第160話 女神帰還、そして出航

 ルーシーと共に転移し、グランディーノに帰還した俺を待っていたのは、クソのような光景だった。

 空は暗雲に覆われ、海は赤黒い血のような色に染まって異臭を放ち、そこからは身体が半分腐った、異形の深海魚のような姿をした魔物が顔を覗かせ、他には頭部が魚で人間の身体を持った半魚人が港に上陸して暴れ回ったり、どういうわけか渦巻く風を纏い、空飛ぶサメが上空から人々を襲っていた。


「ふざけんな……!」


 胸に抱いた激しい怒りと共に、俺は数十発の高圧水流を同時に放ち、港を襲っていた魔物達を殲滅した。

 海をこんな色にして汚して、水棲モンスター達をこのような異形の化け物へと変容させた敵の行ないや、護るべき街と信者達を傷付けられた事、そして、肝心な時にこの場に居らず、それを防げなかった自分に対して腹が立つ。


「ここから居なくなれ! 『ジャッジメント・レイン』!」


 背中に生えた光の翼で空を舞い、俺は上空から左手に持ったブリューナクを、地上に向けて投擲した。

 放たれた極光の槍は、その姿を一筋の閃光へと変えて、それが無数に分裂して地上に降り注ぎ、うじゃうじゃと湧いて出てきていた敵を一匹残らず焼き払った。その後、純白の槍となって俺の手元に舞い戻る。


「おおっ! アルティリア様だ! アルティリア様が助けに来てくれたぞ!」


 街の者達が俺の姿を見て歓声を上げ、俺を讃える言葉を次々と投げかけてくるが、俺が居ない間、死に物狂いで戦ってボロボロになった彼らの姿を見た今だけは、彼らからの賞賛が少しだけ辛い。

 だが、それだって俺が負うべき責任の一つだ。目を逸らさずに受け止めた上で、俺は彼らを安心させる為に、毅然とした態度を取り続けなければならない。


「皆、遅くなってすまない! 私が来たからにはもう大丈夫だ! 負傷した者は後方の安全な場所に下がり、治療を受けるように! 瀕死の重傷を負った者は私が使役する精霊が治療するので、急いで連れてきなさい! そして、まだ戦える者は私のもとに集え!」


 俺の指示に、住民達は一斉に動き出した。俺は使役する水精霊ウンディーネの内、上級・最上級の水精霊を手元に残し、通常の個体には重症者の治療や住民の救助を任せる事にした。


 そして、そんな俺のところに赤い頭髪と髭が特徴的な、筋肉モリモリのヒゲ親父が部下をぞろぞろと連れてやって来た。海上警備隊の副長、グレイグ=バーンスタインだ。


「アルティリア様……我々の至らなさ故に、街に被害を出してしまいました。何とお詫び申し上げれば良いか……」


「頭を上げてくれ、グレイグ。何も謝る事など無い。お前達は私が戻るまで、よく持ち堪えてくれた。詫びるべきは肝心な時に留守にして、戻るのが遅れた私の方だ」


「そのような事はありませぬ……! 元より、この街と海の平和を護る事は我らの使命! それを果たせなかったのは我らの落ち度でございます……!」


「下を向くなと言っている! まだ何も終わってなどいない! そうだろう?」


 俺の言葉に、俯いていた者達は顔を上げ、俺の顔を見る。そんな彼らに俺は言う。


「皆の者、聞け! 我らが愛する海をこのように汚し、この街を襲わせた敵の名は、魔神将ウェパル。その身は腐り果て、異形の怪物と化しながらも生にしがみ付き、あらゆる物を憎悪する醜悪な化け物だ」


 俺の口から出た、魔神将という単語に彼らがざわつく。それに構わずに俺は続けた。


「私はそのような存在、断じて赦せん。私は今、かつてない程に怒りを感じている。ゆえに奴を討伐しに向かう。お前達はどうか?」


 俺の問いかけに、彼らは咆哮をもって答えた。


「アルティリア様の言う通りだ! おのれ魔神将め!」


「ああ、断じて赦せるものか!」


「よくも俺達の海を! 生まれ育った街を! こんな風にしやがって!」


「俺達には女神様がついている! 魔神将がなんぼのもんじゃい!」


「報いを受けさせてやる!」


「アルティリア様! どうか私も共に戦わせてください!」


 大いに沸き立つ者達の中で、一人、冷静に進言してくる者が居た。グレイグであった。


「しかしアルティリア様、海がこのように変異してしまった影響で、船がみるみるうちに朽ちてしまい、まともに動かせなくなってしまったのです。そのせいで、海上で魔物を掃討する事が出来ず、街まで魔物が押し寄せる事態となってしまいました。この状態では、とても船を出す事は……」


 彼の言う通り、港は半壊状態でその機能を停止しており、また赤黒く染まり、腐臭を放つ海は、船や人に対して常時ダメージを与え続けるダメージフィールドと化しているようだ。

