後日談9

 魔神将ウェパルとの戦いが終わり、かつての仲間達との別れを済ませた後、アルティリアはグランディーノの街へと無事に帰還し……それ以来は、特に大きな問題も無く、平和な暮らしを満喫していた。

 女神である彼女がやるべき仕事は、実のところ、それほど多くはない。この街に来たばかりの頃はともかく、現在は街周辺の開発事業はある程度の落ち着きを見せており、今は領主となったロイドや、クリストフが主に進めている。

 勿論、有事の際は最前線で体を張る必要はあるが、平和になれば大してやる事は無い。やる事と言えば、精々が地元の有力者や周辺貴族との付き合いや、街の子供達に勉強を教える程度である。後は自由気ままに物作りをして、完成品を市場に流したりもしている。


「人間の社会の事は、人間が主体となって進めるのが健全でよろしい。何より私が楽を出来る。という訳で働けロイド、私はその間に昼寝をするぞ。頑張れロイド、超がんばれ」


 今頃は領主官邸で書類に囲まれていてここにはいない、信者第一号にして腹心の部下に対して酷い台詞を吐きながら、アルティリアはベッドにごろんと横になった。


 睡魔に侵食されつつある頭で、仮眠から起きたら何から手を付けようか、とアルティリアは考える。


(新しい創作料理……いや今年の夏用の新作ファッションと水着……あるいは兎工房の最新鋭エンジンを搭載した新型船……また胸が少しきつくなってきたから下着も新しいのを……そういえばニーナも最近は、胸が張って痛い時があると言っていたし、ニーナや街の女の子達の為のジュニアブラなんかも良いのを作ってやらねば……)


 とりとめのない思考が脳を支配する。次第に何も考えられなくなり、アルティリアは眠りに落ちていった。

 だが、その寸前に部屋の扉が開き、誰かが室内に入り、こちらに近付いてくる気配と足音がした事で、アルティリアの意識は一気に覚醒した。

 この部屋に自由に立ち入る事が出来るのは、養子であり一緒に暮らしているアレックスとニーナの兄妹と、アルティリアが使役している水精霊ウンディーネ達だけなので、入ってきたのはそのいずれかであろうと考えながら、アルティリアは閉じていた目を開き、体を起こして、その人物に視線を向けた。


 だがそこでアルティリアの視界に飛び込んできたものは……こちらに向かってバズーカを構える、顔全体を額にⅭⅩ110と刻印された白い仮面で覆い、シルクハットを被った道化師姿の男であった。


「何しに来やがったブッ殺すぞテメー!」


 アルティリアは即座に戦闘態勢へと移行し、氷の槍を瞬時に手元に作り出して、いつでも投げつけられるように構えを取った。


「寝起きドッキリでございます。残念ながら失敗してしまいましたが。ああ、今日は戦うつもりはございませんので、その物騒な物は仕舞っていただけると有難く」


 そう言って闖入者……地獄の道化師が手に持ったバズーカのグリップを引くと、パーン! という音と共に砲口からクラッカーが飛び出した。


「……なら何の用だ。ただ単に私に嫌がらせをしに来たのか? そうならお前の目論見は大成功だ。昼寝を邪魔された上に、起き抜けに見たのがお前の顔だ。今の私の機嫌は最悪に近い」


「それは僥倖。ワタクシもわざわざ来た甲斐がありました。ですが用件は別にあるのですよ。本日は、そう……お別れを言いに来たのです」


「お別れ……?」


 アルティリアは地獄の道化師の発言を訝しむ。別れとはどういう意味だ? やはりコイツは何らかの策を用いて、ここで自分を暗殺するつもりか? と警戒を強める。

 この男は戦闘力そのものは、それほど高くない――とはいえ、腐っても魔神将の眷属であり、普通の魔物に比べれば相当に強く、アルティリア以外の者達にとってはそれなりに脅威ではある――が、特筆すべきはその悪辣さだ。手段を選ばず、どんなに下衆で卑劣な手でも平然と使用し、こちらの隙や弱みを的確に狙ってくる。最終的に勝利はしたが、アルティリアは地獄の道化師の複製体に、何度か煮え湯を飲まされている為、油断など出来る筈もない。こうしている今も、こっそりと何かを仕掛けていないとも限らないのだ。


