第164話 禁じ手
魔神将ウェパルとの戦いが始まってから、どれくらい経っただろうか。
実際は一時間も経っていないのだろうが、俺の体感時間だと、もう何時間も経過したように感じられる。それくらいに過酷な戦いだった。
敵の攻撃自体は、無数の触手を鞭みたいに叩きつけてくる物理攻撃をルーシーが、そして各種魔法攻撃を俺が防ぐことで対処は出来ている。
更に二十を超える数の大型船舶が、遠距離からウェパルの巨体に向かって艦砲射撃を続けている。あれだけの大きさなので、多少狙いが適当でも簡単に命中する。
そして、神器の効果で固定砲台モードと化した俺が最上級魔法を連打することで、更に大ダメージを与えて危なげなく勝利……といきたいところだったが……
「くそっ、あいつの再生速度はどうなってるんだ……!」
ダメージは通っている。相手の攻撃にも対処できている。明らかに戦況はこっちが有利だ。
当然だ。そうなるように準備を重ねて、作戦を立ててきたんだからな。本能のままに暴れる怪物と違って、こっちは勝つべくして勝つ為に行動してきた。
フラウロスの時は時間も戦力も足りなかったので俺一人で勝算の無い戦いに挑む羽目になったが、今回は別だ。近い内に、また次の魔神将が現れるとネプチューンに伝えられていた俺は、魔神将を戦う事を前提にした戦力を整える為に動いていた。
……正直、もう少し時間はあると思ってたんだけどな。何でこんな短いスパンで来るんだか。フラウロスの時から半年くらいしか経ってないんだぞ。
ともあれ、そういうわけで俺達は有利に戦えている……筈だったのだが、魔神将ウェパルの再生能力が想定以上だった。
俺は敵の
奴の再生能力の源となるのは、他者を捕食して取り込む、スライム系のモンスターがよく持っている能力だと思われる。ただし、海域を丸ごと生命が存在しない死の海へと変えて、亡霊船長のような不死者をも捕食した事から、規模や強度は桁違いだろうが。
……あの化け物は、今この時に至るまでに、いったいどれほどの命を捕食してきたのだろうか。考えたところで、奴の犠牲になったものが戻ってくるわけではないが。
「せめて奴は、この場で倒さなくてはな……」
元より撤退は選択肢に無い。
奴が海を汚染し、海に棲む生物の命を貪る以上、ここで俺達が逃げてしまえば、いずれ全ての海が死の領域へと変わり、人々は船に乗って移動する事も、海で魚を捕る事も出来なくなる。そうして制海権を完全に失えば、人類はそう遠くない未来、確実に詰む。
である以上、戦って勝つ以外に無いのだが、持久戦ではジリ貧だ。
船団がバカスカ撃ちまくってる砲弾は無限ではなく、いつかは尽きるし、人間の体力や集中力には限界があり、この激戦の中では消耗も激しいだろう。
そして、俺自身の限界も近い。
王都での戦いからずっと、
『青き叡知の冠』を装備して固定砲台モードになっているのも、火力を求めてというのも勿論あるが、今の体調で高機動戦闘なんかやったら、ほぼ間違いなくリバースするからだ。
要するに、今の俺は絶不調で、かなり体調がヤバいという事だ。どれくらいヤバいかというと、レイドボス出現の待機中に、もうすぐボスが現れるというタイミングで猛烈にウンコが出そうになる時くらいのヤバさだ。ちなみにそのレイドボスは高耐久の超大型モンスターで、討伐には最低でも10分はかかるものとする。
というわけで、選択肢は短期決戦の一択しかないのである。よって俺は、出来る事なら使いたくなかった切り札を切る事にした。
「ルーシー、とっておきを使う! 防御を頼む!」
「はっ! お任せください!」
俺は、今まで女神としての力でウェパルが放つ瘴気を浄化していたのだが、それを止める。
そんな事をすれば、みるみるうちに海への汚染が広がっていき、それを放置すれば船に乗っている仲間達が危険に晒されるのは確実だ。だが、そうはさせない。
「こっちだ!」
俺は、ウェパルの瘴気を浄化せず、逆に引き寄せて、積極的に自分の中に取り込んだ。
手足の先からウェパルの瘴気が俺の身体を侵食し始め、俺の白い肌が末端から徐々に、黒く染まっていく。
それを呼び水に、俺は自分の中にある、かつて取り込んだ魔神将フラウロスの力の残滓を活性化させる。
「『
