第156話 生贄※

「……何ぃ?」


 息子に罵声を浴びせられ、公爵が呆けた顔でそう声を漏らす。それに構わず、クリストフが語り始める。


「以前、アルティリア様のところに訪問してきた愚かな貴族に、貴方と似たような事を言った者が居ましたよ」


 呆れながら溜め息を吐いて、クリストフはその時の事を回想する。

 魔神将フラウロスの討伐後、グランディーノのアルティリアが住む神殿には、多くの貴族が挨拶に訪れたのだが、その中には悪徳貴族と呼ぶべき者達も交じっていた。

 そして、その中の一人がアルティリアに向かって、こう言ったのだ。


「それにしても女神様は、民草に対して甘すぎではありませんかな? 奴等は甘やかすとすぐに付け上がりますぞ! 我々貴族や女神様のような、選ばれし高貴な者が強固に支配しなければ」


 その者は領民に圧制を敷く悪徳貴族で、彼の領地では耐えきれずに逃げ出した領民が、アルティリアが降臨して以来、どんどん豊かになっているグランディーノに亡命する事が相次いでいた。彼は逃げた領民を返還するようにとグランディーノの町長や、領主であるケッヘル辺境伯――当時は伯爵である――へと要請していたが、両者共に彼らは既に我が土地の民であるとして断固拒否していた。

 それを気に入らないと思っていた彼は、遂にこうしてアルティリアへと直談判をしようと目論んだのであった。

 アルティリアの豊かに盛り上がった胸にチラチラと厭らしい視線を向けながら、そんな台詞を放った小太りの貴族に、周りに居た他の貴族から突き刺すような視線が向けられる。


(この馬鹿! いきなり何を言っておるのか!)


(貴様のように圧政を敷けば、民が耐えきれずに逃げ出す事など当たり前であろうが! それをまるで自分に非が無いかのような言いっぷり……反吐が出る!)


(そもそも、女神様の方針に貴様のような木っ端貴族が口出しするなど、身の程知らずにも限度があるわ! 我らまで女神様の不興を買ったらどうする……ヒィッ!)


(ど、どうした!?)


(め、女神様の奴を見る目が……まるで虫ケラを見るような……!)


(なんという冷たい視線じゃあ……まさに絶対零度……!)


(だが美しい……)


 身を寄せ合い、小声でひそひそと囁き合う貴族達を尻目に、アルティリアは問題の悪徳貴族に対してこう言った。


「馬鹿か?」


「なっ……!」


「貴様は大きな勘違いをしている。貴族が存在するから民がいるのではない。その逆だ。まず人が居て、その人々が敬い、従うからこそ貴族は貴族でいられるのだ。それは神である私にとっても同じ事。私を女神と信じ、奉ってくれる人が居るからこそ、私は神として君臨できているのだ。だからこそ、そんな彼らを愛し、大切に扱うのは当然の事だ。逆に自分の為に尽くしてくれる彼らを粗略に扱って、一体どんな得があると言うのだ? まともな頭を持っているなら、少し考えれば分かるだろうに」


 淡々と述べるアルティリアに対して、悪徳貴族は混乱した様子で、酸欠になった金魚のように口をぱくぱくとさせている。


「はぁ……そもそもの話だがな……」


 その時に呆れた顔で言ったアルティリアの台詞をそのまま、クリストフはベレスフォード公爵に向かって叩き付ける。


「この世界に存在し、構成している大部分は、お前が言うような選ばれた者ではなく、普通に生きている普通の人達だ。そんな彼らを認めず、彼らに認められもしないお前のような奴が、人の上に立ったところで、一体何が出来ると言うのだ?」


 公爵に絶対零度の視線を向けながら、そう言い放ったクリストフの姿を見たルーシーとジャンの目には、彼にアルティリアが重なって見えた。


「フッ……ハーッハッハッハッハッハ!」


 そして、高らかに笑い声を上げる者が一人。椅子に拘束されたまま、身を捩りながらサイラス王子が嗤っていた。


「ククク……いやはや、言われてみれば全くもってその通りだな。セシルの奴は民の言葉を聞く事ばかりに力を入れ、民を甘やかしてばかりいるのではないか? 人としては美点であろうが、王としては頼りないのではないかと思っていたが……フッ、実は奴こそが、支配者として必要なものを一番よく分かっていたのかもしれぬな」