 いくら俺のフルカスタム超大型ガレオン船・グレートエルフ号とはいえ、こんなクソみたいな場所を航行するのはかなりキツいだろう。しかし、


「グレイグよ……私を誰だと思っている! 私はアルティリア。お前達が信じる、蒼海の女神である!」


 そう宣言して、俺は神の権能……奇跡を起こす力を発揮した。

 港に、そして海に向かって手を向け、全力で力を解き放つ。すると崩壊した港や、大破した船がみるみるうちに、ピカピカの新品同様に修復されていった。

 そして、ゾンビの血液みたいな色と臭いになっていた海が、元通りの青く美しい蒼海へと戻っていく。

 だがその時、まるで抵抗するかのように、俺の中にドス黒い思念のようなものが侵食してきた。

 生きとし生ける者全てへの嫉妬、憎悪……反吐が出るような負の感情の奔流が、俺を蝕もうと牙を剥く。


「ぐっ……! ふざけんな……ッ! そんなものに負けるかああああっ!」


 海を汚している元凶、魔神将ウェパルが放つ圧倒的な負のエネルギーが、俺の奇跡を押し返し、逆に俺を飲み込もうとしてくるが、俺は気合を入れてそれを跳ね返した。

 その結果……少なくとも視界に映る範囲の海は全て、元の姿を取り戻していた。


「おお……! 奇跡だ、奇跡が起きた……!」


「ああ……そうだ、失いかけて改めて気付かされた……! 海はこんなにも美しかったんだ……!」


「これで戦える!」


「万歳! アルティリア様万歳!」


 喜びに沸き立つ彼らの声を聞きながら、俺は地面に膝を突いた。

 くそっ……! 何とか押し返したが、かなりキツかった。息が乱れ、背中には嫌な汗が流れ、体に上手く力が入らない。


「アルティリア様!」


 隣に居たルーシーが咄嗟に、その小さな体で俺を支えようとしてくる。


「大丈夫……少し疲れただけだ」


「しかし、アルティリア様は王都からずっと、その状態で戦い続けています! 少しはお休みになられなければ、アルティリア様のお身体が……」


 確かに、王都での戦いからずっと女神形態ゴッデスモードを維持し続けた状態で戦っている為、体力・気力共にそこそこ消耗しているのは事実だ。更にそこに先程、全力で奇跡を起こした上にウェパルのキモい思念が侵食してきたせいで一気に疲労が襲ってきた訳だ。


「出来ればそうしたいところだがな……そうも言ってられんだろう。相手は魔神将、ここで私が動かなければ話にならん」


「……では、私が絶対に、アルティリア様をお守りいたします!」


 ルーシーも渋々ながら納得してくれたので、俺は立ち上がり、戦える者達を引き連れて港へと向かった。


「来い、グレートエルフ号!」


 船を呼び出すと、港に俺の所有する、純白の超大型ガレオン船が現れた。以前、幽霊船との戦いで中破してしまっていたが、キングが言っていたようにギルドメンバー達がきっちり修理をしてくれたようで、整備状態は完璧だ。


 だが一つ、いつもと違う事があった。俺の船そのものには変わった部分は見られなかったのだが、何故か俺の船と一緒に、もう一隻の船が一緒に現れたのだった。その姿は、俺にとってはよく見覚えがあるものだった。


「あれは……トゥアハ・デ・ダナンか……!?」


 それは、うみきんぐが持つ快速巡洋戦艦で、彼がメインで愛用している船だ。だがよく見れば、見た目はそっくりだがサイズは一回り小さくなっており、細かい装飾や装備が違っている事がわかる。

 そして、その船には……何十人もの船員が既に乗員しており、その船員達は全員が、見覚えのある小人族だった。


「おぉーい、ルーシーやーい」


 甲板から身を乗り出してルーシーに手を振るのは、白髪と白いおヒゲの、小人族の長老だった。

 そう、その船に乗っていたのは、ルーシーの一族の者達だった。


「長老!? それに皆も、一体どうして!? そして、その船はいったい!?」


「うむ……話せば長くなるのじゃが、おぬしが聖剣フラガラッハを受け継いだ後、わしらはおぬしと別れて再び旅に出たのじゃが……その直後、わしらの夢の中にマナナン=マク=リール様が現れて、神託を授けて下さったのじゃ。そして次の朝、わしらは目を覚ますとエリュシオン島にいた。そして、マナナン様にお目通りする事が出来たのじゃ」


「えっ……ずるい……」


 一族の者達が、始祖王たるレグルスとマナナンが出会った聖地を訪れ、大恩ある神との邂逅を果たしたと聞き、一人だけ除け者にされたルーシーがぼそっと呟いた。


「マナナン様は我らに、かの怨敵……魔神将ウェパルとの決戦が近い事を伝え、その戦いの為の船を造る事を命じられたのじゃ。そして光栄な事に、マナナン様が愛用する船と同じ型式の船を造る事を我らにお許し下さり、図面や素材を惜しみなく提供してくださった。そうして完成したのがこの、我ら一族の船……『サン・レグルス』じゃあ!」


 長老と小人族の者達は始祖王の名を冠する船を見せびらかして、誇らしげにその名を告げたのだった。


「さあ、乗るがいい! そしておぬしが舵を取るのじゃ。聖剣の担い手にして王の後継者、我らが族長よ!」


 そう告げられたルーシーは、ひとっ跳びで甲板へと飛び移って、彼らに向かって言った。


「族長? 違いますね。船長と呼びなさい!」


「「「「「うおおおおお!! 船長! 船長! 船長!」」」」」


 そんな風にはしゃぐ彼らを見ていると、疲れて重くなっていた身体が少しだけ楽になった。


「皆の者! 小人族の勇者達に後れを取るな! 戦闘用の大型船を持つ者達はすぐに出航の準備に取り掛かれ! そうでない者は各自、希望する船に乗って船員として働くがいい! 勿論、私の船でも船員を募集中だ!」


 そう言うと、フリーの人間は全員俺の船へと集まってきた。


「全員乗せられる訳ないだろ、加減しろ馬鹿共!」


「しかし、やはりどうせ乗るならアルティリア様の船が!」


「はい、じゃあ近くの人と三人組作って、ジャンケンして勝った奴だけ私の船な! 負けた子はさっさと別の船に行くように! はいスタート!」


 俺がそう言って手を鳴らすと、ジャンケンの合図の後に歓声や悲鳴が次々と上がるのだった。

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