第10話 奇跡の晩餐 ※
ロイド=アストレアは静かに、眼前に迫り来る敵の姿を見据える。
敵は、ギャア、ギャアと耳障りな声を上げながら、手に持った粗末な武器――木製の棍棒や、刃毀れし、錆付いた剣などだ――を出鱈目に振り回す、人型の魔物だ。
背丈は人間の子供ほどしかなく、泥のような濁った色の肌を持ち、長い鼻にぎょろりとした目、歯並びの悪いギザギザした歯と、極めて醜悪な顔つきだ。
その、ゴブリンと呼ばれる魔物の群れと、ロイドは相対していた。
「シッ!」
短く息を吐きながら、ロイドが手にした刀を振るう。狙ったのは、先頭に立って棍棒を振りかざし、こちらに飛びかかってきたゴブリンだ。
ロイドが放った斬撃は、ゴブリンの体を真っ二つに斬り飛ばした。上半身を失った魔物の貧相な下半身が、血飛沫を上げながらゆっくりと地面に倒れる。
「セイッ!ハッ!」
返す刀で、後続のゴブリンを二匹、連続で斬殺する。いずれも一刀両断だ。
ロイドが持つ刀は、魔物の体を紙切れでも切るかのように、抵抗なく真っ二つにしていく。恐るべき切れ味だ。しかも刀身には刃毀れ一つなく、それどころか斬った敵の血に汚れてすらいない。
よくよく見れば、その刀身からは水が湧き出ており、それによって刃は清浄を保たれているのだ。
神秘の力が付与された大業物。『村雨』と銘打たれたその刀こそ、女神によってロイドに与えられた神の武器である。
これを与えられてから、ロイドは鍛錬を重ねた。今まで使っていた曲刀とは勝手が違い、最初は戸惑ったものの、元々刀剣の扱いには慣れていた事もあって、今では何とか使いこなせるようになっていた。
やがてロイドと彼の部下達は、海賊をやっていた頃から培っていた連携もあって、苦戦する事もなくゴブリンの集団を殲滅した。
目の前の敵が全滅し、増援や潜んでいる敵の気配が無い事を油断なく確認した後、ロイドは祈りを捧げて、刀を鞘に納めた。
彼のその祈りは、倒した敵に対するものではない。魔物に対して慈悲をかける必要はなく、その死に対して祈る事も無い。この祈りは、ただ女神への感謝の為のものだ。
ロイド達はここ数日、冒険者組合からの依頼を受けて魔物を討伐し、報酬を得ていた。
冒険者とは、魔物の討伐や遺跡の探索を中心に、様々な依頼をこなして報酬を得る者達の事だ。
彼ら冒険者は皆、依頼の仲介・斡旋や、魔物から取れる素材、遺跡から発見された物品の買取を行なう、冒険者組合に所属している。
組合への登録は、手続きをして登録料さえ支払えば簡単に行なう事が出来るので、冒険者を名乗るだけならば、そう難しい事ではない。尤もそこから一流の凄腕冒険者へと成り上がるのは、並大抵の事ではないが。最下級のF級から上へ上がる事なく、引退する者も少なくない。
「お疲れ様でした、ロイドさん。こちらが今回の報酬になります」
拠点としている港町グランディーノの組合支部へと戻った彼らは、受付嬢に依頼の達成報告と、討伐の証――魔物の死体の一部。今回の場合はゴブリンの耳――を提出し、報酬を受け取った。
組合の建物は冒険者用の酒場を兼ねており、報告を終えた彼らはそのまま、酒場のテーブルへと向かった。
給仕の女性に人数分の麦酒とつまみを注文し、それを待つ間に報酬の分配を行なう。彼らは収入の半分を
そうこうしている間に注文していた酒と料理が届いた。
一同は大テーブルの上に所狭しと並べられたそれらを前に、祈りを捧げる。
「それでは今日も、全員無事に依頼を終える事が出来た事を女神に感謝し……乾杯!」
それから各々の手に持った、麦酒がなみなみと注がれたジョッキを高々と掲げ、ぶつけ合い、その中身を一気に飲み干した。
後はそのまま、仕事の疲れを癒すべく酒で喉を潤し、料理で腹を満たしながら騒ぐ。
そうしている間に、他の冒険者がロイドに話しかけてくる事もあった。
「ようロイド、景気良さそうじゃねえか。そろそろE級への昇格試験か?ま、お前らなら簡単に合格するだろうがな」
「違いねえ。さっさと上がってこいよ。C級から上はいつも人手不足だからな」
などと、激励の言葉をかけてくるベテランの冒険者達や、
「あっ、ロイドさん!この間は危ない所を助けていただいて、ありがとうございました!」
「ロイドさん、良いクエストがあるんだけど、今度一緒にやりませんか?」
と、謝礼をしたり冒険に誘ってくる、若い駆け出しの冒険者の姿もある。
