第81話 深き地の底にて※

 深い深い地の底、人が決して行く事の出来ない場所に、死者の住まう世界である冥界があった。

 そこを治めるのは一柱の神。冥界の支配者である冥王プルートだ。彼の役目は冥界の秩序を維持し、死して冥界を訪れた者達に裁きを下す事だ。

 冥界を治める神であるため、まるで恐ろしい魔王のようなイメージを持たれがちではあるが、本来の冥王は厳格だが慈悲深い性格の名君であった。確かに厳しいが、それは死者を裁き、秩序を守るという使命に対して真摯であるがゆえだ。実際のところはフリーダムな弟達や他の神々に比べれば、遥かに真面目で良心的な神であった。比較対象が悪すぎると言われればそれまでだが。


 そんな冥王プルートは、いつになく満足げな様子で玉座に腰かけていた。重厚な鎧と、顔全体を覆い隠す兜のせいで表情は見えないが、彼をよく知る者達が見れば、冥王が上機嫌である事は明らかであった。


 そんな彼の前に、一人の人物が音もなく現れ、跪いた。その者は紫がかった銀色の長い髪と赤い瞳を持つ、全身を覆い隠す黒いローブを着た少年であった。


「冥王様、只今帰還いたしました」


「うむ……面を上げよ。ご苦労であったな、フェイトよ」


 威厳のある低い声で冥王が告げると、フェイトと呼ばれた少年が顔を上げた。恐ろしく端正な顔立ちをした美少年であった。しかし、まるで少女と見間違うようなその容姿に反して、彼が冥王と直接面会できる程に信頼されている実力者である事は、見る者が見れば分かるだろう。


「冥王様、ご機嫌そうですね」


「フフフ、わかるか。優秀な人材が冥界に来てくれたからな」


「私が先ほど迎えに行った、あの者ですね」


「うむ……長い間、魂だけで現世に留まっていたようなので、暫しの休息を与えた後に、余自らスカウトしようと思っておる」


 彼らが話題に出したのは、アルティリア達の活躍によって成仏したオリバー伯爵の事だった。

 沈没船に囚われていた伯爵の魂はその後、冥界へと向かった。生前、偉業を成して多くの人に尊敬されたオリバー伯爵の魂が冥界を訪れたのを察知した冥王は、彼を出迎える為に側近の一人であるフェイトを迎えに出したのだった。


「彼にはどのような仕事を?」


「死者を裁く裁判官を、とも考えたが……あの者はいささか優しすぎるきらいがあるゆえ、冥府の行政官に加えようと思っておる」


「それがよろしいかと」


 死者の魂は死後、冥界を訪れ……その後は生前の行ないに応じて、冥王や彼に仕える裁判官たちによって裁きを下される。

 大半の者は生前の罪を償う為に冥府で働く。その刑期は生前の行ないに応じて変わり、それが終わればその魂は、全ての罪と記憶を洗い流され、次の命へと転生する。

 また、どうしようもない極悪人や重罪人、あまりにも危険な力や思想を持った者は、冥府の最下層である奈落タルタロスへと封印される。

 そして、生前に偉業を成した英雄や偉人は、楽園へと導かれるか、あるいは冥王の直属の部下となって働く事ができる栄誉を与えられる。

 オリバー伯爵もまた、冥王のお眼鏡に叶って、直々にスカウトをされる事になったようだ。


「かの新たな女神……アルティリアにも感謝をせねばならんな。海の女神であり、愚弟ネプチューンの関係者の割には、実に良心的なところも気に入っておる」


 プルートの弟である海神ネプチューンは、若い頃はとんでもなくやんちゃな暴れん坊であり、プルートにとっては頭痛の種であった。


「ネプチューン様も、聖域に入られてからは随分と落ち着いたと聞いておりますが……」


「何が落ち着いたものか、あの愚弟め。少し前に優秀な後継者が出来たぜイェーイ、うちのアルティリアたんは最高だぜ、魔神将だって一捻りだ! などと我らに自慢してきおったのだぞ! 全く、魔神将なんぞうちのフェイトだってアルティリアよりも先に倒しておるというのに!」


「落ち着いて下さい冥王様……」


 ちなみに、このフェイトという少年は冥王直属の騎士、『冥戒騎士』達のリーダーであり、アルティリアが言うところの原作……『ロストアルカディアⅥ ~Knight of Abyss~』の主人公であった。過去に仲間達と共に、魔神将エリゴスを討ち滅ぼしている。

 ついでにフェイト達が魔神将を倒した時には、プルートも「冥戒騎士最強! 冥戒騎士最強!」「余の腹心が優秀すぎるんじゃが」などと弟達や他の神々に自慢しまくっていたので、どっちもどっちである。神々はこんな感じで、隙あらばすぐに他の神を煽ってマウントを取ろうとしてくる畜生ばかりだ(極一部の例外を除く)。


「コホン……ともあれ、アルティリアには何か礼をせねばなるまい……むっ?」


 そう言って、地上のアルティリアの様子を見ようと『千里眼クレアボヤンス』の技能を使ったプルートは、ある事に気が付いた。


「ふむ……フェイトよ、地上へ向かうがいい。冥戒騎士としての務めを果たす時だ」


 プルートがそう告げて、千里眼で観た物を共有すると、フェイトはすぐさま真剣な顔で頷いた。


「はっ、必ずや!」


 彼らの目には、アルティリア達に迫る危険と、その正体がはっきりと見えていた。

 立ち上がり、すぐに出発しようとするフェイトだったが、プルートはそれを呼び止め、ある物をフェイトへと手渡した。上質な布生地に包まれている為、その正体は分からないが、形状は150センチ超の長い形をしている。フェイトは受け取ったそれを、道具袋――アルティリアが持っているのと同じ、無限に近い容量を持つマジックアイテムだ――に入れた。


「行くついでに、アルティリアへの贈り物を届けるがいい。ああ、それと……あのカレーは実にうまそうだったので、貰ってきてくれ。余はビーフカレーの辛口を所望する」


「冥王様、カレーは帰ってきたら俺が作るので我慢してください……」


 筆頭冥戒騎士フェイト。

 冥王の側近にして魔神将を討伐した英雄も、普段は主の無茶振りに苦労させられる、見た目相応の少年であった。

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