのだな。道は広く、しっかりと整っており大軍が通過しやすい作りになっている。ゴミや障害物も殆ど無い。街の建物も、どれも頑丈な構造になっておる」
アンドリューは、街を観察しながら発見した物事を呟く。理に叶った最先端の街づくりの手法は、内政にまるで興味がないアンドリューをしても興味を惹かれるものだった。
もっとも彼の興味や思考の大半は、この街を戦場にして戦うならば、どのような作戦を採るかというものだが。
と、そこでアンドリューの鍛え抜かれた腹が、大きな音を鳴らした。
「むむむ、腹が減ったぞ。近年稀に見る空腹だ」
アンドリューは西の国境からこの最北端の街まで、急いで旅をしてきた。それしきで疲れ果てるほどに軟な鍛え方をしてはいないが、体が休息と栄養の補給を求めているのは確かである。それを意識すると、今度はどこからともなく、美味そうな匂いが漂っている事に気付く。
「この匂いは……こっちか!」
野生動物並みの嗅覚で匂いの元を嗅ぎつけたアンドリューが走る。その先にあったのは、グランディーノの街ご自慢の飲食店が立ち並ぶ通りであった。
「おのれ、店が多すぎるぞ。一体どこが何の店だというのだ。看板を見ても、この俺様ですら見た事のない料理ばかりではないか」
その時、そうぼやいたアンドリューを目ざとく見つけて、声をかける者が一人。
「おっと、そこのアンタ、この街は初めてかい? さては飯を食いたいが、どの店に入ればいいのか分からずに悩んでるな?」
「む? 何者だ貴様は」
王子にして軍の最高司令官であるアンドリューにとって、このように気軽な口調で声をかけられるのは初めての事であった。王都では考えられぬ事だ。思わず警戒してそう返したアンドリューに向かって、声をかけてきた男はニヤリと笑った。
「俺はお節介焼きのバーツ! この街で暮らしてる冒険者さ。初めてこの街に来た奴が困ってるのが見過ごせなくて、つい声をかけちまったってワケよ」
アンドリューに声をかけてきたのは、冒険者のバーツであった。かつてはチンピラ紛いの底辺冒険者であったが、今では立派に成長し、ベテランの冒険者として頼りにされている斧の名手だ。
(ほう……こやつ、かなり出来るな。俺様の部下に欲しいくらいだ)
そのバーツの実力を、アンドリューは一目で見抜いた。逆に、バーツの方もそれは同様だった。
(こ、この男……只者じゃねぇッ! 明らかに俺より格上ッ! いいや、もしかしたらロイドの兄貴やスカーレットの旦那に匹敵するかもしれねぇ強者ッ! 鎧を着て帯剣してるし、冒険者か? なら、是非うちの組合に所属して貰いてぇが……)
互いに一流の戦士だけあって、即座に相手の力量を見抜く二人であったが、筋骨隆々の粗野な大男が二人並んで見つめ合っている絵面は、控えめに言っても非常に暑苦しい。
「で、アンタは何が食いたい? 好みや方向性を教えてくれれば、俺がオススメの店に案内するぜ」
「む……ならば肉だ! とにかくガッツリとな。そして酒だ!」
「オーケィ、なら決まりだ、ついて来なぁ!」
アンドリューの要望に応え、バーツが店へと案内する。彼らが入った店の看板には、こう書かれていた。『カツ料理専門店』……と。
「ロースカツ定食(大)、ご飯特盛り、それとビールを二人前頼むぜ!」
店に入るなり大声でそう注文して、バーツはテーブル席へと向かう。
「……貴様も一緒に食うのか?」
「まあまあ、いいじゃねぇか。折角縁があって、こうして出会ったんだからよ。ここは俺が奢るから、好きなだけ食ってくれや」
「フン、まあ良かろう」
そして彼らが席についてから、数時間後。
夕方になったグランディーノの街を、千鳥足で並んで歩く二人組が居た。
「ガッハッハ、いやーアンタ流石、良く食うねぇ! まだまだイケるかい!?」
「フハハハハ! 当然だ、貴様の奢りでもう一軒行くぞ!」
美味い飯に美味い酒を堪能し、昼間からすっかり出来上がった二人は何軒もの店をハシゴして、食い倒れるのであった。
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