第157話 離脱※
「おやおや、ようやく始まりましたか。随分と時間がかかりましたねェ」
王都から少し離れた場所にある丘の上で、王宮を下から打ち上げて吹き飛ばしながら現れた魔神将ビフロンスの巨体を見上げ、そう呟いたのは地獄の道化師であった。もちろん複製体であり、その顔につけた仮面の額部分には482という数字が刻まれている。
彼のすぐ隣には、アルティリアによって氷漬けにされた人魚の美女、紺碧の女王の姿もあった。王宮から脱出する際に、地獄の道化師が回収したものだ。
その、紺碧の女王を覆っていた分厚い氷が罅割れて、中から氷を割りながら女王が出てくる。
「はぁ……ようやく脱出できましたわ。貴方にも手間をかけさせて悪かったですわね」
「いえいえ、お気になさらず。今のワタクシは気分が良いので、特別に貸し借り無しにしておきますとも」
「それはどうも。……ビフロンス様は予定通り復活されたご様子ですわね。ところで首無しは?」
「くたばりましたよ。やはり腕が立とうと、元人間など使い物になりませんね」
「そう。あの男の剣技は美しかったので、もう見れないのは惜しくはありますわね」
吐き捨てるように答えた地獄の道化師に対し、紺碧の女王は惜しむように言った。
「主に呼び出しを受けているので、私はこれで失礼しますわ。貴方はどうするんですの?」
「さて、どうしましょうかね。次の計画の為に暗躍するのもいいですが、それは他の分身達が既に動いておりますので、ワタクシはここで人間共がビフロンス様に屠殺される姿を、ワインでも片手に高見の見物と洒落込むのもいいですなぁ」
「醜い……」
同じ魔神将の眷属としてそれなりに付き合いは長いが、やはりこいつは不気味な存在だと嫌悪感を露わにしながら、紺碧の女王はその場を後にした。
今の、狂った主の処に帰るのは気が重いが、逆らう事は不可能である為、紺碧の女王は渋々、転移魔法で魔神将ウェパルのもとに帰還するのだった。
それを見送った地獄の道化師もまた、何処かへと消え去った。きっとまた、どこか別の場所で邪悪な企てをするつもりなのだろう。
一方、王宮があった場所ではアルティリアが、海神騎士団のメンバーと合流していた。
「お前達、無事か!?」
「はい、アルティリア様! 全員、五体満足で揃っております!」
アルティリアの問いに、ロイドが答える。その後ろには、海神騎士団の正規メンバーが全員、整列していた。
「よし。では早速だが、あの巨大骸骨を討伐するぞ。私が先頭に立って戦うので、お前達は援護してくれ」
「お待ちください、アルティリア様」
神殿騎士達にそう指示を出して、アルティリアは魔神将ビフロンスに戦いを挑もうとする。しかし、そんな彼女を止める者が居た。冥戒騎士フェイトだ。
「この場は私に任せ、アルティリア様はグランディーノに帰還してください。グランディーノもこの王都同様に、魔神将によって危機に陥っており、アルティリア様の救けを必要としています」
「……だが、勝算はあるのか? 魔神将の本体を相手に、お前達3人だけでは……」
フェイトは過去に魔神将を討伐しているが、それは彼が長い冒険の末に絆を結んだ、多くの仲間と共に戦ったからだ。現在、彼と共に居るのはアステリオスとオルフェウスの2名のみで、彼らも前衛アタッカーやバッファーとしては非常に優秀ではあるが、それでも3人だけでは戦力不足は否めない。
「策はあります。正直に申せば、もう少し戦力が欲しいところではありますが」
俺が戦力不足を察しているのを彼も解っているようで、隠す事なくそう言ってきた。
「ならば……ロイド!」
「はっ!」
「お前達はこの場に残り、フェイト殿と共に魔神将ビフロンスを討つがいい。お前にとっても、あれは因縁のある相手なのだろう?」
「はい。あの者は我が父ジョシュアを亡者として蘇らせ、利用してきた憎い仇でもあります。騎士として、戦に個人的な感情を持ち込むのはあるまじき事ではありますが、あの魔神将、ビフロンスだけは赦しておけません」
恐らくロイドは、アルティリアが言い出さなければ自らこの場に残る事を志願していただろう。それを理解していたからこそ、アルティリアは率先して、彼にフェイトを助けるように命令した。
「ならば、しっかりと落とし前をつけて来るといい」
ロイドが強く頷くと、彼の周りにいる仲間達も口々に同意する。
「そういう事なら、私も奴と戦わなければなりませんね。愚かな父ではありましたが、彼が分不相応な野望に取り憑かれ、無惨な死を遂げる元凶となったビフロンスを赦す訳にはいきません」
「俺も同じだ。我が師父テオドールもまた、己の心の弱さ故に道を誤ったが……彼を唆し、悪の道へと誘ったのが奴だというのなら、この槍と、師より受け継いだ技で報復しなければ気が済まん」
「我も手を貸そう。人の心の弱さに付け込み、影から操るような卑劣な行ない、断じて赦せぬ」
クリストフ、レオニダス、スカーレット……彼らもまた、ロイドと同様にこの戦いの中で、父親や父親同然の人物との
他の団員達も、ただ一名を除いて全員この場に残って魔神将ビフロンスと戦う決意を固めていた。その残った一名とは……
「アルティリア様、私もグランディーノに同行させてください」
聖剣フラガラッハを掲げ、頭を下げる小人族の聖騎士、ルーシー=マーゼットだ。彼女が持つ聖剣の柄に嵌め込まれた宝珠が、持ち主に何事かを伝えようとしているように明滅している。
「聖剣が伝えているのです。我ら一族の怨敵は完全に滅んではおらず、決戦の時は近いと。グランディーノを襲っている敵とは、間違いなく……」
「魔神将ウェパル、だな。ならば当然、お前の手で神代から続く因縁に決着を付けるべきだろう。頼りにさせてもらうぞ」
「はい!」
そうしてルーシーを伴い、グランディーノに転移しようとするアルティリアにロイドが、続いてニーナとアレックスが声をかけてくる。
「アルティリア様、ご武運を!」
「お前もな、ロイド。皆の事を頼んだ。だが大怪我をしたばかりだと聞いている。あまり無理をするなよ」
「母上! ニーナは俺が護る。だから何も心配するな!」
「ママ、ニーナもがんばって皆を助けるから、無事に帰ってきて!」
「ああ、任せろ。厳しい戦いになるとは思うし、もしかしたら少し時間がかかるかもしれないが……ちゃんとお前達のところに帰ってくるさ。約束だ」
そう言い残して、アルティリアはルーシーと共に転移し……残された者達は、魔神将ビフロンスに戦いを挑む。
「別れは済んだか? あの厄介な女神が勝手に居なくなるとは好都合だ。まさか自ら勝機を手放すとは愚かな事よ」
ビフロンスの低く、おどろおどろしい声が響き渡る。心身の弱い者ならば、その声を聞いただけで重篤な恐慌状態に陥るであろう。だがこの場に怯える者など一人も居らず、全員が静かに闘志を漲らせている。
「勘違いするな。貴様など我等だけで十分、アルティリア様が出るまでもないという事だ!」
ロイドが刀の切先を向けながら、ビフロンスに向かってそう言い放つ。
「随分と大きい口を叩いてくれるな、小さく脆い定命の者ふぜいが! ならば思い知るがいい、絶対なる死を貴様等にくれてやろう!」
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