冒険者になって間もないが、ロイド達はここで良い関係を築けているようだ。
そうして飲み食いしている間に時間が経ち、明日も早いしそろそろ切り上げて宿に戻るか、と考えていた時だった。
「ロイド……聞こえますか。今、あなたの心に直接語りかけています」
突然、崇拝する女神の声が頭の中に響いた。
「アルティリア様!?」
ガタッ!と大きな音を立て、思わず叫んだロイドに、すわ何事かと酒場中の視線が集まる。
「失礼」
頭を下げ、騒がせた事への謝罪の意を示し、早足で酒場を出る。着いてこようとする部下を手で制しながら、ロイドは急いでアルティリアに返事をした。
「ご無沙汰しておりますアルティリア様、ロイドでございます」
「急に話しかけて、驚かせてしまったようですね。ごめんなさい」
「いえ、そのような事は!確かに驚きはしましたが、アルティリア様にお声をかけていただけて至極光栄です」
「そ、そうですか……コホン、今日はあなたに聞きたい事があって話しかけました。ロイド、貴方は私の存在を、他の人間に話しましたか?」
「は、はい。アルティリア様に救われた事は、しっかりと伝えております」
「……そうですか。ではその際に、貴方は私がどのような存在だと言いましたか?」
「はっ、神か、あるいはそれに近しい存在であると……」
「なるほど……やはりそうでしたか」
アルティリアの口調から、何か困惑や落胆といった負の感情を感じ取ったロイドの背中に、冷や汗が流れる。
「も、申し訳ありません。もしや私は何か、誤っておりましたか!?」
思い返せば、アルティリアが自ら神であると名乗った事はなかった。
彼女が起こした奇跡から、神に違いないと思ってはいたが、もしもそうではなかったとしたら、ロイドは彼女について間違った情報を吹聴して回った事になる。
もしやそれで、彼女に何か迷惑をかけるような事態になってしまったのでは……と考えるロイドだったが、
「……いいえ、確かに私は神ですよ。誰も名前を知らないような、マイナーな女神ですけどね」
他ならぬ彼女自身が、自分は女神であるとはっきりと口にした事で、ロイドの心はやや軽くなった。
「しかし、今はあまり多くの人に、私の存在を知られたくはありません。なるべく目立つような真似は避けて下さい」
しかしアルティリアにそう言われた事で、ロイドは自分が軽率だったと深く後悔した。
彼女が大陸から離れた海に居たのは、きっと何かの事情があっての事なのだろう。彼女の存在が人に知られる事で、何かよくない事が起こり、彼女の邪魔をしてしまったのではないか……と、ロイドは思い悩んだ。
「それと、可能であれば一つ、頼み事をしたいのですが……」
「はっ、何でもおっしゃって下さい!この命に代えても必ずや成し遂げてみせます!」
自責の念に駆られていたところに女神から頼みごとをされ、ロイドは一も二もなく飛びついた。
アルティリアの話によると、彼女は神殿を建設して欲しいとの事だった。
なんと、彼女を奉る神殿を建てれば、女神が我々の住む大陸に降臨する事が出来るとの事だ。
これは己の軽挙で女神に迷惑をかけてしまった事への償いの機会であり、かの女神にもう一度会える事への期待もあって、ロイドのやる気は最高潮に達していた。
アルティリアとの対話を終えたロイドは酒場へと戻り、部下達と合流しようとする。だが彼らのいるテーブルに近付くと、何やら騒ぎが起きているようだった。
「お前ら、どうした?」
「あっ、お頭!それが、お頭が席を外してる間に、急にこいつらが絡んできまして……」
ロイドが部下の視線の先へと目をやると、そこには冒険者の一団が立っていた。
「よう、お戻りかいロイドさんよ。随分と景気が良さそうじゃねえか」
いかにもチンピラといった風体の、ガラの悪い男ばかりの集団だ。その内の一人がそう言って、ロイドを睨む。
彼らはロイドと同じ、最下級のF級冒険者のパーティーだ。
ただし、ロイド達が冒険者としては組合に登録したばかりの新人であるのに対し、この男達は何年も冒険者として活動していながら、未だにF級に留まっている……とだけ述べれば、その程度が知れるだろう。
彼らは有望そうな新人を見る度に、その才能や活躍を妬み、しばしばこのようにして絡んで来る、どうしようもない最底辺の冒険者だった。
「誰だか知らんが、俺達に何の用だ?」
