第166話 それは紛れもなく

 しくじったな。火力が必要な状況だったので仕方なかったとはいえ、やはりデメリットが大きい装備を使う時は細心の注意を払う必要がある。十分気を付けてはいたし、今回は地獄の道化師がドンピシャのタイミングで奇襲をかけてきたのが大きいとはいえ、もう少し上手くやれていれば……という後悔は尽きない。

 しかし、起きてしまった事を悔やむばかりでは何も進展しない。反省はするが、この失敗を糧にして次に繋げる事を第一に考えるべきだろう。


 俺の全身を締め上げながら生命力と魔力を吸い取り、代わりに濃密な瘴気を侵食させてくる触手に抵抗しながら、ぼんやりとした頭でそんな事を考える。

 一体どれくらいの時間が経ったのか分からないが、そうやって身動きが取れない状態でひたすら耐える事を続けていると、だんだんと意識が遠くなってくる。


 すると、俺の脳裏に幼い頃の光景が次々と浮かび上がっては消えていった。これは……走馬灯とかいう奴か……?



 この異世界に来て、アルティリアになる前の『俺』は、いわゆるエリートの家系に生まれた。

 誰でも名前を知ってる一流の大学を出て、一流の企業に勤務し、トントン拍子に出世の階段を登る選ばれたエリートである彼らは、その子供である俺にも当然のように、エリートである事を求めた。

 家は裕福で、何不自由なく育つ事が出来たが、実のところ俺に自由などは無かった。

 物心ついた頃から、ひたすら勉強や習い事を詰め込むように強制させられた。頭の出来は両親の遺伝子が仕事をしてくれたようで覚えが良く、俺は大抵の事は頑張れば人並み以上に出来たのは幸いだったが。


 両親からは褒められた事も、優しい言葉をかけられた事も、抱きしめて貰った事もない。かけられた事のある言葉の大半は、一方的な命令や叱責だ。

 彼らにとって子供とは課題を与え、優秀な自分達に相応しい後継者に育成する為の存在でしかなかったという事だ。

 勉強は特に苦ではなかったが、それに対する意義が見出せず、ただ惰性でこなしていた。

 彼らが俺個人の人格に対して無関心であったように、俺も彼らには何も期待していなかった。

 そんな冷え切った親子関係しか知らない為、アレックスとニーナを引き取った当初は、母親って何をどうすればいいのかと悩んだものだが、結局は彼らを反面教師にして、完璧とは言えなくても何とか上手い事やれていたんじゃないかと思う。


 それから、俺には兄と弟がいた。俺は三人兄弟の真ん中だ。

 歳の離れた兄は、端的に言うと変人や狂人の類であった。

 それほど仲良くはなかったが、酷く冷たい目の奥に、ギラギラとした燃え滾るような狂気を宿していた事は印象に残っている。

 両親は兄を、居ないものとして扱っていた。今思えば、両親は兄が宿していた得体の知れない狂気を恐れていたのだろう。


 兄は、博打ギャンブルに取り憑かれた人間だった。無口で、あらゆる物を感情の無い冷え切った目で見ていた彼の瞳に狂気が宿るのは、決まって博打の事を口にする時だった。


「勝負が人生の全てだ。それ以外の全部は寄り道に過ぎん」


「破滅に向かって突っ走っている時が、最も生を実感できる」


「人は一人で生きて、一人で死ぬべきだ。そうは思わんか」


 当時小学生だった俺に向かって真顔でそんな事を言う男だ。控え目に言ってイカレポンチの狂人ではあったが、両親に比べると会話をするのにストレスを感じなかったので、あの家族の中では比較的よく話をした方である。

 そんな生まれつきナチュラルにトチ狂っていた兄は、俺が10歳くらいの時にふらっと居なくなって以来、長らく行方知らずとなっていたのだが、数年前に死んだと聞いた。

 兄は裏社会の住人になっており、違法な高レートの博打を繰り返していたらしい。その結果、死んだ。

 負けたからではない。その逆で、あまりにも派手に勝ちすぎて、恨みを買いすぎたせいで殺されたそうだ。

 たった一人で大勢に囲まれながら大立ち回りをして、刺客を何人か道連れにして死んだという話を聞いた時は、あの男ならやるだろうな。実に似合いの最期だと思ったものだ。


 一方、弟のほうはその逆で、気弱で鈍臭い子供だった。

 要領が悪く、死んだような目で勉強机に向かっていたり、よく両親に叱責されて泣いていたのを覚えている。

 長男の兄がアレで、次男の俺もある程度大きくなってからは両親に対してバリバリ反抗しまくりだった為、両親の弟に対する期待はより一層大きいものとなっていたのだろうが、それに潰されかけていたようだった。