青い髪が赤く染まり、肌には炎紋のような黒い染みが刻まれた、女神と呼ぶには禍々しすぎる姿に変貌した俺は、右手を魔神将ウェパルへと向けた。
今から放つのは、俺のオリジナル魔法。理論上は可能だが、出力不足でどうやっても実現が不可能だった為、開発を断念したものだ。
だが今の状態なら出来る。そう判断して、俺はその魔法を発動させた。
俺は周囲にある大量の海水を操り、右手の先へと集める。そして、全身全霊の魔力を込めた右手で、それを圧縮する。
ところで、水の沸点……加熱し続けて、沸騰して水蒸気になる温度は何度かご存知だろうか。そう、100℃だ。海水の場合はもう少しばかり高くなるが、まあ純水と大差は無い。
だがその100℃という沸点は、あくまで地上の、大気圧での環境に限った話だ。例えば山頂などの高所で、気圧が低い環境下においては、水の沸点は100℃を下回る。逆に高気圧であれば、水の温度は100℃を超えても、沸騰する事なく上昇し続ける。圧力鍋なんかは、その原理を使って内部を高圧状態にして、沸点を上げてやる事で高温による短時間の調理を可能にしている。
つまり結論を言うと、水の沸点は、水にかかる圧力によって変動し、より高圧状態になればなる程、沸点は上昇するという事だ。
そして、俺がこの手元に集め続けている海水に対してかける圧力は、大気圧の200倍以上。その状態で水の沸点は300℃を超え、蒸発する事なく水の温度が上がり続ける。
この収束・超圧縮・加熱を同時に行なう工程が、どう頑張っても個人の魔力では厳しいものがあった為、以前思いついた時は断念したのだが……桁外れの膂力と、業火を操る能力を持つ魔神将フラウロスの力を、その身に宿した今の俺ならば、それを行使できる。
ひたすらに圧縮と加熱を重ねた事で、水の性質が変容する。
およそ220気圧もの圧力によって圧縮され、374℃まで加熱された状態の水を、こう呼ぶ。
『超臨界水』と。
液体と気体の中間のような状態のそれは、そこらの溶剤が裸足で逃げ出すレベルの、有機物を溶解する性質を持つ危険物だ。そんな性質を持つ超高密度かつ高温の物体を、魔法でビーム状にして撃ち出したら、果たして一体どうなってしまうのでしょうか。
答えは一つ、『相手は死ぬ』、だ。
「超臨界、
無数の超臨界水によるビームが降り注ぎ、魔神将ウェパルの腐敗した肉体を穿ち、溶解していく。
未知のダメージにウェパルが絶叫しながら触手を振り回し、大暴れする。それによって津波が発生し、俺達や周りの船団を襲うが……
「させません! 報いを受けなさい、『
聖剣が光を放ち、放たれた津波が物理法則を無視し、反転してウェパルを襲う。その直後に、俺が放った最後の一撃、極大の超臨界水ビームがウェパルに直撃した。
魔神将ウェパルの巨体が倒れる。それを見届けた瞬間、俺の身体は遂に限界を迎えた。
あと瘴気を取り込んで、魔神将の力なんか借りてしまった反動のせいか、体中がめちゃくちゃ痛いし、腹がむかむかして気持ちが悪く、今にも吐きそうだ。つーか口から血が出てたわ。
「アルティリア様! しっかりして下さい! すぐに治療を!」
俺の状態を見て、ルーシーが駆け寄ってくるが、そんな彼女を俺は止めた。
「大丈夫だ。そんな事よりも、魔神将ウェパルはまだ生きているぞ。私はしばらく動けん、お前がトドメを刺すのだ」
俺が指差した先では、だいぶサイズが小さくなったウェパルが触手をうねうねと動かしながら蠢いている。許容量を超えたダメージにより再生は止まっているようだが、このまま放置しておけば、いずれまた復活するだろう。
「行け、ルーシー。一族の悲願を果たして来い」
「……はい! すぐに奴を始末して戻ります!」
俺に背中を押され、ルーシーが聖剣フラガラッハを手に駆け出す。力を使い果たした俺に出来るのは、それを見送る事だけだった。
ならばせめて、彼女の勝利を祈り、信じて待つ事にしよう。そう思った時だった。
「……ごほっ」
俺の口から、大量の血が溢れ出た。同時に、胸に謎の熱さを感じる。
俺が視線を下に向けると、左胸の下あたり……丁度心臓のある辺りに、背中から胴体を貫通して、刃が生えているのが見えた。
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