「フン……ご立派な剣で魔物をばっさばっさと薙ぎ倒して、調子に乗ってる新人のツラでも拝んでやろうと思っただけさ。それにしても、鞘に入ってる状態でも一目で分かる、それはそれは見事な剣じゃねえの」
ロイドの腰に差された刀を無遠慮にじろじろと眺めた後に、顔に嘲りの色を浮かべて男は言った。
「薄汚ぇ元海賊にゃ分不相応な業物だ。一体どこから盗んだんだ?」
男のあんまりな物言いに、ロイドの部下達が激怒して叫ぶ。
「てめえ、今なんつった!言うに事欠いて盗んだだと!?」
「この剣はロイドさんが女神様に与えられた神聖な物だ!お前らのような連中の目に入れるのも恐れ多いわ!」
また、周囲で遠巻きに見ていた冒険者や、組合の職人達も忌々しそうに彼らを見る。
「いくら何でも言い過ぎじゃない?あいつら何様のつもり?」
「チッ……あのカス共、また懲りずに新人に絡んでやがる」
「万年Fランクの面汚し共が……。そろそろ『再教育』が必要な時期か?」
中には立ち上がり、拳を鳴らす血の気の多い者も居る。そんな彼らや部下達を手で制して、ロイドは男の前に立った。
「取り消して貰おうか。確かに俺達は元海賊で、散々人様に迷惑をかけるような真似をしてきた。そこは言い訳のしようもないが、この剣はそんな俺に、ある御方が授けてくれた物だ。断じて盗んだ物などではないし、その方の信頼に応える為にも、俺は二度と人の道を外れる事はしない」
胸を張り、堂々と宣言したロイドの男ぶりに、それを見ていた者達が喝采を送る。それを見て面白くなさそうな顔をしたのは、相対していた男達だ。
「ケッ……噂の女神様ってヤツか?その話もどこまで本当なのやら。なぁーにが神様だ、バカバカしいったらありゃしねえ」
「おい。俺の事はどう罵ろうが好きに言ってくれて構わんが、アルティリア様を侮辱する事は許さんぞ」
ロイドがその顔に、静かに怒りを滲ませるが、男達は怯んだ様子もなく馬鹿笑いをしながら、好き勝手に叫ぶ。
「ハッ!許さねえって言うならどうしてくれるんだ?その女神様が今、この場で俺に神罰でも与えてくれるってか?もし本当に居るのなら、だけどなぁ」
「それとも祈れば、俺達にも何かスゲェーお宝を授けてくれるのかい、その女神様とやらはよぉ?」
「ギャハハハ、そりゃあ良い。なら試しに祈ってみようじゃねえか!」
そう言って彼らは、ふざけたポーズを取って揶揄うような口調でもって、神官が見れば怒りで卒倒しかねない程の侮辱的な祈祷を行なった。
「おぉ女神よ、もしも本当に居るのなら、この空のテーブルの上に、溢れるほどのご馳走をもたらしたまえー……なーんつってな!」
真摯に祈る気持ちなど欠片もない、相手を貶める為だけの行為。そのような物を目の前で見せられては、流石のロイドも怒りで堪忍袋の緒が切れた。
「貴様ら……!」
拳を固く握り、ロイドが一歩を踏み出そうとした時だった。
「なっ……何だ!?」
奇跡が起きた。
彼らのすぐ近くにあったテーブルが光り輝き、その上に次々と、皿に乗った料理が現れはじめたのだった。
その料理は、こんがりと狐色に揚がった、衣の付いた魚だった。上から黄色いソースがかけられており、出来立てである事を証明するように湯気が上がっている。
それから、無数の小さな白い粒のような物だ。こちらもホカホカと暖かい湯気が立ち上っている。
「なっ……何ィーーーーーッ!?本当に料理が出てきたぞォーーーーッ!?」
「それもテーブルに納まりきれない程に大量にだっ!所狭しと並んでやがる!十人前以上はあるぞっ!」
「この料理、『温かい』ッ!明らかに今作ったばかりの物だ!あらかじめ作っておいた物をトリックで出したとか、そんなチャチな代物じゃあ断じてねえッ!」
その非現実的な光景を目の当たりにした者達が、オーバーなリアクションを取る。だが勿論、一番驚いているのは、テーブルの上に料理を出してみろと言い、実際に目の前に出てきた男達であろう。
「こ、こんなバカな事が……」
「あわわわわ……ほ、本当に出てきたぞ……!?」
慌てふためく男達に、ロイドが歩み寄った。
「どうした、お前達の祈りは通じたぞ。さあ、食すがいい」
そう告げたロイドの顔には、もはや怒りは無かった。
(あのような侮辱的・冒涜的な行ないをされても、女神は慈悲をもってその願いに応えて見せたのだ。ならば、ここで自分が怒りのままに行動するような事など、あってはならない。自分はただ、女神の意志に殉じるのみだ)
