第93話 クリストフとジャン※

 丁度、騎士団の訓練所にて、アルティリアとフェイトが模擬戦を行なっていた頃。海神騎士団に所属する神殿司祭、クリストフは一人、騎士団と別行動を取っていた。

 いや、正確には一人ではない。彼の隣にはもう一人の男がいた。緑色の外套を着て、同じく緑色の、つばが広い羽付き帽子を被った痩せ型の若い男だ。帽子の下にあるサラサラの髪は男にしては長く、綺麗な金色をしている。ジャンという名の、旅の吟遊詩人である。


「それにしても驚きましたよ、精霊様から貴方が神殿で寝ていると連絡が来た時は」


 それは今朝の事だった。早朝にクリストフが目を覚まし、身支度を整えていると、彼の部屋に水精霊がやって来て、


「おはようございます。このような時間に申し訳ありませんが、神殿にて貴方の友人らしき男を預かっている為、準備が出来ましたら引き取りをお願いします」


 と宣った。


「……その男の特徴は?」


「金色のサラサラヘアーが特徴的な優男。年齢は見たところ二十代前半くらい。背は普通からやや高め。緑のローブに羽根付き帽子を着て、リュートを持った詩人風の男です」


「………………把握しました。その者は確かに私の友人です。すぐに引き取りに向かいます」


 そうして足早に神殿に向かったクリストフは、既に起きていたアルティリアや、彼女が使役する精霊達に挨拶をした後に空き部屋へと向かい、水を半固形状に固めて作られたベッドの上で呑気に眠っていた友人を叩き起こしたのだった。

 そして今、クリストフは久しぶりに会った友人と二人で海辺を歩いていた。周りに人の姿や気配が無い事を確認して、クリストフは口を開いた。


「……して、此度の要件は何でしょうか、ジュリアン王子?」


 クリストフは、その男をジャンではなく、ジュリアン王子と呼んだ。

 そう、彼の本名はジュリアン=ド=ローランディア。このローランド王国の第四王子であった。


「王子はよせ。今の俺はほぼ平民と変わらんさ。お前と同じでな」


 王子とはいえ、身分の低い愛妾との間に出来た子であり、また四男ということもあって、王位継承権などあって無いようなものだ。

 また、本人が自由を愛し、放浪癖のある貴族社会に馴染めない性格なのもあって、王子であるにも関わらず王宮に帰る事が滅多に無いという困った男だった。彼が吟遊詩人の恰好をしているのは身分を隠す為……というのもあるが、彼は実際、本当に吟遊詩人として各地を気ままに放浪しながら弾き語りを行ない、日銭を稼いで旅をしていた。


「それでもまだ俺を王子と呼ぶつもりなら、俺もお前の事をクリストファー=ベレスフォード公子と呼ぶぞ」


「OK、この話はやめにしましょう。はい、止め止め」


 痛い腹を探られたクリストフが会話を打ち切る。クリストフもまた、貴族……それも最高位である公爵家の子として生を受けた。彼もまた庶子の末弟であった為、幼い頃に神殿に入り、神官として育った。


 クリストフとジャンは似たような境遇であり、歳も近く、しかもお互いに家を継ぐ気や野心など更々なく、気楽に好きな事をして生きたいと思っていた為、出会ってすぐに意気投合した。

 そうして成長した後に、クリストフは辺境の、滅多に人が訪れない神殿に自ら志願して派遣され、趣味の考古学やマジックアイテムの研究に没頭し、一方ジャンは王宮を飛び出して気ままに各地を放浪しながら物語のネタを集め、それをリュートの演奏と共に語る日々を過ごしていた。

 ジャンは時折、クリストフの下を訪れては旅先で見聞きした事柄を彼に知らせて、その対価として食事と酒を奢らせていた。前回会ったのは、およそ一年ほど前の事だった。


「しかし、あの考古学の勉強や遺物集めにかまけてお祈りも真面目にやってなかった不良神官が、今や司祭か。随分と真面目になったものだ」


「ふふふ……それはまあ、本物の女神様に会ってしまいましたからね。今では日々の祈りも欠かさず行なっておりますとも。それと、こちらに来てから新しい趣味が出来ましてね」


 そう言ってクリストフは、道具袋から釣り道具一式を取り出し、その場で海に向かって釣りを始めた。


「釣りはいいですよ。魚と1対1の駆け引きと力比べの真剣勝負! そして釣り上げた魚で魚拓を取ってコレクションしたり、美味しい料理を作って皆で食べたりと様々な楽しみがあります。一度ハマれば抜け出せなくなりますよ」


