後日談6
「ところでアレックスや。すまんが、街外れに一人で住んでいる者のところにも、この料理を持っていってやってくれんかのう。あの男は最近ここに来たのじゃが、人を寄せつけようとせんのでな」
「わかった」
集まってきた者達が食事を終えた後、長老はアレックスにそのような頼み事をした。その頼みを聞いて、アレックスは用意した食事を街外れにある廃墟へと持っていった。
すると、そこに居たのは……
「誰だ!? ここには近寄るなと……なっ、お前は……! アレックス……か!?」
廃墟に立ち入ったアレックスを追い払おうと振り返り、その顔を見た瞬間に驚愕の表情を浮かべたのは、一人の中年男性であった。
でっぷりと腹が出ていた昔に比べるとかなり痩せており、頬もこけているが、アレックスはその男の顔に見覚えがあった。
「あんたは……モグロフか」
それは、かつて捕まって奴隷となっていたアレックスと、その妹のニーナを奴隷商人から買い、主人となっていた悪徳商人、モグロフであった。
「何でここにいる? 捕まってたんじゃなかったのか」
「フン……確かにわしは王国に捕まり、監獄に収監されていたとも。だが少し前に、恩赦によって解放されたのだ」
少し前にローランド王国では、国王が退位した。
首都での魔神将との大戦の後に、その混乱を収め、その原因となった謀反者達を粛清を終えた後に、国王は国が滅びかねない程の大乱を防ぐ事ができなかった責任を取る形で、また大勢の貴族や騎士を粛清した汚名を全て被って身を引いた。
後を継ぎ、新たに王となったのは王太子セシルであり、その二人の兄はそれぞれ軍務卿、国務卿として、軍事と政治の面でその治世を支えている。
そして新たな王が即位した事で、恩赦による減刑がなされ、モグロフは予定よりも早く、娑婆の空気を吸う事が出来たという訳だ。
「だが、最早ミュロンド商会にわしの席など残されておらん。金も、地位も、全てを失い、わしに媚びへつらっていた者達は皆、掌を返して石を投げてきた。そうして、この忌々しい貧民街に逆戻りというわけだ」
そう吐き捨てる彼の姿は、かつての肥え太った悪徳商人とは対照的な、弱々しくみすぼらしいものであった。
彼が口にした、貧民街に逆戻りという言葉を聞いたアレックスが訊ねる。
「おまえも、ここの生まれだったのか」
「ああ、そうだとも。お前もそうなら分かっているだろう。ここで何一つ持たずに生まれた人間に、這い上がるチャンスなんぞ無い。それどころか、日々を何とか生きる事さえ出来ずに、ゴミクズのように死んでいく者も多い。……それでも這い上がりたければ、どんな手段を使ってでも他人を蹴落とし、陥れ、奪い取るしかない。わしはそうやって、他人の不幸を金貨に替えながら成り上がった。だが結果は全て水の泡で、ご覧の有り様だがな」
そう呟いて自嘲しながら、モグロフはアレックスに向かって、犬を追い払うように手を振り払う仕草をした。
「ふん、話は終わりだ。何をしに来たのかは知らんが、さっさと出ていけ。それとも、わしに復讐でもしに来たか? やるならさっさとやるがいい。どうせこの様で生き永らえても仕方が無いからな。抵抗はせんぞ」
捨て鉢な態度で言い放つモグロフに、アレックスは呆れた様子で彼の前に、山盛りのご飯と豚汁が載ったトレーを置いた。
「やらねーよ。おれは長老に言われて飯を持ってきただけだ」
「……なんじゃこれは。哀れみのつもりか?」
「だったら悪いか? いいから冷める前にさっさと食え。腹が減ってるから、ろくでもない考えばっかり浮かぶんだ。ちゃんと飯食って元のデブに戻れ。……いや、やっぱり前は太り過ぎだったから程々にしとけ」
モグロフの厭味を受け流して、アレックスはそう告げてモグロフの前から去ろうとする。その背中に向かって、モグロフが叫ぶ。
「待て! 何故だアレックス。何故、わしを憎まん! 何故、復讐をしない! 貴様もわしと同じで、妹以外の周囲のもの、その全てを憎んでいた筈だ! わしの下に居た時の貴様はそうだった!」