 ……一度、捨てられた犬みたいな、すがるような目で俺を見てきた事があったが、俺は当然のようにそれを無視した。

 当時の俺にとって、家族とは血が繋がっているだけの他人であり、唾棄すべき存在だったからだ。

 俺も中学を卒業した後は全寮制の高校に入って、それ以来実家との関わりを断った為、弟がその後どうなったのかを直接見たわけではないが、ある日突然ハジけて家を飛び出したと聞いた。

 跡継ぎの息子が三人揃って家を去り、エリート街道をドロップアウトした両親には心からざまあみろと言ってやりたい。弟がその後どうなったのかは、気になるところではあるが。

 あの時、弟の助けを乞う目を無視した俺に、彼を心配する資格など無いのは分かっている。だが、もしもあの時に手を差し伸べていれば、家族との関係も少しは違ったものになっていたのではないか……と、今更ながらに思う。



 さて、そんな家族に対する好感度がマイナスに振り切ったこの俺は、中学卒業後に全寮制の進学校へと進学し、晴れて実家から解放された。

 一応、それなりに高成績は維持しつつも、家庭教師やら習い事やらの束縛から逃れた俺は、ようやく手にした自由な時間を活用する為に趣味を持とうとした。

 ところがどっこい、あんなクソみたいな環境で育った事もあって、当時の俺はだいぶ人間不信気味で、他人と関わる事に忌避感を持った人嫌いであった。

 ……いや、決して環境のせいだけじゃないな。どうせ分かり合える筈が無いと、最初から諦めて拒絶していたのは、ひとえに俺の心の弱さゆえだ。今なら素直にそう思える。

 ともあれ、ちょうど中二病が治りきってない年齢だったという事もあり、俺に近寄るんじゃねーよカス共が。ブッ殺すぞ、と全方位に尖りまくった痛いイキリ陰キャ様である。正直黒歴史だ。


 そんな他人に関わりたくない人間が持つ趣味など、まあ大抵の場合は一人で出来るインドア系の趣味になるだろう。その中で俺が選んだのは、コンピューターゲームであった。

 高校に入ってから初めてゲームに触れた俺は、衝撃を受けた。世の中にはこんなに面白いモノがあったのか……と。

 ゲーマーとして覚醒した俺は、高校生活の大半をバイトとゲームに明け暮れ、卒業する頃には立派なゲームオタクへと成長(?)していた。その頃には人間不信も多少改善され、多少はオタク仲間とゲーム談義をするようになっていた。

 大学生になる頃には、だいぶ今の俺に近付いたと思う。相変わらず他人とは距離を置いていたが、上辺だけの付き合いは無難にこなせるようにはなっていた。


 俺が、オンラインゲームという物にハマり始めたのはその頃だ。

 明確な終わりが無く、自分のやりたいように好きなだけやり込む事が出来て、他のプレイヤーとの会話も、アバターとキャラクターネームを使って、インターネットを介しての気楽なもので、それも俺にとっては心地良いものだった。

 ……丁度、大学の卒論でクッソ忙しかった時期にLAOのサービスが開始した為、始めるのが遅くなってしまったのだけは痛恨の極みであったが。しかし半年遅れの後発プレイヤーでありながら、俺は趣味に走ったネタビルドのキャラクターで、トッププレイヤーの一角へと登り詰めた。