「ああ、誤解しないでいただきたい。お別れとは言葉通りの意味……つまり、ワタクシはもう貴女様と敵対するつもりは無く、関わる事もしないという意味でございます。それに別の場所でやる事も出来ましたので、当分の間は会う事もないでしょう」


 アルティリアの警戒を察知して、地獄の道化師は丸腰である事をアピールするように開いた両掌を見せ、そう告げたのだった。


「何……? 散々人に粘着しておいて今更……どういう風の吹き回しだ?」


「フフフ……それでは最後ですし、ネタバラシと参りましょう。ワタクシが貴女様を狙っていたのは、貴女様が魔神王の器なのではないかと考えていた為でございます」


「魔神……王……?」


「そう、魔神王。我々の主である七十二柱の魔神達が、何故に魔神『将』と呼ばれているか……少し考えればお分かりでございましょう? 将の上には、それらを束ね、君臨する王が存在すると」


 一柱だけでも世界を滅ぼしうる程の力を持つ魔神将の、更に上に立つ存在。それは一体、どれほどの力を有しているのか……。アルティリアはそれを想像するだけで、気が遠くなりそうだった。


「しかし偉大なる王の力は、その存在はあまりにも大きすぎ、次元の壁を超えてこの世界に顕現する事は不可能ッ! ですが、魔神王の魂をその身に宿し、依代となる器となる者……すなわち、王の器たる者が存在する! ワタクシはずっとそれを探しており、そして貴女様がそうである可能性が高い、と我々は考えておりました」


 アルティリアを指差しながら、地獄の道化師は語る。


「その身に二つの異なる魂を宿し、人々の信仰を集める事で後天的に神へと進化し、そして倒した魔神将の力をその身に取り込む事が出来る程の大器! 貴女様こそが偉大なる魔神王の器であり、我ら魔族を導く者であると、そう信じて色々と画策して参りましたが……どうやら違っていたようです。貴女様は魔神王の器ではなかった」


 アルティリアが魔神王の器ではない。彼がそう断言する根拠、それは……


「フラウロスとウェパル、二柱の魔神将の力を取り込んだ時点で、貴女様の器はほぼ限界まで満たされた。それ以上に注げば、器は割れる。我が主はそう仰られました。まあ、それだけでも普通の人間にはありえない事ではあるのですが……それでもお前は違う。魔神王の器が、たった二柱の魔神将で満たされる事などありえないッ!」


 道化師の仮面の奥にある瞳には、失望がありありと浮かんでいた。


「フゥ……そういう訳で、ワタクシには貴女を追い回す理由が無くなってしまったのですよ。故に名残惜しくはありますが、これでお別れでございます。……さて、最後なので一つだけ忠告しておきましょう。言った通り、貴女の器は既に限界。もしも次にまた別の魔神将と戦い、その力を取り込んだら……或いは既に取り込んだ魔神将の力を徒に使いすぎれば、いずれ破綻が訪れます。器は割れ、取り込んだ魔神将の力が、貴女を内側から喰い破るでしょう。ゆめゆめご注意なさる事です」


 地獄の道化師の言う事には、アルティリアにも思い当たる節があった。魔神将ウェパルとの戦いで、かつて倒してその力を取り込んだ、魔神将フラウロスの力を引き出して魔神形態デモニックフォームに変身した際に、内側から何かに侵食されるような、強烈な不快感と不安を感じた。あの力を使い続ければ、いずれは自分が自分ではなくなってしまうという予感を感じたが、地獄の道化師が言っているのは恐らくその事なのだろう。


「覚えておこう。話はそれで終わりか? もう用事が済んだなら、さっさと行くがいい。私としても、お前の顔などもう見たくもない」


 目の前の複製体を殺したところで、こいつの本体が無事である以上、また別の複製体が害虫のように次から次へと湧いてくるのは、これまでの事で既に明らかであるし、向こうがもう会わないというのに手を出して、また絡まれてもうざったい事この上ない。