モグロフの、その見立ては正しい。彼の言う通り、アレックスは自分達の苦しい環境や、自分達を虐げる周囲の者達に対する怒りや憎しみを、常に胸の内に抱えていた。
しかし今のアレックスからは、それらが一切感じられなかった。その理由を問うと、少年はそれに対してこう回答した。
「おれは母上に引き取られてから、母上や周りの大人達から、たくさんのものを受け取った。グランディーノの皆は、みんな俺達に優しくしてくれた。あの人達が俺の中から憎しみを消して、代わりにたくさんの、温かいものを注いでくれた」
アルティリアからは、得られなかった親からの愛を受け取った。
マナナンからは、様々な拳技と共に武術家としての心構えを教わった。
ロイド達、海神騎士団の皆からは騎士としての生き様や、覚悟を。
それ以外にも、多くの人がアレックスと関わって、沢山の事を伝えてくれた。
それらが空っぽだった器を満たし、少年は彼らから与えられた強さと優しさを身につけて、大きく成長していく。
「俺は、あの人達みたいな立派な大人に……強く優しく、かっこいい男になりたい。だから弱い者いじめなんて、かっこ悪い事はしない。それだけだ! じゃあな、ちゃんと飯食えよ!」
そう言い残して去っていったアレックスの背中を、呆気に取られて見送っていたモグロフだったが、彼はやがて皮肉げな笑みを浮かべた。
「ハッ、わしを弱い者呼ばわりかよ。まあ、間違っちゃあおらんがな……。それにしても、立派な大人に、恰好いい男か……。あのチビガキが、随分とでかい口をきくようになったものだ……」
だが、堂々とそう言い張るアレックスの姿は、モグロフの目にはとても眩しく、大きく見えた。
それに対して、自分はどうだ。手段を選ばず他人を蹴落としながら成り上がり、そして最後には全てを失い、この薄暗い廃墟でたった一人、座り込んでいる自分は……
「ああ……恰好悪いなぁ……」
やがてモグロフは、アレックスが置いていった料理に手をつけ始めた。久しぶりのまともな食事で、初めて食べる料理は美味であったが、何故か妙にしょっぱかった。
食事を終えると、モグロフは無言のまま立ち上がり、そのまま何処かへと歩き去っていった。
その姿はそれまでと変わらない、みすぼらしい恰好の、何一つ持たない薄汚れた中年男性であったが、その背中はまっすぐに伸び、迷いのない顔つきになっていた。
【概要】
モグロフは、ロストアルカディアシリーズの登場人物である。初登場はロストアルカディアⅦ。
自由都市同盟で活動する悪徳商人で、禁輸品の密輸中にアルティリアに見つかり、捕縛・投獄される。また、奴隷だったアレックスとニーナの元主人であり、兄妹はモグロフの下から解放された後に、アルティリアに養子として引き取られる事になった……というのが回想シーンで描かれるだけの小物であり、容姿もでっぷりと太った、脂ぎった中年親父といった典型的な小悪党である。本作での出番はそれだけである。
……だったのだが、何故かロストアルカディアⅧで再登場。しかも何故か改心しており、穏やかな性格の初老の男性で、キャラバンを率いる交易商人として各地で商売を行ないながら、得た利益の多くを貧困者や戦災孤児の救済の為に使い、多くの人に慕われている聖人のような人物として描かれている。
過去作を知る者からしたら、思わず誰てめえ!? と言いたくなるような変貌っぷりである。
彼が改心した理由が明かされるのはロストアルカディアⅨの回想シーンで、ⅦとⅧの間にアレックスと再会した事が原因だった。
Ⅸではアレックスの行く先々に現れて、アイテムや交易商人が持つ広い情報網でサポートしてくれる重要NPC。詳細はネタバレになるので避けるが、この男の助けがなければアレックスは中盤で詰んでおり、恐らくアクロニア帝国も滅んでいた。
人呼んで綺麗なモグロフ。死後は弱者救済の商人として列聖されたらしい。
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