そう考えるロイドの表情は、穏やかで慈愛に満ちたものだった。
「えっ……いいのか……食って……?」
「いいも何も、これらは女神様がお前達の願いを聞き届け、授けてくださった物だ。ならばお前達が食べるべきだろう」
その言葉を受けて、男達は恐る恐る、テーブルの上に並べられた料理に手を伸ばした。
まず最初は、魚の揚げ物と思われる料理に手を伸ばす。ここグランディーノの町は港町であり、魚は
だが、よく食べられるのは焼き魚や、干して保存食にした物で、このように衣を付けて揚げる食べ方はあまり見ないものだ。かけられている黄色い、何か細かい物が中に入っているソースも初めて見る。
魚の揚げ物にナイフを入れると、驚くくらいにあっさりと切れる。切ったそれをフォークで口に運ぶと、今までの人生で味わった事のない美味が口の中に広がった。
「こっ、これはッ!?サクサクとした衣と、柔らかい魚の絶妙な舌触り!そして嫌な生臭さの欠片もない、新鮮な魚の旨味ッ!熱と共に衣の中に閉じ込められていたそれが、口の中で爆発するッッ!そしてソース!濃厚でいながらシャキシャキサッパリしたこのソースが、まるで長年連れ添った夫婦のように、魚の揚げ物と実に合うッ!なんという美味だああああああっ!」
男は衝撃のあまり、思わずその味について凄まじい熱量で語ってしまう。
それから彼は、魚の揚げ物と共に現れた、白い粒の集合体――米をスプーンで掬うと、それを食べる。
「こっちの白いのは淡白な味わいだが……温かく、食べると力が沸いてくる。濃厚な味の料理とよく合い、恐らくは肉料理とも相性がいい。パンのような役割を持った料理という事か……!」
彼らは一心不乱に出てきた料理、アジフライと白米を交互に口に運び、気がつけばあっという間に完食していた。
まさに天上の美味であった。そう満腹感と満足感を得ると共に、彼らは自分の中に溜まった汚れや淀みが、洗い流されていくような感覚を味わっていた。
冒険者を志して田舎を出たものの、いつまで経ってもうだつの上がらない、万年最下級の冒険者。
簡単な採集や雑魚モンスターの討伐をしながら何とか食いつないではいるが、将来性など欠片もなく、上からは蔑まれ、下からは簡単に追い抜かれる日々。
やる事と言えば、同じような境遇の連中とつるんで日銭を稼ぎ、新人イビリをするくらいの、クソのような人生。
そんな日々を過ごす内に、自分の内に溜まっていった世の中への不満や、他人に対する嫉妬、そして自己嫌悪。
それらが全て、洗い清められてゆく。
それと同時に、倦怠感や疲労感といった悪い物が消え去り、代わりに自分の中から感じた事もないような活力が、ふつふつと湧きあがってくるのを感じる。
ちなみに、その原因は料理に付与された効果――筋力や体力といったステータスに対する上昇効果――によるものだ。超一流の料理人でもあるアルティリアが作った料理には、かなり強力な強化効果が付与されるのだが、彼らにはそれを知る由もない。
気が付けば、彼らはぼろぼろと大粒の涙を流していた。大の男が、人前だというのに恥も外聞もなく、子供のように泣きじゃくっていた。
「女神よ……あなたはこんな俺達を、見捨てないでいて下さったのですね……」
自然と、彼らは跪き、祈りを捧げていた。今の彼らの心にあるのは女神への感謝と崇拝、そして一からやり直そうという意志であった。
「すまねぇ、ロイドさん……俺達はあんたに、そして女神様に、酷い事を……」
床に這いつくばって謝罪をする男の肩を、ロイドは優しく叩く。
「いいんだ。女神はあなたを許された。ならば俺があなたを罰する理由など無い。これからは共に、女神に尽くしていこう」
「ああ……!ああ……!」
こうしてまた、新たな女神の伝説と共に、彼女の忠実なるしもべが生まれたのであった。
そしてその頃、その女神(笑)はと言うと……
「グワーッ!なんかまた信仰がいっぱい向けられてる気配がするぞぉぉぉ!?ってなんか信者とFPめっちゃ増えてるんだけど、ちょっとロイドぉぉぉぉ!?一体何やってんのぉぉぉぉ!?」
ロイドは何もしていない。やらかしたのはお前なのだが、アルティリアがそれに気付く事は無かった。
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