 見逃してやるからさっさと行け、と追い払うように手を振るアルティリアだったが、こちらに背を向けて立ち去る前に、地獄の道化師が振り向いて言った。


「ですが、この腐れ縁の終わりがこんな、あっさりとした別れというのは実に味気が無い! そんな事では道化師の名折れ! という訳でここはひとつ、ド派手な祭りを開催して締めとさせていただきましょうッ!!」


「なっ……貴様!」


 地獄の道化師がアルティリアに右手を向け、魔法を放つ。彼が行使した魔法は、眩しい光で短時間、相手の目を眩ませる光属性初級魔法『閃光フラッシュライト』だ。

 それによって、アルティリアの動きがごく僅かな時間、停止する。その隙に地獄の道化師は……室内にある箪笥を開けて、その中に手を突っ込み……平均的なそれよりもだいぶ大きいカップサイズを持つ、薄い水色のブラジャーを手に取った。


「いただきィッ!」


「何やってんだお前ええええええっ!!」


 そして地獄の道化師は、アルティリアが放った氷槍をひらりと躱し、窓から神殿の外へと身を躍らせた。

 そして盗んだアルティリアのブラジャーを頭に載せる。巨大なバストカップがまるで猫耳のようなシルエットになっている。その状態で、地獄の道化師は街へと向かって全力疾走した。


「フッ、フハハハハ!! 地獄の道化師改め、謎の下着泥棒110号推参ッ!! 愚かな人間共よ、刮目せよ! お前達が信奉する女神様のKカップのブラジャーはワタクシが頂いた! さあ追ってきなさい! ワタクシを捕まえた者にこれをプレゼントしましょう!」


「何だ、あの凄まじい変態は!?」


「アルティリア様の下着を盗んだだと!」


「追え! あいつを殺せ!」


 そして始まる、壮絶な追跡劇の末に捕縛され、処刑された地獄の道化師の顔は、とても満足そうなものであったという。




【概要】


 地獄の道化師は、ロストアルカディアシリーズに登場するキャラクターであり、ネームドエネミー/ボスモンスター。初登場はロストアルカディアⅦ。

 シリーズを通しての大ボスである、七十二柱の魔神将に仕える眷属の一体。慇懃無礼な口調と態度で、常に人をおちょくって煙に巻こうとするトリックスター。

 『増殖』の権能を持ち、自身の複製体を作り出す能力を持つ。その為、基本的に表で活動するのは全て複製体であり、本体は裏に潜んで暗躍している。


 彼の目論見は、魔神将たちの上に立つ存在、魔神王を現世に顕現させるための器を探し、覚醒させる事。

 初出となるロストアルカディアⅦでは、その為に女神アルティリアを狙って様々な陰謀を巡らせた。遂には器候補たちに魔神将を倒させ、その力を吸収させる為に第二次魔神戦争を引き起こした。


 策謀家であり、また表に出てくるのは複製体ばかりの為、戦闘力自体は魔神将の眷属達の中では低めである。また、本人の三下悪役な性格と、増殖によって倒しても次の複製体が現れる事から、再生怪人やかませ犬のように、あっさりとやられるコメディリリーフのような扱いになる事も珍しくない。

 しかし腐っても魔神将の眷属であり、周到な策を巡らす外道である為、戦う場合は決して油断してはならない。



 続編となるロストアルカディアⅧでは未登場だが、Ⅸで遂に複製体ではない本体が登場し、Ⅶの時以上の執念と悪辣さをもって、アレックスとニーナをつけ狙う。

 その理由は、彼ら兄妹こそが地獄の道化師が探していた王の器だから。

 Ⅸでは主人公に選ばなかった方を王の器として選び、最終盤で魔神王の依代にする事に成功するが、その直後に魔神王の力に覚醒したアレックス/ニーナの手で完全に消滅させられる。

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