 妙にすっきりとした顔をして、サイラスがクリストフに話しかける。


「其方、クリストフと言ったか。このサイラス、其方のおかげで閉じていた目が開いた心境だ。礼を言わせて貰うぞ」


「光栄でございます、殿下。こう呼びたくもありませんが、父がした無礼を少しでも帳消しに出来たなら幸いです」


「うむ。では私を助けてくれるか? クリストフ。私にはやるべき事が出来た。宰相として父と弟を助け、この国を早急に立て直さねばならんからな」


「御心のままに」


 この時、サイラスは僅かにあった王位を目指す野心や、弟である王太子セシルを侮る気持ちを完全に捨て去った事で、天下の宰相としての器を完成させた。


「クリストファー! 貴様、赦さんぞ! 父であるこの私に対して無礼な物言いの数々! 最早貴様など息子でも何でもない! 王子共々、この場でビフロンス様の生贄となるがいい!」


「それはこちらも同じ事! 私は今よりクリストファー=ベレスフォードの名を棄てる! 私はクリストフ。蒼海の女神アルティリア様に仕える司祭、ただのクリストフだ!」


 クリストフがベレスフォード公爵に飛びかかり、高速回転させた長棒を遠心力を利用して強烈に叩き付ける。ただの木の棒と侮るなかれ。彼が手にするのはアルティリアが世界樹の枝を手間暇かけて削って作った、物理・魔法共に優秀な攻撃力を誇る強力な武器だ。

 クリストフは後衛の回復・支援職ではあるが、それでも海神騎士団の神殿騎士達と同じように厳しい訓練や実戦を乗り越えてきた猛者である。ゆえに彼の攻撃はそこらの神官が普通の棒切れで叩くのとは雲泥の差だ。しかしベレスフォード公爵はクリストフの攻撃を、手にした黄金の杖で易々と受け止めて見せた。


「なにっ!」


「ふんっ、甘いわ! この私が戦を知らぬ、温室育ちの貴族共と同じだと思うたか! 見よ! この日の為に、鍛えに鍛えたこの体ッ!」


 ベレスフォード公爵が上半身の筋肉を膨張させ、着ていた服を内側から破り捨てる。破れた服の下から現れた肉体は、とても初老の大貴族とは思えない程に見事に仕上がっていた。陰謀家ではあるが、流石は隣のアクロニア帝国とバチバチに争っていた時代を生き抜いただけの事はあり、そこいらの貴族のお坊ちゃんとは鍛え方が違っていた。


「なんの! それはこちらも同じ事! 私とてアルティリア様や仲間の為に戦い続けてきた! 戦いに捧げた年月の長さは貴方に劣ろうとも、その密度は決して劣るものではない!」


 クリストフもまた、筋肉で法衣の上半身部分を破り捨てる。鍛え抜かれた細マッチョボディが露わになった。


「でやあああああっ!」


「小賢しいわあああああッ!」


 手にした棒と杖で打ち合う両者の戦いは、最初は完全に互角であった。しかし20、30、40と打ち合いを続けていく内に、だんだんとクリストフが攻撃する機会が目に見えて増えていく。

 その原因は単純明快、基礎体力の差だ。クリストフは普段から、仕える女神や仲間の為に精力的に働き、またロイドやスカーレット、ルーシーのような自分よりも実力が上の前衛職を相手に、日々過酷な戦闘訓練を行なっているのだ。しかも海神騎士団は長距離マラソンや遠泳といった体力づくりに関しては特に力を入れており、クリストフやリンのような後衛職でも、スタミナ量は本業の軍人が裸足で逃げる程だ。

 いくら鍛えているとはいっても、クリストフとベレスフォード公爵とでは普段の運動量が桁違いなのであった。汗を流し、息を切らしている公爵とは裏腹に、クリストフはまだまだ元気いっぱいな様子だった。