 その道の途中で、友達が出来た。

 うみきんぐ、バルバロッサ、クロノ、あるてま先生、兎先輩、ギルドの仲間。他にも沢山のプレイヤー達。

 相変わらずの性分の為、普段はソロで活動する事が多かったが、彼らと一緒に遊ぶ時間は苦痛ではなく、むしろ俺にとっての最大の楽しみになっていた。


 所詮はネットゲームの中だけの友情に過ぎない、と他人は笑うかもしれない。

 どうせお前の事だ、リアルで同じように彼らに友情を抱き、変わらぬ付き合いをする事なんか出来やしないだろうと揶揄されれば、当時の俺は胸を張って違うとは言い切れなかったかもしれない。


 それでも。今なら胸を張って言える。

 当時は自覚していなかったが、彼らと過ごした日々は、とても楽しかった。俺は確かに、彼らとの間に絆を感じていた。


 そう言えるようになったのは、彼ら……この世界で出会った、俺を信じてくれた人々のおかげだ。

 正直、最初はただの義務感や責任感だけだった。関わってしまった以上、放っておくのも寝覚めが悪いという、ただそれだけの理由だった。女神扱いされるのも、むず痒いとか座りが悪いとか、そんな感じばかりだった。

 だけど、この世界で彼らと共に生き、共に戦っていくうちに、俺は少しずつ変わる事ができた。


「こんな、俺にも……この世界に来て、大事なものが……護りたいものが出来た……!」


 だから、もうそろそろ、過去を振り返るのは終わりにしよう。

 こんな俺を信じてくれる者達が……愛する信者達が、俺を待っているから。

 彼らが俺を助ける為に、必死に捨て身の攻撃を続けているのを、見えなくても確かに感じる事が出来る。だからこそ。


「こんなところで……終われねえッ!!」


 傷つき、疲れ果てた体に力が宿る。光を放ち、侵食しようとして来る瘴気を押し返しながら、俺の身体を無遠慮に締め上げてくるクサレ触手肉を強引にかき分けて、俺は上に向かって必死に進む。

 だが、後少しで脱出できそうだと思った瞬間に、絶対に逃がさん、とばかりに触手が大きく蠕動して俺を飲み込もうとする。どうやら、そう簡単に脱け出せるほど甘くはないようだ。


「だったら根競べだ、どっちが先に音を上げるか勝負といこうじゃないか……!」


 そう言い放った時だった。突然、何者かの手が俺の右手首を掴んだ。そして、そのまま力強く、俺の身体を引っ張り上げる。

 その人物の手に引かれて、俺は魔神将ウェパルの触手から脱け出す事が出来た。


「誰……だ……?」


 触手の中に閉じ込められて、ドロドロのくっさい粘液まみれの為、視覚や嗅覚が上手く働かない。とりあえず早急に『水の創造クリエイトウォーター』で生み出した清浄な水を浴びて粘液を洗い流しつつ、『清潔クリーン』、『消臭デオドラント』の魔法で汚れや悪臭を落とす。

 そうして、俺を助けてくれた人物を見上げる。まだ視界はぼんやりしており、よく見えないが、どこか懐かしい気配がする。


 この気配は、この世界に来てから感じたものとは違う。俺の中にいるもう一人の俺、アルティリアの記憶にあるものだ。

 LAOで、共に過ごした友人達……彼らなのか。まさか、そんな筈は。そう思いながらも、つい期待してしまうのを止められない。

 うみきんぐ……大海神マナナン=マク=リールなのか。元々こっちの世界の神であった彼ならば、次元の壁を超えて俺を助けに来る事も可能なのかもしれない。というか、この状況で俺を助けに来る事が出来るのは、あいつと兎先輩くらいのものだろう。


「すまないキング、助かったよ……。あんたにはいつも助けられてるな……」


 俺は目の前にいる、うみきんぐと思われる人物に、そう話しかける。それと同時に、徐々に視界がクリアになってきた。

 しかし、そこで違和感を感じる。俺の前に居るのはうみきんぐの筈なのに、そのサイズは明らかに小人族の範疇を超えて、177cmの俺よりも頭二つ分くらい大きい。

 しかも、その身体は鋼のような筋肉に覆われた屈強極まりないマッシブボディであり、白と黒のストライプ柄の、肌にぴったりと貼り付いたタイツに覆われたその肉体の上にある頭部は……どう見ても、シマウマであった。


「ゼブラじゃねーか!!!」


 思わず、腹から全力で声を出して突っ込んだ俺を誰が責められようか。

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