第38話 女神を追って※

 グレイグ=バーンスタインは、港町グランディーノに拠点を置く海上警備隊の副長だ。燃えるように真っ赤な髪に、同じく赤い豊かな髭の持ち主で、人間族ヒューマンにしてはかなり大柄で、筋骨隆々の大男だ。

 年齢が中年に差し掛かっても、若い頃から現場一筋でバリバリ働いて鍛え上げた自慢の肉体は衰えを知らず、今日も元気に若い衆を指揮して海に出ていた。


 およそ一ヶ月くらい前から、海に棲む魔物の動きが活発化している事で、海上警備隊は毎日のように王国近海の巡回を行なっていた。

 グランディーノの町を含む、大陸北西部が面するトゥーベ海域は元々、小型の魔物が時々出現する程度の平和な海だったが、最近は小型はほぼ毎日、中型の魔物も時々現れる危険地帯と化している。

 また、トゥーベ海域の北にあるラメク海域、更にその先のエッダ海域に至っては、クラーケンのような大型の、極めて危険な魔物が現れるほどだ。かつてロイド達が、アルティリアと出会った際に襲われていた個体の他にも、漁船で漁に出ていた漁師が見つけて、命からがら逃げ帰ってきた事もあった。


 今日も、戦闘艦に乗った隊員達が手分けして、日課となったトゥーベ海域全域の見回りをしている所だ。

 グレイグが指揮する船は、本日は海域の西側を担当する。さっそく警戒しながら、船を西進させていた時であった。


「あ、アルティリア様!?」


 少し前に、グランディーノの町に降臨した女神、アルティリアが、まるで氷の上を滑るかのような優雅な足取りで、海上を移動しているのを発見し、グレイグと彼の部下の隊員達は大いに驚いた。


「ごきげんよう。ではお先に失礼」


 女神もこちらに気付いたようで、軽く一礼すると、あっさりと警備隊の戦闘艦を追い越して、長い水色の髪を潮風に靡かせ、メートル超えの爆乳を揺らしながら西の海へと駆けていった。


「女神様、今日もお美しい……」


「話には聞いていたが、本当に女神様は水の上を歩けるのだな……」


「ううむ、それにしても何という速さだ。船よりも速く海の上を駆けるとは、流石は女神様……」


 警備隊員達は去っていくアルティリアの姿を見て、様々な反応を見せる。海の上を走るという常人には成し得ない行為に驚く者、その速さに感嘆する者、女神の後ろ姿を見て、まん丸い豊かな尻や、むちむちの太ももに思わず見惚れる者など様々だ。


「喝ッッッ!!」


 だがグレイグは、気合の乗った一喝で、そんな彼らを叱咤した。


「お前達、なぜ女神様がこの場に現れ、駆けていったかよく考えろ! 何の意味もなく、あの御方が動く筈もあるまい」


 実際のところは特に意味もなく探検、あるいは徘徊しているだけなのだが、そのような事を知る由もないグレイグは、アルティリアの行動に何か重要な理由があるのだと深読みした。

 そしてそれは、部下の隊員達にも伝播する。


「ハッ……! 我々がこうして見回りをしているように、最近は凶暴な魔物が多く出現している……。という事は女神様は、何か邪悪な存在を察知して……!?」


「うむ……恐らくはそうだろう。ゆえに我々も急がねばならん」


 グレイグ率いる海上警備隊の船は、急ぎアルティリアを追って海を西に進んだ。その先で、彼らは一隻の帆船を発見する。


「副長! 貨物船です! 周囲に殺人鮫キラー・シャークが多数!」


「護衛艦も連れずに何をやっとるんだ、あの船は!? ええい、急いで助けるぞ!」


 航海をする時は、海の魔物や海賊への対策の為に、船に装甲や大砲のような戦闘用の兵装を積むか、護衛のために船に冒険者を乗せたり、戦闘用の船を雇ったりする。海上警備隊も時々、グランディーノを出発する要人が乗る船や、貴重な荷物を運ぶ船を護衛する仕事を受ける事がある。