「隙あり!」


「ぐぼぉっ!」


 疲労困憊のところに鳩尾への突きを食らい、公爵は手にした杖と宝珠を取り落としながら、悶絶して地面を転がる。

 勝負はついた。そこで、周りに居た漆黒の鎧を着た闇黒騎士達が、無言で頷きあって、祭壇の上で蹲る公爵の周りへと集まってきた。


「げほっ、ごほっ! お、おのれぇぇ! ものども、何をしている! 早く奴等を排除して私を護らぬか!」


「いざとなったら手下頼りか! いいでしょう、この者達を片付けたら、次は貴方の番だ!」


 クリストフが闇黒騎士達に対峙し、父親との決別の為の決闘ゆえと見守っていたルーシーとジャン、それからジャンによって拘束を解かれていたサイラス王子も、クリストフの横に並んで構えを取った。


「兄貴、戦えるのか?」


「フン、魔法はそれなりに使えると自負している。接近戦は不得手だがな」


 ジャンの問いにサイラスがそう答え、シニカルな笑みを浮かべる。


「では、前衛はお任せを。援護をお願いします」


 ルーシーが一歩前に出て、盾と聖剣を構える。体は小さくとも、とても頼りになる背中だ。彼女の後ろほど安全な場所は、この国には他に存在しないだろう。

 四人の勇者達は、闇黒騎士達との戦いに備えて身構える。だがその時、予想だにしない出来事が起こった。


 その場に居た闇黒騎士は11人。その11人が全く同じタイミング、全く同じ動作で一斉に剣を鞘から抜いた。そしてその直後、彼ら11人はその剣を……なんと、ベレスフォード公爵の身体に、全くの同時に突き立てたのだった!


「がはっ……! き、貴様等……な、何を……!?」


 突然の裏切りに混乱しながら、息も絶え絶えに訊ねる公爵に対し、闇黒騎士の一人が回答する。


「儀式の仕上げに必要なものは、このローランド王国の始祖の血を引く、高貴なる者の魂。直系の王族よりは薄いですが、貴方にもそれが流れている事はよくご存知でしょう? ベレスフォード公爵様? 第二王子を生贄に捧げるのに失敗した時には、貴方がビフロンス様復活の為の礎になるのは決まっていた事なのです」


 ベレスフォード公爵家はローランディア王家に次ぐ権勢を誇る大貴族だ。ゆえにその血筋には過去の政略結婚によって、王家の血も混ざっている。


「き、貴様等……は、謀ったな……!」


「裏切り、謀略は貴方のお家芸でしょう。ま、ご安心下さい。すぐに我々も後を追いますゆえ」


 そう言って、闇黒騎士達は剣を公爵の身体から引き抜くと、今度はそれを自らへと向けた。


「我等が魂、大いなる魔神将ビフロンス様の復活の為に捧げんッ!」


 11人が同時にそう叫び、全く同じタイミング、全く同じ動作で手にした剣を、自らの喉へと深々と突き刺し、彼らは絶命した。


 直後、地下儀式場全体を、まともに立っていられない程の地震が襲った。それと同時に、真下から途轍もなく恐ろしい、邪悪な気配が漂ってくる。


「いけない! 皆さん集まってください!」


 瞬時に状況判断し、一刻も早くこの場を離れなければまずいと悟ったクリストフが、仲間と共に転移魔法で地上へと脱出する。


「精霊様、聞こえていますか! 皆に今すぐ城を脱出するように指示を!!」


 地上に出てすぐに、クリストフは腹の底から大声を出して、伝令として王宮中に散っている水精霊ウンディーネに呼びかけた。

 その声を彼らの近くに居た水精霊の一体がキャッチすると、即座に意識が繋がっている他の水精霊へと伝え、彼女らは付近にいた神殿騎士や、まだ王宮内に残っていた者達と共に転移魔法で脱出する事に成功した。


 王宮を吹き飛ばしながら、地下から魔神将ビフロンスが出現したのは、全員が脱出に成功した直後の事だった。

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