「ふっ……充実しているようで何よりだ」


 趣味に没頭するオタク気質なのは相変わらずかと、ジャンは苦笑した。


「さて……それじゃあ本題に入るとするか」


 釣りをするクリストフの隣に並び、ジャンは語り始めた。


「半月くらい前に、王宮に立ち寄ったのだがな」


 帰った、ではなく立ち寄ったと表現するあたり、この男がいかに普段、外を放浪しているかが分かるというものだ。


「親父がまた体調を崩したみたいでな。まあ、今すぐくたばる程じゃあないんだが……」


 ジャンの父親、すなわちローランド王国の現国王はもうすぐ五十歳になる。最近は体力の衰えと共に、体調不良を訴える事が多くなってきた。


「問題は兄貴達と、取り巻きの貴族共だ。このまま親父が死ねば、恐らく……いや、間違いなく国が割れるだろうな」


「……やはり、そうなりますか」


 ジャンの上には三人の兄王子がいる。長兄アンドリュー、次兄サイラス、三兄セシルだ。その内、正室の子は第三王子のセシルのみであり、彼が王太子である。

 セシル王子は見目麗しく、また正義感が強く、誰にでも分け隔てなく接する優しさを持っていた為、家臣達や王都の民から絶大な人気を集めていた。

 しかし、それが面白くないのが二人の兄であった。


「サイラス兄貴はまだ良いが、問題はアンドリューだ」


 長兄アンドリューは軍事、次兄サイラスは政務面で才覚を表し、それぞれの分野で活躍している。

 一方、王太子でありセシル王子は血統や人柄といった面では全く問題が無いものの、二人の兄のような際立った才能や能力は無く、悪く言えば凡庸であった。しかし本人に突出した才能が無くとも、人を惹きつけ、配下の者から慕われるという得難い才があった。

 セシルを王として、二人の兄が軍事・政務それぞれの専門分野で支えれば、王家は安泰、ローランド王国は盤石の体制で発展する事ができるだろう。しかし……


「あの野郎、最近は野心を隠しもしなくなった」


 第一王子アンドリューは欲深く、野望に溢れた男であった。


「俺が王宮に寄った時も、奴は取り巻き共にこう言っていた。サイラスは理屈をこねる事しかできない頭でっかち、セシルは家臣に媚を売る軟弱者、ジュリアンはただの阿呆だとさ。ったく、合ってるのは最後だけだっつーの」


 悪態をつきながら、ジャンは後頭部を右手でぼりぼりと掻いた。


「まあ、あの阿呆はいつも通りだとして……問題はサイラス兄貴だ」


「サイラス様ですか……しかし、あの方は理性的な方です。そうそう問題を起こすとも思えませんが……」


「本人はそうでも、周りがな……。アンドリューは頭がアレだし、セシル兄貴は……正直、一部の貴族からは嫌われてるからな……」


 セシル王子は公正で、正義感が強く、民を思いやる優しさを持っていた。それは間違いなく、人としては美徳であり、民衆にとっては好ましい物だろう。

 しかしその反面、民に対して重税を課したり、不正や悪政を行なっている領主貴族にとっては煙たい存在であった。もしもこのままセシル王子が即位すれば、確実に目の上のたんこぶになるのは明らかであった。


「大貴族の中にはサイラス兄貴を支持する連中も多い。その筆頭が……」


「ベレスフォード公……父上ですか」


 クリストフの父親であるベレスフォード公爵は、ローランド王国内で最大の、王に準ずる力を持つ大貴族であり、公爵派と呼ばれる派閥の筆頭格であった。


 貴族は名目上は王に臣従しているものの、無条件で従っているわけではない。

 封建制度において、王というのは言ってしまえば『連合の盟主』であり、『最も力のある貴族』である。諸侯が従うのは、王家が最も強く、臣従する事によって自身の持つ土地や、既得権益が保証されているからだ。

 ゆえに、弱体化すれば別のものに取って代わられ、下手に諸侯の機嫌を損ねれば逆らわれる事もある。なので王は適度に、諸侯の力が大きくなり過ぎないように頭を押さえつつ、臣従させ続ける為に機嫌を取らなければならない。要は飴と鞭である。

 同時に、貴族は隙あらば自らの力を増大させ、王家や国家に対する影響力を強めようと虎視眈々と狙っている。王家に準ずる力を持ち、王に対して強硬姿勢に出る事がしばしばあるベレスフォード公爵は、国王に対抗する貴族派閥を形成していた。