 しかし、襲われている船はそれらの対策をしている様子が一切なく、このままでは魔物の攻撃で成す術もなく沈められるのも時間の問題だ。

 そこで、海から飛び出した一匹の殺人鮫が、甲板に向かって大口を開けて襲い掛かるのが見えた。その先には一人の水夫が居る。

 男が食われる。そう思った瞬間、殺人鮫が何かに弾かれたように吹き飛ばされて、その青黒い巨体から鮮血が噴き出した。

 鮫に狙われた男は、右手に握った青い球体を掲げている。アルティリアに受け取った、『薄氷の盾』の魔法を発動する魔石だ。彼はそれによって殺人鮫の攻撃を防いだのだった。


 そして、その直後の事だった。

 海面から突然、巨大な水柱が噴出したかと思ったら、水中に居た殺人鮫たちが次々と、その水柱によって空高く舞い上がった。

 数秒後、海水と共に空から降ってきた十数匹の殺人鮫達は海に向かって高速落下し、勢いよく海面に激突して……そのまま二度と動く事はなく、水面にぷかぷかと浮かんでいた。


 それから数秒の後に、アルティリアが海中から浮かび上がってきた。彼女は水面を蹴って跳び上がると、襲われていた船の上へと戻り、甲板上の水夫と話を始めた。

 少し経つと船の奥から別の水夫がやってきて、その者に案内されてアルティリアは船室に入っていった。


 グレイグは船を操り、貨物船へと近付ける。目と鼻の先まで近付けたところで船を停泊させ、先ほどアルティリアと話していた水夫へと話しかけた。


「失礼。我々はグランディーノ海上警備隊の者だが、話を聞かせてもらっても良いだろうか」


「はっ、はい。何でしょうか?」


「まずはそちらの船の所属と、どこから来たかを教えて貰えるかな」


「この船はミュロンド商会の貨物船です。テーベの港から荷物を運んで来ました」


 テーベは、ローランド王国から見て西側にある、自由都市同盟と呼ばれる地域に属する大きな港町だ。その規模はグランディーノにも引けを取らない。

 自由都市同盟は、国家に所属しない複数の大都市から成る自治体だ。同盟に所属する各都市はそれぞれ独自の法律や軍事力を持ち、有事の際は助け合う事で周辺の国家に対抗し、独立自治権を保っている。


「ミュロンド商会……初めて聞く名だが、都市同盟の商会かな」


「はい。ダルティを拠点にしている商会と聞いています」


 ダルティは、テーベと同じく都市同盟に所属する町で、またの名を無法都市、あるいは犯罪都市という。自由と言えば聞こえは良いが、その実態は法律など無いに等しい無法地帯。お尋ね者や無法者、裏稼業の人間が跋扈する、お世辞にも治安が良いとは言えない町だ。


 これはかな。グレイグは心の中で呟き、部下達に合図を送った。彼のハンドサインを見た警備隊員達は、いつでも武器を取り出し、臨戦態勢に移行できるように覚悟を決めた。


「君もミュロンド商会の人間かね?」


「いえ、自分を含めた船員は皆、荷運びの為に一時的に雇われただけです」


 この船に乗っている船員は特定の雇用主を持たず、必要に応じて雇われて船に乗せられる、フリーの日雇い水夫だった。


「では、ミュロンド商会に所属している人はいない?」


「いえ、一人だけ雇い主の、商会の方が乗っております」


(なるほど、ではそいつに話を聞く必要があるな……)


 グレイグは一目見た時から、この船は怪しいと感じていた。

 まず護衛も無しに航海をしている事。これは密航船や密輸船のような、人目に付く事を嫌う連中にありがちな特徴だ。

 何しろ、関係者が増えればそれだけアシがつきやすくなるし、大所帯になれば見つかりやすくなる。特に禁制品を取り扱う密輸船などは、リスクを承知の上で単独の航海をする確率が極めて高い。

 それにしても、この船は碌な武装もしていないのは不用心ではあるが……あまり儲かっていないのか、はたまた単純にケチなだけか。

 ともあれ、密輸船にありがちな特徴を満たしており、しかもミュロンド商会とやらは、悪名高い無法都市を拠点にしている商会だ。

 以上の理由から、この船も恐らくはその類だろうと、グレイグは推理していた。

 問題は船員達だが、果たして知っていて加担したのか、それとも知らずに巻き込まれただけか……そこは、これから話を聞いて判断を下すべき事か。


「とりあえず、責任者に詳しい話を聞きたいのだが……」


 グレイグがそう言って、水夫に案内を頼もうとした時だった。

 突然、破砕音と共に、貨物船が大きく揺れた。

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