 対して、ベレスフォード公爵の専横を許すなという反公爵派や、王家に対して心から忠誠を誓う者達が集まっているのが国王派である。現在のローランド王国に属する諸侯は、この二派閥に大分されていた。

 言うまでもなく国王派はセシル王子を、公爵派はサイラス王子を強く推している。


「そんな訳で、王都は今、なかなか荒れそうな雰囲気だ。そして、とっくの昔に家を出たとはいえ、お前は公爵の実子だ。下手をすれば、お前の身も危なくなる可能性もあるから気を付けろ……と、今回はそれだけ伝えたかったんだ」


「ありがとうございます。ですがまあ……私の身に関しては、全く心配はいらないですよ」


「……随分と自信満々だな?」


「ええ。……そうですね。これから私について来れば理解できますよ」


 そう言ってクリストフは、話の最中も釣っていた魚が入ったクーラーボックスを担いで立ち上がり、ジャンを伴って騎士団の詰所へと戻った。

 クリストフは荷物を置いて、訓練所へと顔を出した。するとそこでは……


「行くぞスカーレット! 今日は俺が勝つ!」


「ふん、返り討ちにしてくれるわぁ!」


「螺旋水撃ッ!」


「業炎撃ィッ!」


 ロイドが刀に螺旋状の流水を纏わせて振り下ろし、激流が襲いかかるが、スカーレットは爆炎闘気を手にした大剣に集中させ、それを迎え撃つ。


「甘い! その程度では私の護りを突破する事など不可能ですよ!」


「まだまだぁーっ! 『流水砲ウォーターキャノン』・三連発でどうだ!」


 杖を向けて水属性の攻撃魔法を連続で放つリンに、大盾を正面に構えてそれを防御するルーシー、そして……


「よう……負けた方が昼のオカズを一品献上って事でどうよ……? ちなみに今日の昼飯は、エビ炒飯と鶏の唐揚げ、蒸かしイモ、マカロニサラダ、コーンスープの予定だぜ」


「ほーう、負けそうになってる癖に言うじゃねぇか、このギャンブル好きめ」


「ハッ、当然。ここから華麗に逆転するからさ……!」


 と、模擬戦中に賭けを始める者や、


「おう、向こうでアホ共が何かやってるが、俺らはどうするよ? ビビってる奴いる?」


「冗談……! 俺はデザートのプリンも上乗せレイズしてやるよ……! 受けるコールか? それとも降りるドロップか?」


 等と、便乗する者まで出てくる有様であった。

 しかし、そんな彼らの戦う様子は真剣そのもので、そのどれもが、ジャンがこれまで見た事もない程にハイレベルな力と技の応酬であった。


(あれ……こいつら近衛騎士団とか王国軍の精鋭より強くねえ……? 特にあっちで戦ってる茶髪の兄ちゃんと全身鎧の赤い奴、動きや技の威力がヤバいが本当に人間か?)


 ジャンが心の中で呟く中、クリストフは訓練所に入っていき、騎士団の皆に向かって声をかけた。


「すみません皆さん、実は私の実家って結構大きめの貴族の家でして、実家が政争に負けると私の身も危なくなるかもしれないんですけど、助けてくれます?」


 クリストフがそのように、ぶっちゃけた話をすると……


「当ったり前だ馬鹿」


「聞くまでもなかろうよ!」


「愚問ですね」


「誰が相手だろうと、仲間を見捨てるなんて事ありえないですから!」


「ビビってる奴いる? 居ねぇよなぁ!」


「つーかクリストフさん、何訓練サボってるんスか。早く入ってホラ」


「そんな当たり前の事聞く前に、はよ回復魔法かけて。やくめでしょ」


「ところでクリストフさんも昼のオカズ賭けません?」


 模擬戦をする手を一切緩める事なく、次々にそんな答えが返ってきた。


「……という事ですので、私に関しては全く心配はいらないです」


「……ふっ、そうか。ハハハハハ! 俺とした事が、全く要らん心配をしていたようだ」


 久しぶりに会った友人の仲間が、とんでもない戦力を持っていた事が可笑しかったのと、それ以上に……

 出会った頃は、一人きりで考古学の本に向かってばかりだった少年が、いつの間にか沢山の仲間に囲まれるようになった事が嬉しくて、ジャンは腹を抱えて笑うのだった。


 ちなみに、もし仮にクリストフに刺客が送られるような事があった場合は、女神アルティリアが出張ってきて強制的にゲームセットである。

 基本的に人間の政治に関わる気は無いが、信者に手を出されたら話は別だ。黒幕まで芋蔓式で引っ張り出されて裏世界でひっそりと幕を閉じる。

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